第43話 紫苑祭(3)
高等部校舎の中はまだそれほど大きな騒ぎにはなっていなかったが、階段には三階から避難してきた人々で溢れていた。教師や実行委員が声を上げて誘導している。
「通してください!」
「君! 今はだめだ!」
流れに逆らい階段を登ろうとするトワを、教師が引き止める。
「どうしよう!」
『落ち着け。今調べる』
焦るトワにイツカは別のルートを探すべく頭の中に校舎配置図を呼び出すが――
『あっちだ!』
階段とは逆の廊下の先を指示する。
「えっ……わかった!」
トワは一瞬困惑するが、すぐにイツカに何か考えがあると悟り、走り出した。
高等部校舎三階、図書室前は粉塵とエーテルで溢れていた。
時間にして数分前、突然図書室内から爆発が起こり、中にいた人々が逃げ出してきた。彼ら曰く、メイド姿の魔法司書がエーテライズを行った瞬間、その本が破裂するように爆発したという。そして獣のような叫び声まで聞こえたという。
図書室内にいた人々の避難は既に完了しているが、その魔法司書当人はまだ中にいた。彼女にしか収められない事態が発生しているからだ。
「これはマジ予想外。つかヤバイ」
粉塵とエーテルがまだ漂う図書室の中、ハルは一人「それ」と相対していた。
「キューン!」
犬と猫を足したような甲高い鳴き声が「それ」から発せられる。
彼女の狸型エーテルキャットのゴンタである。
しかし平時と違い全長二メートルほどに巨大化しており、狸というよりもはや熊かパンダのようであった。
数十分前、高等部図書室に到着したハルは、まずは無用な混乱を避けるため他の図書委員には先の妨害工作については話さず、一人で不審物がないか探し始めた。ゴンタが図書室に入るのを嫌がらないどころかいつもより元気に見えたので、そのままゴンタは図書室内に置いて自分は外のベランダを調べていた。
特に不審物は見つからず、中に戻ったところで、エーテライズが可能かどうかゴンタに触れ、実際に一冊試した瞬間、異変は起こった。
本は爆発し、ゴンタが突然巨大化した。幸い怪我はしなかったが、ゴンタの姿を見た他の図書委員、来場者は恐怖のあまり逃げ出して、今の状況というわけだ。
「ほーらほらほら、ママでちゅよー」
ハルは両手を広げゴンタにゆっくりと近づく。まずは興奮しているゴンタを落ち着かせる必要があった。きょろきょろ見回すゴンタは自分でも何が起こってるのかわかっていないようだった。
「ほら、もふもふー」
ハルはそのままゴンタに抱きつき、その毛むくじゃらな胸に顔を埋める。だが――
「キュウ!」
ゴンタの強烈なビンタがハルを吹き飛ばす。部屋の端の棚を盛大にひっくり返す。外から見ていた生徒達から悲鳴が上がり、それが他の人々にまで恐怖を伝染させる。
「すいません! 通してください!」
そこへ巫女姿の魔法司書――ウララが人垣を掻き分けて、図書室の入口に立つ。クラス展示の手伝いが終わり様子を見にきたら騒動に気が付いた。
「ウララ! きちゃだめ!」
棚と共に倒れたまま、まだ起き上がれていないハルは、ウララの姿を見て叫ぶ。
「えっ?」
反射的に懐の御朱印帳に手を伸ばしたウララが凍りつく。人々の足元を縫うようにウララを追いかけていたウカの様子がおかしい。
「キャーン!」
ウカは甲高い鳴き声を上げると、身体を震わせ、その場に苦しそうにうずくまる。するとその身体は青白く光りながらぐんぐんと大きくなっていく。
「ちょっと、なにこれ! ウカ?」
ウララも何が起こってるのかわからず、素っ頓狂な声を上げる。
「なんか仕掛けられてる! エーテライズ禁止!」
「! まさか――」
その言葉で全てを悟ったウララは絶句する。神社本局が魔法司書を良く思っていないことは理解していたが、まさかこんな直接的な手段で妨害してくるとは思ってもいなかった。
「キュウ!」
「キャーン!」
ゴンタとウカが共に叫び声を上げ、互いを威嚇し合う。普段は特に仲が良いわけでも悪いわけでもない二匹は、ハルとウララの付かず離れずの関係そのものだった。
「ヤバ、マジクライマックス」
「馬鹿言ってないで止めるわよ」
中に踏み込んだウララはハルを抱き起こす。
「でも、エーテライズするとヤバいよ。爆発する」
「エーテルが暴走するなら散らせばいい」
ウララは図書室内を見回し、避難し遅れた人がいないことを確認する。
「ちょっ、まっ、あの子らを消すってこと?」
「そう、触れて分解するだけならあんたでもできるでしょ?」
「わかってんの? 一度完全に散らしたらもう元には戻んないんだよ! 殺すのといっしょ!」
「怪我人が出てからじゃ遅いでしょ!」
「ゴンタとウカを見殺しにしていいってことにはなんないでしょ!」
「エーテルキャットは所詮道具よ! 生き物じゃない!」
「は? マジで言ってる? 怒るよ?」
「……」
二匹の巨大エーテルキャットと、二人の魔法司書、お互い睨み合いのまさに一触即発のその瞬間――
「はあ! はあ! 間に合った!」
汗だくのトワが図書室に駆け込んでくる。その手には大量のエーテル増幅装置を抱えている。
「トワッチ?」
「トワさん?」
今にも掴みかかりそうになっていた二人は、きょとんとした顔で振り返る。
「それって――」
「はあ、はっ、はい。全部止めてきました。もうだいじょうぶですっ」
ハルの問いかけにトワは息も絶え絶えにその場にへたり込む。装置が床にこぼれる。
「こんなに――でもどうして?」
『校舎の地図見ようとしたら全部わかった。図書室内だとまたバレると踏んで、至る所に仕込んだらしい』
ウララの疑問に今度はイツカが答える。装置のある場所からエーテルの流れが変わっていたので見つけるのは容易かった。
「そんな、こと、より――」
トワはよろよろと立ち上がり、まだ睨み合っている二匹のエーテルキャットに近づく。
「危ないって!」
ハルの静止を無視してトワは二匹の間に立ち、両手を伸ばしてそれぞれのお腹に軽く触れる。不思議と二匹は大人しくそれを受け入れた。
「キュウ……」
「キャン……」
エーテルの流れが正常に戻ったためか、二匹は力無く鳴き声を上げる。しかし姿はまだ巨大なままだ。
「うん。もうだいじょうぶ。でも、元に戻さないと」
「エーテライズで組み直すの?」
ウララはウカに近づき触れるが、もう大人しくなっていた。
「うん。本当はわたしがやれればいいんだけど、わたしはこの子たちのことまだあんまり知らないから。二人にやってもらおうかな」
「へ? マジ?」
背伸びしてゴンタの頭を撫でようとしているハルが間の抜けた声を上げる。
二人共トワ先生の指導の下、かなりエーテライズの技術は向上したが、まだまだ荒削りなのは否めなかった。今日のエーテライズ教室の実演だって簡単な修理にすぎない。それに――
「普段ならともかく、まだエーテルが濃くなってるここで、ですか?」
ウララの方も青ざめた顔でトワを見つめる。
「はいっ! 外に連れ出すわけにはいかないですし」
トワ先生は騒ぎを聞きつけ逆に人が集まってきてしまっている外を横目でちらりと見てから、二人ににっこりと笑った。
「ヤバ、マジピンチ……」
「はは……」
二人は二匹のエーテルキャットに抱きつかれながら、乾いた笑みを浮かべた。
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