第33話 本の町(5)
その後、なし崩し的に話は進み、とりあえず来週の朝活を見学してから考えてみてということに落ち着き、今日のところは解散となった。
携帯電話のメッセージアプリで連絡先を交換し、トワは一人、すずらん通りを歩きながら帰路に着いていた。
「はぁあ……疲れた……」
『おつかれ』
トワは深い深い溜息をついてゆっくりと歩いていた。イツカも心の底から同情した。
「二人ともすごいなあ」
ハルとウララの勢いにすっかり当てられてしまった。年上とはいえこんなにもパワフルな同年代の子達がいることに驚いたし、次々と新しい扉を開かされて、トワは目が回るようだった。
しかし悪い気はしなかった。不思議と充実感があった。
「これが、青春か!」
『何言ってんだか』
興奮するトワに、イツカは冷ややかな言葉を浴びせる。
「ぶー。イツカくんもなんでずっとだまってたの? あの二人ならすぐなかよくなれるよ」
『別に……』
不満気に口を尖らせるトワに、イツカは何かきつい毒のある台詞を吐こうとするが、何も思いつかず言葉を詰まらせる。
自分でも何で入っていかなかったのかわからなかった。トワの交友関係のきっかけを邪魔したくないという保護者的な遠慮ももちろんあったが、あっという間に仲良くなっていく三人に、どこか置いていかれるような感覚があった。
『……俺もまだまだ子供だな』
「ん? 何か言った?」
イツカは朝、トワに「友達できればいいな」などと笑った自分を後悔した。
自分もこれからどう人や世界と向き合っていくのか、ちゃんと考えなければならないと痛感した。
何よりトワに置いていかれるのは、くやしいからだ。
すずらん通りで書店を一巡りした後、既に日は傾き、町は夕暮れ時を迎えようとしていた。家のマンションに向かう路地に入ったところで一人の男に声をかけられる。
「すいません。彩咲トワさんですか?」
「えっ? はい、そうですが」
眼鏡をかけた二十台から三十台の男で、綺麗に整えられたオールバックの髪に背も高く、黒いスーツの上に白いトレンチコートを着ていた。生真面目そうな印象だった。
「わたくし、こういう者です」
男は膝を折りトワと目線を合わせると、コートの中から名刺を差し出す。
『神社本局 神事監視指導課
「えっと……?」
名刺を受け取ってしまったものの、トワは何が何だかさっぱりわからなかった。人違いではないかと一瞬思ったが名前を知られている。自分に用があるのは確かだった。
「いきなりで申し訳ありません。お家の方にも伺ったのですが、まだ帰ってないとのことなので待たせていただきました」
既に家も知られている。母に会ったということは怪しい人ではないのだろうか。
「ちょっと! 待っててください」
トワはそう言うと男に背を向け、少し離れてしゃがみ込み、携帯電話を取り出し、母に通話する振りをした。人前でイツカと話す手段だ。幸い周囲に人影はなかった。
「(イツカくん。わかる?)」
『神社本局は文部科学大臣所轄の宗教法人だな。別に怪しい団体ではないが、日本の全国の神社とかを管理する組織みたいなもんだ。神事監視指導課? ってのは聞いたことあるようなないような?』
イツカにも心当たりはなかったが、非常に嫌な予感がした。
「われわれ監査指導課は全国の神事、神的霊的現象、簡単に言ってしまえばオカルト現象の真偽を実地調査して然るべき対処をする組織です」
「はあ……」
トワは男の説明にもいまいちピンとしないまま応えた。
「すいません。まだ難しかったですね。単刀直入に言います。彩咲トワさん、あなたの持っているその本が監査対象になっているのです」
「!」
『!』
男――ソウガの眼鏡が夕陽に照らされて反射する。高い背丈がその後ろに長い影を伸ばす。
トワはイツカを守るように手で隠すと後ずさる。
「魔法司書、エーテライズ、エーテルキャットの扱いについては現在本局でも審議中で、まだ正式な制度も何もできていない状態です。今までは数が少なかったため個別対応でどうにかできていたのですが、ご存知のようにここ数ヶ月で急増しています。そこで『特に』特殊であるあなたたちにご協力を願いたいのです」
ソウガは優しい声音で説明するが、その目は笑っていなかった。
『違うな。俺の処遇は九年前に彩咲家によって本局から認可が降りていたはずだ。今更口出ししてくるのはおかしい』
「イツカくん?」
堂々と喋り出すイツカにトワは驚く。
「! これが神意? ……いや記録にあった相馬イツカ君か」
ソウガも一瞬目を見開き驚愕の表情を浮かべるが、すぐに落ち着きを取り戻し、眼鏡の中央ブリッジを指で押し上げる。
「そう、君の魂を定着させたその本、それが問題なのだ」
「えっ?」
『この本は母さんが身体をなくした俺のために作ったものだ。確かにエーテルキャットとしては特殊かもしれないが、それを含めて既に認可は――』
「世界を変えてしまう可能性がある」
ソウガはイツカの言葉を遮って言い放つ。
『な……に……?』
トワはぽかーんと、イツカも何言ってんだこいつといった風で唖然とする。
「大袈裟だと笑うかもしれませんが、われわれはそういった可能性が少しでもあるものを監査するのが仕事なんです」
『……神の目録か』
イツカは苦々しく言葉を絞り出す。
確かにオルラトルではこの本を使って神の目録が開きかけた。実際には同じケイが作ったラジエルの本によって開かれたが、神の目録の中からケイが干渉し続けたことで世界が変わったのは間違いなかった。
しかしそのことはあの場にいた者達以外知るはずはない。誰かが言うとも思えない。クオンにすら話していないのだ。この男が、神社本局が知る術はないはずだった。
「……七星アヌビスが君を探している」
黙り込む二人にソウガは観念した様子で吐露した。
「魔法司書委員会が急速に力を付けてきているのは、魔法司書である君達も知っているだろう。われわれはそれを危険視している」
『なるほどな。それでどう協力しろと?』
イツカは何故ケイがアヌビスから逃げていたのかわかった気がした。自分の存在を隠すためだったのだ。そのためにずっと何かしてきていたのだろう。だがこの前のオルラトルでの一件でついにその保護が切れてしまった。そしてバレたと。
「イツカ君をわれわれの手で保護した――」
「だめです!」
ソウガが言い切るよりも前にトワが遮った。
『トワ?』
イツカは一瞬驚くが、すぐによくぞ言ってくれたという歓喜に変わった。
「イツカくんはわたせません。わたしもあなたを信用できない」
「……でしょうね。あなたの母からもこっ酷く断られました。なので少し強引な手を使わせていただきます。こちらもあまり余裕がないので」
ソウガはそう言うとゆっくりと手を伸ばしトワに迫る。
『おい! こんなことしていいと――』
「安心してください。これは本局の命令ではなくわたしの独断です。わたしも魔法司書には少し個人的な因縁があってね」
ソウガは自虐的な笑みを浮かべ、さらに歩を進める。
だが、その手は突然現れた黒い壁に遮られる。
「お断りします!」
片膝をついて地面に右手を当てたトワが拒絶の意を表明する。エーテライズによってアスファルトの地面を壁に作り変えたのだ。
「これが特一級魔法司書のエーテライズ! 素晴らしい!」
狭い路地をほとんど塞ぐほどの厚く高い壁だ。回り道をするしかないが――
「イツカくん!」
『おう、さっさと逃げんぞ』
立ち上がり踵を返して走り出そうとするトワだったが、突然その手を強く掴まれる。
「えっ?」
振り返ると黒い壁は跡形もなく消え去り、青いエーテルの粒子に分解されていた。
『こいつも魔法司書なのか!』
「違います」
ソウガは憮然とした表情で否定し、トワの腕を強引に引っ張る。
「いやっ!」
トワは鞄を叩きつけ、ぶちまけられた教科書とノートを無我夢中でエーテライズして爆発させた――つもりだった。
「!」
しかし何も起こらず、教科書もノートもそのまま地に落ちた。
『トワ! あれだ!』
イツカが叫ぶ。その声の先には何やら野球ボール大の銀色の球体が転がっていた。
「魔法司書相手に何も準備してないとでも!」
原理はわからないが、その球体が周囲のエーテルの流れを止める磁場を出しているのを瞬時に理解した。
「くっ」
トワは視界の隅でデューイが荒れ狂っているのが見えた。助けに入ろうにも彼女もあれ以上近づくと身体を維持できないのだ。
「大人しくしてください。悪い様にはしません。しばらく会えなくなるだけですよ」
ソウガはそう言って、暴れるトワを抑え込んで腰のイツカに手を伸ばす。
「やめてっ……」
トワは泣きながら懇願する。
『クソッ!』
イツカも何もできない歯痒さに悪態をつく。
「これで! あの魔女を黙らせられる!」
ソウガが歓喜の声を上げ、その手がイツカに触れようとした時――
「俺の娘に何しやがる!」
「んぎゃ!」
ソウガは路地の端まできりもみしながら吹き飛び、電柱に思いっきり背中からぶつかり、そのまま意識を失った。
その顔面を振り抜いた拳をゆっくりと戻した男は、深く息を吐く。
「大丈夫か? トワ?」
そしてその場にへたり込んでいるトワに手を差し伸べる。その手は大きく硬くごつごつしていて暖かかった。
着崩したスーツの上からでもわかる筋肉質な身体に、白髪混じりの口髭、小さな丸眼鏡の下には鋭い眼光が熱く激っている。
「おとうさん!」
『おっさん!』
彩咲エイゴウ、国立国会図書館、収集書誌部、エーテル資料課、課長。彩咲トワの父親である。
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