第32話 本の町(4)
午前の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴り響く。
喧騒に包まれるのは教室だけでなく図書室も同様であった。
「はいはいちゃんと並んでねー そこ! 勉強するなら静かにしろよー」
「予約は入っていないので貸出延長は可能です。十冊までだから気をつけてね」
「あっ、はいっ! その本ならあの奥の棚に――」
一斉に押しかけてきた生徒達の対応に三人は忙殺されていた。
紫苑女子は私立校ということもあり、土曜日も授業があるが午前で終わるため、この時間は一週間で一番利用者が多い時間となっている。休みに備えて本を借りていく者、宿題をそのまま学校でこなす者など様々だ。
今は自動貸出機もあるため、図書委員が放課後まで残って司書としての仕事をする必要はないのだが、ハルとウララは司書になる勉強のためにやっていた。
「そうなんだ。すごい」
一通りの利用者対応が終わった後、作業室でそのことを知らされたトワは感激する。
「アタシら魔法司書じゃん? 資格を取るために勉強してるってわけ」
「魔法司書の資格は日本図書館協会の魔法司書委員会が発行してるけど、今のところ普通の司書資格と同じで大学二年か、高卒で司書補になって二年の実務経験が必要になります。まあまだ準備ね」
「へえ」
トワはその手の事情は全くわかっていなかった。自分も研修に赴く際は、国立国会図書館、収集書誌部、エーテル資料課という肩書きを名乗っているが、これは父エイゴウの名代でしかない。魔法司書の正式な資格化自体がここ数ヶ月で決まったことだからだ。
「そうだ、さっきは時間なかったからちゃんと自己紹介しよっか」
「そうね」
ハルが提案し、ウララも頷く。トワは目を輝かせる。
「アタシは片桐ハルジオン。中学二年生。魔法司書になって一年。それでこいつがエーテルキャットのゴンタ。かわいいでしょ?」
ハルは胸に抱いた黒狸のゴンタの頭をわしゃわしゃさせる。
「動画もやってるからチャンネル登録といいねボタンもよろしくう!」
そして動画でいつもやっている決めポーズで締める。トワは興奮して拳を握りしめる。
「私は柳葉ウララ。同じく中学二年。ハルとは同じクラス。私も魔法司書になったのは一年の時、この子がエーテルキャットのウカ。神社のお仕事も手伝っています。あっ、前にお父さんを探すのを手伝ってくれたそうで、本当にありがとうございました」
ウララはちょっと恥ずかしそうに話すと、トワに深々とお辞儀した。足元の白狐のウカも律儀に小さくお辞儀した。
「いいえ! そんな大したことは!」
トワは恐縮して両手を横に振る。
「……彩咲トワです。九歳です。えーと、学校には行ったことないです。それでこの本がエーテルキャットのイツ――」
トワは言いかけてしまったという顔をする。イツカのことを話していいのかにまで考えが全く及んでいなかった。
ハルとウララは期待の眼差しでトワを黙って見つめた。
「えっと、あの、その、これは、普通の本で――」
『どうせあの先生から聞いてるんだろ?』
あたふたとイツカを手の中で彷徨わせるトワに痺れを切らしたイツカが、自分から口を開いた。先の休み時間の時から二人がちらちらと見ているのに気が付いていたのだ。
「おっしゃべった!」
「なるほど、本当に人の魂がこもってるのね。興味深い」
二人はさほど驚く様子もなくイツカをあっさりと受け入れた。
「あれ?」
『相馬イツカだ。事情は話せないが、元は人間、今はこの姿だ。以上!』
きょとんとするトワに、イツカは捲し立てるように名乗って締めた。
「そこもっと、く・わ・し・く!」
「やめなさい」
忘我の表情でトワに迫るハルをウララが羽交い締めにして止める。
「ぶー。それじゃああの子は?」
不満げに口を尖らせながらハルは、部屋の隅で眠そうに欠伸をしている猫を指差した。
「えっと、デューイです。エーテルキャットだけど、その……」
「?」
またしても口籠るトワに二人は疑問符を灯らせる。
オルラトルにいた時、片桐アリスがデューイを使いエーテライズをおこなったことがあったが、その後誰がやっても上手くはいかなかった。トワの呼びかけには応じるが、どうもデューイ自身のやる気がないと反応しないようである。相馬ケイと何かしら繋がりのある存在なのは間違いないが、未だ謎のままであった。
「ただのペットです!」
トワは苦し紛れに言い切った。
「そうか! 猫かわいいもんね!」
「えぇ……」
それに乗っかるハルと呆れるウララだったが、しばらく無言でデューイを見つめると、そっとゴンタとウカをけしかけた。
「ふしゃー!」
デューイは立ち上がり全身の毛を逆立てて威嚇のポーズを取るが、全く動じずにゆっくり近づく二匹にじりじりと壁際に追い込まれ、あたふたと首を振り、そして遁走した。
「帰ろっか」
「そうね」
「はい」
三人はそんな三匹を優しい目で見つめながら帰り支度を始めた。
神田神保町は本の町と言われているが、カレーの聖地とも言われている。実際神田界隈には四百以上のカレー店があるという。
かつては数店が軒を連ねるだけだったのが、一九八〇年代のエスニックブームから専門店が増え始め、二〇〇〇年代に入ってインターネットやメディアの力によって知れ渡り、一躍カレーの聖地とまでなった。
今や神田カレーグランプリが開催されるほどで、今日も本を片手にカレーを嗜む者達で賑わう。本当にそんな食べ方をするお行儀の悪い者はいないが。
紫苑女子からすずらん通りに向かう路地の途中にある一軒のカレー店。
ノスタルジックな雰囲気漂う店内の二階のボックス席に、トワ達三人は座っていた。
目の前には赤と黒に染まったスープカレーが並んでいる。
「一倍でも結構辛いから気をつけてね」
「はい、だいじょうぶですっ」
ウララが心配そうに黒スープに染まったライスをスプーンで口に運ぶトワを見つめる。
「四倍いっちゃう? いっちゃうよ!」
ハルは配信中でもないのに実況しながら赤スープを啜りながら辛さ四倍に悶絶する。
学校を出た三人は、昼ご飯とトワの歓迎会を兼ねてこのカレー店に来ていた。
「こいつ、いっつもカレーなのよ」
ウララは呆れながらライスおかわりしているハルにヤジを飛ばす。
「は? ウララだってラーメンばっかじゃん?」
ハルも負けじと張り合う。トワはそんな二人を見ながら、自分とイツカの関係のようだなとほくそ笑んだ。
「二人は付き合い長いんですか?」
「そう見える?」
ウララはゲーッといった顔でげんなりする。
「アタシたち、会ったの中学入ってからだよ。まだ一年半くらい?」
「えっ、そうなんですか? てっきり幼なじみとかなのかと」
ハルの言葉にトワは驚く。たったそれだけの期間でこんな親密になれるものかと。
「色々あったからねえ。ウララ最初冷たかったしー」
「あんたも大概でしょ。ほんと信じられない奴だった」
「で、オリヒーのおかげで仲良くなった!」
ハルは嬉しそうにウララの肩を抱く。ウララは苦々しい顔をしながらも素直にそれを受け入れた。
「九重先生は魔法司書なんですか?」
トワは図書室でのエーテライズを思い出す。エーテルは見えていたし、何より魔法司書がエーテライズで何を見ているかの理解ができていた。
「えーと、そのー、昔はそうだったのかなー」
「……今は違うわよ。まだ見えてはいるみたいだけど」
二人とも歯切れが悪く、何か事情があるのか言いにくそうだった。
「そんなことよりトワッチの話聞かせてよ。色んな国に行ったことあるんでしょ? すごすぎ」
「あと、その、そちらの相馬先輩の話もぜひ――」
二人のトワへの質問攻めが始まった。トワも初めは戸惑ったが、自分のことを語る機会などなかったので次第に楽しくなり、三人は打ち解けていくのであった。
その間、イツカは最後までだんまりを決め込んでいた。
「はー! たべた! たべた! 今夜はぐっすり眠れそうだ」
「ライスおかわりしすぎ。来週の朝活の準備忘れるんじゃないわよ」
すっかり盛り上がった後、三人はカレーライスを綺麗に平らげた。
「あさかつ?」
「ええ、週一でスタジオを借りてエーテライズの練習とか色々やってるのよ」
「動画の収録もやってるよ。図書室でやるとオリヒーまじおこだし」
「あんたが楽器持ち込んだからでしょ」
「えーだってあと一ヶ月しか……あっ、そうだ! トワッチも一緒にやろうよ!」
「えっ?」
ハルは名案を思いついたといった顔で叫び、ウララもなるほどと得心する。
「来月末の紫苑祭――文化祭で演奏会をするのよ」
「そっ 公開収録イベントってやつ。アタシがギターでウララがベース、ドラムとかは事務所が用意してくれるけど――」
「こいつギター弾きながら歌うのダメなのよ」
「というわけで、トワッチにはボーカルをやってもらいまーす!」
「えっ――?」
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