第31話 本の町(3)
「オリヒーいるー!」
突然元気な女生徒の声が図書室に響き渡る。
「静かにしなさい、まったく……」
さらに落ち着いた女生徒の声が続く。
「あら、あなた達早いわね」
作業室のドアの裏にささっと隠れた九重を横目に、薗田は入ってきた二人の女生徒に応える。
「だって今日来るんでしょ? 研修の子!」
「もう、午後からでいいって言ったのに」
どうやら二人は件の図書委員のようだった。短い休み時間にわざわざ見にきたのだ。
「……」
トワは作業室の中から首を伸ばし、おそるおそる二人を見やる。九重は相変わらずドアの裏に背筋を伸ばして張り付き、口元に指を当て黙ってろとサインを送っていた。
「うお! マジで小学生! かわいすぎる!」
元気な女生徒は作業室に入ってくるなりトワに抱きつく。
金髪碧眼の美少女でまるで外国人のようだった。
「やめなさい。あら、あなたは……」
呆れながら後から入ってきた落ち着いた女生徒は、トワの顔を見て驚いた顔をする。
黒髪ロングの清廉少女は朝と変わらず可憐だった。
「ハルちゃんと、ウララさん?」
トワはその二人とも見知っていた。いつも動画で見ているアイドル魔法司書と、今朝見たばかりの巫女魔法司書だ。
「えー! アタシらのこと知ってんの? チョーうれしーんだけど!」
「はい! 動画いつも見てます!」
「今朝見てた子よね。やっぱり魔法司書だったんだ」
「はい! 街灯を治してたのすごかったです!」
「ちょっと、あなた達静かにしなさい」
盛り上がる三人を薗田が嗜めようとした時、九重はすかさず作業室のドアから駆け出し、図書室からの脱出を試みる。が――
「ゴンタ!」
ハルが鋭い声で九重に向かって指を刺す。
すると、ぽこんっと音を立てて九重の顔の前に黒い狸が現れ、飛びつく。
「うぷっ!」
突然の強襲者の毛むくじゃらのお腹に、九重はもろに顔から突っ込み、拍子でその場に尻餅をついてしまう。
「オリヒー逃げんなー」
ハルは九重の顔に張り付いたままのエーテルキャット――ゴンタを摘んで剥がすと、九重に迫る。
「九重先生、ちゃんと紹介してください」
ウララも腕を組んで九重を見下ろす。その顔は笑いを堪えて引きつっている。
「はあ……」
九重は観念して二人の魔法司書の教え子達からの責め苦を受け入れた。
「――というわけだ。この彩咲先生がお前達の魔法司書としての指導をおこなってくれる。ちゃんと言うこと聞くんだぞ?」
九重は面倒臭そうに説明を締める。既に休み時間は終わろうとしていた。
「よろしくねー! トワッチ!」
「よろしくお願いします。彩咲先生」
「はっ、はい!」
礼儀正しくお辞儀をする二人に、トワも慌てて深々と頭を下げる。
「じゃあ、俺たちは授業あるから、あとは薗田ちゃんよろしく」
そして三人は予鈴が鳴り始める中、図書室を出て行った。ハルとウララは何度も振り返って手を振っていた。
「今日の説明は以上だから、もう帰っても大丈夫だけどどうする? あの子達の授業も午前までだからお昼まで待ってれば一緒に帰れるけど」
薗田が三人の後ろ姿を見ながら尋ねる。彼女もこの後職員会議で一緒にはいられなかった。
「はいっ。だいじょうぶです。お昼まで図書室見てます」
「そう? じゃあ明日からよろしくね。詳しい作業内容はさっき渡した資料に書いてあるから。困ったことがあったら九重先生――ではなく、あの二人に聞いて」
「はい」
薗田は溜息をつきながら図書室を出て行った。トワは先生って大変なんだなあと純粋に感心するのであった。
「ふう……」
授業が始まり、再び校舎の中は静寂に包まれる。昼休みまでまだ時間はある。
トワはカウンターの席に座り、深々と息を吐く。
『なかなか面白い連中じゃないか』
カウンターの上に置かれたイツカが、そんな憔悴した様子のトワを慰めるように口を開く。
「そーだね」
トワはカウンターに顔を突っ伏して、横目でイツカを見つめる。
基本人見知りのトワにとって何もかも刺激が強すぎた。まさかあの二人の先生になるとは思いもよらなかった。
「先生かあ……ふふっ……」
だが悪くない。今までずっと周りは大人達の環境で過ごしてきたトワにとって、教えを請われるというのは未知の甘美に溢れていた。自然と顔もにやける。
『……ご満悦のところ悪いんだけど、いいかな彩咲先生?』
そんなトワを見て、まだまだ子供だなと安心するイツカがおどけて尋ねる。
「な、なにかな! イツカくん!」
トワはそんな痴態を見られて顔を真っ赤にして起き上がる。
『あの九重という男……』
「うん、お母さん達のこと知ってるみたいだった。イツカくんは会ったことないの?」
『ないな。多分母さん達が学生の頃だと思う。ここの高等部だったらしいし』
「帰ったら聞いてみよ」
その後、二人は黙り込み、トワは何をするでもなく窓の外をぼんやりと見つめていた。
先の時間とは違うクラスの生徒達が、笛の音と共に校庭を並んで走っていた。
「……わたし、彩咲トワは、イツカくんを人間に戻さないといけない」
『トワ?』
それは少し前までは呪文のようにずっと自分に言い聞かせてきた言葉だった。
神の目録で相馬ケイと会い、自らの生い立ちを知り、その言葉の真の意味を知った。
本当なら死んでこの世には生まれてこなかったはずの自分に、イツカがその身体を譲ってくれたから今ここにいる。
だからこの身体を返すために自分は生きているのだと。
『……あの時、誓ったろ』
「わたし、彩咲トワは、イツカくんを人間にして、そして共に生きていきます」
しかし決めた。二人で決めた。一緒に生きていく道を。二人手を繋ぎ歩いていく未来、それは確かに見えたのだ。
だが、今のところその手がかりとなるようなことは、何も見つかっていないのが現実であった。ケイが残したコードもあれ以来現れていない。
『焦るこたぁないよ。未来はわかってんだ。なるようにしかならねえ』
「ふふっ」
『なんだよ』
「イツカくん、キクヲおじいちゃんに似てきたよね」
トワは笑いながらイツカの表紙を優しく撫でた。イツカは軽くショックを受けて黙り込む。
窓の外ではデューイが生徒達に囲まれてあたふたと逃げ惑っていた。
『(……まあ、心当たりがないわけではないんだが――)』
「……うん?」
うとうととまどろみかけたトワが聞き返すが、そのままがくりと机に突っ伏す。緊張の糸が切れたのだろう。イツカは小さく溜息をつき、安堵した。そして祈った。せめてこの本の上に涎は垂らしてくれるなと。
母ケイと同等の魔法司書であったという七星アヌビス、彼女なら何か知っているのではないか。
会ったことはない。というかケイは必死に彼女から逃げ回っていた節があった。日本図書館協会の魔法司書委員会への所属の勧誘をずっと断り続けていた。今もトワに対して再三来ているが、母クオンが全て断っている。それもケイがアヌビスには関わるなと言葉を残したからだという。
もちろんこのことをトワは知らない。
ケイの再失踪に続く魔法司書の大量発生、急速に力を着けてきている魔法司書委員会。全てが繋がっている。そう思えてならなかった。
『心配しなくても退屈なことにはならないだろうぜ』
そんな心配をよそに眠りこけるトワに、イツカは優しく笑いかける。
その後、案の定トワはイツカの上に小さな水溜まりを作ることになった。
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