第30話 本の町(2)

 九時十分。既に一時限目が始まり、校内は静けさの中、教師が黒板を叩く音、校庭からは体育の生徒達の掛け声が聞こえてくる。


 私立紫苑女子大学附属中学校。同高校、大学に連なる附属中学校で、その歴史は大学や高校に比べると浅い。

 大学は明治期に女子の高等教育を目的とした専門学校として始まり、一般教育のみならず法学、医学から芸術、音楽まで様々な文化人を輩出している。その後昭和に入り高等部が、平成末期に中等部が設立されている。

 図書館や司書課程にも力を入れており、大学の中央図書館は都内でも有数の蔵書数を誇っている。


「それで彩咲さんには中等部の図書室業務と並行して、大学中央図書館の貴重書のエーテライズ作業、そして魔法司書の指導をおこなってもらいます」

「はい」

 職員室の中でトワは研修内容の説明を受けていた。

 学校に通うといっても他の生徒に混じって授業を受けるわけではなく、図書室での作業が研修内容となっている。腕には研修中の腕章も付けられている。


「これから図書室担当の九重ここのえ先生に会ってもらうんですが……」

「……?」

 一通りの説明が終わり、図書室へ向かう廊下の途中、前を歩く若い女性教員、園田そのだは立ち止まり、腰を落とし、声を潜めてトワの耳元で囁く。

「かなり、その、いいかげ……いいえ、個性的な先生なので気を付け……面食らわないでくださいね」

「……えっと」

 園田は苦虫を噛み潰したような顔で同僚の悪口を公言する。どれだけ嫌われているのだろうか。

『(……)』

 図書館の担当にされる者は、いささかばかりコミュニケーション能力に問題がある者、個性のやたら強い者が多い傾向にあるのではないかという、誰かが統計したわけでもない、みな思っていても口にしない現実に何とも言えない気持ちになるイツカであった。

「がんばりますっ!」

 そんな事も露知らず、健気に拳を握りしめるトワであった。


 中等部は近年設立された事もあり、校舎もまだ新しい。図書室も同様で、一階の一年生教室から離れた最奥にある入口は、真新しいガラス張りの自動ドアとなっていた。


 中に入ると授業中ということもあり、生徒は一人もいない。

 まず目に入ってくるのは新着図書を立て掛けた低書架だ。文学小説が一番多いが、自然科学や歴史、言語から芸術、スポーツ、新書に漫画までと幅広い。手描きの可愛らしいポップもついており、綺麗に並べられている。

 その先には同じく低書架の辞典が並び、大きなテーブルを取り囲むように閲覧席が続いている。脇には検索用のパソコン端末席とタブレットがいくつかある。

 部屋を取り囲むように雑誌や大型本の書架が並び、閲覧席の奥に立ち並ぶ書架には――

「あの、彩咲さん?」

 中学校の図書室にしては大きい、さすが図書館に力を入れていることだけはある。奥の書架も文学、社会科学、自然科学、人文科学に郷土資料、下手な公立図書館並みに充実している。施設の新しさとは裏腹に蔵書自体は古い資料が多いように見受けられる。おそらく大学の中央図書館の分室としてスタートし、新しい独自資料を増やしているのだろう。選書基準が非常に気になるところだが――

「彩咲さん!」

「はい?」

 ふらふらと書架の奥へと歩み始めたトワを園田は立ち止まらせる。きょとんとした表情でトワは首を傾げる。イツカは笑いを堪えるのに必死だった。


「失礼します」

 二人は無人の利用者カウンターの中に入り、園田が奥の作業室のドアをノックして開ける。

 返事はなく、二人が部屋に入ると、そこには応接用の黒いソファに新聞を頭から被った白衣姿の男が寝そべっていた。

「九重先生!」

 園田が大声を上げて新聞を引っぺがす。男は眩しそうに目を瞬かせながらゆっくりと起き上がる。

「……うるせえなあ」

 そしてぼさぼさの長髪の頭を掻きながら二人を見上げる。

「えっと! 研修に来た彩咲トワですっ!」

 トワは咄嗟に緊張しながら深々と頭を下げる。

「はいはいどーも」

「ちゃんと自己紹介しなさい!」

 ふらふらと手を振りながら返事をすると、再びソファに横になろうとする九重を園田が咎める。

「えー、どうせ園田ちゃんからいい加減とか説明受けてるでしょ? それで合ってるよ」

「うっ」

 九重の指摘に薗田は思わず声を上げる。トワはあわあわと慌てふためく。


 九重オリヒコ、年齢三十代、独身、科学教諭、そのいい加減な生活態度から部活動の顧問にはなれず、図書室担当に島流しにされた。しかしこれで司書の資格は持っており、その選書眼は確かで、中央図書館から度々ヘルプの要請が来る。生徒からは意外と人気があるようである。


「島流して、ひどいなあ」

 薗田のあまりオブラートに包まない紹介に九重は不満の声を上げる。

「仕事をほとんど図書委員の子らに任せててよく言えますね」

 薗田も負けじと言い返す。トワは新書コーナーのポップが生徒作と知ってちょっと驚いた。内容まで抑えた紹介文はなかなか書けるものではない。


「じゃあ、やってみてよ」

 九重がソファに寝そべりながらトワに手を振る。

「えっ?」

 いきなり声をかけられてトワは面食らう。

「何を――」

「そこの書棚に並んでるの修理対象のだからさ。ちょうどいいだろ?」

 そして疑問の声を上げる薗田を遮って、壁の書棚に並ぶ図書を指差す。


「お前のエーテライズが見たい」

 その目は先ほどまでのいい加減なものではなく、真剣だった。



 作業室の中は静寂に包まれていた。

 まだ授業時間中で校舎の中から音は聞こえてこない。窓から見える校庭からソフトボールをする生徒達の掛け声がわずかに聞こえてくるだけだった。


「書誌検索――」

 トワは右手を修理本に、左手を腰にかけたイツカに当てて目を瞑る。

「……」

 園田は緊張と期待の面持ちで、九重はソファに寝そべりながら無表情でそれを見つめていた。

「(どこまでやろう?)」

『(お前が決めろ)』

 トワは二人に聞こえないくらい小さな心の声でイツカに尋ねる。

 その修理本は推理小説の文庫本だった。何度も読まれてページの一部がまとまって抜け落ちてしまっていた。

 エーテライズではなく普通に修理するなら、背に専用のボンドを塗ってくっつけて乾くまで待つところだが、これはこれでうまくページの高さが揃わなかったりして意外と難しい。

 エーテライズなら綺麗に図書を「元に」戻すことが可能だが、トワはどこまで戻すか迷っていた。

 何も考えずに新品同然まで戻すのは容易い。書誌検索の結果、エーテルキャットのデータベースにも登録されているごくありふれた一冊で、誤字脱字による版の違い等、考慮すべき要素はなかった。

 問題はその先、この本が辿ってきた歴史だ。

 誰によって借りられ、どう読まれてきたか、付いた汚れや傷、それをどこまで治すべきかトワは迷った。

 どうも北欧オルラトルでの一件以来、今まで以上に深く本の記憶を読めるようになってしまったため、その塩梅が未だ掴めずにいた。


解本リベーレ!」

 だがトワはエーテライズを始めた。おそらくそこも試されているのだと感じたからだ。

 本はトワの手を離れ中空に浮かんでいき、青い光を放ちながら糸を解くように粒子になっていく。

「すごい……」

 薗田が感嘆の声を上げる。

 そしてその解けた粒子一粒一粒から膨大な記憶がトワの頭に流れ込んでくる。

『(全部見ようとしなくていい。俺が覚えてる)』

「(うん)」

 イツカにはトワが迷う理由がわかっていた。トワは全てを取り零したくないのだ。以前は見えていなかった故に切り捨てていたものも全部拾おうとしている。

 この本の記憶への解像度と取捨選択こそが、魔法司書としての技量を測るバロメーターで、この九重という男はそれを見定めるつもりなのだ。

時間タン――空間エスパス――」

 トワの言葉と共に解けたエーテルの粒子は螺旋を描き、振り上げたその手の上で渦巻く。

「!」

 不意にトワは何かに気付き、手を止め九重の方を振り返る。彼は顔色ひとつ変えずに見つめていた。


記憶メムワール――」

 トワは一瞬迷ったが、その意図を理解し、作業を続けた。

 本に積み重なった記憶を読み取り、掬い上げ、そしてこうあって欲しいという未来の記憶――願いを込めて、あるべき姿に導いていく。それがトワ達の紡ぐエーテライズだった。


結本リエル!」

 渦巻くエーテルは収束し、ぽんっと音を立てて一冊の本へと戻り、トワの手の中へ落ちた。

「お見事!」

 薗田が興奮して手を叩く。

「別に初めてエーテライズ見たわけじゃねーだろ」

 九重が呆れて肩をすくめる。

「だがいい手際だ。あいつらじゃまだこうはいかねーな。どれ、見せてみ」

 そして完成した本をトワから受け取る。

「……」

 トワは緊張した面持ちで黙ってページをめくる九重を見つめた。

「……悪くない。抜け落ちたページの結合は完璧だ。摩耗したページも適度に補修されている。汚れや折れをやや残しすぎではあるが、ちゃんとあそこは消してるな」

「あそこを消す?」

 珍しくベタ褒めする九重に驚く薗田が尋ねる。

「……犯人の名前が書いてありました」

 トワは九重の方を白い目で睨みつける。書いたのは九重だ。本の記憶に触れ、わざわざ今朝仕込んでいたのが見えた。

「よしよし、ちゃんと見た上で消したな。さすが彩咲の叩き上げのことだけはある。いや、そいつが優秀なのか?」

『!』

 九重は興味深そうにイツカに目配せする。

「……母から聞いてるんですか?」

 トワは警戒した面持ちで尋ねる。イツカの事情については可能な限り秘密にしていた。もし知らされているとしたら母クオンの口からしかあり得ない。

「まあな。お前の母とは昔馴染みでな。もちろん相馬ケイのことも――」

 九重が口を開いた途端、一時限目終了のチャイムの音が鳴り始める。

「おっと――それは、おいおいな。じゃあ俺は次の時間授業あるんで、あとは薗田ちゃんよろしく!」

「あっ、九重先生?」

 そして慌てて立ち上がり、まるで何かから逃げるようにそそくさと作業室のドアへ向かう。が――

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