第29話 本の町(1)
神保町が本の町と呼ばれるようになった由縁は、明治期に多くの学校ができたからである。卒業した学生達が教科書を売り、それを下級生が買うというサイクルが古書店の興隆を促した。その後、明治から大正にかけて幾度となく大火に見舞われながらも、それを乗り越え今に至る。
今は靖国通り沿いの南側に多くの店が軒を構えているが(北側だと日差しで本が焼けてしまうため)、かつては一本道を隔てた「神田すずらん通り(当時は神保町通り)」を中心に栄えていた。しかし一九一三年の神田大火で全焼し、多くの店が移転した。しかしすずらん通りにもまだ店は残っており、毎年、古本市である神田町ブックフェスティバルがおこなわれるほどである。
そして今トワ達が横切ろうとしているのがそのすずらん通りだった。
「少し見ていきたいなあ」
『遅刻するぞ。もっと早く家を出ればよかったのに』
朝早くほとんどの店はまだ開いていないが、多くの古書店や飲食店が軒を連ねる。通りの名を示す、すずらん型の街灯が並んでいる。学校に向かうには遠回りだが、久しぶりに日本に帰ってきたトワとしては散策したかった。
「だってハルチャンネル更新してたんだもん」
『ハル……? なんだって?』
「えー? イツカくん知らないの?」
トワは立ち止まると背負った鞄から携帯電話を取り出し、動画を再生させる。
『はーい! みんなハルハルー! ハルチャンネルはじまるよー!』
金髪碧眼の日本人離れした少女が間の抜けた声で番組開始を告げる。
『今日もエーテライズに挑戦しちゃうよ!』
動画でもカレーライスを食べながらエーテライズに挑戦するという謎の企画をしていた。
これで再生数数十万と、アイドル魔法司書と呼ばれるほどである。
『片桐……?』
「うん、アリスさんの姪なんだって」
片桐アリスはこの夏お世話になっていたノルウェーのオルラトル町立図書館の館長で、二人の魔法司書の先生に当たる。
『兄だか姉がいるとは聞いたことあるが、姪がいて、しかも魔法司書だと?』
「魔法司書になってまだ一年なんだって」
この三ヶ月間、世界中で魔法司書に目覚める者が現れているため、不思議ではない話だが、あまりにも偶然が過ぎた。
『なあ……トワ』
「うん……」
二人はその原因が自分達にあるのではないかと薄々感じてはいたが、なるべくその話題はしないようにしていた。
ノルウェーのオルラトルの町での研修中、二人は神の目録と呼ばれる空間を開いた。そこで九年前に行方不明になったイツカの母、相馬ケイと再会し、結果的にイツカを人間に戻すことには失敗した。ケイは再び失踪したが、そのことが今世界中で起こっていることと無関係だとは考えにくかった。
『まあ気にしても俺達にはどうにもならないさ。それより早く行こう』
「うん」
トワは再び歩き出し、すずらん通りの交差点を横切ろうとする。が――
何やら通り内に人垣ができていた。
「なんだろ」
興味津々に目を輝かすトワにイツカは心の中で深く溜息をつくと、無言で確認の許可を下した。
トワは人垣に近づくと、面識のある古書店の若い女性店員がいたので尋ねてみた。
「何かあったんですか?」
「あらトワちゃん。おはよう。制服似合ってるわね。ほらあれ見て」
見ると人垣の中心にトワと同じ制服を着た少女が何人か立っており、傍に女性警察官が付き添っている。問題は彼女らの前にあるすずらん型の街灯だ。
まるで支柱がくり抜かれたように街灯は折れて床に落ちていた。
「あの子らがあそこで話してたら突然折れたんですって」
「あれって――」
『(ああ……)』
折れたのではない。エーテライズで部分的に分解されてしまったのだ。トワ達にはその残滓のエーテルがはっきりと見えていた。エーテルは揮発性が高く、よほど濃度が高い状態ではないと魔法司書以外には見えない。あの中の誰かがやったのだろう。しかも無意識にだ。世界中でこのように突然魔法司書に目覚める者が現れているのである。
「すいません。通してください」
少女達が警察から事情聴取を受けている中、人垣を割って一人の女生徒が入ってきた。黒髪ロングの清廉な少女で、彼女もまた同じ制服を着ている。
「こういう者です」
彼女は警察官に何やら身分証明書のようなものを見せ了承を得ると、女生徒達の手元を一瞥し、迷うことなく一人の少女を選んだ。
「あなたが触った時に折れたのよね?」
「はっ、はい」
警察官から事情も聞かずに即言い当てたのに、みな驚いた。
『(見えてるな)』
「うん」
トワ達にも見えていた。その少女の手にエーテルの青い粒子が残っていることに。あの入ってきた少女も間違いなく魔法司書だ。
「大丈夫だから。この手袋付けて。学校に着いたら図書室に来てね」
そして慣れた手つきで少女に手袋を付けた。意図せずエーテライズを発動させないためのものだ。困惑する少女に何が起こったのか丁寧に説明を始めた。
「あの人、どこかで……」
トワはその魔法司書を過去に見た記憶があった。同じ魔法司書なら忘れるはずがないのでかなり昔だろうか。
「あの子、柳葉さんとこのお孫さんじゃないかしら。確かウララちゃん」
古書店員が思い出したように呟く。
「えっ?」
柳葉さんとは先程靖国通りで声をかけてきた柳葉書店の老店長、柳葉キクヲのことである。トワ達の母の代から馴染みの人で、今も懇意にしている。
「魔法司書だったんだ」
三年前、キクヲから失踪した彼の息子の消息を探す手伝いをしたことがある。その後見つかり、妻娘と共に店を手伝っているとは聞いていたが、直接会ったことはなかった。
『……』
イツカはそのあまりに偶然の過ぎる事実を訝しんだ。
説明が終わると柳葉ウララは折れた街灯の残骸をしばらく見た後、同じ型の別の街灯に近づいて手で触れ、顔を落として目を瞑った。するとどこからともなく白い狐が足元に駆け寄り、彼女は空いた手をその背に乗せる。
「あの子……」
『(エーテルキャットだろうな。あの街灯の情報を記憶させてるんだろう)』
エーテルキャットとは魔法司書がエーテライズを行う際の補助具のことである。本を正確に復元するための情報を全て記憶している。その形は本やタブレット端末から動物まで、魔法司書によって千差万別である。トワの場合、イツカがその役割を担っている。
周りの人達が不思議そうに見つめていると、彼女は目を開け、再び折れた街灯に近づきながら制服の懐から何かの紙の束を取り出す。
「あの……?」
「大丈夫です。ちゃんと許可は取ってます」
警察官が声をかけても彼女は気にせず続ける。紙の束は和紙で何やらお札のように達筆な字が書かれている。
「あれは?」
『(御朱印だな)』
「ごしゅいん?」
『(神社で発行している証明書みたいなもんだよ、スタンプラリーみたいに集めるのが好きな人もいるみたいだな)』
ウララは頁をゆっくりとめくり一枚を選ぶと、とてもとても名残惜しそうな溜息をついてからその頁を破り取り、折れた街灯のエーテライズされて抉り取られた部分にあてがう。
「畏み畏み申す」
そして目を瞑り呪文のように祝詞を呟くと、ぱんっと軽く合掌をする。
するとあてがわれた御朱印が青くゆらめき始め、小さな粒子にエーテライズされていく。
「おおっ!」
見ていた者達からどよめきの声が上がる。魔法司書の者でなくとも見えるほど、そのエーテルは濃く、色鮮やかであった。
「すごい!」
『(ほう、見事なもんだな)』
そして分解されたエーテルは、折れた街灯の抜け落ちた部分を補完するように集まり、元の柱の形を成していく。
「でも、本以外をエーテライズしていいんだっけ?」
『(禁止されてるといってもまだ明確な法律が存在するわけじゃないからな。あの子は許可を得ているんだろう)』
「あの子、確か神社でお手伝いしてるのを見たことあるわね。ほらここからすぐ近くの稲荷神社」
「そうなんだ」
古書店員の言葉にトワは納得する。だから狐型のエーテルキャットに御朱印や祝詞なのだろう。さながら巫女魔法司書といったところか。
「あとはお願いします」
エーテイラズを無事終えると、ウララは警察官達に声をかけてその場を後にした。狐のエーテルキャットもいつの間にかいなくなっていた。
人垣を掻き分け、通学路に戻ろうとしたその時、その中にいるトワと一瞬目が合う。
「あっ」
トワがどうしたものかと困惑していると、彼女の方も不思議そうな顔を浮かべ、小首を傾げると、そのまま立ち去っていった。
「わたしも魔法司書だとわかったのかな?」
『さあな』
イツカはあの魔法司書との出会いも何か意味があるのかと、デューイに問い正したかったが、その姿はなかった。
「本当に魔法司書って増えてるんだね」
『ライバルが増えて不安か?』
「まさか!」
トワは即答した。その瞳は希望や憧憬に輝き、そしてその奥に対抗心の炎が確かに揺らめいているのを見て、イツカは満足気に笑った。
「にゃー」
そんな二人の様子を飲食店の屋根の上から見下ろしながら、デューイは楽しそうに鳴いた。
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