第25話 神の目録(4)
アカーシャの呼び出したラジエル達が一瞬で青いエーテルに分解され、黒い本が解け始める。辺りの本棚に詰まった本も巻き込んで大きな渦が立ち上る。
「
「……なにをっ」
アカーシャは繋がれた手を離そうとするが、トワはしっかりと握りしめて離さない。
「記憶に触れてやっとわかった。アカーシャもわたしと同じだったんだね。ほら触ってみて」
そして黒い本に添えていた手をゆっくりと持ち上げ、その手の平から立ち上るエーテルの渦にアカーシャの手を導く。
「……! まさか……」
「そうだよ。お姉さんはずっと一緒にいたんだよ。ラジエルの姿になって」
「何だと? それでは、あの子は一体何者なんだ?」
エメリックが疑問の声を投げかける。
「言ったでしょ。シューニャの願いの成れの果ての姿だって。あの子はシューニャの願いが生み出した存在。自分の全てを代償にしてね」
ケイは再び淡々と答えた。
「そうか、あの子はシューニャであり、シューニャの願ったもう一人のアカーシャでもあるのか。だからあの鳥をエーテライズしてもシューニャの記憶しか辿れなかった」
アリスもアカーシャに感じた違和感の正体にようやく行き着く。
「ほら、つづきはアカーシャがやって。手伝うから」
トワは握りしめていた手を離し、掲げた右手をアカーシャの右手に慎重に重ねていく。
「
そしてアカーシャの目を見て続ける。その瞳は赤く、だが穏やかに輝いていた。
「……ああ、そうか、姉さん、そこにいたんだ……」
流れてくる記憶に触れ、アカーシャはようやく探していた姉は、ずっと側にいたことを理解した。その瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「
二人が空に伸ばした右手をぐっと握り締めると、渦巻くエーテルは一点に集中し、ぽんっと音を立てて一羽の黒い鳩にエーテライズされた。
「ラジエル!」
そしてアカーシャの声を受けて、その手の上にゆっくりと舞い降りた。
「アカーシャ?」
トワはアカーシャがその黒い鳩を姉、シューニャではなく、ラジエルと呼んだことを不思議に思った。
「……この子は姉さん、だけどラジエルだから……」
アカーシャの答えにトワは首を傾げ、疑問符を灯らせる。
『そいつらは俺達と違って「それ」がいいんだとよ』
イツカが呆れ声でその物言わぬ黒い鳩を見上げた。
ラジエルは我関せずといった顔でアカーシャ達の上を飛び回り、その黒い羽を撒き散らしていた。
「同じ新品に作り直すのではなく、持ち主の願いを乗せて世界に一冊の本に作り変える。それが魔法司書のお仕事――」
ケイはそんな彼女らを見つめながら独り言のように呟いた。
「ラジエルは分かれたシューニャの魂を入れる器として作った。だからこそ神の目録を開く鍵足り得た。そして鍵としての役割を終えたラジエルは消えるはずだった。けどトワちゃんがその宿命を変えてしまった」
「そうだ。これが彼女らの選んだ未来だ」
エメリックが嗜めるようにケイに言い放つ。その顔は在りし日の先生のようであった。
直後、神の目録全体が激しく揺れ、本棚から次々と本が落ち始め、本棚自体も崩れ落ち、青いエーテルの粒子になって消えていく。
「なにが起こってる?」
アリスがケイに問い詰める。
「残念ながら時間切れね。神の目録が綻び始めた。ラジエルが作り変えられたからね」
ケイは特に驚く様子もなく淡々と説明した。
「このまま消えるとどうなる?」
エメリックが尋ねる。
「だいじょうぶ。みんなオルラトルの町に帰れるよ」
「あんたも?」
アリスが尋ねる。ケイは一瞬優しく微笑むと、首をゆっくりと左右に振る。
「わたしは戻れない。まだやることがあるから」
「何をだ?」
エメリックが怪訝な表情を浮かべて聞き返す。
「言ったでしょ。間違いを正すって」
「でもトワちゃんは殺せないって言ったじゃ――はっ!」
ケイに食ってかかろうとしたアリスが言いかけてトワ達を振り返る。
「イツカ! 逃げろ!」
アリスが叫ぶ。
『!』
「えっ――?」
二人が振り返る。だが既に手遅れだった。
「
ケイが右手を振り上げ、その言葉を口にした瞬間、トワの手元からイツカは離れ、中空へと浮かんでいく。
そしてイツカのページは開かれ、ばらばらと勢いよくめくれながら青いエーテルが立ち上り始める。
「イツカくん!」
『くっ……』
トワは必死に手を伸ばすが、その手は空を切る。イツカは自分の身体が今まさにエーテライズされつつあることに戦慄する。
「あんた! 何しようっての!」
「イツカなんて子は最初から存在しなかった。私がトワちゃんに身体を与えて生き返らせるために作った架空の人間だった。そう言ったらあなた達は信じる?」
「そんなバカなことが――」
ありえないとは言えなかった。現にシューニャはここでアカーシャを生み出した。
「そう思わせることもできた。でもそれは失敗した」
『母さん?』
イツカ自身、自分は人としては存在しなかったのではないかと思いかけたこともあった。
「トワちゃんがイツカを使って神の目録を開いていれば、そのまま全て終わっていた。でもそれは破られた」
「!」
トワは時計塔で何かに操られるようにイツカを還そうとしたことを思い出す。
「アカーシャが勝っていれば、それでも終わっていた。でもそれも叶わなかった」
「……」
アカーシャはラジエルと共に身構え、その言葉を聞いた。
「やはり思い通りにはならないものね。いや、私自身が思い通りになってほしくないと願っていたのかもしれない」
そしてケイは伸ばした手の拳を握りしめる。
『!』
その瞬間イツカのエーテライズが始まり、その本の身体が一斉に綻び、エーテルの青い糸が螺旋を描きながら舞い上がっていく。
「イツカくん!」
トワが悲痛な叫びを上げる。
「初めからこうすることもできた。けど未来はみんなに決めてほしかった」
「どうしてここまでする必要があるのよ! あの子らはこの九年間不自由はあれど無事に生きてきた。それでいいじゃない!」
アリスがエーテライズを止めるべく、ケイを取り押さえようとするが、ケイは空いた片腕を振り上げ、その手をアリスに向ける。
「!」
崩れ落ちる本棚と本がエーテライズされ、アリスの前に格子状の壁が現れる。
「こんなもの!」
アリスも右手をかざしエーテライズで破壊を試みようとした刹那、左手に抱えたタブレット端末が弾けて消える。
「そう。二人が今日まで無事生きてこられたのも私がずっと見守ってきたから。イツカが私の作った本の身体を使いこなし、人としての心を取り戻せるようにしたのは私。トワちゃんが度々自分を見失い、定着しない身体から魂が抜け落ちてしまわないように導いたのも私。そうしなければ二人はあっという間に世界から弾き出されていた」
「だからって――」
「けどもう世界を欺き続けるのも限界。私にはもうこれ以上二人を助け続けるだけの力が残っていないから」
そう言ってケイはアリスに向けた手を下ろす。その手がわずかにぶれるようにぼやけ、青いエーテルの粒子を放つ。
「あんたその身体……」
アリスはその姿を見て愕然とする。
「私の身体はもう残っていない。だから現実には帰れない。これは九年前に覚悟を決めて選んだことだから後悔はない。あの時は何でもできると思ってたから」
「させない!」
トワは両手を振り上げ、エーテライズされて空へ昇っていくイツカを止めようとする。
だが一人ではエーテライズを発動することはできなかった。
「だいじょうぶ、トワちゃんは一人になっても生きていける。その未来はもう見ている。だから『イツカは私に返して』」
「!」
ケイの言葉にトワははっとなり、そして理解した。
この人はただ寂しかっただけなのだ――
この誰もいない神の目録で九年間、いやもしかしたらもっともっと長い時の間、たった一人で見守っていた。
そして神の目録を再び開くためにみんなを導いた。間違いを正す、そうかもしれない。だがその本心はきっともう一度みんなと会いたかっただけなのだ。
「だったら!」
トワは諦められなかった。イツカを救う、それだけではない。この人を、九年間ずっとイツカと自分を見守ってきてくれた、この相馬ケイをも救わねばならないと。
だがそんなトワの気持ちとは裏腹に、イツカから立ち上るエーテルの渦は勢いを増していく。
「……させない」
不意に鳥達が一斉にケイに向かって飛びかかる。アカーシャの放ったラジエルだった。
「あんた!」
アリスが叫ぶ。
「……トワは私に気付かせてくれた。だからケイも諦めないで」
アカーシャは右手を前にかざす。ラジエルが飛びかかる。
「そうだ! こんな結末、君らしくないじゃないか!」
エメリックも胸元から取り出した手帳のページを破り、動物の姿にエーテライズすると、ケイに向かって放つ。
「むだよ」
だがそれらは全てケイの体を素通りして消えてしまう。
「もうあなた達は時間切れ。神の目録には干渉できない」
「くっ」
アリス達の体が薄れていく。重なる世界はついに再び分かたれようとしていた。
「さあ、還りましょイツカ。だいじょうぶ。またみんなと会える日は来るから」
ケイは渦巻くイツカを見上げて優しく微笑む。
『……それで、トワは助かるのか?』
「イツカくん?」
「ええ。トワちゃんは一人でも生きていける。最初から二人とも人間として現実で生きていける方法なんてなかったのよ。一緒にいればいつか世界が二人を永遠に離れ離れにする日が来てしまう。だからこうするしかないのよ」
「そんな……」
トワはイツカに手を伸ばして飛び上がるが、そのまま倒れて膝をつく。その瞳からはぽろぽろと涙が溢れ、神の目録の黒い空間と透けて見える時計塔の石床に波紋を作っていく。
『トワ……ごめん』
「!」
イツカはトワに優しく語りかける。その達観した声音に一同は絶望を予感する。
だが――
『遅くなった。準備できた!』
「うん!」
一転、決意に満ちた声でトワに呼びかける。トワはその瞬間顔をほころばせる。
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