第24話 神の目録(3)
「それで――二人はどうしたい?」
神の目録、トワ達の沈んだ闇を見つめ黙っていたアリスとエメリックに、ケイが尋ねる。
「このままトワちゃんの魂が還れば、あの時の願いはなくなり本来あるべき世界に戻るでしょう。けどこの神の目録から願えば、また別の世界を創り出すことだってできる」
「……ああ、最初はあんたをぶん殴ってでもこの呪いを解いてもらうつもりだったさ」
アリスはケイの方には振り返らずに闇の中を見つめながら応える。
「けど、あんたの顔見てどうでもよくなっちまったよ。こんな呪い、あの子らが背負ってきたものに比べたら大したもんじゃない」
「そうだね。今更元に戻ったって、それは今の僕の望みではない」
エメリックは一瞬リサの顔が脳裏に浮かび、続けた。
「君が言ったように失われた命によって産み出される未来があるなら、この九年間で得たもの、失ったものをなかったことにされる方がよほど惜しい」
「……そう」
「どうせ最初からこうなるように仕向けたんだろ?」
アリスは振り返り、エーテルの河が流れる空をぼんやりと見上げているケイに尋ねた。その姿にいつの日か見た幼いイツカの姿がだぶって見えた。
「……どうだろうね? この今に辿り着くために幾億もの可能性を見てきたけど、必ず思い通りにいかない場面が出てくる」
「決めるのは人の意思だと?」
エメリックが興味深げに尋ねる。
「人の意思……或いは神の気まぐれか。そもそもそんな揺らぎがなければ世界、宇宙そのものも生まれなかったんじゃないかってね。ここから因果を辿り続ければそれも見えるかもしれない。残念ながらそれに人の心と身体は耐えられないのだけど。結局私も神になんてなれなかった」
ケイはまるで独り言のようにぶつぶつと、この神の目録で見てきた膨大な記憶の海に想いを馳せていた。
「……!」
離れて一人座り込んでいたアカーシャが、何かに気付いたかのように顔を上げる。
彼女の周りに留まっていた青い鳥達が、羽を撒き散らしながら一斉に飛び上がる。
「だからあたしはあの子らの選ぶ未来を信じるよ」
「それが大人の責任ということだ」
「――来たね」
ケイの言葉と共に一同が振り返ると、そこには落ちたはずのトワが左手にイツカを抱えて立っていた。
「覚悟は決まったってことかな? それとも――」
黙って歩み寄るトワにケイが語りかけるやいなや、アカーシャの放った鳥達が一斉にトワに向かって飛びかかる。
「イツカくん! 始めるよ!」
『ああ!』
トワはすんでのところで上空へ高く飛び上がり、身体を大きく旋回しながら右手を脇の本棚へと伸ばす。
するとその区画の本が飛び出し、分解され、小さな足場に再構成される。
トワはその上に立つと一行を見下ろして告げた。
「わたし、彩咲トワは、イツカくんを人間にして、そして共に生きていきます!」
その言葉にアリスは満足げに、エメリックは腕を組み首肯し、ケイは嬉しそうにほくそ笑んだ。
「やはり一筋縄ではいかないわね。誰に似たのかしら」
直後、鳥達が飛び上がり、トワに向かう。
足場は崩れ、トワは姿が見えなくなるくらい大量の青い鳥に囲まれる。
刹那、トワの振り抜いた右手がその全てを薙ぎ払い、エーテルの粒子となって、青い羽と共に舞い落ちる。
そのエーテルと羽に紛れてアカーシャが、落下していくトワに向かって右手を伸ばして飛びかかる。
トワはその手に自身の右手を重ねる。
瞬間、まるで磁石が反発するかのように二人は弾け飛び、着地する。
「相殺したのか!」
エメリックが叫ぶ。
アカーシャは怯むことなく再びトワに向かい走り、横に伸ばした右手に触れる本棚の本を次々と青い鳥にエーテライズして放っていく。
トワは後ろに飛びながらそれらを一つ一つ分解していく。
「イツカくん! 大丈夫?」
『問題ない!』
トワはそれらに触れる度に膨大な記憶が頭の中に流れ込んでくるのを感じていた。
ここに並ぶ一冊一冊の本の中に世界の記憶が詰め込まれている。
そして、それに混じってアカーシャの記憶が流れてくるのにも気付いていた。
シューニャとアカーシャと両親の四人は、お世辞にも裕福な家庭とは言えなかった。
それゆえ両親が対立することも少なくなく、二人の姉妹は身を寄せ合って彼らが言い合うのに耳を塞いで過ごす夜も多かった。
そしてついに両親は離婚した。
シューニャは父親に引き取られ、アカーシャは母親に連れていかれた。
その後シューニャは荒れる父親の世話を見ながら必死に働き、大学へも通えるようになった。
いつか妹と再会して家族として取り戻すことを夢見て。
「……見るな!」
アカーシャは次々と青い鳥をけしかけ、トワに向かって右手を突き出していく。
「……」
だがトワはそれを一つ一つ丁寧に分解しながら、伸ばされたその手に自らの手を重ねて弾いていく。
母親に引き取られた妹のアカーシャはその後貧窮した生活を続けていたが、母親が仕事先の酒場でとある富豪の男に見出され、共にその家の世話になった。
母親はその男と結婚し、アカーシャはその家の子となった。
何不自由のない生活を手に入れ、学校にも通えるようになった。
アカーシャにとってそれ以前の過去はなかったこととなり、姉がいたこともいつしか遠い記憶となっていった。
それが彼女の幸せであった。
「二人を巡り合わせることもできた。けどそれはシューニャにとっての願いを叶えることにはならなかった。いつしか願いは二人が幸せな再会をすることではなく、姉を求め続ける妹をこの世界に存在させることになっていた。その成れの果てがあの姿」
ケイは二人の応酬を見ながら淡々と呟いた。
「そこまでわかっていながら何で!」
アリスは声を震わせながら食ってかかる。その冷淡な言葉にぞっとした。まるで人としての感情を感じさせなかったからだ。
「……お前を消して、姉さんを取り戻す」
アカーシャはなおも必死にトワを攻め立てる。
トワはアカーシャの伸ばした右手に右手ではなく左手を合わせ、指をがっしりと絡ませる。
『トワ!』
エーテライズは相殺されず、トワの左手がゆっくりと分解されて青い粒子を浮かび上がらせていく。
「! ……離せ!」
アカーシャはその重ねた手から自分の記憶が一気に引きずり出される感覚を覚え、堪らず離そうとするが、トワは離さない。
「ごめんね、アカーシャ。わたしのせいでアカーシャは、ううん、アリスさんも、エメリックさんも、イツカくんも、ケイさんも、いっぱいつらい思いをしたんだと思う」
トワはアカーシャに顔を近づけながら優しく問いかける。
「でも、わたしたちはこの今を二人で生きていくって決めたから。元には戻せない。だから思い出して」
「……な、にを、言って……いる?」
アカーシャはエーテライズを進める手を止める。
「ラジエルのことだよ」
「!」
トワは手を繋いだままアカーシャを抱き寄せると、アカーシャの左手に握られた黒い本にそっと右手を添えて囁いた。
「
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