第26話 神の目録(5)
「あ、あなた達、一体何を――?」
初めてケイが動揺を見せた。まるで何億回も読み直した本の結末が変わっていたかのように。
「なにすればいい!」
『呼べ! あいつを!』
「やめなさい!」
ケイが慌ててイツカに手を伸ばす。だがトワは迷うことなく立ち上がり――
「デューイ!」
けしかけた。
「にゃー!」
「! お前は!」
ケイは愕然とした顔でその飛びかかる闖入者を見つめた。
「にゃ!」
デューイはケイの胸を蹴って渦巻くイツカの中に飛び込み、そのままトワの元へ着地する。いつまで待たせるのよと言わんばかりの得意顔で。
「――デューイ? いや違う! まさか――それじゃあ私は……」
狼狽するケイにデューイは呑気に欠伸を浮かべる。
『俺達二人とも人間として現実で生きていける方法なんてない? 大嘘だね』
「嘘じゃないわ! ここから幾億もの可能性を見てきた。どんなに手を尽くしてもそれは変えられなかった」
『たった幾億の可能性じゃ全然足りないんだよ。母さん』
イツカは優しくなだめるように語りかける。
「イツカくんは『全部』見てきたんだって。さっきアカーシャのエーテライズをしている時に」
「! まさか神の目録に繋がり、世界の始まりから終わりまで、その全てを見たというのか?」
エメリックが興奮して声を上げる。
『まあそうなるかな』
「そんなこと! 人間の心と身体では耐えられるはずが――!」
ケイは言いかけてはっとする。
『この身体は覚えることにかけちゃ、人の身体よりよっぽど優秀なんだぜ』
イツカは笑ってみせた。
『今から証明してやるよ。やるぞトワ!』
「うんっ!」
トワは身を屈め、左手をデューイの背に乗せると、右手を中空で渦巻くイツカに向かって伸ばす。
すると、デューイを通して、二人と一匹が過ごしてきた九年間の記憶が一斉に頭の中に流れてくる。
『トワ!』
「イツカくん!」
「にゃーっ!」
そして彼女らには見えた。その先に続く未来が――
「
トワは立ち上がり、右手を空へと伸ばす。
「
その手はもう一つの手によって強く握りしめられる。
「
二人の声が重なる。
「
そしてぽんっという音と共にトワの手にエーテルの残滓と共にゆっくりと舞い降りる。
一人の少女が――
「悪いけどやっぱりこのまま母さんとは行けない。俺はトワと一緒に生きるって決めたから」
降り立った少女が応える。
長い黒髪に、赤く煌めく瞳、その身に纏う黒い振袖姿、トワをそのまま九年分成長させたようなその少女は、紛れもなく相馬イツカであった。
その手はトワと固く結ばれている。
「あんた!」
「ま、まさか」
アリスとエメリックは驚愕の表情で二人を見つめる。
「……」
ケイは放心した顔のまま二人の少女を見つめた。
二人は手を繋いだまま空いた手で空を切る。
すると崩れ落ちる本棚が一掃され、エーテルとなって消し飛ぶ。そしてその先に薄っすらとオルラトルの町並みが見える。既に神の目録は消えかけていた。
「……まさか本当にその可能性を見つけ出して来るなんてね」
ケイは驚きと共に満足げに深く息を吐いた。
「あなた達がその未来を掴むのなら、もう私は止めないわ。お別れね……」
「まって!」
諦めの声を上げるケイに、トワが割って入る。
「トワちゃん?」
「……この身体は母さんが使ってよ。俺は……また本に戻るからさ」
そしてイツカが頭を掻きながら恥ずかしそうに続ける。
「え?」
「そうすればみんなで帰れるでしょ!」
きょとんとした顔のケイに、トワが両拳を強く握りしめて力説する。
「まったく、あの子らは――」
「とんだ欲張り親子だよ」
「……でも、これでみんな帰れる……」
アリスとエメリックとアカーシャもまた呆れと安堵の気持ちでいっぱいであった。
「……ありがとう。でも、ね」
ケイはトワとイツカを抱き寄せて、その頭を撫でると、身を屈め、デューイの頭も撫でる。
「にゃ」
デューイは目を瞑り気持ちよさそうにそれを受け入れた。
「私も、思い出しちゃったから」
「ケイさん?」
「母さん?」
困惑する二人からそっと身を離すと、ケイは一行を見回す。
「みんなも来てくれてありがとね。また会える……かはわからないけど、未来はいくらでも変えていける。それだけは忘れないで」
「そんな!」
「母さん!」
二人はケイに手を伸ばす、だがその手は身体をすり抜ける。
「じゃあね、小さな魔法司書さん」
泣き崩れる二人と別れを惜しむ三人を見ながら、ケイは優しく微笑んだ。
そしてデューイを見つめて、小さくウィンクした。
デューイはあとは任せときなさいとばかりにふんと鼻を鳴らすと、背を向けて歩き出した。
不意にケイの脳裏にいつか見たみんなの願いの夢の記憶が蘇る。
『そういうあんたはどうなのよ?』
アリスが尋ねてくる。
『わたしの願いは――』
「――とっくに叶ってたのよね」
そして神の目録はケイの遺した未練と共についに消え去った――
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