第9話 忘れたレシピ(4)

 旧市街の図書館とは逆の方角への坂道、二人は並んで歩いていた。

『リサ? 知ってるよ。というかリサの店ならこの町じゃ結構有名だよ。一緒にいこっか』

 というまさに渡りに船でリサの店まで一緒に行くことになったのだ。

 何より彼女がやっているその店というのが古書店ということが、トワの意欲を大いに駆り立てた。

「ほら、あそこだよ」

「あれって――教会?」

 クーリクが指差す先には住宅街の中に立つ古い教会であった。

「うん、昔は教会だったんだけど、使われなくなったのをリサのお爺ちゃんが引き取って古本屋を始めたんだってうちのお爺ちゃんが言ってた」

「へえ……」

 本好きのトワは色々な本屋を見てきたが、教会の本屋は初めてであった。

 見ればなかなか繁盛しているようで、頻繁に人が出入りしていた。


 中に入ると、外観からは想像できないくらいしっかりと本屋になっていた。

 入口から元は祭壇があったであろう最奥まで通路が広く続き、脇に列席の代わりに書棚が並んでいる。書棚はホールを取り囲む二階の欄干にも続き、奥の祭壇横の柱の裏に鉄の階段が設置されていた。

 見上げるとステンドグラスが太陽光を受けて輝いている。古いというだけありその一部は既に割れていて普通のガラスに差し替えられている。

「あら、クーじゃない。ひさしぶり」

 入口横のカウンターから声をかけられる。

「リサさんこんにちは」

 その女性がこの店の店主のリサであった。

 長いまっすぐな金色の髪に赤い縁の眼鏡から覗く青い大きな瞳、白いワイシャツを腕まくりにジーパン姿はお世辞にもお洒落とは言い難いが、肉体労働の書店員、図書館員ならこれで正しい。そんな格好も似合ってしまうあたり、ある意味アリスを正しい意味で大人にしたような美人さんだ――などとトワは失礼にも思ってしまうのであった。

「そちらはお友――ガイドのお客様かしら?」

 リサはトワを見て尋ねる。その身なりから日本からの観光客と思われたようだった。

「どっちもかなー」

「ええー」

 クーリクはトワをちらりと見て悪そうな笑顔で答えた。

「なんとこのお客様は今巷で噂の魔法司書トワちゃんでございますー」

「ちょっと、クー!」

「あらあら、あなたが――その格好、日本の魔法司書さんはみんな着物着用なのかしら」

 リサはトワの全身を物珍しそうに見つめる。

「えっと、そういうわけでは……もしかして相馬ケイさんをご存知なんですか?」

「子供の頃ね、あっごめんなさい、お客さんが待ってるからあとでね」

 振り返ると本を持った他の客が精算を待っていた。

「トワ、店の中見てこ」

「うんっ!」

 お仕事の邪魔をしては悪いと、二人は無言でリサに手を振ると、店内に向かった。


 トワは店を見回す。

 古書店というとわりと雑然と本を並べているところが多いのだが、この店はきちんとジャンル別に仕分けて置いてあるのがわかった。子供向けの本は低い棚になど考えられて配架されている。掃除も行き届いているし、照明も暗過ぎず明る過ぎず適切だ。良い店であるのは、それなりにお客さんが入っていることからも明らかだ。古書店の本は、みな一度は誰かが手に取ったものである。その記憶の宝庫に触れることは魔法司書としては望外の至福であり――

「――ねえ、トワ、聞いてる?」

「えっ?」

 店の空気を存分に堪能し恍惚としているトワに、クーリクが半分呆れ顔でささやきかける。

「リサって、好きな人いるんだよ」

「……?」

「恋してるってこと」

「……ええっ?」

 思わず大声を出しそうになるトワの口をクーリクは慌てて塞ぐ。そして客対応を続けるリサの方に視線を向けながら小声で続ける。

「図書館にいる、えっと、だれだっけ?」

「――もしかしてエメリックさん?」

「そうそう! その人だ!」

 クーリクは嬉しそうに声を上げる。こういうお話が大好きなようだ。

「……」

 トワはちょっと考え込む様子でリサを遠巻きに見つめた。

「あれあれ? もしかしてトワもその人のこと――」

「そういうわけじゃないけど……」

 トワは出掛けのエメリックとの会話を思い出し、何か引っかかる感覚があった。

「あっ! そうだ! 返却図書!」

 そしてようやくここに来た本来の目的を思い出したのであった。


 その後しばらく店内を物色してから、客が空いてきたところを見計らってトワはリサの元に近づく。クーリクは退屈なのか店の隅の椅子に座って寝ていた。

「どうですか? うちのお店は?」

 トワに気付いたリサがわざとらしくかしこまって尋ねる。

「はい、いいお店だと思います」

「ここのお店は町中の人たちが本を持ち寄ってできたの。いらなくなった本を売って、また別の人に読まれる。それが何十年も続いてる」

「はい……」

 トワはその意味を噛み締めた。ここには本に刻まれた人々の記憶が河のように流れ続けているのだ。

「あ、さっきの続きだけど、相馬ケイさんもよくこのお店にきてたの。私も子供の頃何度か会ったわ」

「そうなんですか」

「うーん、見れば見るほどケイさんに似てる……」

 リサはトワをまじまじと見つめて首を傾げる。

「うちの母がケイさんと仲よかったみたいで、真似させられた……のかな」

「なるほどなるほど」

「あのっ! それで返却図書についてなんですけどっ」

 またしても脱線しそうになってきたのでトワは声を上げて話題を切り替える。

「あっ、トワちゃん図書館の人だったのね。ごめんね早く渡しとくべきだった」

 そう言うとリサはカウンターの引き出しの中から一冊の本を取り出す。料理のレシピ本のようだった。

「この本……」

「うん、大分手が入ってるでしょ?」

 トワはその本がエーテライズによって修理されていることにすぐ気が付いた。

「うちの本屋もそんなに大きくはないから本の置く場所にはいつも困っててね、たくさんダブったりずっと売れない本なんかは図書館に寄贈してて、その時破れてたり汚れや書き込みの酷い本はエーテライズしてもらってたの。これはケイさんにお願いしたもの」

 トワはその本をぱらぱらとめくる。

 おそらく原本は糊綴じだったものがわざわざ糸綴じに作り変えられている。糊綴じはページが抜けやすく、糸綴じは非常に丈夫である。だが中身はほとんど手を入れた形跡がなく、ところどころ汚れやシミ、書き込みなどがそのまま残っている。

 エーテライズによる本の修理は、エーテルキャットにその本の原本の情報があれば新品同様にリセットすることが可能である。図書館の図書のように不特定多数の利用者が手に取る本なら当然それが望ましい。

 だが相馬ケイのエーテライズはその本固有の汚れや書き込みそのままどころか、アレンジまですることが多かった。それは彼女がルリユール職人であったこともあるが、何よりも本に残る記憶を大事にしていた。

 その信念は子のイツカに受け継がれ、トワもそれに習っている。もっとも現在の師であるアリスは図書館の図書はあくまで万人に公平に与するべきという考え方なので、ケイとはよく衝突していた。いつも最後はアリスが呆れて折れるのだが。

「はい、受け取りました。でもどうして延滞したんですか?」

 トワの見たところリサは一人で店を切り盛りするくらいしっかりしているので、忘れていたとは思えなかった。

「えっと、うん、その、い、忙しくてねっ」

 なぜか激しく動揺するリサは不自然な手つきで机の整理を始める。

「エメリックさんに取りに来て欲しかったんでしょ?」

「なっ!」

「あ、なるほど」

 いつの間にか目覚めてトワの後ろからひょこっと顔を出したクーリクが、不敵な笑みを浮かべて正解を指摘する。

「……」

 リサは顔を真っ赤にして俯いた。

「あ、あの、わたしでごめんなさい! 何なら呼びま――」

「だめえ!」

 携帯電話を取り出し呼び出そうとするトワをリサは慌てて止める。

 クーリクはその様子をにやにや笑いながら見ていた。


「子供の頃お世話になった先生がいてね、ある日感謝のために料理をしようとして、図書館にあったこの本を借りたの。でもまだ子供だった私は料理中不注意でこの本を燃やしてしまって、それをケイさんにエーテライズで直してもらったの」

「……」

 訥々と話し出したリサに、トワとクーリクは大人しく耳を傾けていた。

 トワは改めてその本のページをめくる。

 半焼してしまった本をここまで忠実に復元するのは簡単なことではない。エーテルキャットから原本を引き出して補完するだけならトワにもできるが、残っているページと同じ紙質、劣化具合から汚れや書き込みまで復元するにはそれだけでは足りない。この本を手に取った人の記憶が必要だ。それだけこの本に残されていたリサの思いが強かったことに他ならない。

「先生は結局どこかへ引っ越してしまって、本も図書館に返したんだけど、その時、『あの人』がこの本を見て言ったの『この本にはとても大事な思いが詰まっているね』と。それで――」

「……好きになったんだ」

 リサの真摯な告白に二人は目を輝かせる。クーリクも感激して茶化す気も失せたようだった。

「それならやっぱり」

「うん!」

 そしてお互い顔を見合わせると熱い視線で頷き合う。

「えっと――?」

 リサが困惑して首を傾げる。

「今日はまだ返せないってことにしてこのまま帰ります。明日エメリックさんに来てもらって告白しましょう!」

「え?」

 突然拳を握りしめて熱く熱弁するトワに、リサはぽかんと口を開ける。

「……ええーっ!」

 そしてその意味を理解して驚きの声を上げる。

「だ、だめよ! まだ私、彼のこと何も知らないし、それに心の準備が――」

「えー? 最近店番任せて図書館行くこと増えたってリサのお爺ちゃん言ってたよ」

 激しく動揺して全力で遠慮するリサに、クーリクが追い討ちをかける。

「それでもだめなのー!」

 てんやわんやと恋話に花を咲かせる三人に、店内の客から冷ややかな視線が飛び始めた頃――

「リサや、ちょっといいかい?」

 そのリサの祖父が入口から入ってくる。

「あっ、お爺ちゃん、ごめんなさいうるさくして。ほらあなたたちも!」

「はーい」

 と言いつつ件の本をこっそりとカウンターの上に置いたまま、しめしめと店から出ようとする二人だった。

「店先で小さな子供からこんなものを預かってな。ただの悪戯だと思うのだが念のためお前にも見せておこうとな」

「うん?」

 リサの祖父は小さなカードのようなものをリサに手渡した。

 トワはそこに覚えのある気配を感じて、はっとなって振り返る。


『今夜、あなたの店から本を一冊頂戴致します。 ――アルスオーブ怪盗団』

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