第7話 忘れたレシピ(2)
図書館のある森を抜け、旧市街の広場に出て二人は立ち止まった。日曜だがまだ午前中ということもあり人影は少なかった。
「ハンスさんにガルロさん、エヴァさんに――リサさんか。じゃあ一番近いハンスさんのところから行ってみようか」
エメリックはプリントアウトした名簿を見ながら確認する。
「はいっ」
トワは応え、二人は住宅街の狭い石造りの階段を下りていく。
「そういえばトワさんは魔法司書なんだよね?」
「……はい」
道すがらエメリックはトワに尋ねる。
「まだエーテライズをやっているところを見たことないけど、研修はまだ始まってないのかい?」
「ええと、その、まずは図書館の仕事から覚えなさいって――」
トワはやや引きつった笑顔で答えた。
本当は国会図書館からの仕事で、まだエーテルキャットの書誌情報の存在しない海外資料の書誌作成作業をアリス指導の下、順次おこなっていくことになっているのだが、先日の二度の独断のエーテライズ行為のペナルティとして当面はエーテライズ禁止を言い渡されていたのであった。
「そうか、早く見てみたいな。彩咲クオンさんの娘さんのエーテライズを」
「お母さんをご存知なんですか?」
「そりゃあ、相馬ケイ、彩咲クオン、片桐アリスと言えば、エーテライズ研究の先駆者達だからね。この業界にいればみんな知ってるさ」
「お母さんは魔法司書じゃないですよ」
トワは母のことを良く言われて悪い気はせず、笑って応えた。
トワの両親は二人とも魔法司書ではない。魔法司書の資質は未だに謎が多く、血統に限らず発現する者が少なくない。年齢も関係なくある日突然目覚めることも珍しくない。ただし比率的には女性の方が圧倒的に多い。
「エメリックさんの周りには魔法司書の方はいないんですか?」
「……館長くらいだね。でも憧れるな」
「憧れ?」
「うん、だって魔法司書はその手で世界を作り変えることができるじゃないか」
「世界を作り変える?」
「そうさ、エーテライズは今は図書の修理や保存くらいにしか使われていないけど、もっと無限の可能性があると思うんだ」
「でも、それは――」
それはエーテル粒子が発見された時に真っ先に期待されたことであった。図書に限らずあらゆるものの書誌、構造を解析することができれば、資源、エネルギー問題の解決どころか物質世界そのものを書き換えることだってできるかもしれない。
だが魔法司書が希少すぎるため、そういった方面での研究はほとんど進んでいないのが現実であった。各国の図書館が図書以外のエーテライズを禁止したのも大きい。
しかし誰もがそのルールを守るとは限らない。もしあのアルスオーブ怪盗団のようにエーテライズを悪用する者達が現れたら――
「もちろんいいことばかりではないだろうけどね。おっと、あの家かな」
話しているうちに最初の督促者、ハンスの家の前に着いていた。
「……」
エメリックがハンスと督促のやり取りをしているのを見守りながら、トワはぼんやりと考えていた。
魔法司書とは一体何なのかと――
図書館の館長室。うっすらと埃舞う中、書類と図書が所狭しと高い山を築いている。
その窓際のデスクチェアに一人、唯一片付けられた机の上に一冊が『いた』。
「で、何があった?」
『何が――とは?』
単刀直入に切り出したアリスに、イツカは敢えてとぼけてみせる。
先週トワが人前でエーテライズのパフォーマンスを披露したことはもう周知の事実で、町中でも話題になっており、実際トワを一目見ようと来館する者も少なからずいた。
だがその後アルスオーブ怪盗団と遭遇したことは黙っていた。
「あの日、別の魔法司書に会ったろ? あの子に見慣れないエーテルが付いてた」
『……』
イツカはあの日アリスがトワをじっと見つめていたことを思い出した。最初から全てバレていたようである。
『……アルスオーブ怪盗団、ユミルという男と会った。奴は神の目録のこと、母さんのことを知っていた』
「!……」
イツカが彼らとの遭遇の一部始終を話すと、アリスは黙って腕を組んで窓の外に目をやった。
『先生は彼らについて何か知っているのか?』
「さあね。噂は聞いている。けどケイが遺した『何か』を狙って町に来る怪しい奴らは今に始まったことじゃない。あたしも何度か狙われたもんさ」
アリスはそう言うとタブレット端末を取り出し、その上に左手を乗せる。
わずかに青い光が灯り、空いた右手の平の上からぽんっと一冊の本が現れる。この端末がアリスのエーテルキャットであった。
『相変わらずの手際だな。トワじゃまだまだそうはいかない』
まるで手品のように鮮やかに本を取り出したが、それが簡単なことではないことはかつて直接指導を受けたイツカにはよくわかった。
「――その中で幾つかコードも手に入れた」
本はアリスの手の上で浮かびながら開き、ページがめくられていく。その中には大量の数字とアルファベットが並んでいた。
『! こんなに……』
「どうせお前達も集めていたんだろ?」
アリスはイツカを持ち上げるとそのページを開く。中の半分以上は同様に数字とアルファベットで埋まっていた。
『これのほとんどは最初からあった――んですよね?』
イツカは自信なさげに答える。
「ああ、おそらくこれらはお前を構成するのに必要なものなんだろう。そんな身体で人間としての自我、感覚、感情、記憶を維持するにはどれだけの情報量が必要かわかったものじゃない」
『ということはコードをもっと集めれば――』
「人間に戻れるって? 仮にそうだとしても自分の子供の身体の一部をまるでゲームの景品のように扱うってのは、どういう了見なのかねえ」
『……』
「どちらにせよ今あるコードだけじゃあたしらにはその意味はわかりゃしないさ。これを持っている以上奴らは必ずまた接触してくる。せいぜい気を付けるんだね」
『はい』
アリスが指をぱちんと鳴らすと、その手の上の本は霧散し消え去る。
「――ところで、トワの事なんだけど……」
『はい――?』
束の間の沈黙の後、突然声を潜めて話し出すアリスにイツカは怪訝そうな声を上げる。
「その、昔から、ああだったかい?」
『? ああ――というと?』
「いや、なに、あの子を最初見た時、お前の子供の頃にそっくりに見えたんでね」
『ああ着物ですか? そうですね、何かというと俺の母さんのような魔法司書を目指しなさいってうるさかったですね。トワも最初は嫌がってましたが、今ではすっかり馴染んであの様ですよ』
「……そうかい。クオンは相変わらずケイのことが大好きなようで安心したよ」
アリスは机の上のイツカをじっと見つめながら苦笑した。
先週図書館の前で九年ぶりに二人と再会した時に湧いた違和感と疑念。それを今口にするべきか彼女は迷った末に誤魔化した。
オルラトルの旧市街、延滞者のハンスからの返却本の山を抱えたトワとエメリックは坂の半ばで立ち往生していた。
「こんなに返されるとはね」
「はいっ……」
対象の一冊の督促自体はスムーズに終わったのだが、ハンスの家の棚から同時に大量の紛失扱いになっていた図書が見つかり、それらもまとめて返却されたのである。
「エーテライズできればなあ」
トワがぼやく。解本して一度エーテル化すれば簡単に持ち運べるが、今はそれができない。
「僕が一度持ち帰るよ。トワさんはよかったら次のガルロさんのところに行ってくれないかな。彼は親切だから大丈夫だよ」
「わかりました!」
トワは元気よく答えると、ガルロの家までの道を聞き、返却本をエメリックに預けて坂を下りていった。
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