第4話 青い雪が降る町(3)

 旧市街の入り組んだ石畳の坂道を二人は歩いていた。

 先の青年を追いかけている時は気が付かなかったが、旧市街は新市街とは違い、人も少なく静かだった。住宅街は昔の石造りの建物も少なくない。

「あの門の先が図書館だよ。ごめんね。わたしそろそろ帰らないと」

 クーリクは坂の上の広場の先にある大きな石の門を指差す。そこからは木々の生い茂る森になっていた。その先にオルラトル町立図書館はあるという。

「うん、ありがとう」

 トワは広場の大きな木の横の時計を見て驚く。もう既に午後六時を過ぎていた。だが空はまだ昼間のように明るい。

 北極圏の夏至前後には『白夜』と呼ばれる現象が起こる。

 地球の地軸はわずかに傾いているため、緯度が高い地域は夜になっても太陽が沈まないのである。そのため夜になっても暗くならない。

「トワは図書館に住むの?」

「たぶんそうなると思う」

 オルラトル町立図書館は住み込みの館長一人と、町から数名の司書が職員として働いている。その館長のところに三ヶ月間、お世話になるというわけだ。

「じゃあ今度遊びにくるね!」

「うん」

 クーリクは手を振って坂を下りていった。トワはそれを見送ってから、森の中へと足を進ませる。


『トワ、今日のことは――』

「うん、だまってる。……館長さんってこわいの?」

 トワは森の中を進みながらイツカに尋ねる。道は石畳で整備されているので歩きやすかった。

『いや……そういうわけでは……あるかも』

「たしかイツカくんがまだ人間だった頃の魔法司書の先生だったんでしょ?」

『そうなるな。母さんは教えるのヘタだったから』

「じゃあ、本になっちゃったことも?」

『知ってる。というよりその場にいた一人のはずだ』

「はず?」

『覚えてないんだ。前にも言ったがこの身体になった前後のことはあまりよく思い出せない。だが俺を含め母さんの関係者数名があの事故に関わっていたはず』

「あのユミルって人も?」

『わからない。しかし神の目録を知っている以上そうなんだろう……』

 イツカは自らの記憶を探る様に沈思する。

「神の目録――そのカギとなるコード。イツカくんの家の書庫にもいくつかあったけど、結局どう使うのかわからなかったよね」

『……あいつが言うにはコードは特定の時と場所にある書物に、条件を満たした魔法司書が見つけると現れるらしい。つまり俺達はゲームの参加者に選ばれたってことだ』

「ゲーム?」

『母さんはそういうの好きだったからな』

「じゃあ勝たなきゃね!」

 トワはそう言うとキャリーバッグを引いて走り出す。

 イツカはその腰で揺られながらやれやれとため息をついた。

 トワが自分のために頑張ってくれるのは嬉しい。だがそのために今日のような無茶をするのは心配だった。仮に神の目録を開くことができても元の身体に戻れる保証はない。その過程で彼女に危険があるというのなら、人間の身体など諦めてもいい。

 それがトワと九年間共に過ごしてきたイツカの偽らざる本心であった。


 林道を進みようやく図書館の建物が見えてくる。

 かつては木造だったが五十年程前にコンクリートに改築され今に至る。白い壁は色褪せ、ところどころ草木の蔓が巻きついている。図書館というより怪しげな洋館といった佇まいだ。

 その入り口の小さなアーチの下に一人の小柄な少女の姿があった。


「遅い!」


 少女はトワの顔を見るなりいきなり叫ぶ。

「えっ!」

 トワは驚いて立ち止まる。

 少女はずかずかと歩いてトワの目の前まで近づくと、その顔をじっと見つめる。

「……」

「あの……」

 ふんわりとした金色の長い髪に整った目鼻、トワを見つめる瞳はブラウン。背丈はトワとほとんど変わらない。まさに北欧の美少女といった風であったが、しかしその黒のスーツとパンツ姿は非常に似合っていなかった。

『――久しぶりです先生。変わりませんね』

 黙って見つめ合う二人にイツカが口火を切る。

「先生はやめろと言ったはずよ」

 少女はじろりとトワの腰のイツカに視線を落としながらうそぶく。

「え?」

 トワはわけがわからず少女とイツカを何度も見比べる。

『この人がこの図書館の館長であり、俺の魔法司書としての先生にあたる『片桐かたぎりアリス』だ。こんな成りだがこれでも三じゅ……っ!』

「ほう、お前の方も相変わらず口が減らない様だな」

 少女――アリスはイツカを奪い取るとぎりぎりと強く握りしめた。

「ええと……」

 イツカに対して全く抵抗なく接しているのにトワは驚く。

「クオンは元気?」

「あ、はいっ」

 トワは慌ててキャリーバッグの中から母から渡された菓子折を取り出す。

「にゃー」

 そこへいつの間にか現れていたデューイがアリスの足元に駆け寄り頭を擦り付ける。

「……デューイ? いやこいつは――まだこんなの使ってたのかい」

 アリスはデューイの首根っこを指でつまんで持ち上げると、その顔をまたじっと見つめる。

「……」

 そしておもむろに放り投げる。

「にゃっ」

 デューイはくるくると空中を回転しながら綺麗に着地し、そして図書館の壁の向こうに走り去っていった。

「まあいい。さっさと入りな。荷物はもう届いてるよ」

 アリスはイツカをトワに放ると、踵を返し、さっさと図書館の中に入っていった。

「ふしぎなひとだね……」

『よく言われてる』

 二人は顔を見合わせると、笑い合い、後に続いた。


 オルラトル町立図書館。

 その歴史は古く、百年近く前から町の建立と共にその歴史を刻んできた。元は町の公文書を収集している資料館であったが、第二次世界大戦後、焼け落ちた町にある本を集めたことから図書館として始まり、町民に開かれるようになった。

 ――というのが、クーリクの持っていたガイドブックに書かれていた内容だった。


「わぁ!」

 入口のゲートをくぐり、トワは声を上げる。 

 古めかしい外観からは想像もつかないほど館内は綺麗だった。

 一階入口付近には利用者検索用のパソコン端末が数台並び、すぐ脇にはレファレンスカウンターが、中に進むと大きな木の机が二つあり、閲覧席が並ぶ。すぐ後ろには新着図書、雑誌の書架があり、さらに奥に進むと人文科学系図書と社会科学系図書の書架、二階へ続く螺旋階段の壁際にも本棚があり、その先には――

『トワ!』

 目を爛々と輝かせて館内をきょろきょろと見回すトワに、イツカは思わず声を出して制止する。何事かと周りの人達が振り向く。

 既に閉館時間間際の様で、利用者はまばら、職員の司書達がてきぱきと返本作業をおこなっていた。

「館長おつかれさまです。おや、その子は――」

 入口カウンターの中から若い青年がアリスに声をかける。

「ああ、この子が前に言ってた研修の子だよ。ほら、みんな集まって!」

 アリスが呼びかけると、作業をしていた司書達が一斉に集まってくる。

「はい、挨拶!」

 アリスはトワの背中を叩いて前に出させる。

「えっと、あの、その、日本の国立国会図書館、収集書誌部、エーテル資料課からきました。彩咲トワです。……ええと、よっ、よろしくお願いしますっ!」

 トワはしどろもどろながらも声を張り上げて大きくお辞儀をした。

「はい、よろしくねー」

「やだかわいい!」

「その着物もしかしてお母さんの?」

「ああクオンちゃんの娘さんね」

「あたしゃてっきりケイの子かと思ったよ」

 エプロン姿の司書たちはトワの姿を見て次々と好き勝手に声をかけ、そして雑談を始める。

 ほとんどが女性で年齢はばらばらだった。

「ほらほら黙って! 今日はもう閉館だからちゃんとした紹介は明日! はい、仕事戻って!」

 アリスは全く気にするでもなく手を叩いて彼女らを解散させる。

「職員のほとんどは町の人たちの有志なんです。でもみんなちゃんと司書資格をもっていますよ」

 カウンターにいる青年が苦笑して声をかける。

「僕はエメリック。半年前から主にカウンター業務をやらせていただいています。よろしくお願いしますね、トワさん」

 笑顔の似合うその青年は、ショートの金髪に青い瞳、ワイシャツを腕まくりし、やはりエプロンをつけている。なかなかの美男子だった。

「……」

 トワはその長身の青年を見上げ、ぼんやりとした顔で黙り込む。

「うん?」

「あっ! はい、よろしくおねがいします!」

 そして思わずその顔をじっと見つめていたことに気付いて赤面して謝る。

「あたしらもう部屋に行くから、あとの閉館作業よろしくね」

「はい、お疲れ様でした」

 アリスはエメリックに後を任せると、トワを連れてカウンターの奥の部屋に入る。そこは事務室で何台ものパソコンデスクが並び、作業用の使い古された机が置かれていた。仕切りの向こうは休憩所になっており、作業の終わった職員達が帰り支度をしていた。

「館長、おつかれさまですー」

「はいよ」

 さらにその奥に続くドアがあり、そこから先が館長室と居住区になっていた。

『だいぶ綺麗になったな』

 居住区に続く廊下の途中、周りに誰もいなくなったのを確認してイツカが口を開いた。イツカの事情を知るのは図書館ではアリスだけであった。

「九年前に書庫が吹っ飛んでこっちも壁紙張り替えたのよ。外もどうにかしたいんだけどね」

 アリスは応えながら館長室のドアの鍵を開けて振り返る。

「あたしはまだちょっと作業あるから、あんたは先に部屋に行ってな。場所はイツカわかるだろ? 食事の用意できたら呼びにいくよ」

「はっ、はいっ!」

『りょーかい』

 そしてトワを残して部屋へ入っていく。一瞬見えた室内は足の踏み場もないくらい本と書類の山だった。

『部屋は二階だ。いこう』

「うん」

 館長室前の廊下の突き当たりに階段があり、左手にリビングとキッチン、右手にトイレとバスルームとなっている。必要最低限の生活環境は整っているようだった。

 強いて特徴を挙げるとすれば、部屋や廊下にまで至るところに積み上げられた本の山があることだった。

 二階に上がると、また廊下が続き、アリスの寝室といくつかの客間のドアがあった。

 その一番奥がかつてケイとイツカが使っていた部屋だった。

「ここかあ」

 トワはドアの前に先に送っておいた荷物の段ボールを確認すると部屋に入る。

 部屋の中は綺麗に掃除されており、使い込まれた木の机とベッド、そして大きな本棚が壁にあった。中には端から端までびっしりと本が詰まっている。窓からはベランダに出ることができ、オルラトルの町を一望することができる。

『変わってないなぁ』

「あーつかれたー!」

 トワはベッドの上に身を投げてごろごろと転がる。

 今日の疲れが一気に襲って来て、うつ伏せのままうとうととしだす。

『トワ、そのまま寝ると風邪ひくぞ。今のうちに風呂入ってこい』

「……ふぁあい」

 トワは寝ぼけ眼を手でこすりながら着物の帯を解き、脱いだ着物をイツカごとベッドの上に乱暴に放り投げると、下着姿のまま部屋を出て行った。

『やれやれ、まだまだ子供だな』

 覆いかぶさる着物で真っ暗な視界の中、イツカはひとりごちた。

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