第3話 青い雪が降る町(2)

 新市街の広場から旧市街へ向かう坂道の途中、群衆から逃れたトワとクーリクは図書館を目指していた。

「クーリクさんはずっとこの町に住んでいるんだね」

 トワはエーテライズの際に感じた記憶から尋ねる。

「クーでいいよ! みんなそう呼んでるし、ってもしかしてそれも知られちゃった?」

「! ……えっと、あの、うん。……クー……」

 トワは恥ずかしそうにその名を口にする。

「はい! よろしくねトワ! そうだ、トワのこともっと教えてよ!」

 元気よく答えたクーリクは、今度は自分の番とばかりに、トワに次から次へと質問を開始する。


「――それじゃあその着物はイツカくんのお母さんの影響なんだ。――って、あれなんだろう?」

 道すがらクーリクに身の上を根掘り葉掘り訊かれ、トワはその答えに苦心した。もちろんイツカの今の姿のことは話していないが、隠し事をしているようで悪い気もした。

 そんなことも露知らないクーリクは目の前に人だかりができていることに気付いた。どうやら書店のようだった。

「なにがあったんですか?」

 知り合いがいることに気付いた彼女は尋ねる。

「ああ、クーちゃん。また怪盗にやられたみたいだよ」

 その男性はクーリクに気付くと、店の中で警察と話している店主を顎で指す。

「――かいとう?」

 トワは何のことだかわからずクーリクに尋ねる。

「うん、アルスオーブ怪盗団。どろぼうだよ。本を盗んでるんだって。もうここ半年で三軒も町の本屋がやられてるみたい」

「どうして同じ人たちってわかるの?」

「前日に予告状が来るんだって。この本をいただきますって。変なの」

 貴重な宝石を盗むならいざ知らず、本一冊盗むのにわざわざ予告状を出すのもおかしな話だった。もちろん高い安いの問題ではないが、盗まれている本もどこででも売られている雑誌や学術書ばかりだという。

「子供の悪戯にしては手が込んでいて、朝には予告通りその本がなくなっていて、その痕跡も全く残っていないって話だよ」

 男性が再び店の中を見つめながら呟く。

 中では人が立ち入らないよう入り口を封鎖して現場検証が行われていた。

 トワは人だかりをかき分けて中の様子を窺う。

「!」

 そして一目で気付いた。他の誰も、警察すらも見つけられていない犯行の痕跡を。

「(イツカくん、もしかして……)」

『間違いない。魔法司書の仕業だ』

 彼女らにだけは見えていた。店内にわずかに残るエーテルの残滓が。

「えっ?」

 そしてトワは何かに気付いたように振り返る。

 店先の人混みから通りにも見物人が集まっている。歩きながら遠巻きに店を見ている通行人も。

 その中から店内に残るエーテルと同じ『匂い』を感じたのだ。

 エーテルについては詳しいことはまだ解明されていない。水に近い物質であることはわかっているが、揮発性が高く、あっという間に消失してしまう。密閉した空間内においても一度消えたエーテルを観測することは困難で、一定の濃度を超えていれば誰の目にも見えるが、一度揮発してしまうともう魔法司書の才能を持つ人間にしか知覚することができない。

「クー! 荷物お願い!」

 トワは考えるよりも早く駆け出していた。

「えっ? トワ?」

 クーリクが振り返った時には、もうトワは坂道を駆け上っていた。


 トワは坂道を走りながらすれ違う人、一人一人を確認していく。

 魔法司書でなければエーテルの気配を持つことはない。いわば職業病で、必ずその手にエーテルの残滓がわずかに残っている。トワは魔法司書の中でも特にその知覚に長けていた。

『トワ! あいつだ!』

 イツカが声を上げる。

 坂道から脇にそれる小道に一人の帽子を被った革ジャン姿の青年が入っていくのが見えた。

「待って!」

 トワの呼び声にその青年は一瞬振り返る。

 十台後半の若い青年だった。帽子から覗くブラウンの長い前髪の隙間から青い瞳が目に入る。

 その瞳がトワの姿を確認すると、青年は不敵にも笑みを浮かべ、突然走り出す。

「!」

 トワは一瞬気を取られたものの小道に入り、古い石造りの住宅街の中、青年を追いかける。

 オルラトルの旧市街は前世紀の建物も多く、何度も増改築を繰り返しているため、狭い道や坂、階段が迷路のように入り組んでいる。

 路地を何度も曲がりながら青年は時折振り返る。その顔にはやはり笑みが浮かんでおり、まるで鬼ごっこを楽しんでいるかのようだった。

「このっ」

 おちょくられているようでトワはむっとする。

 そして青年が再び背を向けて走り出した瞬間に――


「デューイ!」

 けしかけた。


「なっ?」

 突然横から飛びかかってきた猫に、さすがに青年も驚き、声を上げる。

「にゃにゃにゃ!」

 デューイは青年の顔に飛びつき、爪を立てる。

「こ、こいつ!」

 青年がデューイと格闘している隙にトワは一気に距離を詰める。が――

 迫るトワに向かって青年は革ジャンの内ポケットから小さな手帳を指先でつまむように取り出し、それを投げつけた。

「!」

 手帳は二人の中空で突然ぱんと音を立てて弾け、紙のページが散乱する。

 明らかにその手帳本来のページ数よりも多い枚数の紙が噴き出し、細い路地を塞ぐ壁となってトワの前に立ちはだかる。

 そして青年は左手でデューイを引き剥がしてそのまま壁に投げつける。デューイは壁に激突する直前に身を翻し、身体を青く光らせて消えた。

「ちっ! エーテルキャットか!」

 青年は悪態をつくと紙の壁で先に進めないトワを置いて逃げ出した。

「やるよ! イツカくん!」

『仕方ないな』

 トワは左手を腰のイツカに当てると、右手を紙の壁に向かって押し当てる。

解本リベーレ!」

 すると壁は青く輝き、みるみるうちにエーテルに変換されて崩れ去った。

 霧散した跡にはページの抜け落ちた手帳だけが残されていた。

 青年の姿は既になかった。


「デューイ、だいじょうぶ?」

 トワは手帳を拾いながら呼びかける。残念ながら手帳は白紙で、犯人の手がかりになりそうなことは何も書かれていなかった。最初からエーテライズを暴走させて紙の壁を作るためだけのものだったのだろう。

「にゃー」

 トワの足元から何事もなかったかのようにデューイは現れ、いつものように呑気な鳴き声を上げた。


 デューイは普通の猫ではない。

 世界中の魔法司書によって日々収集されているエーテル資料目録、『Aither-Cat (エーテルキャット)』にアクセスするための外部端末の一種である。

 魔法司書がエーテライズをおこなう際には、その本の書誌情報――本のタイトル、著者、出版社、出版年から版数、大きさといった一般的な情報だけでなく、内容まで全ての情報を把握する必要がある。一度分解して再構成するのだから当然である。

 しかしその全てを個人が記憶することは不可能なので、外部端末を用いて専用の目録データベースにアクセスするのである。

 デューイもまたその外部端末、エーテルキャットなのであるが、トワが実際にエーテルキャットとして使っているのはイツカである。

 デューイはイツカの母であり、エーテライズの先駆者でもある相馬ケイが、相馬家で飼っていた猫をモデルに作った独自のエーテルキャットで、失踪したケイに代り、今はトワが預かっている。

 普段はエーテル状に揮発してトワ達の周りに存在し、呼びかければ現れるが、わりと勝手に現れては動き回る気まぐれなペットのような状態である。

 ちなみに『Aither-Cat』の『Cat』は『Cataloging System(目録システム)』の略なので、別に猫の意味はないし、端末が猫型、生き物である必要もなかったりするが、魔法使いの使い魔のように小動物の形を取らせて使う魔法司書は案外多いようである。


『どうする?』

 イツカが尋ねる。

 既に青年は逃走済みで、どちらの方角に逃げたのかもわからない。

「だいじょうぶ。追えるよ」

 だがトワは屈みこんでデューイの背を撫でると、その手の爪を指でなぞる。

「あの人にデューイのエーテルを付けておいた」

 そして立ち上がってきょろきょろと見回すと、目的の方向を見つけ歩き出す。

『トワ、もうやめとこう』

「……イツカ、くん?」

 だがイツカは諭すような声でトワを呼び止める。

『もう戻ろう。あの子も心配する。これ以上危険な真似は――』

「……」

 トワは立ち止まったまま無言で唇を噛み締める。

 トワが犯人を追いかけることに拘るのは、もちろん泥棒を捕まえようという正義感もあるし、同じ魔法司書が悪さをしているのが許せないという義憤もあったが、それ以上にある目的があったからである。

 それは――


「――神の目録」


「!」

 不意に声をかけられた。

 振り返るとそこには見知らぬ中年の男性が立っていた。

 背が高く薄手のコートを着ている。金色の髪をオールバックに、口髭も綺麗に切り揃えられている。優しそうな笑顔のその瞳は青かった。

「だれ?」

 トワは警戒心を露わにして身構える。

「先程は失礼しました。急だったものでこちらも準備が出来ておらず」

「……あの人の、仲間?」

 アルスオーブ怪盗団。当然仲間がいる可能性はあった。だが何故わざわざ向こうから姿を現したのかトワには理解できなかった。

「その着物姿――あなたは相馬イツカさんですね?」

「……」

 男性は穏やかな声で質問を投げかける。トワは答えなかった。どうやらトワの事をイツカと勘違いしているようだった。

「私は――そうですね、ユミルとでも名乗っておきましょうか。あなたの母、相馬ケイの古い友人です」

「!」

 トワは驚きの表情を浮かべる。

「あなたも母の行方を追っているのでしょう? そのために神の目録の手がかりを探している」

「……あなたは、それが何なのか知っているの?」

「もちろん。神の目録――あらゆる知識と因果の集束点。まさに神がこの世界を統括するために作った目録だ。そしてその領域への扉を九年前、相馬ケイが開いた」

『っ……』

 イツカは思わず声を上げそうになる。イツカが本の姿になった原因こそそれであるからだ。

「結果、彼女はこの世界から消えた。もしかしたら本当に神になってしまったのかもしれない。私はそれを確かめなければならない」

 ユミルはそう言うと、コートの中から一冊の学術書を取り出す。

「これは昨晩あの書店から拝借したものです。何でこんなどこでも買えるものをわざわざ予告状まで出して盗んだかって? そうしないと現れないからですよ。このコードが」

 そしてページをめくり、ある論文の最後の引用文献リストのページを開く。

「あっ!」

 トワはそれを見て目を見開く。

 その文献は相馬ケイが昔書いたものであった。論文自体は今となっては常識となっているようなエーテル理論についてだったが、最後の引用文献の中に意味不明な数字とアルファベットの羅列が一行挿入されていた。

「このコードは特定の時間と場所に存在する書物を、ある条件を満たした上で魔法司書が見つけなければ現れない。その条件が私の場合は『予告状を出した上で盗むこと』だったんですよ」

「わたしたち以外にも集めてる人がいた……?」

 トワ達がこのオルラトルの町に来たのは魔法司書としての研修はもちろんだが、実はこのケイの残したコードを探す目的もあった。

「こんなふざけたことをするのは間違いなく彼女でしょう。そしてこのコードは一つだけでは意味をなさず、おそらく集めることで神の目録の扉を開く鍵となるはずです」

 話し続けるユミルにトワは疑問を抱く。なぜこんなにべらべらと目的を話すのかと。

「そこであなたに提案です。私にあなたの集めたコードを渡してくれませんか?」

「なっ……」

 突然の提案にトワは面食らう。

「私はどうしても彼女に会ってやらなければならないことがあります。もし神の目録を開くことができれば、あなたも彼女に会えるでしょう。悪くない話では?」

「……」

『トワ、聞く耳を持つな』

「!」

 黙るトワにイツカが躊躇なく口を開く。その声を聞いたユミルが目を見張る。

「その――本は……」

「それはできない」

 驚くユミルを無視してトワは断固として言い放つ。その赤い瞳が強く輝く。


「わたし、彩咲トワは、イツカくんを人間に戻さないといけない」


『トワ――』

 九年前の『事故』で人間の身体を失ったイツカを元に戻すため、かつてそれが起こったこの町で相馬ケイの残した手がかりを探す。

 それこそがトワがこの町に来た真の目的だった。

「彩咲……? そうか! 君も同じというわけか! なるほど、彼女は僕達を試そうというわけだ!」

 ユミルは突然合点がいったかのように手を叩き、自嘲の笑みを浮かべて空を見上げながら叫ぶ。

「なにを――」

 訝しむトワを無視してユミルは背を向け歩き出す。

「いいだろう。じゃあ競争だ。どちらが先に神の目録にたどり着くかのね」

「……」

 トワは追わなかった。まだ他にも仲間がいるかもしれない。

 しかしそんなことより自分たちと同じ目的をもった者がいて、彼もまた相馬ケイの関係者であったことにまだ頭の整理が追いつかなかった。

『……戻ろう。トワ』

「……うん」

 トワはイツカに手を乗せ優しく撫でると頷いた。

「にゃー」

 デューイが私も私もと言わんばかりにトワの足元に擦り寄りながら、呑気に鳴き声を上げた。



 その後、書店前まで戻ったトワは、キャリーバッグの横で仏頂面のまま頬杖をついてしゃがみこんでいるクーリクにしこたま問い詰められた。もちろん本当のことは言わなかったが。

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