故に彼らは迷宮を憎む

第16話

 美玖が退院して1週間。

 俺は活動の拠点を東京都F市に移していた。1LDKのアパートの片づけが終わり、新生活をスタートできる……となった所で、退院翌日から精力的に動き回っている病人がやってきた。


「電車が通じるし、地理的には悪くないね。新国会図書館も埼玉から出て来るよりは近いし、私もしばらくここに住もうかな」


「……お前、学校は?」


「復学は3月からの予定だよ。今は様子見期間だかね」


 そう言って三人掛けソファに陣取ると、ローテーブルの上に分厚い本とノートを並べていく。

 こっちはようやく荷ほどきが終わったばかりで疲れているというのに、この前まで死にかけてたこいつは元気いっぱいのようだ。


「ほら、座って。時間は有限なんだから、調べてきた事を共有しちゃうよ」


「まあまて、コーヒーくらい淹れる」


「じゃあ、私は濃い目でお願い」


「はいはい」


 電気ケトルで湯を沸かし、マグカップでインスタントコーヒーを淹れる。どうせ使うだろうと思ってたから、食器は準備してある。部屋もワンルームじゃなく1LDKにしたのはそのためだ。

 コーヒーを持って美玖の隣に腰を下ろす。入院していたころに比べて、だいぶ血色が良い。声にも張りがある。上級治療薬の効果は十分に発揮されているようだ。


「ありがとう。それじゃあ、現状の確認と、新たに発表されていた情報の共有からしちゃおうか」


「はいよ」


 美玖は退院してからの一週間、横浜に新設された新国会図書館に通い、迷宮の情報を集めていた。インターネットでも情報収集は可能だが、発表された論文や、まじめに監修された書籍から情報を集めるにはそちらの方が良いらしい。


「まずは……うっかり人外へと踏み出したニブチンお兄ちゃんの状況だけど、残念ながら他の事例は見つからなかったわ」


「人外ゆうな。まだそこまでじゃねぇよ」


 なぜか地上に戻ってもレベル10のままであることが判明したのは2週間ほど前の話。迷宮脱出後は違法デバイスと化した旧端末を起動していなかったため、新たな迷宮端末メイズデバイスが発行されるまでステータスを確認するタイミングが無かった。

 パラメータとざっくりの倍率から計算した俺の推定能力は、握力160㎏、パンチ力270kg、キック力450㎏。100メートル走では10秒を切るし、垂直飛びで軽く1メートルを超える。でも、個々の能力はまだ人間の範疇だ。


「体重から考えて発揮できるエネルギーが違い過ぎるわよ。そんななんでも出来るアスリートどこにもいないわ」


「そりゃそうだけどさ」


「原因は分かってるんだからいいじゃない。ステータスが高いことに越したことは無いわ」


 想像だが、原因と思われるものは分かっている。

 階層主から手に入れた【状態不変化の腕輪】。デバイスの説明文にはレベルの変動を抑制するとあったが、まさか迷宮を出た際のレベルリセットまで抑制されるとは思わなかった。


「でも、そんな状態でも調子がいい、くらいにしか思わないのはニブチンで十分だよ」


「……まぁ、日常生活で困るほどじゃないし」


 これが一気に10倍とかなっていたら困ったのだろうが、迷宮内で徐々にステータスが上がるのには成れてるし、長期滞在するから力加減もわかる。おかげで数値で見るまで気づかなかったわけだ。


「でもまぁ、そのおかげで予定を変更して府中迷宮に挑めるわけだから、感謝しなくちゃね」


 府中迷宮は、八王子市北部を中心とした断絶領域にアクセスする迷宮だ。入り口は武蔵野線北府中駅から少し西に出現しており、比較的探索者の多い迷宮の一つである。

 特徴は低階層で一部屋に出現する魔物の数が多い事と、餓鬼など人型の魔物が多い事。また、非公式情報ながら、川越迷宮より【雑貨】や【薬品】の出現率が低いと言われている。これに関しては噂レベルだ。


「府中迷宮は魔物の数が多いから、ソロで潜るには向かない。ただリターンも大きい」


「うん。それから、人型の魔物が多いのは比較的倒しやすいってのがメリットかな」


 魔物は形態によって倒しやすさが大きく違う。いわゆるバイタルゾーンと呼ばれている致命傷・行動不能に陥らせられる領域の大きさがその要因だ。

 基本的には人型、獣型、虫型、植物型の順にバイタルゾーンが小さくなる。人類が持つ武器は殆ど人間相手を想定した物なので、人型を相手にする方が容易い。代わりに人型は知能が高く、連携してくるので別の理由で厄介になる。


「餓鬼の能力は成人男性の平均値よりは低いって言われてるから、レベル1でもハンドガンで十分倒せる。でも、私たちは補給の問題でそれが難しいから、近接武器で倒さないといけない」


「近接武器で相手にするなら数が少ない方が良いから、引っ越し先は取手迷宮に行くつもりだったけど……」


「初期レベルが高いなら、数の不利を覆せる。倒しやすい人型の多い府中迷宮の方が、脱出のスクロールが無い私たちにはきっと安全だよ。一応、ハンドガンも手に入ったしね」


 貸出装備であるセラミックソードとP320が手に入っているのは大きい。残りの弾数には難があるが、それはそれだ。


「府中の交差点クロスポイントは川越と同じなんだろ?」


「5階層の炭鉱はね。怪異が弱い1~3階層、経験済みの4~6階層はともかく、まだ潜った事の無い7階層以降は注意が必要だよ」


 それは潜ってみないと何とも言えない。出来れば正規の探索者として潜っておきたいところだけれど……レベルの件をギルドや国に知られると、そこから芋づるで違法端末に足がつきかねない。


「それから、レベルの件。官庁が出してる月報に、迷宮システムの仕様が出てたから確認したけど、迷宮端末メイズデバイスのステータス更新はある程度近くにいないとされないみたいだから、まだお兄ちゃんのレベルについてはバレてないと思って大丈夫っぽい」


「朗報だな。まぁ、接触がない時点でそうだろうと思ったが」


 バレていれば警察が押し寄せていてもおかしくない。


「それから……私が入院していた半年くらいで出た論文として、迷宮内で次のレベルに上がるまでに必要な経験値は、おおむね2倍に成っていくって話と、経験値は最低でも階層数分くらいは入る、って話の検証がされてたよ」


「レベルアップ関連か。8レベルくらいで打ち止めが多いから、あんまり真剣に検証されてなかったやつだよな」


「そう。1階層の魔物1匹の経験値を1として、大体2レベルに上がるのに必要な経験値が10匹分。レベル3が20匹分。レベル4は40匹分。1階層で検証できたのはその位みたい」


「経験値量は?」


「1階層が1なら、2階層は最低でも2、3階層は3は入ってそうだって。あとは深くなるともう少し増えるみたい」


「敵の強さによって経験値が変わったりしないのか?」


「有意な差はまだ出てないみたい。正直分からない事の方が多いよ」


 今はレベル10だから、必要経験値がおおむね2倍なら、11レベルに必要な経験値は1階層の魔物5000匹分。12レベルに成るには1万匹分を越える。魔物一体でもらえる経験値が階数と同等だとして、10階層の魔物を500匹とか1000匹倒さなければならないとなると、これ以上のレベル上げは現実的ではないのでは。


「あとは階層主だけはもっと経験値が多いみたいだね。お兄ちゃんが10レベルに成ってるから、これも正しい情報っぽいよね」


 俺が階層主を撃破する前は8レベル。10に上がるためには3500くらいの経験値が必要なはずなので、他に倒した魔物を加算してもそれぐらいの経験値が入っておかしくはない。


「正しかったとして、階層主を倒すなんてそう現実的じゃないし、今の装備じゃ無理がある」


「うん……一応、この府中迷宮最初の階層主は倒せるかもだけど」


「俺は次元侍なんて相手にするの嫌だよ」


 府中迷宮の最初の階層主は、姫路城天守に居座った骸骨侍だ。人間サイズの怪異だが、遠距離攻撃をすべて反らす空間障壁を常時発生させており、刀の間合い2メートル以内くらいからの攻撃しか当たらないとか。さらにこいつの振り回す刀は空間ごと物体を切り裂くらしい。自衛隊のパワードスーツがいとも簡単に切り裂かれたとか。

 自衛隊や警察はリモート操作の特殊車両を突っ込ませて処理するらしいが、民間探索者にはそんな芸当出来ない。 速さもスタミナもそれほどでは無いので、逃げるだけなら対処は出来るのだとか。

 その見た目と能力から次元侍なんて呼ばれている。


「威力はともかく、身体能力は常人レベルって話だけど、危ないからね。せめて切り結べる武器や盾が手に入るまでは無謀かな」


 あっても無謀だと思う。

 ロケット弾3~4発ぶち込む必要があるスプリガンと、専用特殊装甲車で押しつぶす必要がある次元侍、どっちが相手にしたくないかと聞かれても、どっちも嫌だ。

 

「各階層の出現する魔物と、罠の種類はまとめておいたから、こっちのノートをよく覚えてね」


「ああ、サンキュー。目を通しておく」


 もともと、迷宮の探索は美玖が始めたことだった。10歳の時から迷宮についての情報を集めはじめ、18歳で探索者になることを目指して日々のトレーニングも行っていた。病にかからなければ、共に迷宮に潜っていただろう。


「それから、盾はコスプレアイテムって名目で準備出来たよ」


 美玖に買ってもらったのはポリカーボネイト製の盾。パクった奴は捨ててきてしまったからその代わりだ。


「助かる」


 断絶領域発生以降、ほとんどの買い物はマイナンバーと紐づけられて政府に記録が残る様になっている。購入リストはAIによって分析され、問題がある場合は査察が入る。探索者登録している俺が、私費で防具なんかを買いそろえると、私的探索の疑いで調べられかねない。


「何度もは難しいから、無くさないでね。もしくは、蟻の甲羅でも剥いできて」


「了解」


「それから……後は新発見された魔道具、スクロールに関する情報だけど……」


 美玖が調べて来てくれた情報から、重要なものを抜粋して手帳にメモしていく。半年のブランクによって、結構な新情報量が出回っていたが、結構わかりやすくまとめてくれていてありがたい。


 こうして俺達は次の探索に向けて、準備を進めるのだった。


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本日より2章開始となります。終了まで1日1話か2話、全10話ほどになる予定です。

本日は22時にもう一話更新予定です。応援よろしくお願いします。


下記連載中の作品も含めて、応援のほどよろしくお願いいたします。


俺は地球に帰りたい~努力はチートに入りますか?~

https://kakuyomu.jp/works/16816927861365800225


アーニャの冒険~鍛冶の国の盗賊娘~

https://kakuyomu.jp/works/16817139559087802212

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