第2話

 S県某所。

 周囲を幹線道路と田畑に囲まれたその病院の3階で、妹はいつもベッドに縛り付けらえていた。

 ノックをしてドアをくぐると、珍しく身体を起こしている。窓の外を眺めていたのだろうか。狭い個室の中で、季節の移ろいが感じられるのは、窓から見える風景だけ。ベッドの隣にある小さなテーブルの上には、持ってきた俺にもよくわからないオブジェたちが並んでいる。


「お兄ちゃん、おはよう」


「ああ、起きて平気なのか?」


 ほぼ日課に近い挨拶。俺が探索者になってからは、出発前、必ずこうしてここに来て、こうして言葉を交わしている。


「今日はちょっと良いの。前の発作から少したって、ちょっとは落ち着いたみたい」


「……無理するなよ。油断すると発作が重くなるぞ」


「うん……わかってる」


 妹は進行性の難病だった。発症したのは3年前。病名は……言っても意味がない。なにせ迷宮が発生してから発症例が確認された病だからだ。医療技術が発達した今でさえ治す手立ては皆無に等しく、症状を抑えるだけの投薬で苦痛を和らげるしかできない。そして残された時間は後1年か、半年か。

 

「今日はどうしたの?いつもより遅いけど」


「ああ、ちょっと準備があってな」


 普段なら午前の面会開始と共に会いに来る。今は10時を回っている。30分ほどだが、不思議に思われても仕方ないな。


「……深く、潜ろうと思っている」


 だから手短に要件を切り出した。


「……っ!……そっか。もう1年近くになるもんね」


「そばに居てやれなくて、すまん」


「……んん、大丈夫。私はまだ大丈夫だよ」


 そう言う彼女の表情は、不安によって塗りつぶされていた。当たり前だろう。唯一残った肉親が、命がけの迷宮に挑もうというのだ。取り残される不安を感じぬわけはない。


「大丈夫、心配すんな。美玖みく。深く潜るって言っても、無茶はしない。何かあった時に備えて、一週間分の準備はしたけど、まだまだ様子見だよ。分かってる範囲だ、危険も小さい」


 それでも引くことは出来ない。


「……うん。ママとパパ、見つかると良いね」


「ああ。低い階層でも発見例もあるしな。まぁ体に触らない程度に期待して待っててくれ」


「うん。気を付けてね。あと、お土産もヨロシク」


「また変な人形が増えるかな」


迷宮で取れたどこかの民芸品や、希少価値の低い水晶の欠片。そんな物でもみくは喜んでくれた。


「出来れば可愛いのが良いけど」


「ご期待にそれるかは分かりかねまする」


「……ぷっ……なにそれ……ふふっ」


 暫く他愛もない話をし、彼女に見送られて病室を出る。あまり話していると身体に触る。

 俺が後ろ髪惹かれないよう、元気なうちに送り出されるのもいつものことだ。


………………。


…………。


……。


 俺、沢渡久遠さわたり くおん沢渡美玖さわたり みくの両親が断絶領域に呑まれたのは、約9年前に発生した二期拡大事件の際だった。 全校を上げた小学校の校外学習で難を逃れた俺たち兄妹は、母方の祖父母に引き取られ、S県の片田舎で育つ。

 妹が病を発症し倒れたと聞いたのは、断絶領域の拡大以後に再編された全寮制の高校に通っていた。最初は治る病気だと思っていた。不治の病であり、余名もわずかと聞いたのは18の誕生日。70過ぎても山でシカやイノシシを撃つジジイが一言、『何とかしろ』とそう託した。


「……ああ、何とかしてやるさ」


 妹との面会を終えた後、俺は足早にアパートに戻る。ひと月前に引っ越してきたばかり、築30年を超える六畳一間ボロアパートであるが、ここは川越迷宮と呼ばれる比較的小さな規模の迷宮入り口から、直線距離で900メートルほどのエリアである。

 迷宮周辺は居住制限以上に迷宮関係者の需要から地価、家賃が高騰しており、こんなボロ部屋でもひと月10万を超えるが、迷宮に近いというのには代えがたいメリットがある。


「出口の同期は成功。癪だが売人を信じるしかない」

 

 非合法なアイテムを売り買いする奴らだが、だからこそ不良品は信用にかかわる。俺が取引したグループは、どいつもマシな部類に入る。罠が仕掛けられている可能性も否定できないが、信じずやるしかない。


「荷物はOK。必要なものはそろってる。どこまで行けるかは運しだい」


 動きを阻害しない、ギリギリの量の荷物を詰め込んだリュックを背負い、手には鉈を加工して作った短槍と、アクリルパネルを加工して作成作った大盾を持つ。頭を護るのはバイク用のフルフェイスヘルメット。装備は心もとないが、正規で借りられる銃火器は持ち出せない。不正アクセスをしようとしている以上、装備は迷宮で整えるしかない。


「大丈夫。5階層まではいける」

 

 そう呟いて、迷宮端末メイズデバイスを起動する。

 アプリ起動。川越迷宮へアクセス……このボタンを押せば、迷宮へ飛ばされるはず。


 ……ええい、躊躇している時間がもったいない!


迷宮侵入メイズ・インヴェイション

 

 その瞬間視界が一気に暗転した。


 ………………。


 …………。


 ……。


□川越迷宮・1階層□


 気づくと草原に立っていた。雲の切れ目から太陽の光が差し込んでいる。

 川越迷宮・1階層、原野領域。どうやら最初の懸けには勝ったらしい。無事に迷宮内への不正アクセスに成功した。


「……侵入した部屋に魔物が居ないのはラッキーか」


 周囲をぐるりと見まわして、近くに魔物が居ない事を確認して息をつく。

 ここ、川越迷宮の1階層は何処か遠い国の草原地帯が広がる原野領域である。周囲は見晴らしがよいように見えるが、ところどころに切り立った崖のような地面が見える。迷宮内は十数メートルから数十メートルほどの小部屋に分かれていて、実際の地形とは全く違う区画分けがされて居る。切り立った崖に見える部分は部屋の境界で、頑張れば通れるように見えるところにも不可視の壁がある。


 迷宮に置いて、各階層の特徴は一致するが、部屋の構成は毎回変わる。空間が歪み、不自然に入れ替わる。これこそが迷宮が迷宮たるゆえん。かつて、まだ文化が豊かだったころにはこのような迷宮を予見するゲームがあったらしい。


 だから一部の探索者たちは、ここを不思議のダンジョンと呼ぶ。


 ……俺には関係の無い話だな。


 どんな入り方をしようが、やるべきことは変わらない。そもそも入り口から入るってのは人の方が決めたルールだからな。

 

 周囲を警戒しながら、迷宮端末メイズデバイスを起動。まずはステータスを確認。

 迷宮内では地上とは違ったルールがあるのか、人間の能力も条件に応じて高くなるらしい。デバイスで確認できるのは、レベル、HP・SP・力・丈夫さ・俊敏と状態の7項目。今はレベル1、HPから俊敏までは10、状態は健康と出ている。

 レベルが上がると、他のパラメータは概ね1割上昇する。このレベルは迷宮内だけのもので、出ると1レベルに戻ってしまう。また上げなおしというわけだ。

 正規のルートで入場していた際には6レベルまで上げたことがあるが、能力上昇の影響はかなり大きい。装備がしょぼい分、きっちり魔物を倒してレベルを上げていかなければならない。


 次にルーティーンとしている迷宮の基本情報を思い出す。


 この川越迷宮1Fは4から7の小部屋によって構成され、各部屋へは道でつながっている。手を繋ぐなどの条件を満たさない限り、同じフロアに他の人間が入場してくることは無い。逆に言えば、助けは来ない。


 部屋の中に初期発生している魔物は恐らく0から2体。リポップ率は不明。おおよそ1時間も待てばどこかに数匹は湧く。おそらく滞在可能時間があり、最長は24時間ほど。

 

 部屋の中にはアイテムが落ちている場合がある。多い時では4つ。すべて非物質――迷宮入り口と同じ淡く輝く平行六面体。ただし大きさは小指の第一関節ほど――の状態で見つかる。ある程度近づかないと視認できない。


 罠は草を結んだ結び罠のみ。注意して歩くか、鉈で切り払えば回避可能。


 ……よし、確認終わり。

 部屋の中に魔物が居ないのだ。さっさと探索してしまおう。

 

 足元に注意しながら、草むらを調べていく。少し背の高い草は鉈槍の先端で切り払うと、泡となって消えた。迷宮の中では、こういった草も、地面に落ちている石も回収する事が出来ない。拾えるのはドロップ品と呼ばれるアイテムだけである。

 一部屋当たりの大きさは十数メートルから広くても数十メートルほど。壁……と言っていいか不明だが、部屋の端は背の高い草だったり、切り立った崖のような構造だったり様々だが、基本的に不可視の障壁があるようで掴むことも昇ることも不可能。


 そう時間も掛けず、一つ目のドロップ品が見つかる。侵入から5分も経って無い。幸先良いな。


 迷宮端末メイズデバイスをかざしてアイテムを回収。さて、何が手に入ったか……。


 【雑貨】


 ……ハズレか。

 

 迷宮内で手に入るアイテムは、デバイスの分析によって10種類に分類される。デバイスでの表示は、近接武器、遠距離武器、弾、防具、アクセサリー、食料品、雑貨、薬品、遺物、魔法のスクロールとなる。出る物は様々だが、【雑貨】は基本的に断絶領域の発生時に呑まれた日用雑貨や消耗品が殆どである。


「鑑定する必要は無いかな。解凍っと……植木鉢か?」


 迷宮端末メイズデバイスには回収したアイテムの鑑定機能が備わっている。ただし1つを完全に鑑定するのには6時間ほどかかる。【雑貨】には何か特殊な効果が備わっているという事も無いようなので、鑑定する意味は薄い。


 邪魔なプラスチック製の植木鉢を草むらに捨てて探索を再開すると、またすぐにアイテムを見つけるが……また【雑貨】。解凍すると、今度は10個ほど袋詰めされたナットだった。いらん。


「……まぁ、1階の床落ちに期待するだけ無駄だな。次に行こう」


 迷宮は入るたびに落ちているアイテムが変わるが、種類の出現率も変わると言われている。それでも浅い階層は【雑貨】ゴミ率が高い。

 この部屋にはもうアイテムはなさそうだ。

 

「道は二つ。環状構造かな?行き止まりスタートでないのはありがたいと思うべきか……」


 どうせ全部屋回るのだ。どっちを選んでも違いはない。

 気を引き締めて、原野にもかかわらず若干見通しの悪い通路エリアに足を踏み出した。


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