二十三日目 熱燗
避難する間も備える間もなく、それは訪れた。
東京都を中心にした首都圏の外出禁止指示。一切の外出を禁止する理由は、東京都を中心に毒性の霧が発生するようになったから、らしい。
窓の外を見るとなるほど、確かに深い霧がかかっている。ほとんど何も見えない。
この霧の中にいると、数分で死に至るのだという。建物の中であれば今の所安全なので、とにかく今いる場所に閉じこもっているように、というのがネットで集めたニュースの内容だった。
会社のチャットを覗くと、リモートで業務できる人はいつも通り業務しているみたいだった。休んでいる人もいた。
連絡が取れなくなっている人もいた。その人のことはみんな心配しているみたいだったけど、もしかしたらと言うのもはばかられ、何事もないかのように業務は進んでいた。
実際に関東以外に住んでいる人は「こっちは普通ですよ」「大変そうですね」なんて呑気に言っていた。
何もすることがないので、俺もいつも通りに仕事をした。家の外には危険だという霧がまだ晴れないでいる。変な気分だった。
昼にはパックの千切りキャベツとサラダチキン、それとパンを食べた。いつもの昼食だった。とはいえ、買い置きの食料はそんなに多くない。外出禁止が早く終わらないと、食べるものが失くなってしまう。それは困るな、とぼんやり考えていた。
昼過ぎに実家から電話がきた。なんでも外出禁止指示のニュースを聞いて、心配して食べ物なんかを送ろうとしたけど、首都圏への配達は全て受付停止しているのだという。
とても心配されて、電話口で「大丈夫だよ、きっとすぐになんとかなるから」となだめた。なだめながら、本当になんとかなるだろうかと不安になった。それでも、親には「大丈夫」と言うことしかできない。
──テレビの報道は大袈裟なんだよ。全く、こっちはいつも通りだから、食べるものもあるし、大丈夫。
親の心配はきっと晴れていないだろうけど、それでも仕事があるからと電話を切った。
午後も仕事に集中する。何かやっていないと、延々とネットで情報を追いかけてしまいそうだった。没頭できる仕事があって良かった、と思う。窓の外の光景を忘れるために、できるだけ仕事に集中した。
仕事を終えて、しばらくはネットの情報を追っていたけど、無駄に不安を感じるだけだと思ってやめた。夕飯を用意する。
冷凍の惣菜を温めて、パンと一緒に食べる。家に米はない。炊くのが面倒だからもっぱらパンやパスタばっかりだった。あと何食分くらいあるだろうかと考える。
ネットの情報では、一日もせずに東京終わった日本終わったと騒がれていた。夜になった今も窓の外は濃い霧に覆われている。それが晴れるような様子はない。それがなんなのか、どうすれば良いのか、という情報は何一つ出てこない。だからもしかしたら本当に終わりなのかもしれない、という気もする。
不安感に耐えられず、飲酒することにした。開けてない日本酒の瓶があった。裏の説明を読んだら熱燗がおすすめと書いてあったので、温めることにした。
適当な器に入れて、レンジで温める。温度を調節しながら少しずつ温めて様子を見る。ふわりと良い香りが立ち昇ってくる温度になって、飲み始めた。
口に含めばまろやかになった酒精が広がって、うまみが舌を流れる。飲み込むと、腹の奥にぼうっと炎が灯ったように温まった。思わず息を吐き出す。体の力が抜ける。
何をするでもなく、何を考えるでもなく、そのままぼんやりと熱燗を味わって、その日は寝た。ぐっすりとはいかなかったけど、よく眠れた方だと思う。
目が覚めても、窓の外にはまだあの霧が立ち込めていた。ネットの情報を見ても、外出禁止は解かれていない。外出禁止にもかかわらず外に出た人が何人もいるらしい。そして、連絡がつかなくなってしまったらしい。きっとそんな人が、知られないままいっぱいいるんじゃないかと思う。
霧をなんとかする目処は立っていないらしい。外出禁止がいつ終わるのかもやっぱりわからない。
実家からまた電話がきた。やっぱり大丈夫と繰り返すしかない。何もできないのだから仕方ない。
──大丈夫だって。ちゃんと食べてるから。外出禁止だってそのうちなんとかなるよ、大丈夫。食べ物もまだしばらくあるから。大丈夫だってば。
納得はしていないのだろうけど、親は元気でと言って電話を切った。溜息をつく。
朝ごはんも冷凍の惣菜を温めた。それから、熱燗。飲まないと不安で仕方がなかった。惣菜は根菜類と鶏肉の煮物で、一緒に熱燗を飲むととても美味しかった。出汁の味と日本酒が、ぴったりだと思った。
酒を飲んでしまったので、会社には休みの連絡をする。申し訳ないけど仮病を使った。
あと何日続くのか、続けられるのかわからない。食べ物が尽きてもまだ霧があるようなら、餓死する前に外に出ようと考える。
それまではもう、何もせずに酒だけ飲んで過ごそうと考えていた。自暴自棄じゃない。自分のためだけに時間を使いたいと思ったのだ。
熱燗は体を温めて、緊張を和らげてくれた。飲んでいると、少し安心できる。心地良くなれる。今はそれだけで良い。そう思って、また熱燗を一口舐めた。
多分これは俺にとっての最後の日々なのだと思う。
* * *
二十三日目お題「熱燗」
金澤流都さんからいただきました!
https://kakuyomu.jp/users/kanezya
https://twitter.com/Ruth_Kanezawa
ありがとうございます!
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