十三日目 シロップ

 事務所にある小さなキッチンで、パンケーキを焼いて食べる。それがいつもの朝食だ。

 パンケーキであることに理由はある。近所のスーパーマーケットでパンケーキの粉が時々安売りされるからだ。そういうときに買いだめしておいて、あとはひたすら毎日パンケーキだ。

 せめてシロップはたっぷり。甘いものは嫌いじゃない。

 俺はどうしようもなくくたびれたおっさんなので、わざわざ外にパンケーキを食べに行ったりはしないけど。そういう店に行ったら、とんでもなく浮くことはわかりきっている。

 ふわりと甘い良い匂いとともに、皿に乗せたパンケーキを運んでラジオのニュースを聴きながら食べる。ベタつくシロップを吸い込んだパンケーキの生地を一口食べて、そのくどいほどの甘さに満足する。

 やつが来たのはそんなとき。

 突然の依頼人というのが来ることもある。だから迎え入れれば、入ってきたのは依頼人なんかではなく、やつだった。

「探偵さん、あなたの助手がやってきました! 今日もよろしくお願いします!」

 若く溌剌とした声。その明るさ。元気さ。若さ。何もかもが、俺の事務所には不釣り合いだった。

「助手はいらない。何度も言ってるだろう」

「そんなこと言って、ほら、今日もパンケーキしか食べてない」

「うるさい、朝は良いんだよ。それにこのあとコーヒーも飲む」

「シロップもかけすぎじゃないですか?」

「俺は溺れたいくらいシロップが好きなんだ、良いんだよ」

「サラダやお肉も食べましょうよ。健康に悪いですよ」

「良いから出ていけ、依頼人じゃないなら帰れ」

 彼女は俺の悪態なんかにはこれっぽっちも動じずに、買い物袋を持ったまま勝手にキッチンに入り込んだ。俺は無視してパンケーキを食べる。皿に流れるシロップをたっぷり絡めて、口の中に放り込む。

 パンケーキを食べ終える頃、カリカリのベーコンをトッピングしたサラダが登場した。

「探偵さんは若くないんだから、これを食べてちゃんと健康に気をつけましょう!」

「余計なお世話だ」

 言いながらも、用意された食べ物に手をつけないのは落ち着かない。仕方なしに俺はサラダを食べる。ドレッシングは程よい塩気と酸味で良い味だった。

 すぐに良い香りを漂わせたコーヒーまで出てきた。いつものインスタントのコーヒーだけど、こいつの用意したコーヒーの味は悪くない。

 かといって、助手にするかどうかは話が別だ。

「サラダもコーヒーもありがとうよ。でもな、お子様はもう帰れ。危険な仕事もあるんだぞ」

「わたしは二十歳ハタチです! もう子供じゃありません!」

「俺からしたらお子様なんだよ」

 彼女は唇を尖らせて、ソファの俺の隣に座った。そして、横から俺の顔を上目遣いに覗き込んでくる。シロップのように甘ったるい視線だった。

「わたしだって大人ですよ。大人の魅力、試してみます?」

 きらきらと輝く恐れを知らぬ瞳。リップが塗られた柔らかそうな唇。すらりとした首筋。華奢な肩。

 俺は大袈裟に「はん」と鼻で笑ってみせた。それから、指先で彼女のおでこをつつく。

 彼女は上半身を後ろに傾けると、両手でおでこを抑えた。その仕草と表情が子供っぽくて、俺は内心ほっとする。

「色仕掛けなんざ十年早いよ。危ないからさっさと帰れ。ほら、今日のサラダ代だ」

 財布からお札を一枚出して無理矢理握らせる。彼女は悔しそうに唇を噛んだ。

「探偵さんの助手になるまで、諦めませんから!」

「こんなくたびれたおっさんのことなんか、すぐに忘れるよ。同い年のボーイフレンドでも見つけるんだな」

 彼女はお札を握りしめて、出て行った。泣き出しそうな横顔に、少しだけ胸が痛む。足音が遠ざかったことを確認して、大きく溜息をつく。

 ああ、彼女はシロップに似ている。存在のどこもかしこも甘い。

 甘くて、甘くて──溺れてしまいたくなる。




   * * *


 十三日目お題「シロップ」


 つるよしのさんからです!

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