十一日目 お蕎麦

 大学の寮でできた友人がいる。

 やつは面倒くさがりでだらしない。寮の部屋は散らかり放題だし、外に出るのも億劫がる。学食にだっておばあちゃんお手製らしい綿入れ半纏を着てくるような、そんなやつだ。

 投げやりでぞんざいな口調で話す。いつも気怠そうにしている。

 そんなだけどやつは、蕎麦のことを言うときだけなぜか「お蕎麦」と言うのだ。なんだかそのときだけ、やつが妙に可愛らしく思えて、面白いなと感じる。

「ああ、お蕎麦食いたい」

 そして蕎麦が好きらしく、時折そうぼやく。今は学食。一番安いメニューのカレーを食べながら、だった。いつものように綿入れ半纏を着ている。

「学食にあるだろ、カレーじゃなくて蕎麦を食えば良かったのに」

 学食の蕎麦の値段だって、カレーとほとんど変わらない。食べられないわけじゃないはずだ。

「違うんだよ、学食のは。俺はお蕎麦屋さんのお蕎麦が良いんだ。わっかんないかな」

「蕎麦屋とかあんま行ったことないからなあ」

 やつの蕎麦が食べたい発作に言葉だけ付き合うが、こんなやり取りじゃ発作は収まらないらしい。

 ちなみに俺が食べてるのもカレーだ。ここの学食は安くて量もまあまあだけど、味はなんだかみんなぼんやりしている。カレーもあまり辛味もなく、かといって甘さや旨みも薄く、ぼんやりした味をしていた。

 蕎麦も食べたことがあるが、やっぱりぼんやりした味だった。だから蕎麦が好きなやつは、学食のものじゃ満足できないのだろう。それはわかる。

「やっぱり食いに行くかなあ、お蕎麦」

 そう言って、やつはカレーをかき込むと、立ち上がった。

「食いに行ってくる、お蕎麦」

「午後の授業は?」

「自主休講」

 そしてやつは、ふらりと行ってしまった。学食を出た姿を大きな窓越しに見送る。寮の方に向かってゆく。

 流石に蕎麦屋に綿入れ半纏を着ては行かないだろうから、着替えに行ったのか。近所のコンビニくらいなら、学外でもその格好のまま出かけるやつが、蕎麦に関してはそうでもないらしい。

 俺はぼんやりした味のカレーと向き合って、なんだかちょっと虚しい気持ちで残りを食べた。


 授業が終わって寮に帰ると、俺の部屋でやつが寝ていた。すでにいつもの綿入れ半纏姿だった。

 ふ、と酒精のにおいが漂う。どうやら機嫌よく酒まで飲んできたらしい。蕎麦に日本酒、とでも洒落込んだのか。

「おい、起きろよ。寝るなら自分の部屋で寝たら良いだろ、なんだって俺の部屋にいるんだ」

 声をかけるともぞもぞと動き出して、上半身を起こして伸びをした。

「ああ、気持ち良かった」

「そりゃあ良かった。ほら、自分の部屋に戻れよ」

「まあそう言うな。水くれ」

 自分勝手なやつに顔をしかめつつ、それでも仕方ないなと溜息をついて、俺はコップに水を汲んでやつに渡した。

 やつはごくごくっと喉を鳴らして一気に水を煽った。それから、大きくはあっと息を吐く。

「大丈夫か?」

「そこまで飲んだわけじゃない」

 コップをローテーブルに置くと、やつはあぐらをかいた。

「まあ、聞けよ」

「何をだよ」

 本当にやつは自分勝手だ。それでも仕方なく俺はやつの向かいに腰をおろした。やつは俺が座るのを待ってから、口を開いた。

「お蕎麦、うまかったんだよ。あれは良いお蕎麦だった」

「ほうほう、そりゃあ良かったな」

「蕎麦粉だけ、つなぎなしのお蕎麦でな。こう、口に含むと蕎麦つゆの出汁の香りと一緒にお蕎麦の香りがふわっと口に広がるんだ」

 夢見心地、といったテイだった。思い出した味を噛み締めるように、やつは目を閉じる。その語りに、俺は思わずごくりと唾を飲み込んだ。

 いや、これは腹が減ってるからだ。そういえば夕飯がまだだった。何を食べよう。

 そう考えるのだけど、やつのせいで頭の中に蕎麦が詰まってしまったみたいだった。蕎麦が食べたい。別に上等なやつじゃなくて良い。いっそカップ麺でも良い。

 買いに行くかと立ち上がる。

「どこか行くのか?」

「夕飯、買ってくる」

「俺にも何か買ってきてくれ」

「カップ麺で良いか?」

「お蕎麦以外なら」

 まあそりゃそうだろう。美味い蕎麦を食ったあとで、わざわざカップ麺の蕎麦を食いたいわけがない。

 俺はポケットに財布を突っ込んで、ふとやつの顔を見た。やつはきょとんと俺を見返す。

「なんだ?」

「そういえば、なんで『お蕎麦』なんだ?」

「何がだ?」

「いや……『蕎麦』じゃなくて『お蕎麦』なのが気になって。なんで『お』がついてるんだ?」

 俺の疑問に、やつは困ったような顔で首をひねった。

「そう言われても、お蕎麦はお蕎麦だからなあ」

 俺はちょっと笑って、それ以上問い詰めるのは諦めた。やつにとってお蕎麦はお蕎麦なんだろう。理由なんか、きっとない。

「まあいいや。行ってくる」

「ああ、アイスも買ってきてくれ」

「金は払えよ」

「あとで払うよ」

 それで俺は、カップ麺のお蕎麦とアイスを買いに、出かけたのだった。




   * * *


 十一日目お題「お蕎麦」


 タタミベリさんからいただきました。

 https://kakuyomu.jp/users/flat_nomi

 https://twitter.com/tatamiberi


 ありがとうございます!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る