十日目 からあげ
小さな定食屋だ。おじいさんとおばあさんの夫婦でやっている、家庭料理のような定食が出てくる。
そこのからあげ定食が好きだった。
からあげと、キャベツの千切り、櫛形に切られたトマト。味噌汁と、ちょっとした煮物の小皿。
ごま油のにおいがまず空腹を刺激してくる。箸で一つ持ち上げる。
肉が大きめのからあげは、衣がざっくりとしていて歯応えが気持ち良い。噛むと肉汁がじゅ、と溢れてきて、下味に使われている生姜のにおいが鼻を抜ける。
美味しい。
おばあさんがやってきて、水のお代わりを注いでくれる。なんだか親戚の家に来たみたいな気分になる。
そういうところも好きだった。
その店も、もうなくなる。
歳だから引退して、店を閉めることになったらしい。
「跡継ぎもね、いないから」
おばあさんはそう言って、寂しそうに笑った。
「残念です」
そう応じた言葉は本音だった。
これがこの店での最後のからあげ定食だ。俺は一つ目のからあげをよく味わって、食べ終える。白米を食べて、味噌汁を飲んで、それから付け合わせの煮物のレンコン。しゃくり、と歯で噛み切る。
「今まで来てくれてありがとうね」
水を注いだおばあさんは、俺にそう言った。俺はからあげの美味しさと、それが失くなる事実に、言葉が出てこない。
「ごゆっくり」
おばあさんに軽く頭を下げて、フレンチドレッシングがかかったキャベツの千切りを食べる。ちょっと酸っぱい。しんみりしてしまう。
それから、からあげ二つ目に取り掛かった。
いつもより時間をかけたつもりで、なんだかあっという間に食べ終えてしまった。寂しい気持ちがあって、立ち去りにくい。
でも食べ終えたのにいつまでも座っているわけにはいかない。
立ち上がってレジに向かう。おばあさんがいつもみたいににこにこと応じてくれる。お金を払えば、古いレジががしゃんと開く。小銭を受け取って、財布にしまう。
「元気でね」
おばあさんの言葉に、一瞬言葉に詰まってから、慌てて返す。
「あの、そちらもお元気で」
俺の言葉には返事をしないで、おばあさんはにこにこと笑ったままお辞儀をした。
「ありがとうございました」
「ごちそうさまでした」
そのやり取りはいつもと同じ。でも、いつもよりも、幾分ゆっくりだったと思う。名残を惜しむように。
店を出て、からあげ定食の味を思い返しながら歩く。
今は覚えているこの味も、好きでよく食べたこの味も、きっといずれ忘れてしまうだろう。そのときにはもう、別な店の好きなメニューができているかもしれない。
それはなんだか少し寂しい。けれど、仕方のないことだ。
きっとそういうのが全部、時間の流れというものなんだと思った。
ただ──まだしばらくは、この店のからあげ定食の味を惜しんでいよう。
* * *
十日目お題「からあげ」
べあうるふさんからいただきました!
https://kakuyomu.jp/users/Bare-wolf
https://twitter.com/barewolf111
ありがとうございます!
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