九日目 旅行

 旅行先で、どうってことない道を散歩するのが好きだ。

 どんな道でも、そこには普段の生活や息遣いがある。それは、長く続いてきた人の営みを今、切り取って見えているものなのだ。そう思うとなんでも新鮮に見える。

 川や橋なんかも面白い。名前から由来を考えたりする。いつからそうして流れているのか、それとも昔は流れていなかったのか、別の場所を流れていたのか。そんなことに思いを馳せる。

 そうやって散歩していると、思いがけない出会いがあったりもする。

 ほら、今だって川沿いのベンチに腰掛けた誰かと目が合った。僕が小さく頭を下げると、相手は少し驚いた顔をして、それから面白そうな顔で自分の隣を軽く叩いた。

 どうやら僕を誘っているらしい。何か面白い話が聞けるかもしれない。

 そう思って僕は彼の前に立つともう一度頭を下げた。

「隣、失礼します」

 彼は僕を見上げてにいと笑った。

「構わねよ」

 返事をもらって、僕は隣に腰をおろした。

 彼は目立たない格好をしていた。量販店で買ったようなポロシャツと、下はジーンズ。足元はサンダル。黒い髪の毛は少し伸びすぎて、目を隠すようだったけど、それでもなんというか──目立たない人、という印象だった。

「ねら、どこから来なさった」

 彼はこの辺りの方言のイントネーションで喋った。その言葉に小さく「東京からです」と応える。僕の言葉をどう思ったのか、彼は笑った。

「東京の方がよっぽど面白おもしれもんがあるねっか。こげななんもねえとこ何しに来たガて」

「何にもなくは、ないです。僕にとっては。少なくとも、あなたとこうして話ができましたから」

 彼は目を細めて僕の顔をじっと見た。それから、ふっと川の流れてくる、その上流の方に目を向ける。高い山々に囲まれたその景色は、少なくとも東京では見れないものだ。

「オレもな、昔ならもうちょっとばかし面白ぇもんでも見せられたども、今はもう駄目だな」

「そうですか。でも、とてもしっかりして見えますけど」

「いっこ駄目らて。こうして誰かと話すんガも久しぶりだ」

 彼はほうっと長い溜息をついた。

「昔は、よほどすごかったんですね」

「そりゃあ、な。前は川を渡るなんつぁ、オレん機嫌次第だったガぁよ。たまに人間の嫁コもらったりしてな。めごいだったども」

 僕は彼の昔話を遮らないように相槌をうつ。彼は長く伸びた髪を掻き上げた。

「そういうガんも、みぃんなねぇなった。こんげ調子じゃオレもいつなくなるか、わかんねぇな」

「そういうものでしょうか。川があるうちは、こうしていられるのでは? この川は、そうそうなくなることはないでしょう」

「川は、な。川もいろいろだ。オレの力はどんどん及ばんねなる。そうしたらオレなんか、いる意味ねぇなるろ?」

「それは……寂しいです」

 どう応えて良いかわからず、僕は目を伏せてそう言った。それはでも、本心だった。

 彼はまた笑った。

「東京から来なさったねらが、何寂しいこってや。でもまあ、久しぶりに人間と話せて、楽しかったぃや。ああ、ばっか良い気分だ」

 そうして彼は立ち上がった。

「良い気分だっけ、ねらには見せてやる。オレん姿もまだ、東京まであんじょう帰れるくれぇには役にたつろ」

 そう言ったかと思うと、彼の姿は変わった。大きな蛇だった。大きな白い蛇が、身をくねらせて空に上り、また身をくねらせて川に降りてゆく。

 そのまま川の流れに混ざって、白い体は見えなくなった。

 僕は放心したようにしばらくそのままの格好で、川の流れを眺めていた。

 ああ本当に──思いがけない出会い。これだから、僕は旅行が好きなのだ。




   * * *


 九日目お題「旅行」


 ヨドミバチさんからいただきました。

 https://kakuyomu.jp/users/Yodom_8

 https://twitter.com/yodom_mavo_8


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