六日目 ホットワイン

 喧嘩のきっかけなんて些細なこと。でもこんなになってした理由はわかっている。ちょっと最近、お互いが我慢しすぎていたのだ。

 わたしは冷蔵庫に入れてあった飲みかけのワインを取り出した。何か動いてないと、なんだか自分が惨めで仕方ない気分だったから。

 それから生姜。まな板と包丁を洗って、生姜をスライスする。今の気分には少し多めに使っちゃおう。

 レモンもあった。レモンもスライス。独特の酸味が鼻をついて、唾液と一緒に涙がじわっと溢れてくる。ええい、これも多めにしちゃう。

 本当は、こんなふうになる前に、話さなくちゃいけなかったんだ。わかってる。あっちだってきっとわかってる。わかってて、でもわたしたちはお互いに甘えてそれを先延ばしにした。

 それで、こんな喧嘩になってしまったんだ。

 手鍋に赤ワインを入れて、スライスした生姜とレモンを入れる。それから、クローブ。シナモンスティックは半分に折って。


 ──頭、冷やしてくる。


 そう言って出て行ってしまった。わたしはひとり、部屋に取り残された。

 こんな寒い日に、頭どころか体だって冷えてしまうだろうに。

 考えながら、はちみつを大さじにとろりと入れて、一杯、二杯、三杯……こんな気分のときはとびっきり甘くしちゃっても良いかもしれない。そう思ってはちみつをさらに足す。

 手鍋の中身を大さじで軽くかき回して、火をつける。

 ふわり、とアルコールまじりの赤ワインの香りに包まれる。その柔らかさに涙が溢れる。

 さっきはどうして何も言えなかったんだろう。そのくせ、どうして文句は出てきてしまったんだろう。きっとどこかで、自分は我慢しているんだ頑張っているんだって思ってしまっていた。

 そんなの、どっちも同じなのに。

 ふつふつと手鍋の中の赤ワインが揺れる。その中の生姜やレモンスライス、スパイスはそれに翻弄されている。その動きがだんだんと大きく激しくなっていき、爆発する寸前に、火を止めた。

 手鍋の中のホットワインはだけど、一緒に飲む人は今はいない。

 わたしはそのまま、キッチンの床にうずくまって泣いた。泣きながら、頭のどこかは冷静で、自分はどうしてこんなに泣いているんだろうと考える。どうしてこんなに涙が出てくるんだろう。

 惨めだから? 怒っているから? 自分の頑張りを認めてほしいから?

 でも何よりも寂しいから。それでも、こんなことがあっても、出会った頃の激しい思いが消えても、一緒にいたいのだ。

 一緒にホットワインを飲みたいのに、いない。それがこんなに寂しい。

 涙が落ち着いてきて、わたしは乱暴に袖で目元を拭った。大きく息を吸って吐いて、乱れた呼吸を整える。

 彼が帰ってきたのはそんなときだった。寒風に顔を赤くして、白い息を吐いて、冷たい体でアイスを持って帰ってきた。

 わたしは微笑んでそれを迎え入れる。

 アイスはひとまず冷凍庫に。ホットワインをさっと温めなおしてマグカップ二つに注いで、持ってゆく。

 二人で向かい合ってホットワインを飲んで、ふっと息を吐き出す。こわばっていた体が、緊張が、ゆるく解けて、顔を見合わせてそっと笑う。

 そしてわたしたちは、今度はちゃんと落ち着いて話し合う。怒るのではなく、文句を言うのではなく、でも言いたいことを冷静に。

 大丈夫。うん、きっと大丈夫。

 だって話し合いが終わったら、二人でアイスを食べるのだから。




   * * *


 六日目お題「ホットワイン」


 shinobuさんからいただきました!

 https://kakuyomu.jp/users/heartrium

 https://twitter.com/heartrium


 ありがとうございます!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る