四日目 クラムチャウダー
彼女の部屋に行くと、台所にあさりがあった。彼女はあさりを前にスマホと睨めっこしている。
「あさり見たらクラムチャウダー食べたくなって、作ろうって思って材料買ってきたんだけど、あさりって一晩砂抜きしないといけないらしくって、それでどうしようって」
グレーのパーカーに膝が出る丈のスパッツ。いつもの部屋着の彼女は、困った顔をしていた。
「じゃあ、クラムチャウダーは明日にして、今日は何か食べに行く?」
彼女はぱっと顔をあげて、えへへと笑った。
「うん、そうしよう。砂抜きしてから出かける準備するね、ちょっと待ってて」
そうして彼女は塩水を作り始めた。俺は隣で見ていた。
「ええっと、タッパにあさりを重ならないように入れて、塩水はひたひた、あたまが出るくらい……? え、あさりの頭ってどこ?」
そんな彼女の様子が可愛いな、と思ったのだけれど、作業中にちょっかいを出すと怒られることはわかっていたので、俺は我慢して彼女の様子を眺めていた。
「蓋をして、冷蔵庫か」
彼女はタッパに蓋をして、それを冷蔵庫に入れた。その日はそれで準備は終わり。二人でチェーン店のファミリーレストランに行った。
彼女の部屋で同じベッドで眠ったその日、夢を見た。
夢の中で、俺は海の中に沈んでいた。水面を見上げながら泡を吐いていた。その泡がゆらゆらと水面に登ってゆく。
蜃気楼は貝が吐くものだったっけ、なんて思い出した。
しばらくそうしていたら、人魚が泳いできた。人魚は俺の前までやってきて、俺の顔を覗き込んだ。
ショートカットの髪に大きな瞳。それは彼女だった。
俺が手を伸ばすと、彼女は俺の手を握ってにっこりと笑った。そして、俺の体を引っ張って泳ぎ出す。
俺は彼女が泳ぐ後についてゆく。水面が近づいてくる。
そうして、俺は目が覚めた。
目が覚めたというのに、部屋の中がおかしい。そこは海の中だった。
ひょっとしてまだ夢を見ているんだろうか、と思ったのだけれど、隣で彼女が「やっと起きた」と笑っている。人魚の姿じゃない、いつもの部屋着の彼女だ。
どうやらやっぱり夢から覚めたところらしい。
「これ、どういう状況?」
海の中だけれど、彼女とは普通に会話できた。だからそう聞いてみたけれど、彼女は首を傾けた。
「わからないんだよね、目が覚めたら、こうなってて」
「そっか、目が覚めたら」
俺は周囲を見回す。彼女はくすくすと笑った。それから、夢の中の人魚のように俺の手をとって引っ張った。
「行こう」
「行くってどこへ?」
「どこか」
彼女は笑って泳ぎ出す。気づけば周囲にはたくさんの貝が泳いでいた。これは、あさりか。どうやらクラムチャウダー用に買ったあさりが泳いでいるらしい。
「砂抜きは出来たのかな」
「出来てたよ。今は、茹でているところ。口が開いたら中身を取り出さなくちゃ」
彼女は楽しそうに笑っていた。好奇心があって、気になることをやってみたくて、でも危なっかしくて、俺はそんな彼女が好きなのだ。
だから俺は、彼女と一緒に泳いでいた。
「次はなんだろうね」
「あさりの次は、野菜かな。玉ねぎ、にんじん、じゃがいも」
歌うような彼女の言葉に合わせて、野菜が海の中を流れてくる。いや、もしかしたらこれは泳いでいるのかもしれない。
まるで魚のように、野菜は海の中を泳いでいた。俺たちを取り囲んで、くるくると周りだす。
「それからベーコンも」
角切りにされたたくさんのベーコンまで泳いでくる。その光景は幻想的というよりもシュールだった。
だというのに彼女はやっぱり楽しそうで、ずっと笑っている。だから俺は、まあ良いかと思って彼女と泳いでいた。
「でも、そろそろお腹が空いたかな」
俺の言葉に、彼女が振り向く。
「これから煮込むんだから時間かかるよ。もうちょっと待ってて」
「じゃあせめて」
手を伸ばして、俺は彼女の体を引っ張る。柔らかく、その体を腕の中に閉じ込める。彼女の息を呑む声にならない声。そんな様子も愛おしいと思った。
彼女の手が俺の背中に回されて、そしてぎゅっとしがみついてくる。
気づけば台所で、二人立っていた。俺は彼女を抱きしめて、腕の中にその体を閉じ込めていた。
彼女が俺の胸を押す。
「料理中は駄目」
仕方なく、俺は彼女を解放する。
台所にはむき身のあさりと、ちょうどいい大きさに切られた玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、それからベーコン。鍋を温めてバターを入れると、良い香りが漂う。
そうして、彼女と俺は二人でクラムチャウダーづくりを再開したのだった。
クラムチャウダーの出来上がりは当然美味しく、彼女もとても満足した。俺も彼女の顔を見ながら、幸せな気分になっていた。
* * *
四日目お題「クラムチャウダー」
tomoさんからいただきました!
https://kakuyomu.jp/users/switchback2376
https://twitter.com/switchback_2376
ありがとうございます!
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