第6話

 これを恋と呼ぶのなら、恋ってなんて苦しいのだろう。


 恋なんて知らなければ、こんな辛い思いをしなくてすんだのに。

 これなら、退屈なままの方が良かった。



 ドアがノックされ、返事をする前に母が私の部屋に入ってくる。


「仕事は?」

「休んだに決まってるでしょ」

「そんな簡単に社長が休んでいいの?」

「いいのいいの」


 母は、私が寝ているベッドに腰掛ける。

 多分今の私の顔は、枯れる程流した涙の痕で酷い事になっているだろう。こんな顔、母にも見せたくない。


「それで、何があったの?」


 母は、背を向ける私の頭を優しく撫でる。


「別に、何もない。ただの風邪」

「はあ、何年あんたのお母さんやってると思ってるの? 分かるわよ、何かあった事くらい。話してみなさい」


 そんな事を言われても、こんな事母に言えるわけがない。

 もし、母に引かれたら、私は一生立ち直れない。


「何もない」


 拒絶を察し母は立ち上がった、と思ったが、母は私に馬乗りの状態になり、両手で頬を挟み無理やり目を合わせる。


「お母さんにとって一番辛い事はね、娘が辛い時になんの力にもなってあげられない事なの。本当に話したくないなら話さなくてもいい。でも、これだけは覚えておいて。お母さんは何があっても、絶対に貴女の味方だから」


 力強い真っ直ぐな瞳が、私の胸を射抜く。

 枯れた筈の涙が瞳を濡らす。


 ああ、やっぱり、お母さんは優しくてかっこいい。


 ポツポツと話す私の言葉を、母は静かに聞いてくれた。

 全てを話し終えた後、母は一度私の頭を撫でた。


「なるほどねー。それで、あんたはどうしたいの?」

「どうって……」

「学校行きたくないなら、辞めたらいいよ」

「え?」


 あっさりと言う母に、思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。


「そうしたら、うちの会社で雇ってあげる。うちは学歴なんか関係ないし、皆あんたの事大好きだから、すぐ馴染めると思うわよ」

「いや、ちょっと待って。色々わけ分かんないけど、一つ。なんで、お母さんの会社の社員さんが私の事知ってるの?」


 母の会社には行った事はないし、当然社員さんと面識はない。


「そりゃ、私が毎日自慢してるからだよ」


 こいつ、何やってんだ?


「ま、そういうわけで、うちの会社はいつでも大歓迎。そもそも、会社を作ったのは、こういう時の為だしね」

「どういう事?」

「ダメだった時の保険があったら、思い切って挑戦できるでしょ。あんたが何の不安もなく、やりたい事に挑戦できるように、あの会社を作ったの」


 さらっととんでもない事をぬかしやがった。

 私の為に会社を作ったって事? いかれてるな。


「で、どうするの? 学校辞める?」

「……」

「迷うって事は、未練があるって事だよ。秋風ちゃんとちゃんと話したいんでしょ」

「でも……」


 話したいよ。一方的に叫び散らかして逃げた事を謝りたい。もう一度、あの笑顔が見たい。

 でも、もう二度と、あの笑顔が私に向けられる事はない。


「怖いよね。分かるよ。今よりもっと傷つくかもしれない。でもね、ここで逃げたら、その傷はずっと貴女の心に残り続ける。お母さんは、逃げる事が悪い事だとは思わない。けど、人生で何度かは絶対に逃げちゃいけない場面があるの。貴女にとって今がそう。酷い事言ってるのは分かってる。けど、お母さんは貴女に後悔してほしくない」

「私は……」


 ピーンポーン


「こんな時間に誰かしら?」


 母は訝しみながら部屋を出る。


 分かっている。逃げちゃいけない事は。でも、怖いよ。どうしても勇気がでない。

 昨日の通知は、秋風からのメッセージだろう。それを見るのも怖い。


 携帯を手に取る。電源ボタンを長押しすれば、きっと秋風からのメッセージが表示される。

 手が震える。怖い。きっと酷い罵倒が……違う。秋風はそんな事いう子じゃない。それは分かってる。けど、やっぱり無理だ。


 携帯を置き、布団に包まる。


 コンコンコン


 母が戻ってきた。こんな情けない娘の姿をみたら、母も呆れるだろうか。


「お客さんよ」

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