はぐれていく

鈴木 優

はぐれていく 第一章 東京

   はぐれていく

 

      第一章 東京


 岸壁が、どんどん離れていく

  淋しさより期待と興味、これで抜け出せると強く感じていた

 

 十九歳 相変わらずダルダルな不規則な生活を送っていた 

 高校を中退してから、目標なんてカッコイイもんはもちあわせていなかった 考えないようにしていた

 去年の暮れに東京へ行った奴等がお盆に帰ってくるらしい

 久し振りに会う奴等だ 恐らく思いっきり東京風吹かせ、東京に被れ現れるのだろう 半分煩わしく、半分懐かしい どんな顔で会えばいいんだろう? なんて俺なりに思ってる

 

 『これってカマロ?』雅はガタイも良く喧嘩も強い 小学生からの仲間

 『なんだオマエはローレルなんか乗ってんのー 向こうで買ったのかー』 ベタベタに車高を下げているやつに乗ってるのはダー コイツは雅が行ってた高校の同級生 少々 気が弱いが女にはモテていたハッタリ野郎だ 後は照 コイツの事は、あまり覚えていない

 『明日なんか用事あんのか?』雅が聞いている 流しに行こうと誘っているのがあからさまにわかったし、見せびらかせたいのもわかっていた

 地元に残っている仲間達とその日は夜中まで騒ぎまくっていたのを昨日のように覚えている 同時に俺だけが"はぐれている"ような気がして悔しかったのを覚えている

 

 『雅 これっていくらしたんだ?』

 『百五十万位かな〜』

 サラッと言いやがった そうか〜東京だと稼げるんだなァ

 繁華街の道をただグルグルと流していた

 『おい優、オマエも来ないか 一緒に東京行かないかァ』雅は、親方に こっちに来たい奴がいたら連れて来い みたいな事を普段から言われていたそうだ 確かに雅と一緒だったらなんでも出来る気がするし、怖いものもなかった

 東京には憧れもあったし、同じ旗振っても東京ならバタバタ音を立てて靡くだろう 一発勝負するならやっぱ東京だろう 雅は今日に限って饒舌だった 少し大人になったように見えたが 十九位の兄ちゃんが、一度は、さも考えつきそうな事である 気持ちはあった むしろ俺の事を誘ってくれた雅の気持ちが嬉しかった 電話で雅は"優は元気か アイツ今何してる"普段から聞いていたらしい 俺には何も言わないくせに

 アイツらが東京に行くと聞いた時、なんとも言えない気分だった 悔しさ、淋しさ、後悔があった やっぱりあの時に行くべきだった いつも思っていた この約半年間 俺はと言うと二つ下の床屋で働いている裕美と家賃一万の貸し間で同棲と言う名の、ほとんどヒモ状態だった

 『裕美、俺 東京に行こうと思う 取り敢えず半年 正月には帰って来るから』適当な自分だけの都合で言っているのはわかっていた 同時に別れも含めての言い訳だった

 彼女は俺に対して尽くしてくれているし、何より途轍もなく可愛い しかし、愛しているかと言われると違う気がしていた

 お互い淋しい時期に知り合ってズルズルと纏わりついていたに違いないだろう そんな俺の為にも彼女は泣いてくれたし、すがってくれた 少ない給料にも関わらず、黙って二万円差し出してくれた

 元気でいてくれて居るのを心から祈る

 

『雅 俺行くわ 東京行って一緒にやるわ』

 

『優 お前の事だからそう言うと思ってたわ』

 二人してただニヤニヤと笑っていた 

 一応、親にもその旨を報告と言うか、意志を伝えなきゃーなと内心"面倒くさ"と感じていた

 高校を中退してから家には殆どいた事が無かった と言うより中学生の頃から親とはあまり絡まなかった気がする

『東京なんかに行って何すんだ お前の考えてる事はいつも適当なんだ どうせ今迄みたいに中途半端で終わるんだ』親父は予想していた通りの罵倒じみた答えだった

 お袋は、横で少し冷めた感じで聞いていたように思えた

 

 そうかーお前が決めた事なら一生懸命頑張ってこい 悔いのないようにやれ! みたいな事を期待はしていなかったが、やっぱり思ってた通りの返しだった  ドラマのようには行かないのが現実、リアルだ また"はぐれていく"自分がいた

 

 仕事の内容については雅から色々聞かされていたが、なんかよくわからなかった いきゃー何とかなるだろう 若さとはいえ何と浅はかと言うか適当なのか

 住むのはプレハブの宿舎と聞いていたが、飯場だ 飯は親方の奥さんが賄っていてくれた 二階の十畳程に 雅 ダー 照 俺に、後は飲兵衛のオッサンの五人でごろ寝 風呂は三人が一度に入れる位の広さ 洗濯機は、たま〜に蹴りを入れてやりたくなるような古い汚ねーやつが二台

 不住は感じなかった 東京に居るんだと思うだけで楽しかった でも、相変わらず金は無かった

 後から知ったんだけど、ここの飯場にいる奴等はみんな、田舎が一緒、親方を頼って来た連中ばかりだった な〜んか垢抜けしてないし、って言うよりカッペくせー

 仕事は大変だったけど毎日が楽しかった

 直径約六メートル位の穴?隧道?を掘っていく ヒトスパン三尺、約九十センチ掘っていく毎にコンクリートでできたものをはめていく これの繰り返し 後で知ったんだけど、シールド工法って言うらしい

 雅と俺は進む毎に水を混ぜて柔らかくなった残土を代わる代わるベルトコンベアーに切り落としていく役割 一番ハードな場所 難しい事は何もない ただひたすら掻き出す これの繰り返し 確かに金の値はあった

 一ヶ月後の給料日 来た時に前借りしていた分を引いても

 三十万程あった まともなら五十万位あるんだろう 十八、九の兄ちゃんがこんなに ビックリだった ドッカーンだった 因みに四十年以上前である

 初の稼ぎの中から十万と札束を広げた写真を実家に送ってやった

『お前、なんか悪い事してないか 直ぐ帰ってこい』マジでマンガみたいな話しだった

 半年位して現金で車を買ってやった フェアレディゼット 大改造してやった

 調子にのってたんだろうなー

 毎週末 新宿に行っていた カマロにフェアレディにローレル 三台で走ってると目立たない方がおかしい その内、地元の暴走族に捕まり 観念していた時

 そいつらの先輩らしき奴の中に田舎が一緒らしい奴と仲良くなり集会?なるものにも行った事がある 『誰々の先輩の知り合いだからなー』みたいに紹介された

 『おいおいおい雅どうするーこれって俺達仲間になったって事なんじゃーねーのー』なんか面倒くせーなと思っていた オマケにその先輩って奴 明らかにカタギの感じはしなかった

『気にすんなよ!適当に付き合っとけばいいさ』雅は、さほど気にしていない様子だ

 ダーはかなりビビりまくっている感じ 照は相変わらずヒョーヒョーとしていた

 週末、いつものように駅の側の定食屋で食事を済ませ、いつものように車の側でくだらない話しで盛り上がっていた

『ダー、声かけて来いよー』雅がなんか話かけているのが聞こえた みると、あっちも三人 こっちも三人 

『貴方達、最近よーくここにいるよね〜』彼女達の方からが早かった 浜トラの女 花柄のワンピースの女 丸顔の女 声を掛けてきたのは浜トラのお姉ちゃんだった ま〜車は三台だし丁度いいので一人づつ載せる事になり 取り敢えず何処に行こうか? こんな時は地元のお姉ちゃん達に聞いて、確か今の幕張辺りに行ったような気がする

 ワンピースの彼女は緊張しているのかあまり喋らない 俺もだけど 因みに梨花と言うらしい その時にはお互いあんな風になるとは思わなかった

 三ヶ月が過ぎた頃、俺とダーが府中に行かされる事になった

『ダーどうする?遠いよなー お前、舞ちゃんに言ったのか?』舞ちゃんは、あの時ダーが乗せた丸顔のお姉ちゃん アレからいい感じになっている 最近は別行動が多くなってきていた 俺も人の事は言えず梨花とは毎日のように会っていた

『優は梨花ちゃんに話したのか?』俺の腹は決まっていた

『あー 俺は毎日でも会いにいくよ』ダーは暫く俺の顔をマジマジと見てから 『俺もそうするわ』

 お互いにバカな事をしようとしている でも止まらなかった府中から江戸川まで毎日なんて

 仕事が終わり、高速乗ってまた帰る 恋は盲目とはよく言ったもんだと まさか俺が?なんて

 その内、ダーはいつのまにか仕事を辞めていた

 雅も現場が終了と同時に辞めていた 照の事は未だわからない

 梨花はいつも来ているのを凄く申し訳なさそうに思っていたに違いない 『梨花〜結婚しようか』俺十九歳 梨花十七歳 梨花は黙って頷いてくれた

 シールドの仕事を辞めて江戸川に戻り、先ずは仕事を探す 梨花とよく会っていた喫茶店の側に看板屋の募集があったのを思い出す 履歴書なんて書いた事ないし『看板屋と言う事は絵も描くし、字も書くよな〜?』自慢じゃないけど絵心はないし字は上手いとはいえない『駄目だ 終わった』でも次の段階に移るには『仕事もしてない奴に』って事になるよなー 梨花の為にもそうしなきゃ---

 金がないから車を売る事にした 以前から溜まり場になっていた整備工場の兄ちゃんに相談したら是非売って欲しいって奴がいるらしい 以前からよく持ち込んでいる時から見ていたらしい 早速そいつに話をつけて結局、百万位で売る事にした 正直赤字だったが急いでいる事もあり、何より先に進まないといけない事情もあった

 アパートを借り、家具と家電を揃えて取り敢えず暮らせるようになるまでに半分位使った

 次が一番の難所と言うか大敵

 梨花のお袋さんにはちょくちょく会っていたし、食事にもよんでもらっていたと言う事もありお互いの意思は伝えていた

 後は空手二段の父親を攻略しなければ 正直、面倒くさいと言うより本当は怖い こんな気持ちになるのは中々無い

『はじめまして、娘さんとお付き合いさせて頂いてます』違うよなー 色々な事を考え過ぎて頭がパニくってわからなくなってきた ヤバッ!これ絶対殴られるわ

 結局、なんて言ったのかよく覚えていない ただ最終的には喜んでいてくれたと思う なんでかと言うと、 最後は皆んな泣いていたのを覚えている 帰りに父親が差し出してきた手を握りしめたのを覚えている 梨花とアパート迄の帰り道 その時に子供の名前を決めた

『枝里子』小さな木の枝にひっそりと咲く花の意味を込めて

 梨花は妊娠三ヶ月 秋には父親になる 俺十九歳 まだ肌寒い夜だったと思う

 二人で買い物の帰り 何が原因か覚えて無いが口喧嘩の途中 梨花には内緒にしていた指輪を渡した 梨花は黙って開いて涙ぐんでいた 本当はちゃんとプロポーズして指につけてあげる予定だったんだけど タイミングがつかめず自分自身にイラついていたんだと思う 

 看板屋の初日、先ずは段取り的な部分を教えると言う事で『ちょっと見てて』親方は見た感じまだ若いらしいが職人気質で口数が少ない人みたいで"見て覚えて"的な人だ だがなんか暖かい気がした

 ジグソーでプラ板を字の型を切り抜き、特殊な接着剤で貼り付けていくものだ 俗に言う 袖看板?て言うのかなァー 地元の商店街や高架下のスナックなどの客が多かった 多分 人柄なんだろう 俺みたいのにも優しく接してくれていた

 俺の事はいつのまにか優と名前で呼んでくれていた その日はメトロ街にあるスナックの袖看板が酔っ払いに蹴飛ばされ破損したらしく、補修が出来るか見に行く事になった コッパ微塵であった 親方はスナックのオーナーの方と打ち合わせしている間、そこのマスターとなんか色々と話していた『中見てみる?』中央にミラーボール、赤茶色のボックスシートが四組、カウンターと ザ.スナックって感じ 昭和では王道な高級な感じがする店

 "あーこの人はあのカウンターでコップかなんかを磨いてるんだろうなー"似合いそうだ

 俺なんかとは全然タイプが違う感じ

 後で知った事だがマスターはオーナーの息子さんでママさんは母親 オーナーは他にも不動産屋かなんかやってるらしく、歳は二十六 去年結婚したらしい 日大卒でコンダクターをしていたらしい

 工場に帰ってから親方に募集の張り紙があったのを何気なく聞いてみた『やってみたいの?』決して看板屋が嫌なわけではなく 仕事が終わってから何時間かアルバイトしたい旨を伝えた

 なんせ稼がないと、生まれてくる子供には不住な思いはさせたくなかったし、今のままでは車を売った時の残りを切り崩しながら暮らさないといけない状態 アソコなら親方曰わく結構いい感じだし、当時で時給千円位だった気がする 夕方、看板屋から帰って、七時位から五時間位 正直キツそうだか、体力には自信があった

 今考えると アパートの近所の人はどう思ってたんだろう

 夕方、汚ねー作業服かツナギで帰って来て、夜にネクタイ締めて出かけて行く 若い兄ちゃん どう見ても不審者

 夜アルバイトしている事は梨花の両親には内緒にしていた 偏見ではないが、なんか後ろめたさがあった

 マスターは紳士で人当たりも最高 その接客の様子を厨房から除いていて"大人だなぁ〜"

 暫くしてママから『アンタは今日から健だからね よろしく』あん?意味がわからなかった 名前、本名の一文字かららしい "源氏名"らしいピントこなかった

『健〜』マスターがカウンターから呼んでいる ネクタイにベスト 典型的なボーイさん

『こちら、伊藤さん ママのお友達だから失礼のないようにね』なんかブルジョアな奥さんって感じ ブランド物を身につけて普段はオープンのビーエムダブリュー 週に二、三回来ていて今は客として挨拶する程度 確かに毎度、結構な金は落としていってくれていた いつもはママを含めボックス席なのに、今日は珍しく一人でカウンター『健ちゃん そろそろ慣れた?まだ十九なんだって〜』たわいもない話で二時間ほどで帰った 次の土曜日 伊藤さんがカウンターに座り『ママ〜健ちゃんはー』かなり酔っているのは直ぐわかった カウンターに座り俺を呼んだいる

 なんか煩わしい『いらっしゃいませ 伊藤さんご機嫌ですねー』なーんて言ったと思う

『はいコレ』なんか細長い箱に入っている物を差し出して『プレゼント』 はっ?目を見るとなんか大人の色気を感じたのを覚えている 年の頃は四十代後半 その割には若く見えて小綺麗にしている 初めて年上の女を意識したように思えた

 箱を開けるとセンスの良さそうなネクタイが入っている『ちょっとつけてみてよー』ブランド品! 『やっぱりこっちにして正解だった もう少し派手なのにしようと思ったけど 健にはこっちがいいよー』いつの間にか、健になっていた 呼び捨て?

 それから店に来る時は必ず呼んでくれた 高いブランデーも入れてくれた オマケに『タクシー代』ってチップもくれた

 看板屋の方は相変わらず行っていた 正直、行っていただけって感じになっていた 親方にはなんか、申し訳なさがあった 後ろめたさみたいのがあったそんな俺の様子を感じとっていたんだろう 親方が『飯でも食いに行くかー』『優、今のままではお前自信の為にもならないし、将来どうしたいのかハッキリする方がいいんじゃねーか』親方は何より、俺の身体の事を心配していてくれたんだと思う 普段 口数が少ない親方 本当にありがたかった なんか泣けてきた 

 マスターに相談すると『お前次第だよ 将来の夢は?』夢と聞かれても? 何もないのだ 何になりたいのか、どんな風にして生きて行きたいのか 何もないのだ ボウズなのだ マスターも凄く可愛がってくれていた 休みの日には、マスターの住む豪邸に梨花も一緒に連れて行っていた マスターも奥さんも弟や妹のように接していてくれていた 

 結局、夜、一本でやって行く事に決めた 親方には本当に感謝している マスターも親方に一緒になって頭を下げてくれた

 梨花は、あまりいい顔をしなかったが、稼ぎは夜の方が良かったし 何しろ十九の兄ちゃんには華やかな世界に見えた

 久し振りに伊藤さんが来るらしく、ボトルと、この間のお礼も込めてフルーツの盛り合わせを出す事にした この頃にはマスターのフォローなしでもメニューの全てをこなす事が出来ていた メニューと言ってもスナックで出す程度の物で フルーツの飾り切りとか、オードブルの揚げ物が面倒なくらいだった

 何より、料理をするのは何となく楽しかった

 伊藤さんにはフルーツを出そうと考え、少々アレンジしながらメロンの切り方、バナナやイチゴの盛り付けに工夫していた

 『健〜 伊藤さんみえたよ』ママが呼んでいる

 『健ちゃ〜ん元気だった〜』むせ返るような化粧の匂い 最近やっと慣れてきた 最初の頃は頭が痛くなった事もあった

 勿論、梨花も感じていたに違いない ましてや妊婦にはあまり嗅がせたくない匂いだった

 歌には多少自信はあったが、こう言う場面には十九の兄ちゃんが好んで歌う曲は不似合いだった 普段はあまりカウンターから出て客とボックスに座る事なんかないが、伊藤さんの時は暗黙の了解だった 『健ちゃ〜んデュエットしよう』出た! いつものやつ

 "このオバハン、いやらしいのか、欲求不満なのか"って位 まとわり付いてくる たまに股間を弄られる事もしばしばあった

『ねぇ健ちゃん 明日って何してる?私に付き合ってくれない』ついに来たか〜 いつかこんな日が来るんじゃーないかなァ〜とは思っていた ママも聞かないふりしているのが、あからさまだった

『別に何も用事も無いし、いいですよー』 梨花になんて言おうか考えていた 嘘をつくのも変だし そのまま伝えるのも如何なものか?

『マスター、梨花になんて言ったらいいでしょう』俺の顔をニヤニヤして見ている

『俺んとこで店の装飾の事とか何とか言えばいいじゃん 俺の事 出汁にすれば梨花ちゃんだって変に勘繰らないだろう』流石だわ〜ってか、行く気満々でいる自分がいやらしく思った 明日何が起きるのか十九の兄ちゃんでも何となく想像できた 厨房で鏡を見るとスケベな顔をしている奴がいた

『十時頃、駅の前でね 迎えに行くから』いつものようにジーパンにティーシャツ 後ろのポケットに財布

 例のビーエム サングラスに薄いブルーのワンピース『乗って乗って』何処へ向かっているのやら検討もつかない 初めて通る道 伊藤さんは慣れた感じで運転している たまにこっちを見てニコッと笑っている 

 今思えば確か錦糸町の辺りだったのかなァ? 他愛も無い会話が三十分位して目的地に到着したらしい そこはいかにも高そうな紳士服屋ってかブティック?

『健ちゃん、好きな物買っていいよ〜』えっ! 正直 圧倒されていた こんなとこ来たことないし 大体なんでもいいと言われても 伊藤さんは何か気になる物があるらしく 俺はと言うと店員にベタ付きされて

『サイズは〜』とか『身長は〜』とか『お好きな色は〜』色々聞いて来る 帰りてー その内、変な汗が出てきた

 結局、店員に言われるままに サマーセーターみたいのにしたと思う

 伊藤さんの声がした

『健〜』いつの間にか呼び捨てだった

『私が店に行く時は、これを着てきてね』渋い感じのダークグレーのスーツ ベルトにピンクのシャツ オマケに靴 フルセットだった

 おいおいおい〜これってツバメってやつ? これも言われるままだった カードをパッと出して『一回で』カッコよかった〜

 シャレたレストラン 今で言えばカフェ?みたいな所で食事してアイスティーかなんか飲んでる時 『ねぇ健〜何処か行きたいとこないの〜』意味深な感じだった

 午後一時を過ぎた頃だったのをなんか覚えている

 結果、伊藤さんは、年の割にはいい身体していた

 "コレどうしよう マスターの所に行ってるはずなんだから このまま持ち帰るのは変だよな"梨花になんて言おう その事ばかり考えていた

『ただいま〜』奴等を普通にタンスにしまい 靴は箱から出して普通に靴箱へ

 梨花は何も聞かなかったから俺も話しはしなかった

 三日程経った頃 何気にゴミ箱を見ると、なんか黒っぽい皮?のような物が三センチ位にたくさん捨ててあった ん?

 切り刻まれたベルトだった ヒア汗と同時に固まった

 梨花 ごめんなさい 俺は大変反省しております

 これが夏もそろそろ終わりを迎えた怖〜い話しです

 梨花、八か月

 梨花は普段からあまり感情を出さないタイプだが、たまに意見する時は 筋が通った事を言える女だった 常日頃、"女にしとくのは勿体無い"とさえ思わせる所がある 敵にすると怖いタイプである

 土曜日がきた 

『さ〜てと支度するかァ』いつもは言わないセリフ

 "何言ってんだ俺"タイミングをはかるようにチャチャッと済ませてソファーに座ってタバコに火をつけ、大きく息をした

 『似合ってんジャン』

 梨花が見ている 俺のスーツ姿を見るのは初めてだと思う 自分でも最近はいつ着たのか覚えていない程、かけ離れた生活をしていた

『土曜だからいつもより少し遅くなるかもしれないから』

 例の靴を履いている時、梨花がいつものように玄関まで見送ってくれている

『じゃーね』俺

『行ってらっしゃい』梨花

 なんか、ホッとしていた と同時に階段の最後でコケまくった

 梨花は窓から手を振っている

 俺も何もなかったかのように手を振っていた

 元々、あまり酒は強い方では無く カウンターに着くようになってから客に勧められると断る訳にもいかず 店の売り上げにも貢献せねば感覚で呑んでいた 見てないうちに半分くらい捨てたりしていた

 そろそろ伊藤さんが来る頃

『いらっしゃいませ〜』客を出迎える嬢達の声

 三人の奥様方の一行の中に伊藤さんが居た 一瞬こっちを見て直ぐに予約席についた

 あれ位のオバ様方が揃うとこっちの方が気をくれしてしまう

 オマケにママが加わっている

 嬢達がチャームやボトル おしぼりを運んでいる間からテンションが上がっていた

 少ししてから伊藤さんがカウンターに来た

『健、カッコいいジャン 似合ってるよ!』

 いつもはシャツにネクタイだけだが、今日はジャケットも着た

 何かメモらしきものを渡された

 "後、三十分位したら先に表で待ってて"えっ?何だこれ?どうしよう

 勝手に店空けるわけいかないし、どうしたもんだろう 先ずはマスターに伝える事にした

『あのー マスターこれってどうしたらいいでしょう』

 即答だった

『伊藤さんだろう いいよ行ってきな』

 見ていた?なんか知ってる?

 素知らぬ顔をして店から出た

 伊藤さんは少し酔っている感じでニコニコして抱きついて来る

 そう言う事なんだよなァ〜

 これが情事ってやつ?

 約三時間位してから店に戻って何食わぬ顔をしていた

 マスターは時折 俺の方を見てニヤけている

 閉店の時間が近づき"そっとおやすみ"を歌うのが俺の仕事

 今日は土曜の割には入りが少ない方だったが疲れた 体力的にも

 久し振り何も用事がない日曜日 梨花とマッタリ過ごしている時が一番安心出来る時だった

 考えて見たら、最近、梨花には淋しい思いばかりさせていた

 生活は裕福とは言えないが安定はしていた

 自分の不貞と梨花への裏切りを代償に変えて.... 

 そんな事を考えながら梨花の後ろ姿を見つめていた


 いつものように開店準備が終わり、勝手口でタバコを吸っている時 ダーと舞ちゃんの姿が目に入った

『ダー、おい元気だったのか?

 舞ちゃんも久し振り』

 ダーはあれからこっちに戻ってきて舞ちゃんの父親がやっている土建屋で働いている事、あの時、飯場で世話になった親方や照が今でも成田で穴掘りをしている事、雅が鳶をやっている事を教えてくれた

 ダーは俺を見ながら『優は今、何してんの』店を指差して『ここにいるから今度、雅 連れてこいよー』ダーも舞ちゃんも幸せそうだった

 次の土曜日、ダーが雅を連れてやってきた

『優〜お前元気だったのかー辞めてこっちに戻ってきてるのは聞いてたけど 梨花ちゃんも元気なのか〜一緒なんだろ?』雅は矢継ぎ早に聞いてくる

 アレからこっちに戻ってきて、車を売ってアパートを借りた事、看板屋に勤めた事、何よりも、もう少しで父親になる事 色々話した

 雅とダーは全然変わっていなかった

『雅、鳶やってんだって?』


 『今はまだテコだけど、来月辺りから東名高速の補強工事で少し忙しくなるんだ〜』


『優は、ずっとこの仕事やっていくつもりなのか?』

 雅は時折 厨房の方を見ながら話していた マスターも聞いていたと思う

『今、やりたい事もないし、暫くは頑張るわ』

 雅はなんか不服そんな感じだった ダーはと言うと、嬢とニヤけながら盛り上がっている様子 相変わらずだ

『そろそろ帰るわ その内遊びに行くからよ 梨花ちゃんの顔も見たいしな!』雅は、何かを感じとっていたように思えた


 『昨夜なー雅とダーが来たさ』

 梨花も凄く懐かしがっていた

 その内、顔出すって言っていた事も伝えた

 雅にあってから何となく仕事に身が入らない 他の奴等は順当に進んでいるようにみえた 別に、今の所なんの不満は無いし稼ぎの方も悪くは無い

 でもなんか足りない 満たされていない気がしていた

 あの時、雅が来たのは もちろん久し振りに会いたいと思って来てくれたんだろうし、俺も嬉しかったんだけど、帰り際に俺の顔を見た時の雅の様子が気になっていた

 そんな事を思いながら数日が過ぎた頃、梨花が『お店でなんかあったの?』ギクッとした 俺は伊藤さんとの事を言われているように思えた 明らかに後ろめたいのだ

 梨花はそんな事を思って聞いているのではなく、素直に心配してくれているのはわかっていた 食欲が落ちて少し痩せていたせいでもあるが

『梨花 仕事の事 どう思ってる? 嫌じゃ無い?』

 梨花は暫く間をおいて

『それは健が、自分自信が思っていることなんじゃない?満足してないんじゃないの?』

 図星だった 

 思えば、何となく看板屋にいた時 今の仕事に移って 何となく毎日を過ごしている そんな時 雅とダーが現れた 


 東京に来た時もっていた憧れ、期待、胸膨らませ意気揚々としていた気持ち それが今は、薄れていた いや、無いに等しいと言っていいだろう

 梨花が言う

『私とこの子は大丈夫 優が元気でいてくれないと! らしく無いよ!』相変わらず一言が重い

 "らしくないか〜 そうだよなァー"


 平日なのに雅が一人でやってきた

『よっ!明日から暫く出張だし忙しくなるからよ』雅は昔からあまり酒は飲まない まだ開けて直ぐと言う事もあり、店には俺だけしかいなかった

『コーラかなんかでいいや あまり時間も無いしよ 車だし』

 前にもこんな場面があったように思えた 昔から肝心な事をしようと考えてる時は雅と二人きりだった

『来月だろう? 俺もちょっと居なくなるし、その前にな〜』

 色々と語っていた 鳶になる時 今までと変わった畑違いな仕事につく事への不安、何より高い所が苦手な事、でも決めたキッカケが 親方が東京タワーを建てた人だったらしい 雅らしい考えだと思っていた

『よ〜優、考えてみないか?鳶ってさーカッコいいんだわ なんかいいぞ〜』

 やっぱりそう言うと思っていた 誘ってる あの時みたいに

『取り敢えず明日早いからかえるわー』

 財布から千円札を出そうとしている

『いいよ、いらねーよ 奢ってやるよ! そのかわり、帰って来たら顔だせよ』

 雅はいい顔しながら笑って帰っていった


 俺は勝手口の椅子に座りタバコを吸いながら、駅に入ってくる電車を見上げている 小さな雨が降っていた

 

 中に戻ると電話がなっていた 普段は店の電話にはマスターが出ているし、こんな早い時間に電話なんて

『健ちゃ〜ん 九時位に行くからね〜』

 伊藤さんだった そう言えば久し振りだ 週末には必ずと言う程来ていたのに 半月振り位だ

 いつもは陽気なイメージだが、今日はなんだか違う 少しやつれているように見えた 口数も少ない

『マスター 伊藤さんなんかいつもと違ってませんでした?』

 難しそうな顔をして話してくれた

『健、ママが言ってだんだけどさー 伊藤さんの旦那 商売上手くいって無いらしいよ』

 初耳と言うか、伊藤さんはプライベートな話しはしなかったし、俺も聞かなかった

 丁度いいと思っていた この辺りが潮時だろう そう思っていたのは俺だけだった

 二、三日経ってからママが、伊藤さんからの伝言?と現状を聞かされた

 旦那さんの会社がパンクした事、別れて田舎に帰る事になった事 幸い子供が居なかったので、揉める事も無かったらしい

 ママが最後に神妙な面持ちで

 語っていた

『健ちゃんがどんどん成長して行く姿になんか応援したくなっちゃった』と言っていたらしい

 次の日、あのスーツを着て仕事をした そして二度と着る事はなかった

 あの人は、俺の人生の中で、ある意味色々と成長させてくれた中の一人である事は確かだ

 

 十月の初め、肌寒くなってきていた頃 いつものように少し遅めの朝メシを食べていた時、梨花が

『お腹が痛い』

 俺は急いで義母に連絡した

 タクシーを捕まえ病院に向かってる途中、梨花の顔がだんだん痛がっているのを見ているしかなかった

『大丈夫だからね 子供を産むって大変だね』

 女って強い

 夕方、無事に枝里子が産まれた 

 可愛かった やっぱり女の子だった 嬉しかった 感謝しかなかった

 

 子供の成長と言うものは早いもんで、寝返り ハイハイ 俺のおしめ交換とミルクの時の抱っこ 中々サマになってきていた

 梨花からは『そんなに抱っこばかりしていると抱き癖がついちゃうよー』

 最近は義母もよく来るようになっていた 初孫は特に可愛いらしい 実の子への可愛さとはまた違うようだ

 雅やダーも俺の姿を見て『本当、変われば変わるもんだわ すっかりパパになっちゃったんだなー』


 『考えてみたか?』

 アレからずっと考えていた 確かに環境も変わり、安定を望んでいたが"鳶"なんか出来んのかなァ 高い所も苦手だし でも危険が伴うだけに給料は破格だ 色々な資格もとれるらしい

『一度、親方に会ってみて それから決めれば』

 梨花も転職には賛成みたいだ

 "そうだよなァー会ってみて直接話聞いて無理そうだったら今まで通りだ"

 雅の段取りで夕方ならいつでもいいらしい 毎週日曜は朝から競艇場に行っているらしく駄目

 マスターには適当に理由をつけて休みをもらう事にした

 

 第一印象は鬼瓦、顔面が凶器

『おう 雅から聞いてたよ 先ず入れよ』声も怖かった

 雅が『迫力あんだろ』ニヤニヤしていた

『兄ちゃん ボーイやってんだって 雅から聞いてッと思うけどタワーやってた時は兄ちゃんと同じくれーの時だ 今が一番いい時だ 俺んとこきて鳶やれ コイツにも言ったけど、甘かーないぞ』言葉はきついが、なんか暖かい 親方には来月の頭から世話になる事にした

 帰りに雅が『なぁー俺の言った通りだろ 顔はあんなだけど面倒見はいい人だから』

 梨花は喜んでくれていたと思う 

 仕事に甲乙つける訳では無いが、嫁の立場としたら"堅気"の仕事についてほしいと思うのが本音だろう

 変に勘繰る事もしたくないだろう

 ふと、例の一件を思い出していた

 梨花は大変 利口な女で感も鋭い

 

『マスター、これまで大変お世話になりました 今月いっぱいで辞めさせて下さい』


『お!やりたい事見つけたか?健が辞めるのは正直、きついし 寂しいよ〜 でも、もう決めたんだろう』

 

 『すいません マスター』

  

 頭を上げる事ができない じっとしているしか出来ない

 

『後一週間かァー 今日も頑張ろうぜ』


 平日の割に入りはいい感じ マスターはオードブルのチューリップを仕込みながら鼻を啜っている

 俺はフルーツのパイナップルを切ろうとしてるが涙が溢れて霞んで見えていない

 二人とも暫く佇んだままでいた

『フルーツとオードブルまだァ〜』声が聞こえているのは二人共わかっていた 

 嬢が入って来たがその様子を見てそっと引き上げていった

 

 この人も色々教えてくれた俺の人生を変えてくれた中の一人だ

 そして、この場所を自分から"はぐれよう"としていた


 年が明けて一月の中頃 東京で初めての雪を見た テレビでは"転び方?"の注意点みたいのをやっている この時期になると当たり前の事だそうだ

 雪や雨が降ると基本、鳶は安全性の問題で作業は休みになる

 親方や長男のドラ息子達は決まって競艇場に行っていた

 このドラ息子、立場をいい事にやりたい放題 何処にでもいる仕方ない奴だ 俺達と年だって五つしか変わらない やたらイヤな奴だ 息子だし、先輩だし、周りも気をつかっていたんだろう

 

 今の現場はなんか凄い物が出来るらしく、浦安なのに"東京なんちゃらかんちゃら"

『雅〜ここ何できんだ?』

 あまり興味が無さそうに

『親方言ってたけど、有名なレジャーランドらしいぞ』

 こんな都心から離れた それも千葉なのに東京って?

 俺達は完成したら入り口部分のやたらデカい変わった形の部分をやっていた 完成は二年後らしい

 これからの東京はどんどん変わって行くだろう

 首都高も葛西から千葉方面に伸びていくらしいし、上野駅も結構な地下に列車が入るらしい

 変わっていくのは周りや人の心も同じである事を後で痛感するとは 今は何もわかっていなかった

 

 最近、特に義母が来ているようだ 以前はよく梨花が話していたが、近頃は枝里子のオモチャがやたら増えていた

 『梨花、お袋達元気なのか?暫く会ってないよな〜』

  梨花の表情が少し変わったと言うか、くもった感じに見えた


 『あのねー お母さんが健と話したいんだって』

『ん?何 改まっちゃって』

 なんなんだろう 今迄に味わったことがない違和感

 

 アレから色々考えてみたが検討がつかない わからない なんの事?そして梨花が変わってみえた気がしていた


 午後になって雨が酷くなり飯を食ったらあがる事に決まったらしい

 帰ると義母がきていた

『ただいま〜雨で半ドンになったわ お母さん久し振りです いつも気ー使ってもらってすいません』

 シャワーを終えてキッチンのファンの所でタバコを吸っていた 

『優さん、ちょっといいかなー帰って来たばかりで疲れてるのにゴメンねー』

 なんかいつもの義母とは違っていた

 

『優さんは長男だし、いつか将来帰るようになるんだよね』

 意味がわからない

『その時は、梨花と枝里子も、もちろん一緒なんだよねー』

 わるい頭をフル回転して整理していた

 "はァー そい言う事ねー 娘や初孫と離れたくないってわけかー

『お母さん、俺考えた事ないし、今はそう言う事言われても』

 梨花は隣の部屋にいたんだと思う 顔が見たかった

 最近、ちょくちょく来ていてそう言う話が出ていたんだろう

 なんか全てが一気に冷めていくのを感じていた


 換気扇の音だけが妙に大きく聴こえていた

 

 梨花とはアレからあまり話していない


 考えてみたら、いずれは帰る事にはなるかもしれないが、それは俺にもわからないし ましてや、一緒になる時からそんな事想像できた事だろうよ!

 "今言うかァー" 誰を責めるような事じゃーないが なんか納得がいかない

 梨花も同じ気持ちなんだろうか?

 

 仕事にも慣れ、それなりに面白みも感じてきていた 最近は親方について一挙一動"盗もう"としていた でも、相変わらず顔は怖い

 気になるのは例の、ドラ息子である なんにつけ口出ししたいようで、俺達はストレス迄はいかないが なんかウザい奴だ

 現場違いの時はみんなが明るいし笑いも多いようだ

 最近、雅が暗い元気がないようだ

『雅、どうした?』

 なるほど、聞くと 最近ドラ息子がやたら誘ってくるらしい

 会うたびに語るらしいのだ

『サーフィン行こうぜ〜』早上がりの時なんか『アジ釣り行こうぜ』

 アイツ、嫁さんも子供もいるのになんなんだか?

 雅のこんな感じは久々に見たようだ 嫌な予感がしていた

 高校を中退する少し前、雅が先輩と勝負した時の事を思い出していた

 先輩とは言っていだが、そいつには二つ上の兄貴がいる その人が凄かった 色々と武勇伝があるらしく、一番は 卒業式の後 一人で学校に乗り込み 担任の先生含め数人をやっちまったらしい その話は当時の地元の学生なら誰もがしっている話だ

 その弟だっつー事だ

 雅がやっちゃった時は俺やダーもいた

『雅〜タイマンなんじゃないのか?

『だよな〜』

 五人は居た オマケにあの兄貴もいた

 "終わった〜"

 あの兄貴は一切手出しはしない見に来ただけらしいが〜?

 このままじゃ雅は間違いなく終わるよなー

 黙っているわけにもいかず 結局は加勢する事になる訳で

 普通、ドラマだと最後は勝ちパターンで終わるのだが そうはいかないのがリアルだ

 口が開かない 物が噛めない あちこちが痛かった

  

 ドラ息子にはそれに似た感情だったらしい

 雅は暫く休んでいる ドラ息子は顔が腫れて目の周りがどす黒くなっていた 親方は機嫌が悪そうだ

 雅とは連絡が取れない アパートにはもう居なかった

 高さんから数日経って聞いた話では 高さんとは職場の班長をしている方で親方の右腕的な存在だ


『この間なー雅がきて いきなり辞めさせてくれって言うんだよー』

 雅はドラ息子の行状が我慢ならなかった旨、喧嘩になった事を話していたらしい 親方がその後 息子を呼びつけ鬼のような形相で何度も殴りつけたらしい

 高さん曰く、親方のあんな顔を見たのは久し振りだったらしい

 雅は、自分なりにケジメをつけたのだろう どんな理由にせよ職場の兄弟子、年も上だしオマケに息子だ 

 雅が頑固なのは知っていたが 何も知らせず 顔も見せないまま 俺の前からも東京からも居なくなっていた 心配を掛けまいと黙って自ら消えて"はぐれて"いく事を選んだ

 淋しかった

 帰り道、嗚咽しそうだったが、我慢しながらボロボロ泣きながら歩いていた

 

 江戸川沿いの土手に晩秋を感じる冷たい風が時より吹いていた

 

 こっちに来て二回目の正月を迎えようとしていたが、里帰りしようとは考えなかった

 枝里子が産まれた事は伝えていたが、それ以来連絡はしていない

 

 雅が地元に戻り板金屋で働いている事は聞いていたが本人から連絡はきていない

 元気でいてくれてよかった

 

 梨花は最近、実家に行く事が多くなっていた 俺に対しては平穏を保っているようだが、明らかになんか違う

 仕事も収入も安定してきているし、子供も可愛い 梨花に対してだけが違ってきていた 


『梨花 なんか言われてんの?お前が考えてる事 言ってやろうか!』

 "俺なら必ず知らんふりはしないだろう くる時が来た"って顔で梨花は俺を見ている

 

 言わなきゃいいのに 口に出さなきゃ それで終わる物を わざわざ事を大きくしてしまう

『お前は、どんな風に言われて何を勘違いしているのかわからんけど そんな脆いもんなら結果はみえてるんじゃないか?

 人に言われた位で簡単に変わるんなら、俺は自分の事は己自身で決めるわ』


 それから三日程、会社の二階で寝泊まりしていた 親方は何も聞こうとしなかった

  

 一度アパートに帰ってみると梨花と子供の物が少なくなっていた 予想はしていたが、正直そこまでとは

 次の日梨花が現れた

『なんだよお前』

 言おうとした言葉が違っていた

『優くん、なんでそんな事言うの 私 帰ってきたのに』

 ボロボロ涙を流していた

 

 未だに思っている なんであんないい方したんだろう

 

 次の日、離婚届を送り、親方に全てを話した

『優 後悔してるなら今すぐ帰れ、そうじゃなかったらここに居ろ』

 帰らなかった 

 

 アパートの後始末は親方が大家に話してくれて処分してもらう事になった

 暫くは仕事にも身が入らない

 

 時折、親方がドライブに誘ってくれたり、何かと気をかけてくれた

『優 なんか気晴らしになるような事しろよー好きな事でもやれ』って言われても?

 

 気晴らしに整備工場に行ってみた 以前乗っていた車を売った所だ


『優さん 久し振り 元気でしたか〜』あの時の兄ちゃんだ

 工場横にプライスがついたセドリックがあった ピカピカしていて申し分ない位かっこよくみえた

 前から乗って見たかったやつだ

『これね〜知り合いからの委託で預かってるんだけど 話によってはもう少し値引き出来ると思いますよ』

 自分が乗っているのを想像していた

 即決だった 後は兄ちゃんに任せて少し手をいれた 

 

 頭の中がイカれていたんだとおもうな〜 もうどうにでもなれって感じだったんだと思う 何も考えていなかった

 でも、子供の事は気になっていた    


 部屋の物を処分する時 親方が立ち会ってくれた 

 親方が言うには、梨花と義母、梨花の友人らが来ていたらしい

 別れ際、これを俺に渡して欲しいと手紙を差し出したらしい

 それと『優の事 宜しくお願いします』と頭を下げていたらしい

 手紙の中には枝里子が笑っている写真が入っていた

 いい夫でもないし、いい父親でもなかった

 若気の至りでは済まされない話もある

 

 ただ毎日 何も変わらず過ぎていく

 会社にいつまでも寝泊まりしているわけにもいかない だからと言って一人で生活していく気にもならなかった

 

 小銭を何枚か用意していつもの公衆電話に向かっている

 

 雅の事が気になり地元の奴等に片っ端から連絡していた

 おそらく、あっちに帰っている気がしていたからだ

『なんかわかった?』

 期待はしていなかったが、そうするしかなかった

 変な里心も沸いていたんだと思う

『優、雅のいる所わかったぞ』

 高校の先輩と暮して鉄工所で働いているらしい

 元気でいるらしい よかった

 アイツの事はよくわかっていたので"大概のことはやってのける"だろうとは思っていた

 アレからあっちに帰って、暫くは実家にいたみたいだが、親とはうまくいかず、フラフラしている時に先輩と出会い そのままの流れで転がり込み 仕事にもありついたらしい

 相変わらず要領がいい奴だ 

『そうか〜来週辺り、また電話するから わかったら何処に連絡したらいいか聞いといて』

 

『優、結婚して子供も居るんだって〜』

 雅から聞いていたらしい

 俺と一緒に鳶やっていた事や東京の子と一緒になって今は子供も居て幸せにやってる事

 雅はそこまでしか知らなかった

『まーなー それなりにやってるわ』面倒臭いんで、そう言っておいた

 

 車の件で兄ちゃんから連絡がきていたらしい

 予想以上の出来だった 


 貯金の半分を梨花に渡し、残りの半分近くを車にかけた

 後は、給料の中から毎月家賃分と食費として六万を奥さんに渡していた 親方は受け取ろうとはしなかったが 流石にタダっつーのもなんだし それでも十分な位残る 二十歳過ぎたばかりの若者が中々稼げない金額だ 鳶とは危険は伴うが、それだけ魅力がある職業だった

 

 アレから二週間、連絡してみた

 雅と会う事が出来て 俺が探していた事、話がしたい事を伝えてくれたらしい 雅は凄く懐かしがっていてくれたらしい

『相変わらず元気だし、懐かしがってたぞー番号言うからメモできるか』

 先輩のアパートには電話が無く 会社に連絡してほしいとの事 六時位には戻ってきているとの事

 何度か連絡してみたが、タイミングが合わず 三度目でやっと声を聞くことができた 

『何も言わないまま 悪かったなー みんな元気なのか?』

 雅が言う"みんな"とは梨花や子供を含めての事だ

 

『雅、俺よー一人になったんだわ』

 雅は『大丈夫だよ 梨花ちゃんは強い子だから なんか色々あったのは分かるけど こうなったら幸せになる事だけを考えてやったらいいさ こればっかりは縁だからなぁ』

 雅は最後に、東京に行く事を誘った事、それによって俺達に切ない思いをさせた事を後悔しているようだった

『正月には帰ってこないのか?』

 予定はしていなかった

『じゃーな また電話くれよ 俺からは親方の家に電話しずらいしよ 元気でな』

 帰り道 いつもより潮の匂いがしていた

 

 正月になると親方の所には色々な人がやって来る その中には そう、アイツだ どら息子も現れる

 別に何の用事は無いが、そこには居たくなかった

 午前中の早い内に出掛けようと向かいに止めていた車のドアを開けた時現れた

 "なんだ来やがったよ"

『これか〜いいじゃん』

 ベタベタ触り、うすら笑いをしながら覗きこんでいる

『今度、のせろよ〜』

 適当にあしらった "お前なんか乗せてやるかボケ"

 なんかイヤミの一つでも言ってやろうと思っていたのだろう

 

 正月って事もあり都内の道はすいていた 特にあてはなかったが、車に乗っている時が一番楽でいられた

 缶コーヒーを飲みながら 海岸の方に向かってみた

 "あ〜随分と出来上がってきたなぁ"去年入り口になる部分をやった現場が見えてきた

 奥にはお城?のような形の物 その横には山? 出来上がりは凄い遊園地になるんだろう 

 その時はその程度にしか思わなかった


 何年か前迄は工事車輌が頻繁に行き交うだけの埋立地

 東京が変わり始めている いつの間にか高速道路も伸びていく 道幅も広くなっていた

 

 こっちに来た頃は見る物全てが新鮮だった

 ビルの間を高速が走り 地下には電車が走っている

 

 丁度その頃 北海道の田舎を題材にしたドラマが始まっていた なんか人気らしい

 

 雅達は元気なんだろうか?

 この時期 雪かきが大変になってきている頃だろう そんな事を懐かしく感じていた


 車の中でテープの音がながれている 好きな曲だ

 

 仕事は順調で何も不満は無い ただこのまま親方の家に居る訳にもいかず部屋を探していた

 

 向かいにある床屋のオヤジの知り合いが、アパートを持っているらしい 古いが、一人で暮らすには充分だ 裏に駐車場もある 風呂は無いがシャワーがある 六畳と四畳半 玄関横にキッチン 家賃は三万でいいらしい

 元々 荷物があるわけでは無いので入居させてもらう事にた 不便はなかったが、なんで壁がザラザラなんだろう?不思議に思っていた

 ベットにテレビ、ガラスのテーブル 食器などは親方の奥さんが用意してくれた 向こう角に公衆電話があったのが救いだった

 大体、部屋には帰って寝るだけだった

 冷蔵庫がない! 買い物自体、あまりしないせいもあるだろうが これからはそうはいかない 冷蔵庫を買わねば


 一人住いは気楽だ

 休みの日はパンツ一丁で、一日中ゴロゴロしていた 

 けど部屋は綺麗にしていた方だと思う

  根は几帳面な方だと思う 誰が来るって訳では無いが休みの日は窓を開けて車を眺めながら"今日は何処行こう"と思っていた 親方が電話をつけてくれると言っている 一人もんだし 何かあったら大変と言う事だ 

 会社からは車で五分掛からない所だし、近くにボックスがある

 スーパーへの買い出しは十日に一回位

 面倒なんで殆どが帰りに寄る近くの弁当屋 ここには感謝している 

 食わず嫌いが、かなりある事を知った 弁当屋のおばちゃんが、俺達のような職の奴は、好き嫌いせずに取り敢えず食え!たくさん食べて元気で働け

 ありがたいと言うか、取り敢えず腹は一杯になる

 一時期痩せた時があり あの時は本当に食べられなかった 柄ではないが、気持ちがまいっていた 

 アレから八ヶ月 東京という所は、時間の経過が早いのだろうか?

 でも、そのおかげで助かっていたのもある 

 明日は給料日だ 家賃のほか諸々払っても二十万位残る

  

 梨花が言っていたそうだ

 "養育費は一切いらない その代わり枝里子には会わないでほしい"  

 

 普段から酒は飲まないし、博打もしない 女は嫌いでは無いが 今はそんな気にならない

 

 たまに思う"帰っちゃおーかなー"不意に里心が湧く時がある

 この間、雅の声を聞いたからよけいだと思う


 財布の中にはいつも三千円位しか入れていない

 外食はしないし、弁当屋が近くにあるので充分だ それに、結構美味い

 約一年、結構な額になっていた


 "残りを全部返済し、スッキリしよう"


 何かしょうと思っても、借金があったんじゃー勝負にならんしな〜

 田舎もんが都会に出て来て信用出来るのは己と銭だけだからなー『銭が正義』

 別に何かをしようと思っていた訳ではないが無いよりあった方がいいし 

 

 一人でいる事にも慣れてきた いつもと同じ弁当を買ってアパートへ帰る 

 あ〜今日は金曜日 "洗濯する日だ" 何となく面倒くさい 一番近いコインランドリーへ、飯を食ってから向かう事にした 隣に銭湯も有るし

 風呂に入っている間に洗濯は終わっている もうすぐ十時になろうとしていた

 

 これかァ〜 北海道の田舎を舞台にしてて、結構評判なドラマって

 黙って見ていた 至って普通 ってか北海道はこんな田舎ばかりじゃ無いし、方言も大袈裟だし 

 でも、悔しいが最後迄見てしまった 

 

 仕事が終わったら、何気に早めに出る 弁当屋に寄って"アレ頂戴"最近はそれで通じるようになってた 

 今日はシャワーだけにしておく 洗濯しながら飯を食う タバコも吸ったし ちょっと休憩

 "ヤバッ"椅子に少し座っている間に寝てしまったらしい でも大丈夫!まだ時間はある そう、アレが入る日だ  我ながら分かりやすい簡単な奴だと思う

 北海道の田舎もんは、同じような感覚で見ていたんだと思う 懐かしいと言う思いも含めて

 

 花火がなっている この窓からは特に綺麗に見えた

 あと何回この窓から見るんだろう


 自分の居場所が無くなっていくようだった

 はじめて東京に負けた気がした 

 安易な気持ちで来ちゃいけない所だった 

 気持ちも身体も"はぐれていく"ような気がしていた

 

 次の日普通に仕事をして、皆んなとも普通に接していた

 手紙を書くのはあまり得手ではないが親方だけには気持ちを伝えたかった 本当なら直接言えばいいのだろうけど 言われる事が何となくわかっていたし、気持ちが変わらないように

 多分、色々処分するのに金もかかる事だろう 中に三万と部屋の鍵を一緒に入れておいた

 この三年、色々な事があったが結局 バック一つだけだった

 手紙を事務所の郵便受けに入れて、最後に梨花の家の前を通った

 少し離れた所で、ブレーキに足をかけたが踏むのを辞めた そのまま加速して 首都高速の入り口迄一気に走らせた

 今晩も花火が上がっている これが東京で見る最後の景色だ

             第一章 東京  

 

          

 

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はぐれていく 鈴木 優 @Katsumi1209

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