第15話 前世の婚約者を待ち続けた日
「気をつけて帰れよー」
担任の寺川先生が気の抜けた声で生徒に声をかけている。それに、「はーい」と応じる生徒の声も続いて聞こえてきた。
新学期が始まって二週目に差しかかり、クラスの内部のコミュニティも確立してきたみたいで、「この後、何しようかー」と三、四人でわいわい、と教室を後にする生徒たちもちらほらと見受けられる。
そんな中、僕は一人、席に座り、ボーっとしていた。
クラスで唯一の友人兼幼馴染である一斗は、掃除をしに別の場所に行ってしまっているため、不在だ。
一斗とばかりつるんでしまっていたせいか、まだ新しいクラスではそれなりに会話はするが、わざわざ声をかけに行くほどの友人はいないまま。
しかし、それが原因で僕は、ボーっとしているわけではない。
「返事、来ないなぁ……」
僕は、頬杖をついて独り言つ。
先ほどスマホをチェックしたが、渋谷さんからは、未だに返事は届いていない。既読すらついていない。
世の男子高校生、女子高校生が異性から返信が来ないことを嘆く光景を散々目にしてきたが、まさか自分もそんな立場になるなんて夢にも思っていなかった。
まあ、彼らと僕とでは、少しどころかかなり事情が違うとは思うけれども。
「はあ……」
僕は、ため息をついた。
瞬間――。
背中をばしん! と強く叩かれた。
ボーっとしていたところを強襲されたため、驚いて右ひじから右腕をガクッ、と崩してしまった。
右ひじが少しヒリヒリするなぁ、と思いながらも、後ろを振り返る。
振り返った先には、掃除当番をし終えたばかりだからか制服に埃を少しつけている一斗が立っていた。
「ビックリした……。驚かさないでよ」
「すまんすまん。それよりも、なーに、しけた顔してんだ!」
一斗がいつものにかっ! とした笑みを浮かべて言った。
「ああ、まあ、ちょっとね。大したことじゃないから気にしないで平気だよ」
「ははーん。さては、転校生ちゃんと喧嘩したな!?」
かなりの大声で一斗が『転校生』だなんて言ったせいで、僕の心臓がひゅっ、と縮こまった。
「声がでかい!」
僕は、一斗の頭に手刀を入れた。
「すまんすまん。つい」
舌を出して、謝る一斗から周囲へとさっ、と視線を移す。
特に誰もこちらを気にしている様子はなく、わいわい、と自分たちの会話に集中していた。
一応、見た限りは、聞かれていなそうだ。
僕は、ほっと胸を撫でおろした。
「それで、どうしたんだよ」
ホッとしたのもつかの間。一斗が声をかけてきた。
「まあ、お察しの通りだよ」
僕は、少し決まりの悪さを覚えながらも言った。
「冗談のつもりで言っただけだったのに、マジだったのかよ!?」
一斗が心底驚いたような顔を浮かべた。
冗談だったのならあんな大声で言わないでほしい。
「それにしても、冬理がついに女の子のことでいっぱいいっぱいになっているところを見られるとは……」
「別にいっぱいいっぱいになんて……」
僕は、そう言いながら、現在までの今日一日の行動を振り返る。
起床――渋谷さんを探した。
登校中――渋谷さんを探した。
学校に到着――渋谷さんを探した。
一時間目――スマホを気にしていた。
二時間目――スマホを気にしていた。
三時間目――スマホを気にしていた。
四時間目――スマホを気にしていた。
昼休み――昼食を食べ、偶然ばったりを装って渋谷さんの様子を見れないか、とあてもなく廊下を彷徨った。
五時間目――スマホを気にしていた。
六時間目――スマホを気にしていた。
うん、めちゃくちゃ渋谷さんのことしか考えていなかった。
ていうか、昼休みの僕、めちゃくちゃ不審者じゃん。
「なっていたみたいだな」
一斗が苦笑いを浮かべた。
「……」
少し気恥ずかしくて、僕は、口をつぐんだ。
「ま、何があったのかは知らないが、こういうのは、変に飾らず、思いの丈をぶつけるのが大事だ! 多分」
一斗がサムズアップをし、歯を見せて笑う。
「多分って……。そこは、自信を持って言ってよ」
「俺には、彼女とかそういうのはいたことないから知らん!」
「いや、渋谷さんは別に彼女じゃないけど」
「お前、まだそんなこと言ってんのか……?」
一斗が呆れた顔を浮かべた。
普通に考えて、恋人とかそういう段階を通り越していて、かつ前世の婚約者を名乗っちゃうような女の子からの求婚をはい、そうですか、と受け入れるわけにはいかないだろう。
――最近は、人間の言葉を話す猫が現れたりしていて、いよいよ、渋谷さんの話を信じてもいいような気もしてきたが。
まあ、それは、さておいて。とにかく、僕は、渋谷さんのことを好きだ、とかそんな風には思っていないのだ。
というか、自分が同居し始めたくらいで、女の子のことを好きになってしまうような単純な人間だとは、思いたくない。
「はあ……。まあ、いいや。今回の喧嘩を機にちゃんと転校生ちゃんとの付き合い方を考えろよ」
そう言うと、一斗は、柔道部の練習に助っ人として呼ばれているからと言い残し去っていってしまった。
僕は、一斗の後ろ姿を見送った後、スマホへと視線を落とした。
まだ、返信は来ていなかった。
渋谷さんとの付き合い方ね……。
まあ、一斗が言いたいこともわかる。
確かに、渋谷さんを追い出そうと思えば追い出せる瞬間なんていくらでもあった。
例えば、渋谷さんがたまご焼き作りで失敗して落ち込んでいたときとか。
あのとき、渋谷さんは、僕が望むのならすぐに出て行く、と言った。でも、僕は、追い出すどころか、彼女を家に引き留めたわけで――。
いやいやいや、あれは、母さんと僕の生活もかかっていたし、自分のためでもあったのだ。
ノーカウントで。
というか、それよりも、渋谷さんと早く仲直りしないと、僕と母さんの生活が危ういことに気がついてしまった。
やっぱり、僕が渋谷さんのことばかりを考えているのは、多分、全て自分のためだ。
恋愛的な意味合いで好きとかそういうわけではない。
でも――。
渋谷さんには、笑っていてほしい。
そうは、思える。
――早く、渋谷さんと仲直りできるように頑張らなくちゃだな……。
僕は、スマホをポケットにしまい、鞄を持って席を立った。
***
「ただいまー」
家のいつもより少し重たく感じるドアを開きながら僕は言った。
ココアは、外に出ているのか、寝ているのかは、わからない。
が、「おかえり」と僕を出迎えてくれる返事はなかった。
僕は、自分の足元を見る。
玄関に並ぶ靴の中には、渋谷さんのものは見当たらない。
――まだ、帰っていないか……。
久しぶりに感じる虚しさを無視し、僕は、靴を脱いで、リビングへと向かう。
話をしてくれるかは、わからない。けれども、渋谷さんが帰ってきたら声をかけてみよう。
現状を変えるには、多分だけど、僕の方からアクションを起こすしかない。
僕は、そんなことを考えながら、リビングに入るなりソファへとなだれ込んだ。
そして、十秒程ソファに顔をうずめる。
少し息苦しくなって、仰向けになった。
瞬間――。
『ピロン!』
スマホが通知音を鳴らした。
僕は、飛び起きながら、スマホを取り出す。慌てたせいか、スマホを床に落としてしまった。
かなり嫌な落とし方をしてしまったため、ガラス製の保護フィルムが割れていないか心配になった。が、幸い少し画面の上の方にひびが入っただけで張り替えが必要なほどではなかった。
ふう、と一息ついて僕は、スマホに届いた通知を確認する――。
「なんだ」
ただのアプリ内で使えるスタンプの割引キャンペーンをお知らせする公式アカウントからのメッセージだった。
緊張状態が続いているせいか、そんな通知を見て、僕は、何だか急に疲れを感じてしまった。
僕は、はあ、と大きくため息をつきながらソファに深く腰かける。
――渋谷さん、早く帰ってこないかな……。
僕は、そんなことを考えながら、天井を眺める――。
カチッカチッ、と秒針が時を刻む音だけが聞こえてくる。
久しく聞いていなかった音だなあ。
なんてことを思った。
僕は、スマホを握りしめながら、秒針の音を聞き続けた。
十分――。
三十分――。
一時間――。
二時間――。
三時間――。
――と。
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