第6話 前世の婚約者は料理をしたい
目を覚ますと、外が明るくなっていた。四月とはいえ、まだ朝は少し冷える。
身体を少し震えさせながらも起き上がって、今、何時か確認しようと、枕元に置いておいたスマホに手をのばす。
瞬間――。
「ん……?」
さらっとしたシルクのような手触りの物が手に触れた。明らかにベッドのシーツや毛布の手触りではない。
驚いて、手元を見ると、渋谷さんが幸せそうな顔ですやすやと寝ていた。
――あ、そうだった……。
僕は、昨夜から僕の許嫁になった渋谷さんと同じベッドで寝ることになっていたんだった。
昨夜の地獄のような時間のことを思い出し、起きて早々に気が重くなった。
それに昨夜は、いくら前世の婚約者を名乗るやばそうな女の子が相手とはいえ、人生初の添い寝で緊張し、少し寝不足気味だ。
そんな僕とは対照的に渋谷さんは「おやすみなさい」と言って三分後には、寝息を立てていた。脅してまで一緒に寝るよう要求してきたから、何かされるのではないかと警戒していたが、本当に僕と添い寝したかっただけらしい。
ちょっと可愛らしく思える。本当にちょっとだけど。
――それにしても。
こうして改めて見ると、お人形さんみたいだな……。
そんなことを考えながら、渋谷さんの髪を梳くように撫でてみた。シルクみたいにサラサラとした手触りで、すくいあげた瞬間、シャンプーの香りだろうか――女の子らしいいい香りが鼻腔をくすぐる。ずっと触っていられそうだ。
僕は、そのままサラサラーと渋谷さんの髪を撫で続ける。
「……」
――って……何をしているんだ、僕は……!?
心の中で自分自身につっこみを入れた。
なんか普通の恋人にするようなことをしてしまったことに気づき、僕は、慌てて髪をすくいあげていた手を下す。こんなことをしてしまったのは、ショッピングしているときに手触りの良さそうなクッションを見つけて触れてみたくなる心理に近いものを感じたせい、ということにしよう。
言い訳がましいが、それしかない。本当にそれだけだ。
一人で僕はうんうんと頷いたところで、本来の目的だった時刻の確認をしなければと思い出し、スマホを手に取った。
時刻は、六時三十六分。
せっかく学校もない土曜日だ。わざわざこんな時間から活動開始する必要はない。
土曜日だからこそ早起きして一日を有意義にすべきなような気もする。が、昨日は色々ありすぎて疲れたから今日は休んでもいいだろう。
あれこれと二度寝をしていい理由を考えながら、僕は、再びベッドに横になる。
そして、ふと、隣で静かに寝息を立てて眠っている渋谷さんを見た。
――一体、今日はどんな一日になることやら。
不安を胸に募らせながらも僕は、目を瞑り、再び意識を手放した。
***
「……くん……! ……きてください……!」
耳元で声が聞こえる。
渋谷さんが起きたらしく、僕のことを起こしているみたいだ。
「んん……」
二度寝をしてしまったせいか、一度目に起きたときよりも身体が重たくて、起きる気になれない。
僕は、身体を横に向けて、毛布をかぶった。
「もう! 冬理くん! 二度寝、三度寝は健康によくありません! せっかくの土曜日です! どこかお出かけしましょうよー!」
そう、お出かけを父親にせがむ子供のように渋谷さんが僕の身体をゆすり始めた。
「んん……一日は、長いから……焦らなくても……」
寝ぼけながらそう言い、ゆすられても一向に起きる気配のない僕。
そんな僕に痺れを切らしたのか渋谷さんが「写真集」と一言ぼそっと呟いた。
「おはようございます」
僕は、ばさっと毛布を投げ捨て、起き上がった。
先ほどまでの寝ぼけていた頭が嘘みたいにクリアになっていく。
「おはようございます! 今日は、いい天気ですよ! 絶好のお出かけ日和ですね!」
朝から百点満点の笑顔だ。いや、怖いです。
そんなことを言えるわけもなく、僕は「ソウデスネー」と棒読み気味に言う。
ああ、今日は、このままこの前世の婚約者とか胡散臭いことを言っている美少女とデートをすることは確定事項っぽいな……。
クリアになっていく頭とは対照に、無理矢理起きた反動か身体が怠くなってきた。このまま、再び横になってしまいたい。が、僕と母さんの生殺与奪の権は彼女に握られている。頑張るしかない。
「今日は、同棲生活で必要なものを買いそろえに行こうかと思っているのですが、いかがでしょうか」
――同棲生活って……。まだ、付き合ってもいないんですけど……?
そうつっこみたくなったが、許嫁にもなってしまっているし、話が明後日の方向に向かってしまいそうだったため、飲みこんだ。
「いいけど、必要なものといっても家にだいたい揃っていると思うんだけど……」
必要なものは、だいたいというか全部揃っている。不要なような気がするが。
「冬理くんは、わかっていません! お揃いで何か使えるものとか、新しいタオルとか、調理器具とかを一緒に選びたいのです!」
少し頬を膨らませながら前のめりになって渋谷さんが言う。
ものすごく顔が近い。少しドキドキするからやめてほしい。
「は、はい……。すみません……。わかりました、行きましょう」
僕は、顔を背けながら言った。そして、横目で渋谷さんを見ると、ふふっと笑みをこぼしている。どうやら、確信犯らしい。
僕は、わざとらしくこほんと咳払いをし、一つ気になったことを訊いてみた。
「てか、渋谷さん料理するんだ?」
僕がそう言うと、一瞬、渋谷さんが自信なさげな表情を浮かべた。
……ん?
「は、はい! 料理しますよ! 任せてください!」
胸を張って渋谷さんが言う。が、その目は忙しなくいろんな方向へ動いている。
……うーん、これは……。
さっきの自信なさげな顔といい、今、目を泳がせているのを見るに、多分できないんだろうなあ、と僕は予測を立てる。
アニメやドラマでお嬢様が料理下手なのはよくあることだ。現実とフィクションを混同するのは良くないが、逆にこんなテンプレにハマってくれると、色んな意味で完璧な渋谷さんにもできないことがあるのだなと安心できる。そのため、是非料理下手であってほしい。
少し親しみを持てる気がする。いや、持てないか。
何はともあれ渋谷さんが料理をできなくても、問題ない。
幸い僕は母さんの代わりに料理をする機会が多いため、料理にはそこそこ自信がある。一斗のお墨つきだし、料理は僕が担当すればいいだろう。
「冬理くん、さては、私の料理の腕前を疑っていませんか……?」
じとーっとした視線を渋谷さんが僕に向けてくる。
正直図星で、身体が固まるが、考えていたことを素直に言うわけにもいかない。というか、言ってもこの様子じゃ「そんなことありません!」とか絶対言ってくる。
「いやいやいや、とんでもない! 渋谷さんの手料理楽しみだなーって思っていただけだよ!」
白々しくそんなことを言いながら、昨日婚姻届を突きつけられたときにおいしいご飯がああだこうだと言っていた覚えがあるなと思い出した。
もしも、渋谷さんが料理下手だったらあのテレビショッピングの司会も顔負けのプレゼン内容に虚偽表示があったことになる。無論、母さんが解雇されたら困るし、そんなことを責め立てるつもりはないが。
まあ、まだ実際に見たわけではないし、本人が思っているよりもできていたりもするため、判断するにはまだ早い。
料理担当は、渋谷さんの腕前を見て追々考えればいいか……。
「そうでしたか! なら、いいです! 今晩から頑張りますから、楽しみにしていてくださいね……!」
ガッツポーズを決めて本人は気合十分。さて、どうなることやら。
「う、うん。楽しみにしているよ」
苦笑いを浮かべながら僕は言った。
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