第5話 背に腹は代えられない


「はあ……マジで疲れた……」


 僕は、湯舟につかりながら独り言つ。


 今日は、激動の一日だった。多分だけど、この先の人生で今日より、頭が追いつかない日はないと思う。


 婚姻届を突きつけられたり、許嫁ができたりで本当にバタバタした。一斗とカラオケに行ったのも今日のはずなのに、もう一週間くらい前の出来事に感じてしまう。というのは、大袈裟かもしれないが。


 とにかく、それだけ情報量が多くて疲れたのだ。


 僕は、気分をリフレッシュしようと湯舟に潜ろうとする。が、渋谷さんが先にお風呂に入ったことを思い出して、踏みとどまった。それと同時に、僕がお風呂を彼女に先に譲ったときに、残念そうにしていたのはそういうことか、と気づいてしまった。気づきたくなかったな、と僕は、顔を引きつらせる。


 それにしても、色々やばそうな美少女とこれから同居するのか……。


 少しずつ冷静さは、取り戻しつつあるが、未だに実感が湧かない。


 美少女と同居。それは、男子なら憧れを抱くものだとは思う。だが、実際に自分がそういう立場になってみると、戸惑ってしまう。まあ、僕の場合、相手が相手だからな気もするが。


 普通に考えて、前世の婚約者を名乗る女の子――なんならストーカーと言っても差し支えない――と二人きりで同居するなんておかしい。が、母さんもアレじゃもう僕には、どうしようもない。


 とりあえず、同居することになってしまった以上、何より、母さんと僕の生活がかかっている以上、彼女とうまく同居していかなければならない。できれば、許嫁の関係も解消したいが、それは時期を見計らって追々考えるとしよう。


 何はともあれ、しばらく続くことになるであろう同居生活についてだ。


 とりあえず渋谷さんと明日あたりにルールを決めよう。こういうのは、ちゃんと決めておかないとトラブルのもとだ。


 それと、渋谷さんの部屋だ。これは、今日中に決めなきゃな……。


 今晩から渋谷さんは、僕の家で暮らすみたいなので、部屋が必要だろう。


 ――空いている部屋は……来客用の部屋か……。


 一斗とか母さんの友達が泊まりに来たときのために物置にしないようにしていた部屋が一つあることを思い出した。


 布団を出して敷いてあげないとな。


 そんなことを考えた瞬間だった――。


「あれっ……あの部屋って……」


 僕の頭に昼間の記憶がよみがえった。


 許嫁騒動で完全に忘れてたけど、が設置されてたよな……。


 僕は、天井を見上げる。水滴がぽちゃんと湯舟に落ちてきた。


 ――まさか、あれって……。


 お風呂を上がったら、寝ようと思っていたが、まだ一騒動ありそうだ。


 嫌な予感を胸に僕は湯舟から上がった。


***


 風呂を上がり、髪を乾かした後、僕はすぐに自分の部屋へと向かった。のだが――。


「……」


 僕は、自分の部屋のドアを開いた瞬間、言葉を失っていた。


 絶望というのは、このことかもしれない。大袈裟に聞こえるが、僕にとっては、これは、それだけ重大な事件だ。


 お風呂に入ったときからすでに嫌な予感がしていたが、これは想定外だった。というのも、僕の部屋から物という物が全てなくなっていたのだ。


 普通に部屋から全ての物がなくなっているというのは、確かに重大だ。しかし、僕にとっては、部屋から物がなくなっているその事実よりも重大な問題があった。


 ――僕の秘蔵コレクションたちは何処いずこへ……?


 男子高校生たるもの、そういったものの一つや二つ持っていてもおかしくはないと思う。うん、そう思わせてほしい。しかし、それが第三者に露呈するというのは、非常にまずい。厳重にバレないように保管してはいたが、部屋から隠し場所としていた衣装ケースがなくなっている以上、どうなったかはわからない。


 僕は、居てもたってもいられずそのまま急いで階段を下った。


 誰があんなことをしたかなんてもはや訊くまでもない。


「渋谷さん!」


 リビングに入りながら僕が声をかけると、本を読んでいた渋谷さんが僕に気づいて本から視線を上げた。


「どうかされましたか……?」


 彼女は、もこもことしたパステルカラーがとても可愛らしいルームウェアに着替えていた。正直言ってしまうと、控えめに言って可愛い。見た目は、儚げな雰囲気の渋谷さんが着ると、なんか妖精とかなんかそんなものに見えてくる。


 ――って、そうじゃない……! 今は、そんなことを考えている場合じゃない!


「どうしたもこうしたも、僕の部屋! あれ、どうしたの!?」


 僕が抗議の声をあげると、渋谷さんはすぐに「ああ……! ご安心ください!」と本をパタン! と閉じて言った。


 一体、どこが安心できるんだ……? と僕が困惑していると、彼女がついてくるように促してきた。


 階段を再び上って二階へ。そして、あの空き部屋の前へと案内された。


 そんな渋谷さんの様子を見て、もうすでにうちの間取りもわかっていそうだな、などと僕は思う。


 そんなことを考えているうちに――、


「こちらをご覧ください!」


 渋谷さんが空き部屋のドアを開けた。


 僕は、部屋の様子を見て、そういうことか、とすぐに納得する。


「部屋の物はこっちに移動させたと」


 そう言う僕の視線の先には、僕が今まで読んできた小説が大量に収納されているスライド式本棚、学習机、例の衣装ケース、そして、ダブルベッド――。


 この状況を見て僕は、お風呂場で立てた予想は当たっていそうだな、と思った。だが、今はそれどころじゃない。


 僕は、内心ハラハラとしながら渋谷さんの返事を待つ。

 

「はい! 冬理くんの部屋の物は、全てこちらにお引越しさせていただきました!」


 僕は、渋谷さんのその発言を聞いて、ほっと胸を撫でおろした。今、彼女は、僕の部屋の物を移動させた、と言った。つまり、僕が衣装ケースに隠しておいた秘蔵コレクションも無事ということだ。きっと、そういうことだろう。


 ――衣装ケースもあるし、大丈夫そうだな……。


 変わり果てた空き部屋に設置されている衣装ケースに視線をチラッと向けた。


 その瞬間だった――。


「あ、そうでした!」


 渋谷さんが何かを思い出したかのように言った。


 同時に僕の身体に悪寒が走る。


「勝手ながら移動させるときに衣装ケースが重たかったので、中の物を少し出させていただいたのですが、こんなものが……」


 そう言って、渋谷さんは、空き部屋へと足を踏み入れていく。そして、僕がよく見知った物を手に取った。


「……」


 顔が青ざめていくのが、鏡を見ていないのによくわかる。彼女が手に取っているのは、僕の秘蔵コレクションのうちの一冊――もとい僕の推しコスプレイヤーの写真集。それもよりにもよってちょっと刺激が強めのだ。高校生でも買える健全なものだが、人前で堂々と見るものではない。


「冬理くんは、こういうのがお好きなんですか……?」


 屈託のない笑顔を渋谷さんが向けてくる。


 どうしよう、悪寒が止まらない。


 お嫁さんに問い詰められる世の男性の気持ちが何だか分かった気がする。僕も許嫁に問い詰められているのだし、同じようなものだろう。


「えっと……好きというか、なんというか……」


 僕は、口ごもる。


「まあ、男の子ですもんね……! これは仕方のないことです!」


 あれ、意外と怒ってない……?


 僕は、驚きで目を見開く。なんだかうまくいけば、理解を得られるような気がしてきた。


 しかし、そんな僕の希望はすぐに打ち砕かれた。


「でも、これからはわたくしがいますし、不要ですよね……?」


 ニコッと百点満点の微笑みを渋谷さんが向けてくる。


「いや、それは……」


「不要ですよね……? ね……?」


 圧がすごい。


「はい……。不要です……」


 よし、電子に完全移行しよう。スマホでこっそり見ればバレようがない。じゃあ、なんで世にはスマホで見てもバレている人がいるんだ、ということになるが、それは置いておこう。


 何はともあれ、僕は渋谷さんからの圧に屈しながらも、すぐに代替策へとたどり着いた。我ながら名案。そう思いかけたが、普通にみんなスマホでそういったものを見ていることに気づいて、自分の頭が回っていないことをひしひしと感じる。なんなら自分だって今までスマホに頼ることもあった。僕は、馬鹿なのかな……?


 もう僕は、疲れ切っているらしい。この地獄が終わったらさっさと寝てしまおう。心の中で静かにそう決意した。


「これは、私が預かりますね」


 そう言って、渋谷さんが大きめのカバンへと僕の秘蔵コレクションたちを一冊一冊興味深そうに表紙を確認しながら丁寧にしまい込んでいく。


 ――何、この地獄の時間。早く終わってほしい……。


 待つこと二分程。渋谷さんが全ての写真集をしまい終えた。


 ――やっと、終わった……。


 ようやく人生で一番長かった二分間が過ぎて、肩の力が少し抜けた。


 僕は、渋谷さんが持っているカバンへと目を向け、心の中で「今までありがとう。さらば……」と言い、涙目で写真集たちを見送る。


「さてと……」


 渋谷さんが、呟いた。


 わかってはいたが、ここからが本題らしい。再び肩に力が入る。


「写真集のことなのですが、お義母さまには、まだ話していません」


「はい」


「ここにダブルベッドがあります」


「はい、そうですね」


「後は、わかりますね……?」


 ニコッ!


 僕は、すう……と息を吸った。


「はい、謹んでよろしくお願いします!」


 背に腹は代えられなかった。


 こうして、僕は、今夜から今日できたばかりの許嫁と同じベッドで一緒に寝ることになった。

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