第4話 前世の婚約者は用意周到


「それで、これはどういうことなの……?」


 僕は、目の前でわが物顔でイスに座り、おいしそうにケーキを食べている渋谷さんに声をかけた。


「あ、説明がまだでしたね! 私としたことがすっかり忘れていました!」


 胡散臭い台詞を言いながら渋谷さんが一口パクリとケーキを食べた。


 そんな彼女を見て母さんが「あら、まだだったの?」と驚いた顔をする。


 いやいや、母さんも何か知っていたならもっと早く言ってほしかったんですけど!?


 僕は、ため息をつく。二人して何を企んでいるのだか。


 僕がそんなことを考えていると、渋谷さんが母さんに説明を促した。


「まあ、簡単に言うとね、絢音ちゃんは今日からうちに住みます!」


「は?」


 なんだかものすごい幻聴が聞こえてきた気がするんだけど。


「いや、だから、絢音ちゃんは、今日からうちに住みますって言ったんだよ……?」


「……」


 僕は、無言で立ち上がり、母さんのほっぺをつねってみた。


「何するのー……? 痛いじゃない……」


「今、渋谷さんがうちに住むって言った……? 言ってないよね……?」


「え、言ったけど」


 僕は、確認の意味をこめて、母さんの頬をつねったまま渋谷さんの方を見る。


「はい! こちらに住まわせていただきます!」


「なんで……?」


 現実逃避をしてしまいたくなる衝動を抑えて、僕は、純粋な疑問を投げかけた。


 そのまま、呆然と渋谷さんをじーっと見ていると、痛い痛い! と母さんに手を叩かれたため、僕は母さんの頬をつねるのをやめる。


 百歩譲って、渋谷さんがここにいるのはいいとしよう。とりあえず、遊びに来たということにしておく。どうやってこの場所を知ったとか、今日の今日に振ったばかりなのにうちに遊びに来ているのは意味がわからないけど、横に置いておくのが吉だと思う。ただ、ここに住むということだけは、どうしても理解できそうにない。


 渋谷さんは、前世で婚約者だったとかなんだとか言っていたが、僕にとっては、ただのやばい女の子だ。赤の他人を家に住まわせようだなんて、絶対におかしい。家に置く理由がない。


 僕は、ひたすら困惑する。


 困惑する僕に、母さんと渋谷さんがふふん、と勿体ぶるような様子を見せた。


 そういうのいらないから早く言ってほしい。


 僕は、ため息をつく。


「では、満を持して発表します!」


 また、前置きが入った。早く言ってくれ、と念を込めて渋谷さんへと視線を送る。


「なんとわたくし、渋谷絢音は……」


 そうもったいぶる口調で何やら宣誓を始めた渋谷さんに続いて、母さんがテーブルをたたいてドラムロールをする。


 マジでそういう演出はいらないのですが……。妙に呼吸のあった二人を見て、僕はなんだか辟易してしまった。


 ドラムロールが終わるのを待つこと、10秒程。


 渋谷さんがようやく口を開いた。


「青山くん……。いえ、冬理くんの許嫁になりました!」


 頬を両手で挟み、少し気恥ずかしそうに渋谷さんが言った。


「……」


 母さんが「きゃー! 言っちゃった! 昨日もずっと言いたくてうずうずしてたんだから!」と騒いでいるのが聞こえてくる。対照的に僕は、無言を貫く。


「あれ、もっと、リアクションがあると思ったのですが……」


 渋谷さんは、無言でその場に立ち尽くす僕の顔の前で手をひらひらーとさせる。


「あの、一ついいかな……?」


「どうぞ」


「今日、結婚しないって断ったばっかだよね」


「はい、そうですね」


「じゃあ、許嫁って何……?」


 おそらく僕は、今すごい顔をしていると思う。多分、顔から感情という感情が全て抜けきったような顔をしている。あいにく、鏡がないから自分の顔を確認することはできないけど。


 こんな馬鹿なことを考えることができるくらいには、フリーズしていた脳の機能が復旧してきたみたいだ。


 この調子で後は、お風呂に入って寝るだけの状況になるまで、どうにか残りの使用可能メモリを温存しておかなければならない。今日は、あまりにも処理しきれていないことが多すぎる。


 きっと、今日、最後の処理に時間がかかる情報はこの渋谷さんが許嫁になったということだ。


 質問の答えを聞いて、まだ早いが、一日の締めとしよう。


 僕がそんなことを考えている内に渋谷さんが口を開いた――。


「振られたときのセカンドプランです!」


「は?」


 全く意味がわからない。


 頭上に大きなクエスチョンマークを浮かべる僕を見かねてか、渋谷さんが長々と説明を始めた。


 要約すると、今日、求婚にオーケーが出たらそのまま役所に提出しに行く予定だったらしいのだが、この許嫁になるという計画は、求婚が失敗に終わったときのための保険だったとのこと。どちらにしても、彼女は、僕のお嫁さんか許嫁としてこの家で迎え入れられる段取りになっていたらしい。


 ちなみに渋谷さんのご両親――特にお父さまは、今まで我儘の一つも言わなかった可愛い娘が自主性を見せてくれて嬉しいなどと涙を流しながら喜んでいたとのこと。うん、間違いなくぶっ飛んでいる。


 渋谷さんから諸々の話を聞いて僕は、ただでさえ引きつっていた顔をさらに引きつらせてしまった。


「母さんは、なんでこんな話オーケーしたの?」


 恨みがましく僕は、母さんに視線を送った。


「だって、冬理、彼女いないし、できる気配ないし、ちょうどいいかなって……」


 いやいや、そうなんだけどさ、だからといってこんな明らかにやばそうな話オーケーするなんて母さんもどうかしてる。


「それに――」


 脳内で母さんに悪態をつく僕を他所に母さんが言葉を続ける。


「絢音ちゃんがいい仕事を紹介してくれて! 本当に絢音ちゃんは恩人なのよ!」


「えっと……仕事って……?」


 おそるおそる訊いてみた。


 渋谷さんが紹介する仕事とか不安要素しかないんだけど……。


 僕の不安は杞憂に終わらなかった。


「絢音ちゃんのお家で住み込みのハウスキーパー!」


 僕は、母さんの発言を聞いて絶句した。


 ――今、住み込みって言ったよね……?


「いやあ、お給料もいいし、断る理由がないわよ……!」


 ――いや、あるだろ。家に帰ってこれないんだぞ……?


 そう思ったところで、目を輝かせている母さんを見て、僕が心配したようなことは一切頭になさそうだと、僕は思う。


 おそらく、ハウスキーパーを雇うほどだから渋谷さんの家は豪邸を所有できるくらいのお金持ちなのだろう。母さんのことだから、こんな機会でもなければ一生足を踏み入れることのない豪邸に住みたいとか、そんな短絡的なことを考えているに違いない。


「家に帰ってこれなくなるけど、いいの?」


 一応、念のため聞いてみた。


「いいのよ! 一度、絢音ちゃんの家みたいなとこに住んでみたかったのよー! それにたまに帰ってこれるし、寂しくないもの……!」


 ほら、やっぱり。本当にわかりやすい人だ。


「で、今までの仕事は、どうするのさ」


「やめてきた」


 母さんは、あっさりと言い切った。


 母さんが言うには、給料は今までの比にならないくらいよくて、僕が大学に通うことになっても、僕が今までためてきたバイト代と合わせたら大分余裕が生まれるらしい。何といっても、だんだんブラック気味になってきた会社に勤めるのに、疲れてきていたから丁度いいとのこと。それを言われてしまうと、何も言い返せなかった。


 話を聞くと、確かに断る理由はない。しかし、どう見てもこのプラン――。


 ――ただ、家から母さんを追い出して、僕と二人きりになろうとしているだけでは……?


 僕は、じとーっとした視線を渋谷さんに向ける。


「そんなに見つめられると、恥ずかしいです……!」


 渋谷さんは、身体をくねらせながら言った。


 ダメだ。勝てない。


 僕は、テーブルに突っ伏して、頭を両手で抱えこんだ。


 母さんが仕事もやめてしまった以上、この渋谷さんが提案している許嫁プランを拒否した場合、僕と母さんの生活がどうなるかわかったもんじゃない。


 完全に外堀を埋められている。


「はあ……」


 僕は、本日、何度目かもうわからないため息をついた。


 ため息をつく僕を他所に母さんは、「明日から二人で仲良くね……! 困ったことがあったら何でも言ってね! すぐ駆けつけるから……!」などとのんきなことを言う。


 そんな母さんに渋谷さんは「ありがとうございます……! 屋敷の方も人手が足りなくなってほんとに困っていたので助かります! 冬理くんのことは私にお任せください!」と返していた。


 色々な意味で助かっていそうだけどね。なんて怖くて言うことはできなかった。


 というか、この話、この様子だと大分前から進行していたように思える。


 漫画とかドラマで許嫁が現れるときは、だいたい不本意な状況で親が連れてきたりするものだが、僕の場合も例に漏れず、不本意な状況下だった。僕の場合は、親が連れてきたというより、あちらからやってきているけど……。


 僕は、改めてやばい女の子に目をつけられたな、と思うのだった。


 どうやら、僕は、この前世の婚約者を名乗る残念なやばい美少女の許嫁になるほかないらしい――。

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