第3話 僕の家なんですけど……?


「おかえりなさい、青山君! ご飯にしますか……? お風呂にしますか……? それとも、……?」


「……」


 僕は、家の玄関に入るなり、すぐに回れ右をした。


 ドアをものすごい勢いで閉め、大きく息を吐く――。


 僕としたことが、家を間違えるなんて……。よっぽど疲れているんだな。


 やれやれと右手で頭を抱えながら首を横に振った。


 ――さてと、僕の本当の家に戻らないと……。僕の家は、あっちだっけ……? こっちだったっけ……?


 僕は、家の門の前で左右を確認する。そんな僕の前を軽自動車がさーっと通り過ぎた。軽快な走行音がだんだん遠ざかっていく。


 ……って、そんなわけないでしょ……!


 僕は、我に返った。


 どこをどう見ても僕の家だ。マンションの部屋を間違えるならともかく、生まれてこの方十八年住み続けた自分の家を間違えるはずがない。見間違えようがない。


 そうなると、渋谷さんがいたような気がするけど、きっと見間違えだ。うん、そうに違いない。


 自分が家を間違えたのでないなら、あれは幻覚なはず。


 一人で、うんうんと頷きながら、再びドアノブに手をかけた瞬間、ドアが開いた。


「青山くん……? どうかされましたか……? 寒いので中に入られては……?」


 ガチャリという音と共に渋谷さんが顔をドアの間からひょこっと出してきた。


「え、本物……?」


「はい、正真正銘、本物の渋谷絢音です」


 そう言って、渋谷さんは、不思議そうな顔をしながら可愛らしく首をかしげた。


「いやいや、まさか、ね……?」


 こんなところに渋谷さんがいるはずがない。住所が割れているのは把握しているが、中にいるなんて誰が予想しようか。


 というか、予想するとかしないとか以前にいちゃいけないのだ。


「いえいえ、本物ですよ? 生きてます」


 ほら、この通り。と、渋谷さんが僕の左手を握って、彼女の存在をこれでもかと認識させてきた。


「マジですか……」


「はい、マジです」


 真顔で渋谷さんが言う。


 渋谷さんが触れた左手には、あの柔らかい手の温度がまだ残っている。


 自分の見間違えであってほしかったが、どうやら現実に起きていることらしい。


 僕は、現実逃避をやめて、とりあえず話を聞くため、玄関まで上がることにした。


 自分の家なのに、玄関まで上がるというのも変な気がするが、細かいことは気にせず、とりあえず家の中に戻る。


 まずは、こちらの質問に答えてもらわなければ。事と次第によっては、警察に通報しなければならない。できれば、そうなることは避けたいが。


 僕は、こほん、と大きく咳払いをした。


「えっと、まず、ここ、僕の家なんですけど……?」


「はい、それは、もちろん知ってます!」


 何それ、逆に怖いんですけど。むしろ、知らないでいてほしかった。


 なんだか自分が支離滅裂なことを考えている気がする。が、このあまりに非現実すぎる状況を前にしているのだ。仕方のないことだと思わせてほしい。


「そうじゃなくって、なんでここにいるのかって、聞いているんですが……」


 あ、よかった。僕の頭は自分が思っているよりも正常な働きをしていた。


 僕は、ホッと胸を撫でおろす。なんだか、今日は心拍数が安定しない一日だ。


 そんなことを考えていると――


「ああ! なるほど! そういうことでしたか!」


 渋谷さんはそう言うと、スタスタと小走りでリビングに向かった。そして、自分のカバンを手に戻ってきた。


「見て驚いてください……!」


 なぜかドヤ顔を決めて、渋谷さんは、カバンの小さいポケットのところをガサゴソと漁り始めた。このとき、僕の脳裏には、青い耳のないネコのキャラクターがお腹のポケットを漁っているシーンが再生されていた。


 一体何を持っているのやら。少しドキドキしながら彼女が目的の物を見つけるのを待つ。


 待つこと十秒程――。


「じゃじゃーん!」


 声高らかに渋谷さんがカバンから取り出した物を高く掲げる。


 そして、彼女がカバンから取り出した物が玄関の照明の光をきらりと反射した。


「鍵……?」


 僕は、ひとことそう呟いた。


「はい! です!」


 彼女は、驚きました……? と嬉しそうに言う。


 僕は、その場で顔を引きつらせるのを止められなかった。


 いやいや、合鍵って。勝手に作ったってことだよね……? もう立派な犯罪じゃん……!


 ここまで来れば、もう行動を起こしていいだろう。勝手に収集された個人情報に勝手に作られた合鍵。証拠としては十分すぎる。


「ちょっと、ごめん、電話してくる」


 僕は、家を出ようとドアノブに手をかけようとした。


 その瞬間だった――。


「ただいまー」


 僕がドアノブに手をかけるよりも先にドアが開いた。


 突然、開いたドアにぶつかりそうになり、僕は驚いて後ずさる。そして、家に入ってきた人物を迎え入れる。タイミングとしては、本当に救世主だ。


「あ、おかえり。母さん」


「ただいま! 今日は、冬理の誕生日だから早く帰ってきちゃった!」


 ナイス! 母さん!


 これで僕は救われたも同然だ。


「そっか……ありがとう! って! それよりも! この人が逃げないように見張っておいてくれない……!?」


 僕は、後ろにいる渋谷さんを見ながら言った。


 何やら「逃げないように見張っておいてくれだなんて……。青山君ったら大胆! 私は、あなたからもう離れません!」などと聞こえてきたが、頭が痛くなるので無視することにした。一々取り合っていたらキリがない。


 何はともあれ母さんが帰ってきたのなら一安心。これで渋谷さんに逃げられることもない。もとより本人は、この場を去るつもりはなさそうだけど。


 僕は、ほっと息をついて、警察に通報しようと、外へ出ようとした……のだが――。信じられないことが起こった。


「あら! 絢音ちゃん! 玄関までお出迎えに来てくれたの!? お母さん嬉しいわ!」


 母さんが渋谷さんの姿を視認するなり、嬉しそうに声をあげた。


「いえいえ、おかりなさいませ、お母さま」


 渋谷さんが丁寧な所作で頭を下げる。


 ――は……? 何これ……?


 さも、当然のことが行われているかのような光景に僕は、口を大きくあけてしまった。実際、そんなことはないのだろうけど、衝撃のあまり顎が落ちたような気がする。


「ふふっ! 今日は、冬理の誕生日だからケーキを買ってきたの。みんなでご飯にしてから一緒に食べようねー!」


「やった……! 楽しみです……!」


 楽し気に会話をしながら母さんと渋谷さんは、そのまま、リビングへとスタスタと歩いていった。


 外に出ようとドアノブに手をかけスマホを持ったまま立ち尽くす僕だけが、玄関に取り残された。

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