第2話 「おかえり」と出迎えてくれる人


 最寄駅で電車を降り、背後を気にしながら歩くこと二十分――。僕は、家に無事帰宅することができた。特に後をつけられているとかそういうのはなさそうだ。門を閉め、家のドアのカギを開けながらホッと一息。


「――ただいまー……」


 僕の完全にやる気の抜けきった声が玄関にこだまする。が、「おかえりなさい」の返事はない。というのも、母は働きに出ていて、父は僕が小学校に上がりたての頃に胃がんで亡くなってしまったため、日中は家に誰もいないからだ。


 ――だから、僕を「おかえりなさい」と出迎えてくれる人はいない。


 小学生の頃から当然であるため、慣れてはいる。しかし、そうはいっても、誰もいない家に「ただいま」と言うのは何歳になっても虚しい。それに、僕が高校に上がる前くらいから母の仕事量が見るからに増加し、帰りも遅くなっている。最後に、母に「おかえりなさい」と言ってもらえたのは、いつだったのかすら思い出せない。


 そんなことを考えながら僕は、扉の鍵を閉め、靴を脱ぎ、リビングに向かう。


 テーブルの上に、『今日、ギリギリまで頼んだけどお休み取れなかった……! 誕生日なのにごめんね』と書置きがあった。


 ――別に気にしなくていいのに。


 もう僕だって十八歳だ。昔、母さんのどうしても外せない仕事と僕の誕生日が重なり、駄々をこねたことがあったりはした。しかし、あのときとは、もう違う。


 法律上は成人扱いの年齢になった今、誕生日に一緒にいれないなんてそんなことは些細な問題だ。


 むしろ、僕の誕生日のために貴重な休みを使ってほしくない。


 はあ、と息をつく。そして、冷蔵庫で冷やしてあったミネラルウォーターをコップに注いで一口で飲み干し、少し虚しくなった気分をリフレッシュ。


 新学期初日だったこともあり特に何も入っていないカバンを放り投げ、ぼふっ、と音を立ててリビングのソファになだれ込んだ。瞬間、人をダメにする包容力でソファが僕を受け止める。


 今日はいつもよりかなり早い帰宅だが、僕の放課後は、バイトがなかったりするとだいたいこんな感じで始まる。


 あまりにいつも通りな家に安心し、冷静な思考を取り戻した僕は、帰り際に求婚してきた女の子の顔を思い浮かべた。帰り道も含めたらもう嫌というほど思い出している。


 ――あの調子だと、また僕に接触してくるだろうし、対策を考えないとな……。


 そのまま、どうしたものかと考えるものの、解け始めた氷のようにだらーんとしながら天井を見上げ、時計の秒針が進む音を聞き続ける。そうして過ごしている内にお腹が鳴った。


 このまま考え続けてもいいアイデアは浮かびそうにないし、お昼ご飯にカップ麺でも食べようかと、思ったところで僕は首を横に振る。


 ――誕生日なのにカップ麺を食べて、ダラダラと過ごすのもなんか癪だな。


 そう思ったところで、ピーンポーンと家のインターホンが鳴った。


 訪問客に少し申し訳なさを感じながらも僕は、ソファから数分くつろいだだけですっかり重くなった身体をゆっくり起こす。が、インターホンの手前までいったところで何の気なしに応答ボタンを押そうとしていた手が止まった。


 ――まさかな……。


 渋谷さんの顔が頭をよぎり、「はーい」と返事をするのが躊躇われたのだ。住所はおそらくもう割れてるし、いつ家に来てもおかしくはない。


 渋谷さんの様子を見るに、メリーさんじゃあるまいし、危害は加えてこなさそうではあるが、やはり初対面の人に個人情報が筒抜けなのは怖いものは怖い。


 僕がインターホンの前で立ち往生している内にもう一度、ぴーんぽーん、と鳴った。


 おそるおそるインターホンのモニターを確認したところ、宅配業者だった。


「はーい」


『宅配でーす』


 僕は心の底から安堵しながら、玄関口に向かい、ドアを開く。


「どうも、ご苦労様です」


 配達員に労いの言葉を送った。と、同時に後ろにもう一人配達員の人が立っていることに気がつく。僕が声をかけた配達員の人よりもかなり若く見える。


 配達員が二人……? どういうことだ……?


 不思議に思っていると――、


「いえいえ、仕事ですから。それより連絡させていただいた通り荷物がとても大きくて重いので今回は、中まで運ばせていただきます。それから設置を行います」


 僕が最初に声をかけた年配の配達員は、困惑する僕のことなど露知らず、言う。


「は、はあ……?」


 大きい荷物であるため、二人で来たということだろう。しかし、僕の頭上には、疑問符が絶えず浮かんでくる。


 はて、そんな大きい荷物注文しただろうか……? 設置となると家具だろうか……? 


 記憶を辿ってみるが、やはり、そんな大きい荷物が届くなど聞いてもいないし、僕自身注文した覚えもない。


「あれ? お母さまに連絡したんですけどね……?」


 若い配達員が怪訝な顔を浮かべた。


 どうやら、母さんの伝え忘れらしい。


 僕がうっかり寄り道でもしていたら、どうするつもりだったのだろうか。

 

 そう一瞬思うものの、結果的にどうにかなっているのだし問題ない、と自分の考えを一蹴した。それに、こんな感じのうっかりなんて可愛いものだ。


 僕が中学一年のときなんかには、危うく変なねずみ講のビジネスの被害に遭いそうになっていたこともある。


 あれは、母さんがお金が手に入る! 贅沢できる! と嬉々としているところを、たまたま僕が目撃できたのが幸いだった。学校の講演会で聞いた話に似ていたため相談したところ予想通り。相談してからすぐに警察に動いてもらうことができ、事なきを得ただけの本当にただのラッキーだ。


 もしも、僕があのとき気がつかなければ間違いなく母さんは騙されて、ねずみ講に加担してしまうところだった。


 つまるところ何が言いたいかというと、とにかくどこかふんわりしていて放っておけない母親なのだ。そんな母さんのこの程度のうっかりを気にしていたらキリがない。本当に仕事だけは無理しないでほしいけど。


「母から何も聞いていなかったもので……。すみません……」


「いえいえ、では、作業の方を始めさせていただいてもよろしいでしょうか……?」


「はい、大丈夫です……! お願いします!」


 僕がそう言うと、年配の配達員が若い方の配達員に指示を出しながら家具を運び始めた。二人がよいしょ! と声をあげて荷物を持ち上げたのを見るに、本当に重い荷物みたいだ。


「二階の空き部屋に設置するとのことですが、問題ないですか……?」


 年配の配達員が、荷物を運びながら僕に訊いてきた。


「あ、はい……? 母がそう言っていたのなら問題ないかと」


 一体何が運び込まれているのだろう。不思議でならない。


「完成まで少し時間がかかりますので、しばらくお待ちください」


「はい、改めてよろしくお願いします」


 僕が頭を下げると、すぐに作業が始まった。


***


 作業が始まり、その様子を眺め続けてしばらく経った――。


「作業は以上となります」


「ご苦労様でした」


 僕は、配達員二人を見送り、ドアを閉めた。そして、そのまま、二階へと上がる。


 行き先は先ほどまで作業が行われていた二階の空き部屋だ。


 空き部屋のドアをガチャリ、と開き、僕は、設置された例の物を見た。


「何これ」


 僕は、完成されたそれを見て、思わず独りつ。


 まあ、見ればわかるものだが、そう言わざるを得なかった。


 僕の視線の先には、ダブルベッド――。


 母さんと二人暮らしなのにダブルベッドだ。母さんと一緒じゃないと寝られないなんて十八歳にもなって言わない。小学生のころには、自分の部屋で寝るようになったのに今更だ。それに母さんが僕と今更二人で寝たいなんて言うのもありえない。


 ――うん。意味がわからない。


 最初は、届け先を間違えたのではないか、と思った。しかし、何度伝票を確認しても、お届け先は母親となっている。


 ちなみに配送主は、某有名家具量販店だ。僕の部屋に設置されているスライド式本棚もこの店で買ったものなのだが、値段以上に質が良くて助かっている。本当に素晴らしい。


 閑話休題それはさておき――。


 今、このタイミングで母さんがダブルベッドを欲しがる理由など本当に見当もつかない。


 ――まさか、再婚でもするのか……?


 無理矢理理由をこじつけてみた。


 別にもし母さんが再婚することになっても反対などしないが、仕事が忙しそうな現状を見ると、そんな余裕があるようにも見えないし、あったとしても突然すぎる。


 まあ、でも、突拍子もない行動をよくする母さんならありえなくもないのか……?


 そう考えると、ありえなくもないような気がしてきたが、やはり僕が知る限りではありえない。


「マジで何なんだ……?」


 おそらく気にするだけ無駄なのだろうけど、どうしても、ダブルベッドが突然我が家にやってきた理由が気になりすぎる。


『なんかベッドが届いたんだけど、どういうこと?』


 僕は、居ても立っても居られず母親にメッセージを送った。数分返信を待つも、中々返事は来ない。


 気づけば昼二時を過ぎていた。


 母の勤めている会社のお昼休みもとっくに終わっているだろうし、返信できないのも当然だ。後、三十分くらい早ければギリギリ返信をもらえたかもしれない。


 ――めちゃくちゃ気になるけど、仕方ないか。


 騒いでも後の祭り。気になりすぎるが、今のところは諦めるしかない。


 ため息をつきながら部屋を出て階段を下った。リビングに戻って再びソファへとダイブ。


 ――なんだか疲れた。


 ソファでだらーんとしながら思う。


 このまま昼寝をしようかと迷うが、誕生日だし、そんな過ごし方はしたくない。


 これでは、自分が誕生日に固執しているみたいで笑えてくる。実際、固執しているのかもしれないが。


 それはさておき――。


 お昼も食べ損ねたし、どうしようか。


 今からでも、軽くなんか食べて一斗を誘ってカラオケでも行こうか。


 ――それがいい。


 善は急げ。僕は、一斗に電話をかけた。


***


「冬理、改めて誕生日おめでとう!」


 最寄駅のすぐそばにあるカラオケボックスで部屋に案内されるなり、一斗がぴゅーぴゅーと口笛を鳴らしながら言った。


 相変わらず騒々しいやつだが、渋谷さんのことや謎のダブルベッドなどもやもやすることが多い僕にはこのくらいのテンションで来てもらった方が助かる。


「ありがとう! それにしても、急に呼び出してごめん」


「いいってことよ、どっちみち今日は、後で家に押しかけるつもりだったから手間が省けた!」


 どうやら僕はあのまま家でダラダラしてても一斗に引きずりだされる運命だったみたいだ。


「ちなみに押しかけて何をするつもりだったの?」


「それは、もちろんカラオケに誘おうかと」


 本当に結果オーライらしい。でもなんだか、せっかく計画してくれていたのに壊してしまった感がある。


「サプライズ的なやつだった……? もしそうだったらごめん」


「細かいことは気にすんな! 俺も昼過ぎに思いついただけだし」


 へへへ、と一斗が笑う。


 一斗の言葉の真偽は不明だが、一斗のこういう風に気遣ってくれるところが僕は好きだ。


「そっか。ありがとう」


「よし! 今日は俺のおごりだからバンバン歌えよ!」


 一斗にマイクを手渡され、あたふたとしてしまう。そして、勝手にデンモクを操作され曲を入れられた。


 何を予約されたんだろうと思ったら国歌。卒業式などの様々な学校行事、サッカーの試合などでよく聴くあの国歌だ。国歌だし普通に歌えるだろう、と高をくくっていたら、思いのほか難しくて七十五点と平均点を大きく下回って一斗に大笑いされた。


 それから一時間くらい、僕と一斗が好きな鋭いサウンドのギターとベース、手数の多いドラムに高音の男女ツインボーカルが特徴のスリーピースバンドの曲をデュエットしている内に喉が少し掠れてきた。


 これ以上、このバンドの曲を歌い続けていると喉が大変なことになると思い、僕たちは休憩をすることにした。3時間パックで入っているのだ、焦ることはない。


「いやあ、やっぱこのバンドの曲はきっついけど歌い終わった後気持ちいいな!」


 キリッと凛とした表情を作りながら一斗が言う。気分はロックスター! と言ったところか。


「やっぱ、カラオケは一斗と来るに限るね。こんなに好きな曲を一緒に歌えるのは一斗くらいだし、嬉しいよ」


「ストレートにそういう照れることを言うのはやめろ」


 少し照れ臭そうに頬を赤らめながら一斗が言う。


「いや、だって、本当に嬉しいからさ」


「また、そうやって……!」


 一斗が僕の頭をぐりぐり、としてくる。


「痛い痛い!」


「じゃあ、こっちで」


 こちょこちょ攻撃に切り替えられた。


 そんな風に小休憩を挟んでまた、一時間くらい歌って僕らはカラオケ店を後にした。


***


 カラオケからの帰り道。外はすっかり暗くなっていた。


 街灯が照らす住宅街の道を一斗と二人で歩く。


「そういえばさ、クラスのやつからメッセージ回ってきたんだけど、五組になんか転校生が来たんだって……?」


「ああ、らしいね」


 そういえば、そんな噂をクラスメートたちがしていた気がする。去年、仲の良かった友人たちとなぜか僕だけはぐれてしまい、暇していたときに、本当に小耳にはさんだ程度だけど。


「あれ、あんまり興味ない感じ……?」


「んー、まあ、ないわけではないけど、どうせ関わらないだろうし」


「ドライだなー……。でも、めちゃくちゃ可愛いらしいぞ……? 月曜に一緒に見に行こうぜ……!」


 客寄せパンダじゃあるまいし、何より転校生だって穏やかに学校生活を送りたいだろう。野次馬は、転校生にとってきっと煩わしい存在となるはずだ。


「迷惑だろうし、行かないよ」


「えー」


 不満そうな顔を一斗が浮かべる。


「まあ、その内見かける機会はあるでしょ」


「ま、そうだな」


 転校生の話題もそこそこに終わり、しばらく歩いている内に僕と一斗の別れるポイントまでたどり着いた。


「よし、じゃあ、この辺で」


「うん。また月曜にね」


 僕たちが各々の帰路へ着こうとした瞬間。この辺では珍しい黒塗りの高級車もといリムジンが通り過ぎていった。そして、僕の家の方角へと向かっていく。


「うおお、リムジン……! 初めて見たわ」


 一斗が目を輝かせながら言う。


「なんでこんなとこ走っているんだか」


 少し不思議に思った。


***


 一斗と別れて、自宅へ向かっていると、ようやく母さんからメッセージが返ってきた。


『あのダブルベッドね……。ふふっ……』


 メッセージと共に猫がにやり、と笑っているスタンプが送られてきていた。


「全く答えになっていないんだが……」


 僕は、母さんからのメッセージを見て、独り呟く。


 ため息まじりに歩を進め続けていると、先ほど通りがかったリムジンとすれ違った。


 ――ほんとに、こんな住宅街で何をしているんだか……。


 後ろを振り返って、曲がり角のところで右折していこうとするリムジンを見送る。


 あんな高級車を持っている人がこんな住宅街に何の用があるのだろうか。少し興味はある。が、自分には関係のないことだ。


 再び歩を進めだし、家へと向かっていく。


 歩き続けること、三分――。家が見えてきた。


 まだ夜七時くらいなのに家の明かりが点いている。どうやら、母さんが家に帰ってきているらしい。僕の誕生日だから、早く家に帰ってきてくれたのだろうか。


 少し唇が綻ぶ。


 門を開けて、家のドアの鍵を開ける。そして、ドアノブに手をかけた――。


「ただい――ま……? って……は……? え……?」


 玄関で久しぶりに母さんが「おかえりなさい」と出迎えてくれる。


 そう思っていた。


 しかし、実際に僕を玄関で出迎えたのは、ある意味で合点がいく人物だった――。


「おかえりなさい、青山君! ご飯にしますか……? お風呂にしますか……? それとも、……?」


 そう新婚夫婦の決まり文句を、待ってましたと言わんばかりに言い放ち、ニコッと渋谷さんが僕に微笑みかけてきた。

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