前世の婚約は今世でも有効ですか?
しろがね
第1話 前世の婚約者を名乗る美少女
僕こと
始業式の後、新しいクラスでの新学期の挨拶もそこそこに終わり、そそくさと帰ろうと下駄箱で靴を履き替えていた僕に女の子が声をかけてきた。
ここまではいい。
下校しようとしていたら女の子に声をかけられる――。それは、ほとんどの男子高校生にとっては大変喜ばしいことだろう。少なくとも僕は喜ぶ。しかも、僕に声をかけてきた女の子は中々可愛いかった。
長い黒髪。中に星空でも広がっているのだろうか、と思えてしまうくらい吸い込まれそうなきらきらとした大きな瞳。整った鼻、そして、小さめな口。
俗に言う大和撫子を体現したような美少女だ。先ほどは、中々と言った。しかし実際のところは、中々どころかこの十八年の人生の中で見てきた女性の中で一番可愛いかもしれない。
そんな美少女に声をかけられたらほとんどの男子にとっては有頂天ものだろう。
しかし、ここまで言っておいて、僕は、有頂天どころか地に足をつけたままだった。一ミリメートルも浮いていない。
というのも、僕に話かけてきた女の子がとんでもないことを言い出したからだ。
「前世であなたの婚約者でした」
流れるような美しい所作で彼女はお辞儀をしながら言った。
「……え?」
僕は、思わず素っ頓狂な声をあげていた。
脳を人生で一番早い速度で回転させるも、理解が追いつかない。
「今世で私と結婚していただきたいです……!」
続いた言葉に脳が完全に機能停止した。呆気に取られて言葉も出てこないとは、まさしくこのことだろう。
「あの、青山君……?」
呆然と立ち尽くす僕に目の前の美少女が怪訝な顔をしながら見つめてくる。
僕の顔を覗き込むように近づいてくる彼女に気づいて、放棄していた思考が戻ってきた。
いやいやいやいや……! 怪訝な顔をしたいのは、僕の方なんですけど!?
強制的に再起動した頭でそうは思うものの、何かしらリアクションを示さないといけないと思ったため、僕はようやく口を開くことにした。
「えっと、どういうことか説明していただいても……?」
「先ほど言った通りです……! 私と結婚していただきたいのです!」
改めて説明してもらったところで、全くわからなかった。
そんな僕を他所に彼女は、はい! これ! と弾んだ声で先ほどから手にしている紙を僕に半ば無理矢理手渡してきた。
一体なんなんだ……? と思いながら、手渡された紙を見た。
その瞬間、僕は衝撃のあまり叫んでいた。
「はあああああ!? 婚姻届ぇぇぇぇっっっっ!?」
もはや何が何だか分からなくて乾いた笑いが出てくる。
「是非、サインを!」
引き気味になっている僕なんてお構いなし。前のめりになりながら彼女が言う。
「えっと、ごめん、ふざけてるのかな?」
何かのテレビ番組で高校生がいきなり婚姻届をつきつけられたらどんな反応をする? みたいな企画でもやっているのだろうか。
以前、その手のテレビ番組でどこかの高校とテレビ局がグルになって高校生相手にドッキリを仕掛けているところを見たことがあるためありえない話ではないはずだ。
そんな希望的観測を胸に周囲を見渡してみるがカメラらしきものはない。
どうやら、僕の予想は外れているらしい。なんだか、顔が引きつってくる。
――そうなると、これは……。
嫌な予感がする。
僕の嫌な予感を裏付けるように――、
「いいえ! いたって真面目です! 真面目も真面目! 大真面目です!」
目の前の美少女は、言葉の通り真剣な表情でガッツポーズを決めている。
僕の嫌な予感の通り、今僕の目の前にいる見た目はパーフェクトヒロインな美少女は、どうやら僕に本気で求婚してきているみたいだ。
「ええ……」
僕は、困惑するほかなかった。
やっぱり、テレビ局とかそういうのじゃなくても、友達とか仲間内でやる罰ゲーム的なやつでは……?
そうとしか思えない。否、そうであってほしい。
縋る思いで再びあたりを見渡して、隠れて僕たちの様子を見ている人影が見当たらないかを確認する。念のため二回確認したが、僕たち以外に人影はなかった。
――本当になんなんだ……?
疑問が深まり、さらに困惑してしまう。
そんな僕を他所に彼女は続ける。
「私は、本当にいたって真面目なので是非、印鑑を!」
「いや、無理だから!」
僕は、たまらず婚姻届を突き返した。
「ええ、何でダメなんですか!?」
彼女は驚いていた。僕のことをまるでエイリアンでも見ているかのような目で見据えてくる。
いやいや、驚くところじゃないでしょ……。コントかな……?
信じられない! と言わんばかりに目を丸くしている彼女に、僕は頭を抱えた。
――頼むから夢であってほしい。
僕はそんなことを考え、縋る気持ちで頬をつねってみた。
――うん。しっかり、痛い。
ということは、これは夢ではない――。そういうことになる……。
最後の希望的観測が打ち砕かれ、僕はがっくり、と肩を落とした。
そんな僕とは対照的に彼女は、明るい口調で言葉を連ねる。
「あ、私が知らない人だからダメな感じですか……?」
――ちゃんとわかっているじゃないですか……!
少し彼女を責めたい気分になったが少しは話が通じそうだ、と気持ちを持ち直す。
そう、心の中で少し安堵した瞬間だった――。彼女が何かを思い出したかのような表情をした。
「申し遅れました!
再び気品を感じさせるお辞儀をしながら彼女もとい渋谷さんが言う。
そんな彼女の様子を見て、僕は深いため息をついた。
「いや、今、知っている人になったとて無理がありますよ……? そもそも、僕たちはこれが初対面だし、お互いにどんな人かも知らない。それに、高校生で結婚だなんて、そんなの無理でしょ」
そうだ。高校生で結婚なんて色々事情がない限りありえない。
こう言い切ってしまうのは良くないかもしれないが、少なくともこんなノリで結婚するなんて人はいないだろう。それは間違いないはずだ。
「それは世間一般の常識です! そんなものに囚われていちゃいけません!」
そう言って彼女は、自分と結婚することで得られるメリットのようなものを長々と語り始めた。主な内容は、おいしいご飯が食べられますみたいなごく普通な感じだった。非現実的な状況の中、ごく普通な内容が語られるのもなんだか少し歪な気がする。
しかし、そんな状況の中でも、僕の手を取りながら「可愛いお嫁さんがあなたのお家に! 今ならなんとタダです!」などとテレビショッピングの司会も顔負けの熱量を渋谷さんに向けられたときには、一瞬ドキドキしてしまった。すぐに冷静になったから何も問題ないということにしたいと思う。否、そうさせてほしい。
僕は、こほん、とわざとらしい咳払いをする。と、同時に自分の右手へと目をやる。
――あれ? さっき婚姻届は返したはずじゃ……?
気づけば、いつの間にか再び僕の右手には先ほど返したはずの婚姻届があった。どうやら、テレビショッピングのような熱弁のどさくさに紛れて婚姻届を渡されていたらしい。
僕は、苦笑いをするしかなかった。
「んー、やっぱ、僕は常識にハマったままでいいかなあ……。あはは……」
「どうしてもダメですか……?」
渋谷さんが上目遣いで瞳をうるうる、とさせ僕の顔を覗き込んでくる。
「う、うん。ごめんね……」
可愛らしい女の子に瞳をじっ、と見つめられて不覚にも再びドキッ、としてしまい目を逸らしながら言った。
――なんで僕は謝っているのだろうか……?
――まあ、告白みたいなものを断っているのだし、謝るべきなのか……?
頭の中で自問自答するが、もう気にするだけ無駄な気がしてきた。
そんな風に僕が思考していると――、
「そうですか……。それでは、今回のところは退くとします……」
渋谷さんが残念そうな表情をしながら言った。
今回のところは、という発言が引っかかるが、今はもうこのわけのわからない状況から逃れたい。
「それじゃ、そういうことで君とは結婚できないし、この婚姻届は受理しないので……」
僕は、そう言いながらおそるおそる婚姻届を彼女に再び返却した。
「残念です……」
しゅん、とした様子で婚姻届を受け取る渋谷さんに苦笑いを浮かべながら僕は、踵を返した。
そして、そのまま、歩を進めようとしたその瞬間だった――。
「あ、言い忘れてましたが、青山君、誕生日おめでとうございます」
婚姻届を大切そうに胸元で抱きかかえた渋谷さんが言った。
満面の笑みを浮かべている彼女に目を奪われ、その場に立ち尽くす。この瞬間だけ、婚姻届を突き付けてきた女の子であるということをすっかり忘れていた。
「あ、ありがとう……」
ぺこり、と軽く頭を下げて、僕はそのまま足早に去った。
校門に向かって歩いている途中で気になって後ろを振り返れば、渋谷さんがまだこちらを見ていた。そして、僕が振り返ったのに気がついたのか、手を振ってきた。
苦笑いを浮かべながらもそんな彼女に手を振り返す。
――婚姻届が衝撃的過ぎて忘れてたけど、前世で僕と婚約者だったってなんだったんだろう。
疑問は残るが、そんな話、信じることなんてできないし、相手にするだけ無駄だ。
未だに後ろから視線を感じながら僕は、校門を抜けた。
***
校門を出て、見慣れた通学路を歩いている内に学校の最寄り駅に着いた。
駅には、うちの高校では入学式は午後に行われるため、保護者と一緒に歩いている新入生たちの姿が大勢。制服をきっちりと着ていて、顔もどこかまだ幼さを残している。こうして見ると高校一年生というのは、案外まだまだ、子供っぽい。
自分にもあんな風にこれから始まる高校生活に胸を膨らませている時期があったな。
そう思って、もうあれから二年も経ってしまったのだな、と悲しくなる。
閑話休題。何はともあれ入学式がこれからあったりで、僕たち上級生はおかげ様でかなり早い下校だ。その上、今日は金曜日。
こんな誕生日、嬉しくないわけがない。
どうせなら春休みのままがよかった、と思う気持ちがないわけではないが、僕をいい気分にするには十分すぎた。
そんな風に過ごしていると、制服のポケットにしまっているスマホが震えた。
――誰かからの誕生日おめでとう! メッセージかな?
そんな浮かれ気味なことを考えながらスマホを開くと、やはり、新学期早々学校をサボっていた同じ高校に通う親友――
『冬理! 十八歳の誕生日おめでとう! 一足早い成人だな! それに今年は、同じクラスだな!』
『ありがとう! 同じクラスになれて嬉しいけど、新学期早々サボるのはどうかと思う』
おそらくサボってゲームをしているであろう親友の姿を思い浮かべて苦笑する。
とはいえ、僕に誕生日おめでとう、とお祝いのメッセージを送ってくれるほど仲の良い友人は少ない。ありがたい限りだ。
――そういえば、今日、学校で誕生日おめでとうって言ってくれた人はどのくらいいたっけ……?
そんなことを思い返していると、つい先ほど僕に誕生日のお祝いの言葉をくれた女の子の笑顔が脳裏をよぎる。
まさか、あんな可愛い女の子に誕生日おめでとう、と言ってもらえる日が来るなんて……。と思いかけたところでぶんぶん、と頭を横に振った。
――いきなり僕の名前が記入された婚姻届を突き付けられたときは、本当に心臓が止まるかと思ったな……。……って、ちょっと待って……?
回想したところで僕は、とんでもないことに気づいてしまった。
気づいたことが幸いかどうかはわからない。しかし、そんなことを言っても僕は、気づいてしまったのだ。
「名前はともかくさ……なんで……なんで……僕の住所とか諸々知ってるんだ!?」
僕の叫び声が昼過ぎの駅に響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます