お富が死んだわけ

第1話 安政四年 文月(七月) 朝4つ(午前10時)

 お花の医院は今日も今日とて盛況であった。お花は明らかに縫わなければならない少年の足の傷に焼酎の水銃を撃ち、糸で縫っていく。


「えーん、えーん」

「泣かない、泣かない。もうちょっとだから頑張ろうね」

 

お花はそう優しく言いながら少年の足の傷を手早く縫っていく。縫い終わるとお花は少年の頭を優しくなでた。


「よく頑張ったねー偉い偉い」

「うぐっ、えっぐ」


 そんな少年を見ていた少年の母親は申し訳なさそうな表情をしている。毎度の事であるがお金のことを考えているのであろうということがお花には推測させるのに十分だった。


「す、すみません治療代がなくて」

「いいんですよ。出世払いで」


 ここも毎度の交わされる会話の一つである。お花はお金は出世払いでいいといい、この医院もそうした出世払いで払ってくれている人たちによって助けられていることを説明するが、それでも母親は申し訳なさそうな表情を崩さない。


 これは次回来てくれるかどうか怪しいなと思い、お花は母親に強めの口調で言った。


「必ず次回は来て下さいね。足の傷が原因で破傷風にでもなった目も当てられないので」

「は、はい」

「来て下さることがお子さんの命を守る行動だと思って下さい。それでは次回来て下さるまで足の傷付近は清潔に保っておいてくださいね」

「は、はい」


 お花の少し強めの口調に逆に母親は安心した表情を見せた。次回来てくれる確率が上がったかもしれないとお花は思うと患者の話につい耳が行ってしまった。


「ほら聞いた、伊藤屋さんのところの家の娘さん」

「ああ、聞いた聞いた」

「なんでも早馬にひかれて死んだそうね」


 なんとも聞いていて不憫な話だと思ってくる。娘の命を失った親の心は如何様かと考えてしまう。


「ええい、邪魔するでないだったらしいわよ」

「それは酷い」


 近頃早馬が走ることが多い。海外からくる外国船の話が後を絶たないからだ。次はアメリカ総領事ハリスが来ているらしいということをお花はこの江戸中で誰よりも詳しく知っていた。ペリーは既に帰って持病のリュウマチと闘っていることだろうとお花は考える。この後通訳のヒュースケンは暗殺され、次は中国を圧倒的な力で破ったイギリスが来るので大騒ぎになっていることだろうと考える。


「なんでも外国船のことでらしいわよ」


「へえ」


 正確には外国船のことではない。海を見れば海外船の三角マストが見受けられるのでそれのことではない。問題は外国船の公使達が何用でこの国に押しかけてきているのかである。天皇と幕府、公使達に挟まれて老中も大変だろうなとお花は考えた。そういえば先月に阿部正弘老中が死に、現在は井伊直弼だなとお花は思った。


「それでは次の方どうぞ」


 患者の話に耳を傾けていても診療は終わらないのでお花は次の患者を呼んだ。お花は長椅子に座っている患者の傷を見て先ほどの少年のような重傷なものはいないなと思うと、次の患者を次郎に任せた。近頃次郎にもお花の医療処置のテクニックを教えてきているので医院の頼れる相棒となっている。


 お花は手をざっと洗い、外に出て息を吸おうと思い外に出ると丁度源三郎と会った。


「あら、どうされたんです永井様」

「休憩中だったか、すまんな」

「いえいえ、私と永井様の仲じゃないですか。でどうしたんです」

「本所石原町付近の空き家で妙な屍が出た」

「というと」

「一見首つりに見えるのだが、顔が真っ赤なのと溢血点が見受けられる。自殺に失敗したのか殺されたのか判断がつかん」

「絞殺痕はどうなってます?」

「問題はそこでな。もし殺害されたのであれば紐状のようなものを使った可能性がある」

「生活反応、つまりこう防御して爪に血肉が残っていたりは?」

「それが全くない」

「つまり抵抗した痕跡がないと」

「うむ」


 そこで源三郎は生真面目が服を着たかのような顔を少し困り顔にした。


「それでは私が見てみましょうか」

「頼めるか。すまんなせっかくの休憩中なのに」

「それはいわない約束ですよ」

「うむ……」


 この御仁は本当に侍らしくない侍だなとお花はいつも思ってしまう。お花はくすりと一瞬だけ笑顔を見せると医院の中に入って次郎に説明をする。次郎はお花に先生も本当に大変ですね。後のことはこの次郎にお任せあれと心強い言葉が返ってきたのでお花はごめなさいねいつもと言って源三郎の元へと戻る。


「籠は用意してある」

「はい」


 お花が籠に乗り込むのを見ると源三郎も籠に乗る。そんな二人の後を追うようにして籠の付近に居た御用箱を持った中間の弥七と小物の太助が後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る