第2話 身元発見と捜査
それから数刻経った昼に源三郎が医院にやってきた。お花は源三郎の姿を見ると、次郎に診察を任せて外で話を聞くことにした。
「なにか進展はありましたか?」
「うむ、奉行所に寄せられた人捜しの中に8歳になるお妙なるものがいなくなったと届け出があったそうだ。昨日の夕刻辺りかららしい。実家は米問屋を営んでおり、かなり裕福なようだ」
「そうですか」
裕福な家というお花の見立ては当たっていたなと源三郎が言うと、お花に時間は少し取れるかと聞いてきた。お花は医院に戻り次郎に医院のことを頼んだ後に源三郎に了承の返事をした。
「屋敷の場所は日本橋にあるそうだ」
「それではそこに向かいましょう」
機転が利くのか源三郎は既に二つの籠を用意していた。お花と源三郎は籠に乗り込むと件の米問屋理休屋に向かうことにする。
日本橋付近に籠が近づくにつれて、外から棒手ふりや屋台のかけ声が聞こえてくる。船や川沿いで仕事をしている男達の怒号が聞こえる。それほどに忙しいのであろう。日本橋のある場所までたどり着くと籠は緩やかに動きを止めた。
お花と源三郎は籠から降りると、日本橋に居を構える理休屋に辿り着いた。源三郎が、まず理休屋に入っていき、それに続いてお花も入店していく。
源三郎の同心姿を見た瞬間一人の男が駆け寄ってきた。額に汗を浮かべて、顔色が青白い。とても焦っているようにお花には見えた。
「お妙のことはなにかわかりましたかお侍様」
そこで源三郎は言いにくそうにした後に一度顎を触りながらこの男に説明する。
「今朝比丘尼橋付近で発見された遺体がお妙の可能性が出てきた。身元を特定できる材料は簪や着物などだが、しかし屍の状況が酷くてな、暫くこちらで預かっている状況だ」
「そ、それほどに酷い状況なのでございますか」
男は額を押さえて目眩のような物を感じているようにお花には思えた。そんな男に源三郎は非情にも言い切った。
「直視に耐えられないほどだ。とは言ったものの確認はしてもらわねばならん。遺体を保管している場所までこれから来てもらえるか」
顔色を真っ青にしながら男はこくりと頷いた。店から出る前にこの男は長男の左衛門ということがわかった。屍を安置してある場所に左衛門を連れて行き、屍に対面させると間違いありませんと言って左衛門は泣き崩れた。そこで左衛門に話を聞くことにした。
「もう一人、次女のはつが消息を絶ったこれで間違いないか?」
「ぐずり……ふぉ、ふぁい」
「なにか問題に巻き込まれような記憶はあるか?」
「ぐずり……あ、ありません……ただ、お祭りに行った直後から私から離れるようにという文が戸に挟まれることはありました」
源三郎は泣き崩れる男に心を鬼にして質問していく。源三郎の肩が怒りで震えているのがお花には伝わった。
「それ以外では」
「わ、わかりません。ぐずり……私もなにがなんだか。どうしてこんな小さな子がこんな無残な姿で殺されなければならないのか犯人に怒りしかありません……」
「この子やはつが良く遊んでいた場所や交友関係などはわかるか?」
着物の袖で左衛門は涙と鼻水を拭うと苦しそうな表情で言った。
「ぐずり、私はあまり興味がなかったのですが……姉妹三女全てが外来物問屋が好きでよく遊びに、ぐずり……行っておりました。それと近所の商家にもよく遊びに行っておりました……」
「そうか、辛いときに色々聞いてすまなかったな」
源三郎は左衛門の肩に手を置くと、左衛門は源三郎の手を握って懇願した。
「はやの消息も早くどうか早く見つけてください。そして犯人を捕まえてください。ぐずり……おねがいたします……ぐすり」
最後辺りは声にならない声を出して、左衛門は深々と頭を下げた。その時に床に落ちた涙がお花には忘れられなかった。
お花は心に誓う。必ず犯人を捕まえてみせると。
暫し時間が流れ、源三郎とお花は日本橋に来ていた。左衛門の近所付近の商家に聞き込みに回るためであった。
まず一件目の聞き込みは陶磁器を扱う商家だった。
源三郎とお花は店の中に入っていく。店の中はそれほど人はおらず、番頭が帳簿と睨めっこをしていたり、番人が店の皿から埃を落とすために皿を布で拭ったりしていた。
お花と源三郎は番頭に近づくと尋ねる。番頭は同心姿の源三郎を見やると、体を傾けびっくりした様子を見せる。突然尋ねてくる同心の姿を見て驚かない方が不思議だろう。
「すまぬが少し聞きたいことがある」
「は、はい、何用でございましょうか?」
「言いにくい話なのだが、米問屋のお妙が殺害された。それに次女のはやという娘も消息を絶っておる」
「そ、それは本当でございますか?」
源三郎の話を聞いて番頭は斜めに傾けていた体を前に持ってきて真剣に聞いてくる。この話にとても興味があるのだろう。顔を見ても驚いた表情をしているだけでノンバーバル行動的には異常はない。
「詳しいのは旦那様と奥様でございます。直ちに呼んで参ります。それにしてもあんな良い子達が……」
番頭は悔しさを滲ませるような表情をして店の奥に消えていった。それから暫くして店の奥から店主と思わしき人物と妻と思われる人物が現れた。番頭は近づいてきて店主の伊右衛門とお滝であると紹介した。
伊右衛門の方は小走りにこちらに駆け寄ってきて尋ねる前に逆に訊いてきた。
「お、お侍様、お妙ちゃんが殺されたというのは本当のことなんですか?」
「うむ、事実だ」
「な、なんてことだ。あんな優しい良い子が……どこの悪党だ……本当に優しくて良い子で私の娘とも良く遊んでくださったんです」
声に涙混じりの嗚咽が混ざる。妻の方も目から涙を拭い、悲しそうな表情をしている。真剣に聞こうと体を前に出し、パーソーナルスペースを縮めてくる。ノンバーバル行動的に見てもこの二人に異常はない。
「それに、はやさんも行方がわからなくなっているというのは本当ですか?」
「うむ、昨日から行方が分からなくなっている」
「お妙ちゃんの事件に関係のあることなんでしょうか?」
その伊右衛門の問いかけに源三郎は着物袖に手を入れると考えた後に言った。
「それもまだ分からぬ」
「はやさんもお妙ちゃんも本当に私と家内の娘を可愛がってくださったんです。どうして
こんなことに」
「それが分からぬから調べておる。しかしお主の話を聞く限り相当に良い娘達だったようだな」
「はい、それはそれはとてもよい子達で……私どもは悔しさしかございません」
本当に伊右衛門は悔しそうな様子を見せる。お花は源三郎に視線を送り次の質問にシフトさせることにする。
「そうか、では話は変わるが、理休屋の娘がこのように殺害されたり、行方が分からなくなるようなこと、つまり恨みを買うようなことに対してなにか覚えはないか?」
「それは商売をしていたら恨まれるようなこともあるでしょう、たださすがに人を殺すような恨みまで買うことはないと思います」
お花は伊右衛門の言うことに納得して確かに商売をしていると恨みの一つや二つは買う物だろうと考える。自分も医院をしていて恨まれたことは一つや二つではない。
源三郎は伊右衛門に更に尋ねる。
「左衛門の家の戸に左衛門に近づくなと言う文がよく挟まれるようになったそうだが、このことでなにか知っていることはないか」
伊右衛門は源三郎の質問にこめかみに手を置くと、困ったような表情で言葉を返してきた。
「分かりませんね。その文はなんなのでしょうか? 近づくなですか……気持ちの悪い文でございますね」
「うむ、であるな。ところで左衛門の女関係についてわかるか?」
「いえ、とても真面目で女遊びをしていることなどは聞いたことはありません。あんなに色男なのに律儀なことですよね」
「そうか。大体聞きたいことはわかった。すまぬな忙しいのに時間を取らせてしまった」
「いえいえとんでもございません。お妙ちゃんを殺した悪党を早く捕まえてくださいまし。それとはやさんも早く見つかるように祈っております」
源三郎が踵を返し、店の外に出ようとすると、後ろで伊右衛門とお滝は手を合わせて念仏を唱えていた。念仏を唱え、魂を清めようと思うほどまでに無念だったのだろう。
近くの商家数軒に尋ねに行ってどこも同じような話しか聞けなかった。
最後に尋ねた商家は外来物を扱っている問屋であった。お花と源三郎は店の中に入っていく。
やはり番頭が帳簿と睨めっこをしていたり、番人が忙しく動き回っていた。同心姿の源三郎を見るやいなや一人の男が近づいてきた。
「お侍様本日はどのような御用向きでしょうか?」
「うむ、少し聞きたいことがあってな」
「近くの商家仲間から聞きました。お妙ちゃんが殺害され、はやさんが行方不明だとか」
「うむ、話が早くて助かる」
そこで男は体を前側に向けて源三郎とのパーソナルスペースを縮めながら自己紹介をした。
「私、ここの店、舶来問屋を営んでいる。店主の久兵衛と申します。それと向こうに座って皿を磨いているのが接客を主にしている未緒でございます。理休屋さんの三女とのやりとりは全て未緒がやっておりまして」
「それでは未緒とやらに話を聞いてもよいか?」
「ええどうぞ。こんな許せない事件のお力添えにはいつでもなります。ただですね未緒さんは今亭主との関係があまりよろしくなくて愚痴を少し聞かされるかもしれません」
そんな久兵衛の言葉に源三郎は乾いた笑みを浮かべた。そして久兵衛は源三郎とお花を未緒の前に連れて行った。未緒は手に手袋をしていて皿を磨いていた。手袋をしているのをお花が見ると久兵衛が訳を言った。
「外来物にはそれだけ価値がありますので、汚れが付かないように家ではこうして手袋をしているんです」
よく見ると久兵衛の手にも手袋がしてあるのが窺えた。久兵衛は未緒に声を掛ける。
「未緒さん、いまちょっといいかい」
未緒は皿を台の上にゆっくりと載せると顔を上げた。年の頃は21、2ぐらいか。未緒は久兵衛に尋ねるようにして聞き返した。
「どうかなさいましたか? 旦那さま」
「いや、さっき話したけど、お妙ちゃんのことと、はやさんのことで奉行所の方が話を聞きたいとのことで」
久兵衛の話を聞いて、未緒は双眸に涙を溜め始めた。
「お妙さんが酷い殺され方をしたそうで……」
ノンバール行動的に言えば、この女性は体を傾けることもなく、かと言って前に乗り出して興味深く聞くわけでもない。ただ純粋に涙を流していることはわかる。
「お主がよくこの外来物の商品の紹介を三女にしていたそうだが」
「はい、とても贔屓にしていただいて、仲良くもさせて頂きました。それ故に悲しいです……」
そう言うと未緒は布で目の涙を拭った。そして未緒は言った。
「はやさんも行方不明というのは本当なのですか?」
「うむ、昨日から行方がわからなくなっている」
「大丈夫なのでしょうか? はやさんも」
「わからぬ。今は真剣に探している最中だ」
「そうですか……」
未緒はそう言うと重力に逆らうように肩を落とした。これもなだめ行動の一つだ。
「ろくな話がありませんね」
「そうであるな」
「私の旦那なんか近頃若い女と遊んでいて家に帰ってきやしませんよ。ほんといけない人」
「……そうであるか」
「手癖が悪くて、本当に若い子から大人まで見境がないんだから」
「……それは大変だな」
お花は源三郎の顔を見やる。源三郎は顔をやや引きつらせ、困ったなという表情をしている。だから源三郎の代わりにお花が質問をすることにした。
「ところで未緒さん、お妙さんが殺害されたり、はつさんが行方をくらませるようなことになにか思い当たることはありませんか?」
旦那の話をしていた時は体を前に傾け、台の上に手を乗せて真剣に訴えかけるノンバーバル行動を見せていたが、話が変わると肩を落とし、残念な表情をした。
「わかりません。お二人ともとても優しくて、私なんかによく饅頭を差し入れてくれたりして……ぐすり……殺されるような方達ではなかったと私は思います」
「左衛門さんのもとに妙な文が届くらしいのですが、なにか知っていることはありますか?」
それを聞いた未緒は顔を上げてから知りませんと言った。
「お妙さんや、はつさんが、いえ理休屋自体が何者かに憎まれていたなんて感じることはありましたか?」
「いえ、私にはわかりかねます。ただ左衛門さんは色男なのでそういうこともあるかなとは思います」
「そうですか……」
特にめぼしい情報もなかったので、源三郎とお花は未緒と久兵衛に礼を言って店を出ることにした。
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