第三章 猟奇的犯罪事件
第1話 水無月(六月) 五ツ(午前八時)
今朝医院で診察をしていると源三郎が慌てた様子で入ってきた。訳を聞くと直視できないほどの屍が比丘尼橋付近で発見されたそうなのだ。お花は医院をいつも通り次郎に任せ現場へと急いだ。
現場に着くと橋から少し離れた堤防付近に筵を被された遺体があった。これを最初に発見というか遺体を眺めたのは奉行所同心室井勘三郎配下の留吉と言うらしい。近くに留吉がいるが屍に近づこうと決してしなかった。
少し筵から距離をとっている留吉らしき男にお花と源三郎が近づくと留吉は頭を下げながら挨拶をした。
「お疲れさんでございやす」
「あなたが留吉さん?」
「はい。そうでありやす」
お花は一礼すると早速遺体の状況を留吉に尋ねた。
「屍はどんな様子なんですか?」
「どんな様子もなにも……もう思い出しただけで寒気が走りやす」
留吉はそれだけいうと渋面を貼り付けながら筵から目を逸らした。お花は留吉の様子を見た後、踵を返し、筵の法へ歩む。6月にもなると死臭が酷く近づくにつれて血のむわっとした臭いと死臭が鼻についた。
筵の上には蠅が飛び交い、蛆がうねっており屍の肉を食らい尽くそうとしていた。
源三郎はお花に目配せをしてから屍に掛けられている筵を取った。そこには口で言うのも憚られる猟奇残虐死体があった。源三郎は思わず口元を手で押さえ。川の付近に行くと嗚咽と共に胃の内容物を吐き出した。屍にも蛆や蠅がたかっている。
顔は原型が無いほどに鈍器かなにかで殴られており、屍の首には刃物で十字に切った後が見受けられた。更に腹も縦に切り裂かれており、そこからは人間の臓物が見えてしまっていた。
お花は現代でも異常犯罪の検屍を行ってきた。しかしここまで酷いのはなかなかない。
「さて……これはどうしましょうかね……」
お花は戻ってきた源三郎を見た後に御用箱に近づき、中から針と糸を出す。それを屍の下に持って行き華麗な手さばきで傷を縫っていく。こうでもしないと腹から臓物が零れだし検屍ができないからだ。糸を切り、御用箱に戻すと屍の様子を見ていく。
「身長にしてまだ7、8歳。子供の着ている着物からは女子と見られる」
そう言いながらお花はまず顔の傷を注意深く観察していく。。
「生前についた傷も多く見受けられるが、顎付近にある擦過傷は死後のものと見受けられる」
よく見ると首にも絞められた後がある。
「首についた絞殺痕は白く死後に付けられた物と見受けられる。また首の十字の傷から出る出血量や黄色い皮下脂肪が見られることから死後に付けられた物と思われる。また切り裂かれた腹部も同じでこれも絶命をした後に付けられたものと思われる。となると直接的な死因はどこなのだろう」
お花はよく目を凝らして腹付近を見ていくが、特段腹が切り裂かれた以外の刺し傷などは見受けられなかった。
源三郎は屍から目を逸らしているが、お花はそんな源三郎に手伝うように言った。
「背後も調べたいので永井様、こう屍をひっくり返すのを手伝ってもらえませんか」
「すまぬ、もう少し待ってくれ。なにぶん慣れなくてな。切腹は見たことはあるのだが、これはまたそれとは別物だ」
源三郎が落ち着くのをお花は待つことにした。源三郎が手伝えるようになるとお花は遺体に合唱してから二人で遺体をうつ伏せにしていく。
「死斑は押すと消退しない。死斑は完全にできあがってしまっている」
「うむ」
お花はしっかりと背中付近を見ていく。特に気になる傷などはない。又を開いて陰道や陰裂、そして肛門を調べて行くが、犯された後も釘などを打ち込まれたことなどもない。足にも傷は無いので、最後は首と頭辺りを調べて行く。首は先ほどの十字の傷と死後に付けられた絞殺痕以外に目立つ部分は無い。後頭部を調べるとどろりとした血が手に付着した。髪をかき分けて調べて行くと複数回なにか鈍器のようなもので殴打された痕が見受けられた。また血の量や傷口から見るにこの後頭部の打撃が死因であったとお花は判断をした。
「角膜混濁は鑑定不可。そして下腹部に浮かぶ緑青色や一部は血管の走行に沿って(腐敗網)進み腐敗泡を形成していることと。硬直具合から死亡推定時刻は二日前の夜辺りかと思われます」
一応蛆の成長速度も観察した後にお花は考える。この遺体には非人格化『デパソーナリーゼーション』が認められ、過剰攻撃も見受けられる。この子供に恨みを抱いたり、ストレスの要因になる要素があったのかもしれない。この殺しは完全にこの子供の個性『アイデンティティー』を消し去ろうとする色が見えた。但し遺体に毛布を掛けたり、頭の下に枕を置くなどの打ち消しは見受けられない。これだけでFBI行動科学科のプロファイリングでいう無秩序犯の犯行の様子が見受けられるので、相当知能が下がっていて尚且つ精神の病を持っている可能性も否定はできない。
この遺体を見るに入念に計算をしてから行動を起こす計算高い秩序的な猟奇的犯罪者の側面は少しも見受けられないことは明らかだとお花は感じ取った。
「お花はこの屍を見てどう考える」
「永井様、この屍の様子を見るにまともな思考を持った者が犯したとは考えにくいです」
「となるとどういうことなのだ」
統合失調症などという単語を言っても源三郎には伝わらないので、お花はかみ砕いて言った。
「そうですね例えば、誰が見ても見えないものと喋っていたり、一人でなにもないのに騒いでいるなにか変な人を見たことはありませんか?」
「確かに偶にそういう輩はいるな」
「恐らくそれらに類する者の犯罪なのだろうと思われます」
「ふむ、となると人ならざる者ということか」
少し悪い言い方になってしまうが、この時代には精神医学の認識がされていないので仕方が無いのかもしれない。だからお花はやんわりと包み込むような表現をした。
「いや人なんですが、正常な人ではない感じといいましょうか。ただ、これだけ小さい子にこれだけのことをやれるんです。まともな者とは到底言えないでしょう」
源三郎は顔色を真っ青にしながらも相づちを打った。
「であろうな」
そこでお花は顎に手を置くと考えた後に源三郎に今後の行動について説明する。
「着ている着物から見て富裕層の着物だと思われますので、恐らくは奉行所に人捜しの願いが入っているかもしれませんね」
源三郎は顎に手を置くと頷いた。
「この顔面の損壊具合だと似顔絵も描けないしな」
「はい。ですので後から検屍結果や屍の様子を紙に書いて纏めて永井様に渡しますので、今日の私の仕事はこの辺りまでとなります。なにか進展があったらまたお力になりますので、またお呼びください」
「すまぬな、いつも苦労ばかりをかけてしまって」
「なに、永井様と私の仲じゃありませんか。それに私は事件を解決できることを誇りに思っておりますので」
お花は自分の持てうる技術で事件を解決できることに誇りを持っている。遺体の声を聞いて事件を解決する。これほど法医学者冥利に尽きるものかと思っている。
お花は紙で手を拭いた後に籠を呼び、次郎に任せている医院へと戻ることにした。
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