第7話 真相『死んだ女』【終】
「あなたはやはり初野さんだったんですね」
「はい……」
泳こと初野は自分が初野であることを認めた。お花は身を乗り出して追求するようにして尋ねた。
「お空の件にしても、最近見つかった撲殺体にしても殺したのはあなたで間違いありませんね」
「正確にはもう一人私は殺しています。撲殺体の名前は小次郎、そして殺害した後に川に突き落としたのは弥平次といいます。弥平次は川から海に流れて魚の餌になっているのではないでしょうか」
スラスラと初野は答えていく。その顔は冷徹そのものでもう逃げる気も隠れる気もないようだった。
「お空の件で多額のお金が必要だったはずですが、それはどのように用意をされたのですか?」
「この家にある蔵の宝物を売って換金して資金に充てました」
「やはりあの裏にある勝手口から外に出て殺害をしたのでしょうか?」
「滝はお金を渡せばなにかと便宜を図ってくれましたので」
そこでお花は少し考えた後に既に達観した表情になっている初野に肝心なことを尋ねた。
「一つ腑に落ちないことがあります」
「なんでしょうか?」
「どうして泳さんの遺体が初野さんに間違われたのか」
お花がそれを訊くと、達観していた表情になっていた泳の顔が悔しさで歪むのが見て取れた。
「私と泳はある日偶然町の中で出会いました。それから親交を重ねて本当の姉妹のように仲良くなりました。互いの衣服を交換するなどして入れ替わっていたこともあるのです」
その初野の言葉を聞いた瞬間、文吉は悔しさを滲ませた表情をしながら零すように言葉を紡ぐ。
「時々初野が足の具合を悪そうにしていることがありましたが、挫いたりしたのかなとあっしは思っていやした……」
お花は文吉から泳に視線を戻すと、泳は目に涙を浮かべながら語り始める。
「そのようにして遊ぶことが多く。互いの家に迷惑を掛けることもありませんでした。ところがある日の昼でございました。遊び終わった私は厠へ出かけている間に泳が強盗団に囲まれている姿を見てしまいました。私は泳の着物を着ていましたし、泳は私、初野の着物を着ていました。強盗団は服装が貧乏くさいと言って当初は泳じゃないのではないかと疑っていましたが、泳は自分が泳だと主張して私を庇うようにして拉致されました」
そこで泳の瞳からぽろりと涙が零れる。
「どうして私はあのときに物陰に隠れてしまったのか、その後悔しかありません……ぐすり……私はなんとか泳を助けられないかと焦り強盗団の後を付けました。ある小屋に強盗団が入って暫くした後に男達、小次郎と弥平次が慌てて小屋から出てきました。そしてお空にこう言うのが聞こえました。殺してしまったがどうしようと。お空はまるで風が吹くような調子で言いました。生きていることにして徳城屋から金を奪えば良いと。その場から強盗団が消えると私は小屋の中に入り、変わり果てた泳の姿を見ました。そこには犯され、無残に殺された泳の姿がありました」
お花が源三郎に視線を送ると源三郎は間違いないと断言する。つまり着ている衣装が初野の物だったので、遺体は初野と勘違いされたのだろう。
それにしても聞けば聞くほど胸くそが悪くなる話だとお花は怒りさえ覚えた。泳が強盗団に殺意を覚えるのも分かる気がした。そこで泳は歯がみをしてから声を絞り出す。
「強盗団の目的は徳城屋のお金です。だから私はその足で急いで徳城屋に戻りました。せめて奴らにお金だけでも渡さないようにするのが私の精一杯なあがきだったのです。強盗団も泳が生きているという噂を聞いたのでしょう、その後お金をせびってくることもありませんでした」
泳は血が滲みそうなほどにぐっと手に力を入れた後に涙声を出した。
「馬鹿な子ね。どうしてあのとき自分を初野と名乗らなかったのでしょうか?」
目からぽろぽろと涙を零す泳に向かって源三郎は静かな口調で語る。
「自分が初野だと言えば、泳の姿をしているお主に危害が加わる。泳はそれほどお主を大切に思い、姉妹のように思っていたのであろう」
源三郎の静かな静かな、そして哀れむような口調で語りかけられた泳は手の甲に涙を落として儚い声を出す。
「どうせ私は死罪になるでしょう。ずいぶん汚れてしまったけど、この体は泳の物でもあるのね。それでは無様に汚すことはできませんね」
初野はそう言うと懐から刃物を取り出す。お花は、
「ちょ、ちょっと待ってください。まだなんとか出来る道があるかもしれません」
と、悲痛な声を上げたが、初野は凍えるような微笑を浮かべると逆にお花に聞き返した。
「どういう方法です。永井様、私は死罪でございますわよね」
そう尋ねられた源三郎は渋い表情になる。公事方御定書によると殺人には死罪とあるので死罪から逃れることはできない。
こんな初野が苦しみ抜いた事件であっても法は法なのだ。ただただ顔を真っ青にして立つ文吉、はや夫婦、利左衛門、お連に向かって泳は語りかける。
「ごめんなさい文吉父さん、そしてはやお母さん」
そんな初野の悲痛な呼びかけに文吉とはやは泣きむせぶ。
「ぐすり、すまない初野……」
「ごめんなさい初野……」
そして初野の目は利左衛門とお連の元へ向く。
「無関係なのに巻き込んで済みません、お連さん、そして利左衛門お父さん。泳と巡り合わせてくれたことだけには感謝致しますわ。でも本当にお恨み申し上げます」
「……」
「……す、まない、初野……」
蝋人形のように固まるお連と動揺が隠せない利左衛門を見終わった後に初野は懐から刃物を首に近づける。
そんな初野の最後の行動を見て、お花は悲鳴に似た声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいーー!」
お花が初野に近づこうと動いた瞬間、初野は自分の首に小刀を当て貫く。首からまるで噴水のように血しぶきがあがる。
「ごぶっ……」
血しぶきが上がっていてもお花は倒れ込む初野の元へ駆け寄り懸命に止血をしていく。しかし血の収まりは一向に見えない。そして数分後初野は絶命した。
「こんな最後ってあるんでしょうか……」
「お花……」
駆け寄ってきた源三郎はお花の肩に手を置いたが、お花はただただこの事件の悲しさを呪うのだった。
その日の夜になった。事件は解決し、血しぶきを浴びたお花は銭湯に入り血を落とし、着物を着替えた後に源三郎達と晩酌をしていた。
今日は珍しく源三郎の家での晩酌であった。源三郎の妻である美弥の手料理に手を付けながらお花は後悔の言葉を口から漏れさせた。
「私には心理術があります。検屍もできます。でもたった一人の女性も救えなかった……」
そう言うと、お花の殻になった杯に美弥が酒を入れる。柔和な顔つきをした優しい女性だ。
美弥はお花に静かに静かに語りかける。
「お話を伺うと、この事件の話は最初から終わっていた感じがします」
「終わっていた?」
「はい、もうお花様が介入なさっても誰も助からないぐらいに話が終わっていたと私は思います」
そして美弥はお花の目をじっと見ながら柔和な表情を向けて語りかける。
「お花様、お花様は確かにもの凄い技術を持った方なのかもしれません。だけど……お花様は神様ではないのです。ですので終わってしまっていたことを修復することはできません」
「……」
黙るお花に美弥はそこで話を終わらさず最後に笑顔を向けながら言い切った。
「それでもお花様は初野さんと泳さんが姉妹であることを暴き、初野さんに最後の安らぎと優しさをもたらしたと私は思っています」
美弥の優しい声音を聞いてお花は悔しそうな表情をする。そんなお花に源三郎は自信を持たせるようにして断言する。
「どうであれ、お花よ。お主はこの江戸の亡霊騒ぎを解決させたのだ。人は安堵し、今日からゆっくり眠れるだろう。なので自信を持つがよい」
源三郎の元気づける言葉を心の中で飲み込んだ後に、お花は大きく息を吐いて言った。これは自分でも安心させるなだめこうどうの一つであると分かっている。だからお花は誰に言うでもなく灯の点る蝋燭を見ながら言葉を零した。
「本当にそうなんでしょうかね……」
こうして江戸の亡霊事件は静かに夜の帳のように幕を下ろすのだった。
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