第3話 紡績問屋徳城屋と娘

 店の中に多種多様な織物があり、男女の勤め人などが忙しなく動いていた。お花と源三郎は忙しそうに動く人たちを縫うように避けていき番頭の前に行く。番頭は帳簿を見ながら顰め面をしていた。

 源三郎は番頭の前に進むと声を掛ける。


「忙しいときにすまぬ。私は南町奉行所の永井源三郎と申す。現在ある事件を追っていてこの店の主人に話を聞きたいと思っている」


 番頭はそこで怪訝な表情になる。事件の話を聞きに来たと言われて明るい表情になる者など逆にいないなとお花は思った。


「事件ですか……手前どもはそのような大それたことに関わってはおりませぬが」

「関わっているとは言ってはおらぬ。調べたいことがあるので主人を呼んで貰いたいと言っている。この命令はご公儀の命令でもある」


 ご公儀の名を聞いた瞬間、番頭の体が仰け反るようにして上半身を後方へ仰け反らせる。これはなだめ行動であるが、誰でもご公儀が調査をしていると聞くとストレスを感じるのは当たり前のことだろう。


「ご、ご公儀でございますか……」

「うむ」

「ちょ、ちょっとお待ちください」


 番頭は二〇代前半とは思えないほどに顔に皺を寄せてから店の奥へ消えていった。暫く待っていると、店の奥から三〇代ほどの男と女が現れた。

 男と女は源三郎に一礼すると名を名乗った。


「私は徳城屋利左衛門と申します。こちらは妻のお連と申します」

「うむ、私の名前は永井源三郎と申す。そしてこちらは私の助手のお花と申す」


 源三郎の促しを受けてお花も利左衛門とお連に頭を下げる。


「お初にお目にかかります。お花と申します。よろしくお願いいたします」


 そう言いながら更に深くお花は頭を下げた。そんなお花を見て利左衛門とお連は少しリラックスした表情になった。頭を上げて二人の顔を見たお花はうまくいったなと感じ取る。

 源三郎はお花に話すように促す。源三郎よりお花の方が交渉能力は高いことを源三郎は分かっている。源三郎は誠実な武士だ。自分の方が上の立場の人間だから、自分が偉そうにして率先して動くことは絶対ない。


「近頃の亡霊騒ぎはご存じですか?」


 お花は単刀直入に利左衛門に聞くと、利左衛門は眉根を落とし、八分の一秒の世界で瞳孔を収縮させた。更に顎に力を強く入れ唇を噛む。そしてごくりと喉を鳴らすとどもりながら言葉を返してきた。


「ぞ、存じております」

「今日はその件で少し聞きたいことがあってきました」

「は、はい……」


 そこでお花は少し考える。あの母親は縫製の仕事をしていると言った。ということは今後もこの徳城屋と関係を持つことになるのだろう。名前を出さない方が得策かと頭の中で考えを纏める。


「実は細かな調査をした結果亡霊騒ぎの似顔絵と徳城屋さんの娘さんと似ていると言う者がいまして。気分を害するかもしれませんが、それでもこうしてお話を聞きたいと思いまして」


 まるで調べたのは源三郎とでも言わんばかりに隣に居る武士をジッと見ると、源三郎は顎に手を置いて困ったような表情をする。


「そ、そのようなことを言ったのはどのような者でございましょうか?」


 慌てるように身振り手振りを交えてそう言った利左衛門にお花は再度頭を下げて言った。


「すみません。捜査上の機密事項なのでそこはどうかお聞きにならないでいただけるとありがたいのですが。例えば徳城屋さんもお店の経営のことで言える情報と言えない情報がありますでしょう」


 そこで利左衛門は渋面を作ったような表情になるが、妻のお連が利左衛門に隠していても仕方がないと助言をすると利左衛門を諦めたような表情になった。


「確かに娘と似顔絵の娘は似てはおりますが、関係はないと手前どもは思っております」

「そこをしっかりと調べるために娘さんに面会させていただけないでしょうか?」


 なおもお花は話題にしがみつく。そうすると利左衛門はギュッと着物の裾を握ると、お連は利左衛門の手を握り変わるようにしてお連が話を進ませた。


「わかりました。どうぞお上がりください。娘は奥におりますので」

「すみません。それでは永井様も」

「うむ」


 二人で履き物を脱ぎ、徳城屋の邸内の中へ入っていく。広い家だった。廊下の側面には障子があり何部屋か部屋があることが窺えた、しっかりとした木造造りだった。廊下を更に先に進むと今度は立派な庭に出て綺麗な木々や花が植えられており、池の中では鯉が泳いでいた。


 娘の部屋はまだかなとお花は考えていると、庭を抜け廊下を突き当たった場所から右に抜け更に先に進むと利左衛門とお連は足を止めた。どうやらここが娘の部屋のようだ。お花は庭へ抜けられるように設置されている階段を見た後に、塀の方を見ると裏の勝手口があることが窺えた。


「こちらが娘の泳の部屋でございます」

「ありがとうございます」


 お連は優雅な動作で手で指し示すようにして泳の部屋を紹介する。お花はそんなお連に礼を述べた。お花と源三郎が入ろうとした時にお連は手で制して少し待つような動作を取った。


「すみません。実は娘の泳は怪我の影響で片足の都合が悪く、綺麗に正座ができないのでございます。どうぞご無礼に見えるかもしれませんがご了承くださるとありがたいです」


 その言葉はお花にではなく源三郎に向けられているような気がした。源三郎は咳払いをした後に顎を撫でながら言葉を返す。


「承知した。しかしそのような足で不便であろうな」

「お気遣いありがとうございます。それでも良い子に育ってくれてますので」

「そうか」


 源三郎の気遣いの言葉にお連はまるで自分の子供を自慢するようにして語る。それに源三郎は静かに頷いた。


 そしてお連が障子扉の前で泳に向かって声を掛ける。


「泳、いまいいかい?」


 暫くして室内にいる泳から返事が返ってくる。


「はい、どうかなされましたか? お母様」

「南町奉行所の永井源三郎様と助手のお花様が泳に話を聞きたいことがあるらしくて」


 また暫くして部屋の主から返答が返ってくる。少し泳は考え込んだようにお花は思えた。


「どういう話かわかりませんが。私は構いませんよ」


 中に居る泳の了承が取れたところで、お連は障子扉を開ける。室内は右側面に光が入るように設計されていて薄暗くなるのを防いでいるようだった。

 お花と源三郎は利左衛門とお連の促しを受けて室内へ入る。

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