第2話 死んだ筈の女
二日後になって源三郎が医院にやってきた。お花は外に出ると源三郎と会話をする。源三郎の体が若干ぶるっと震えたのはお花の見間違いではないだろう。
「どうなされました?」
「それが……」
源三郎は言いにくそうにしながら言葉を一度切ると、先を続けた。
「確かに怪しい女が深川の銭湯に来たそうだ。それが銭湯の主人に聞くと、死んだ初野の顔で間違いないというのだ」
今まさに江戸では一つの事件が評判を呼んでいる。それは瓦版で初野の似顔絵が書かれ、亡霊が人を殺すように頼んだやら、亡霊が人を殺したなどということが一つのセンセーショナルになって江戸を騒がしているそうなのだ。
お花も患者にこの話題を振られて困ったことを思い出す。
「まさか、殺された初野という女性が墓から蘇って殺しをしているというんですか?」
「ないと言えるか」
科学者に近くなる人物になるほどに幽霊なんかいないとは言わない。そのような職に就く人物は、ひょっとするとそのような不可思議なこともあるかもしれないと言葉を濁す。
あらゆるものをないと断言することは科学を否定しかねないからだ。だからお花も顎に手を置いて源三郎に言った。
「摩訶不思議なことは全てないとは言えませんわね」
お花のその返答を聞いて源三郎は顔色を一段と青くしてぶるっとまた身を震わせる。
「お主がそういうとまるで本当のことのように聞こえて仕方がなくなってくる」
「死んだと思っていた屍が息を吹き返して起き上がることもなくはないですから」
過去にそういうこともあったなとお花は思うと顎に手を置いて考えた。そんなお花を見て源三郎は少しの渋面を作って語りかけてくる。
「うむ……実はな、お花。ご公儀もこの亡霊騒ぎを重く見て徹底的に調査せよとのお達しなのだ」
「ご公儀がですか……」
とは言ってもなにをどう調べていいのか今のお花にも判断がつかない。源三郎はぼそりと言葉を零す。
「地道な聞き込みしかないのであろうな」
「今のところそれしかないのでございましょうね」
銭湯に浸かる幽霊など、これこそおかしな話はない。となるとなにかが突破口になる可能性があるのだろう。その突破口が今の自分たちに見えていないだけで。
それから源三郎と二言三言言葉を交わし、お花は医院に戻った。数時間いつも通り診察をして昼休憩を取って、午後の診察を始める。
一番目に診察をしたのは頭をぶつけて縫うことになった少女だった。この少女の家もお金を持っていなく出世払いでいいということにした。真面目に医院に通ってくれて今日抜糸を行う日であった。
お花は抜糸をしながら少女に優しく語りかける。
「痛くない?」
「うん! ちょっとしか痛くない」
「それでもちょっと痛いか。ごめんね我慢してね」
「へっちゃらです」
抜糸をしながらお花は少女と会話をしていく。抜糸をし終えると処置をした後に少女の頭を撫でる。
「よく頑張ったねー」
「えへへ」
とても嬉しそうにする少女にお花は零れそうな笑顔を向ける。母親は本当に本当にありがとうございますと頭を下げて礼を言った。お花はそんな母親に、
「私を信じて来て下さって私も嬉しいですよ。なので頭を上げて下さい」
と、頭を上げるようにお願いをした。母親は頭を上げながら再度お礼をする。その顔には感謝をしている表情が見て取れた。
「は、はい、ありがとうございます」
お礼をした後に母親はなにかを考えるような仕草をする。お花はなんだろうなと思って母親の動向を見ていると母親は少し眉を落とした後に言った。
「すみません、お聞きするつもりはなかったのですが先生と同心の方が話している内容を聞いてしまいまして」
「ああ、病気を療養する場所にしてはふさわしくない会話でごめんなさいね」
お花の言葉に母親は両手を前に出し否定のポーズを取った。そして母親は話を続ける。
「い、いえ、そうではないんです」
「というと?」
いまいち母親の言いたいことが掴めないお花は聞き返すことにした。母親はおずおずと言った感じでこう言った。
「今、この江戸で有名になっている亡霊騒ぎを先生と同心の方が話しておられるのを聞いていてできればお伝えしたいと」
「なにか知っていることがあるんですか?」
お花は逆に身を乗り出して母親に詰め寄るようにして話を注意深く聞く。
「実は家では縫製の仕事をしておりまして、その関係で大店の縫製を扱う徳城屋さんに行ったことがあるんです」
「それで、どうしたんですか?」
「いえ、それがそこの旦那様達の娘さんを見たことがありまして、他人の空似みたいなものかもしれませんが、そこの娘さんがこの江戸で配られている初野という娘さんの似顔絵にそっくりだなと思いまして」
その話を聞いた瞬間お花は体の重心を前にやって女性に尋ねる。
「それは間違いないんですか?」
「はい、ただ私の見間違いかもしれませんが。そうだった場合本当にごめんなさい」
困った表情をする母親の肩に手を置いて徳城屋の場所を聞く。場所は日本橋にあるらしい。それを聞いてお花は直ぐに椅子から立ち上がった。
「次郎さん、ちょっと診察を頼みます」
「え? どこかに出かけられるんですか?」
「ええ、後は任せました」
その足でお花は奉行所に行くと、源三郎は奉行所の中で仕事をしているらしかった。申し訳ないと思いつつもお花は源三郎を呼び出して貰うことにした。
暫く待って源三郎が出てくる。その顔はやっぱり浮かない顔をしていた。
「今調べていたのだが、やはり初野は無残な殺され方をしたらしい。蘇生などありえないほどに」
「私も今まさにその話題で来たのです」
そこでお花は少女の母親から聞いた話を源三郎にも説明する。源三郎はその話を聞くと顔色が少し優れ、意気揚々とした声音に変わった。
「それがまことであれば、少し突破口が見えたのかもしれん」
「一応、突破口と言えるかどうかはわかりませんが、似た娘の情報はとても大きいと思います」
この時点で言えばまだこの情報の真偽は眉唾ものだが、調べて見る価値はあるだろう。源三郎は直ぐに二つの籠を用意して、籠が到着すると言った。
「場所は縫製問屋徳城屋場所は日本橋だ」
スラスラと場所が言えるほどに徳城屋は有名な縫製問屋なのだなとお花は感心した。まるで早馬のように籠は揺られ日本橋に着く、正直お花の心臓は高鳴っていた。この正体不明のなにかに光が差した気がする。中途半端にしかわからないほどに気持ちの悪いことはない。
お花と源三郎の籠は紡績問屋徳城屋の前に着いた。大きな店で住居もそこにあるらしい。源三郎とお花は籠から降りると、徳城屋の中に入っていく。
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