第二章 死んだ女

第1話 皐月(五月)八丁堀組屋敷。四つ(午前十時)~検屍開始

 今日も今日とてお花は診察に勤しんでいた。検屍やノンバーバルコミュニケーションが必要のない時にはお花はこうして病人を診るのが主な仕事だ。

 この前の足を縫った少年も真面目に来ていることがお花にとって嬉しかった。本当に出世払いでいいのかと不安に思いそれ以来来院しない患者も多く居るからだ。


「もう少しで抜糸できそうですね」

「そうですか。本当にありがとうございます先生。こんなに丁寧に見ていただけるとは思ってもいませんでした。先生にどう感謝していいものか」


 母親は泣きそうな顔になりながらお花に感謝の言葉を伝えたが、そんな母親にお花は柔和な微笑みを浮かべると言葉を返した。


「いえ、こちらこそ私の言葉を信じて下さって来ていただいて嬉しいですよ」

「もったいないお言葉です」

「いえいえ」


 会話をしている最中に視線を感じ、玄関の方を見やると件の同心の永井源三郎が立ってこちらを見ていた。


 源三郎が来たと言うことは間違いなく殺し関係の仕事だろう。お花は一端母親との会話を打ち切って、次郎に診察を任せ、外へ出て行く。


「こんにちは永井様。今日はどのようなご用件でしょうか?」

「うむ、こんな忙しいときになんだが問題が起きた」

「問題?」


 源三郎にしては歯切れの悪い言葉にお花は聞き返した。源三郎は渋面を作って続きを話した。


「今朝、晴海与三郎配下の太助が深川北松代町三丁目で遺体を見つけた」

「そうですか」

「それがな、相当酷い屍なので見ているのが耐えられんほどなのだそうだ」


 昔未来の日本に居た時も数え切れないほどに正視に耐えきれない遺体を見てきた。今更お花にとっては怖じ気づくことなどなにもない。


「わかりました。それで永井様は私に検屍をして欲しいということなのでございますのね」

「うむ、済まぬが検屍をしてくれぬか」


 そこまで聞いてお花は医院の中に入って次郎にこの後の業務を頼むと言うと、次郎は少し困った表情をしてから快諾をした。


 そしてお花と源三郎は外で待たしてある籠に乗り込むと部下を連れて現場に行くことにした。

 籠を担ぐ男達のかけ声を聞きながら暫く乗っていると、現場に到着したようだった。お花と源三郎は降りると、お花の目線に筵を掛けられた物が映った。源三郎はお花に近づいてきて言った。


「あれが件の屍だ」

「左様でございますか」


 お花はそういうと筵に近づくと近くにおかっぴきの太助が渋面を浮かべながらその遺体を守るようにして立っていた。


 お花は太助に近づくとお疲れ様ですと挨拶をする。


「お疲れ様でございます。あなたが検屍官の方でしょうか?」


 やや疑いの視線を向けてくる太助にお花はそうですときっぱりと答えた。太助は筵の方を見るとお花に愚痴を零すようにして言葉を零す。


「筵を開けた瞬間、覚悟はしておいてください。あっしはもう見たくはないので」

「そうですか」


 お花は筵に近づくと筵を静かにはぐっていく。そんな筵から太助は視線を完全に逸らしていた。

 顔が現れ、肢体が全て現れる。筵の下は血だまりが出来るほどの血まみれだった。特に酷いのは顔面の殴打傷であった。まるで堅い何かで執拗に殴った痕跡が見られ、既に人の姿を呈しては居なかった。


「ふむ」


 源三郎も屍の顔を見て顔を顰め、視線を外にやる。お花は遺体の後頭部に出血が多いことから後頭部を調べることにした。

 調べて行くと後頭部がなにか硬い鈍器で執拗に殴られたことが確認できる。血の出血量から見て、この後頭部への打撃が死因になったのは間違いないだろう。

 そしてまだ息のあるうちに顔へ異常なほど鈍器で殴打をしたのだろう。こちらは出血が少ない部分が多く、傷口が赤色になっている部分や出血量が少ない部分では黄色い皮下脂肪が見えている場所もある。これは死後反応である。


 お花は遺体の着物を脱がせていく。特に腹部に刺されたなどの刺殺の痕跡は見受けられない。舌、口、鼻を調べて行っても毒の反応はない。

 性器にも異常はなく、肛門にも異常はない。ただ、


「永井様、首を見ると死後に首を絞めた形跡があります」

「そうか」

「それと遺体の服から紅の匂いがします」

「紅の匂い?」

「はい」


 そしてお花は握りしめられた屍の拳にキラリと光るなにかがあるのを発見した。


「なんだろう」


 お花はぐっと力を入れて拳を開かせその光っている物の正体を確かめる。


「簪でございますわね。恐らく最後の気力を絞ってこの屍は簪を抜き取ったのでしょう」

「簪と紅の香りがするということは犯人は女の可能性の方が高いな」

「そうでございます」


 このボロぞうきんのような顔になった顔から似顔絵で復元するのは無理だとお花は考える。年齢もなにもかもわからない異常死体だ。


 これはFBIの行動科学科のプロファイリングで言う非人格化に該当するのではないかとお花は考える。恨みを持った相手の場合こうして顔を滅茶苦茶にするのはよくある話なのだ。ただ知り合いとして考える場合、打ち消しなどが行われ遺体に枕などをしたり毛布を掛けたり特殊な遺棄をすることがある。この場合うつ伏せでなく仰向けが多い。非人格化『デパソーナリーゼーション』の場合は生前にこの遺体の人間に対して非常に強い恨みやストレスを覚える状態だったことを指す。なので死体のアイデンティティーを消すために、顔をこの屍のように顔に滅茶苦茶に攻撃を加えた上で死体をうつ伏せにしたりして顔を隠す確率が高い。後ろから突然攻撃をされたと見られるこの屍にしても電撃的攻撃とみられ、それに過剰攻撃も重なっている。そこでふと気がついた。この遺体は仰向けになっている。だからお花は太助に聞く。



「この屍、最初はうつ伏せでしたか? 仰向けでしたか?」

「へい、あっしが発見したときはうつ伏せでございました。どんな人間か見ようと思ってみたらこの有様でして」


 ということは、非人格化という考えで統一してもいいだろう。


「永井様、この出血量が体にかかったとして想定すると替えの服や一度銭湯などに入って血を洗い流さなければならないでしょう」

「そうか、ということは女という想定をして銭湯や古着屋などを当たれば良いか?」


 源三郎は顎に手を置きながらお花に尋ねてくる。お花はそんな源三郎に言葉を返す。


「はい、そうなりますわね。それと今回遺体の傷をあぶり出す薬は使わなくていいかと、はっきりと死因が特定できますし」

「すまぬな、お主にばかりこんな残忍な屍を見せてしまって」


 お花を気遣うように源三郎はそう言ったが、お花は一度源三郎の顔を見た後に話の続きをした。


「いえそれはいいんです、それより死斑は指圧により褪色するので恐らく殺害されたのは昨晩辺りかと、角膜混濁も確かめたいのですがなにせ完全に目が潰れてしまっていますので。また顔の巨人化なども少なく、腐敗もそれほどに進んでいない。死後に時間が経った後期死体現象がかなり少ない屍と言えます」


 お花の説明に源三郎は腕を組んでから頷いた。


「わかった、そのような推定時間が出たことも加味して調べよう」

「後はいつもどおり何か私の力が必要になるようなことが出てきたら、心理術で応援いたしますので」

「うむ、非常にありがたい。礼を言うぞ、お花」


 源三郎の嫁はこのような男が旦那で本当に良かったなとお花は心底思った。他の武士のように威張ることもなく、礼を言え、真摯に物事に取り組む、この時代の侍にしては非常に良く出来た人間だ。


 そこまで考えて、今のところ自分が出来る仕事はこれ以上ないなとお花は考えると源三郎に帰る旨を伝えた。そうすると源三郎はお花に訊いてきた。


「屍はもう埋葬してもいいのか?」

「これ以上調べることもありませんのでよろしいかと」

「わかった。それではそのように手配する」


 会話を二言三言交わした後にお花は医院に戻るのだった。

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