最終話 真相と捕縛 吊り下がる女【終】
それから数刻経った夜にお花の家で源三郎とお花、次郎で酒を飲みながら話していた。
「お花、お主の見立てでは間違いなく二人ともおかしいのだな」
「そうでございます」
「ということは、その喜左衛門という男の尻尾を掴まなければならないということですね」
大方の話を聞いていた次郎はそのように結論づけた。問題は次郎の言うとおり、どうやって喜左衛門の尻尾を掴み、嘘の牙城を崩せるかということになる。
「問題は、どうやってその牙城を崩すかということになるが」
妙案はない。源三郎は杯から酒を呷ると、これは難儀な事件になったものだと愚痴る。
「なにかよい妙案は思いつかないか? お花?」
「今のところは……」
大石花蓮がいた時代であれば科学捜査があるので特定しやすいが、生憎この時代にそんな高尚な物はない。あるのは状況を雄弁に語りかけてくれる屍と証言と大脳皮質のみだ。
「永井様」
「うん? どうした」
「もう少しお時間を頂けないでしょうか。なんとか突破口を考えてみますので」
「なに、お花にのみに全てを押しつける気はない。私の方でもしっかりと探ってみる」
「ありがとうございます」
「なに、礼を言うのはこちらの方だ。いつも難儀な問題を持ってきて済まないな」
そこで源三郎は同心とは思えないほどの柔和な微笑みを見せる。次郎はそんな源三郎の杯とお花の杯に酒を酌みながら、元気づけるようにして言った。
「永井様とお花様ならば、なにかうまく切り抜ける方法を見つけられると思っています」
次郎の言葉を聞いてからお花は考えるような表情をして杯の酒をゆっくりと飲むのであった。
源三郎も帰り次郎も帰り、床についてもなかなか眠られず深夜になった。何回か寝返りを打ちながら、お花は屍を思い出す。
「なにか、なにか見落としている点はないものか」
腹に二カ所の打撃。そして両腕から肩辺りの痕跡。寬太は取っ組み合いになり両肩を手で押さえつけた後に腹に二回の打撃を加える。
「……両肩……」
本当に寬太が両肩を押さえつけた後に腹を殴ったのであろうか? よく考えれば不自然に思えてくる。
「なにかがおかしい……」
あの室内でなにがあったのかはわからないが、喧嘩なんかを考えれば後ろで誰かが羽交い締めにして腹を殴る方が適切なのではないだろうか? 単独でやる場合膝蹴りか、それとも腹を殴ろうと両手を離した瞬間にお空の猛烈な反撃が来るはずだ。見た限りそれもない。
「まさか……ということは」
そう考えがまとまった瞬間にお花は床から起き上がり、蝋燭に火を点け似顔絵を描いていく。それは喜左衛門が生き写しで映っているかのような出来映えだった。
翌日の早朝になり、お花は源三郎に纏まった考えを話した。源三郎は手を叩き歓喜にあふれた表情をする。
「それはあるかもしれぬ、でかしたお花」
「いえ、屍から答えを訊いただけなのです」
お花の実直な言葉を聞いた後に、源三郎は朗らかな微笑みを浮かべた後にお花の方に手を置いた。
「いや、お主ほど屍を大事に思い、そして屍から話を聞ける者などこの江戸にはいまい。だからもっと胸を張れ」
「ありがとうございます。その言葉こそが原動力になります」
源三郎と細かい打ち合わせをし、お花も水茶屋に向かうことにした。籠に揺られ、殺人現場である茶屋むろ屋へ着くと源三郎とお花は水汲み女から話を聞いていく。
そして聞いていくとその日のことに詳しいのはお春という水汲み女だということが分かった。お花と源三郎はその件のお春に話を聞くことにする。お春は掃除をしている最中であった。源三郎が声を掛けるとお春は手を止めて話を聞く体勢に入った。
「時間を取らせてすまぬ」
まだ年の頃は14,、5であろう。そんなお春は源三郎を見ると困ったように眉を下げた。
「私で答えられることがありますかどうか……」
源三郎はお春に似顔絵を見せる。
「この男をこの茶屋で見かけなかった?」
お春は少し考えたように顎に手を置いた後に源三郎の顔を見ながら言った。
「あーこのお客さんですか。それなら確かにおられましたよ。誰かと来るわけでもなく一人で来られました」
「それは確かか」
「はい、間違いありません」
お春の言葉を聞いて源三郎はまるでガッツポーズを取るような体勢を取った。お春はそんな源三郎をちらりと見た後に付け加える。
「夜辺りになられて、急にこの方は慌てるようにして帰って行きました。顔色もあまりよくなかったです」
「名はどう名乗っていた」
源三郎の質問にお春は言い淀むようにして答えた。
「いえ、そこまでは存じ上げません。一応ここは出会い茶屋なので……」
「そ、そうか、そうだったな。時間を取らせて済まなかったな」
「いえ、お力になれたかどうか」
源三郎は一礼してからお花の下へ戻ってきた。その表情には余裕と自信があふれた表情になっていた。お花はトントンと額を触った後にこの茶屋で紙と筆を借りてむろ屋の他にデタラメの茶屋の名前を書いていく。
それを源三郎は不思議そうな表情で見てから尋ねてきた。
「そんなものをどうする気だ?」
「いえ、最後に確かめたいことがあったもので。それと拳の痕が寬太の物と一致するか、もう一度屍の元へ参りましょう。それと一応喜左衛門の拳の型も欲しいと思います」
ここまでの考えを総括すると、喜左衛門が殴った可能性もあるからだ。それを源三郎も察したのかお花に向かって力強く頷いた。
「うむ」
今日の午前中まで現場保全のために申し訳ないが、このむろ屋に屍を置かせて貰っている。それ以降は墓に入ることになっている。
源三郎とお花は再検屍をした後に、応援を引き連れて早く喜左衛門と寬太のところへ行くことにした。二人は籠に乗って喜左衛門の店へと向かった。
二人は籠から降りて喜左衛門の店へ入ると、今日も金属の溶ける香りがした。中を窺うと、喜左衛門がふいごで金属に熱をともしている最中であった。
寬太がこちらを見た瞬間、動きがピタリと止まり、それに気がついた喜左衛門もふいごに風を送っていた手を止め固まってしまっていた。
寬太は耳側に引っ張られるような作り笑いを浮かべながらお花と源三郎の元へやってくる。緊張から来る作り笑いなのだろうとお花は考えてから寬太に言った。
「すみません、喜左衛門さんもこちらに来られませんか」
喜左衛門はそのお花の言葉を聞いた瞬間、深い皺を作り唇をグッと噛んだ後に顎に力を入れる。完全ななだめ行動の一つだった。それでも同心達に呼ばれているので来ないわけに行かないのでゆっくりとした動作でこちらにやってくる。
お花は数枚の紙を取り出し寬太と喜左衛門の動向を見やる。先ほど書いたでたらめの店の名前とむろ屋の名前をまぜた紙だった。
寬太と喜左衛門はでたらめの紙をみても無反応だったのに対し、むろ屋の名前を見た瞬間、コンマ数秒の世界で瞳孔が極限までに狭まった。これはFBIでも使われる手法で命に関わるような知っている情報を見た瞬間、人間の瞳孔は狭まる。ここでお花は確信した。
(間違いない。この二人はその夜に間違いなくむろ屋にいた)
お花は源三郎に完全な黒ですと言うと喜左衛門と寬太に質問する。いつものような優しい源三郎の取り調べではなかった。
「茶屋の娘に聞くと喜左衛門、お主もむろ屋に居たそうではないか? なにか申し開きはあるか?」
「あ、あっしがいませんよ。それは茶屋の娘の勘違いでございます」
「ではお主の拳に墨を塗って屍の痕と確かめさせてくれ」
再検屍で寬太の拳と屍に残された拳は一致しなかった。ということは屍の拳の痕は喜左衛門の物ということになる。そう源三郎が言った瞬間、喜左衛門は体を後方に仰け反らせ、顎に力を入れ、グッと唇を噛んだ。
「そ、そ、それは」
「拳の痕を調べることを拒むのか? これ以上は伝馬町の牢で聞いても良いのだぞ」
源三郎は強い口調で寬太と喜左衛門にはっきりと最後通牒を出す。その瞬間に寬太と喜左衛門は肩をダランと落とし、重力に逆らわない姿勢になった。これはノンバーバルコミュニケーションでは自信がなくなった時に起こる現象だ。
「ここまでのようです師匠」
「……」
二人は目を合わせると大きなため息を吐いた。完全に観念したのだろう。誰から言うでもなく寬太は語り始めた。
「お空という女は盗賊団の末端に位置していたとんでもない女でございました。名前もよく知らない女から依頼がありまして、お空に近づいてその仲間のことを吐かせてほしいと五十両での依頼がありました」
「それを受けたのだな」
「はい」
源三郎がそう聞くと寬太はあっさりと頷いた。お空という女はそうした裏組織と繋がっていた女であり、また寬太や喜左衛門もそのような裏組織に繋がっていた人間なのだろうとお花は思った。
「お空とあっしが寝た後、あっしが後ろからお空を組み伏せ、師匠が胸に一撃を加えると、苦しそうにしながら一人の男の名を吐きました。そしてもっと聞こうかと思い二発目の打撃を与えると死んでしまいました。あっしも師匠も殺すつもりはなかったんです。だからあっしと師匠はなんとか自殺に見せかけるためにあのようなことをしまったんです」
話を聞いていたお花は打ち所が悪くて殺す気はないのに死んでしまったのだろうと思った。だからお花は尋ねる。
「首を吊らせた後に糞はその遺体の下に置き、小便は偽装のために鴨居の下であなたか喜左衛門さんがやったんですね。本来の小便の位置はそれから離れた畳の位置だった」
「そうです」
そこで寬太は力のない様子で項垂れながら言った後に体を少し震わせて言葉を零した。
「ただ……」
「ただ?」
お花が寬太に聞き返すと寬太は唇に冷笑を浮かべながら震えを隠そうともせずに言った。
「それが、あっしは依頼をしてきた女とも寝たんですが、町の中を歩いていた時にその女の知り合いがそれを見ていたそうで、あっしの家までつけてきてあっしにこう言ったんです。
「あなたは死んだ筈の初野と歩いていると。どうにもお空達が金銭目的で初野を監禁して殺したそうなんです。ではあっしたちはなにに頼まれたのでしょうか?」
「……死んだ女……」
そこで喜左衛門も大きく震えながら頭を抱える。
「博打なんてほどほどでやめておけばよかった。そうしておけばこんな訳の分からない依頼を受けることもなかったし、人殺しなんてしなくても死んだ女に関わることもなかった」
お花はそこでふうー、と大きなため息を吐く。博打で危険な裏家業にすることにしたが、全ては自分たちの思い通りに行く結果にならなかったのだなと。
お花はそれを聞いた後に店の外に出る。犯人の捕縛は源三郎達の仕事だ。外には源三郎配下のおかっぴきなどが陣取っている。
源三郎も外に出てきておかっぴき達に命令をした後にお花の元へ歩んできてなんとも言えない表情を向けた。
「博打もほどほどにしないとこうなるという良い例だな」
「そうですわね。それにしてもその死んだ女とは何者なのでしょう」
そのお花の言葉に源三郎は体をブルッと震わせる。
「まさか本当に死人が頼んだのではあるまいな」
「まさか……」
お花の声は風に掻き消されるように消えていく。この事件は新たな事件をこれからも生んでいきそうだとお花は一抹の不安を覚えるのだった。
それから新たな事件が起きたのは十日後のことであった。
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