第4話 ノンバーバルコミュニケーション「行動心理」での捜査
籠に揺られて二人は山伏町に着くと籠を降りて喜左衛門の店を探す。暫く探した辺りだろうか、鉄の溶ける特有の臭いが鼻腔をくすぐった。
二人は臭いに釣られようにして喜左衛門の店らしきところへと歩を進めた。暫く歩くと金属と金属が叩かれる鈍い音がするようになる。
その音を聞き分けてからお花と源三郎はある一件の店の前にたどり着いた。臭いの発生源もここであり、音もここから聞こえている。
二人は既に開いている玄関を潜ると、店の中へ入っていく。店の中を見ると二人の男がいることが確認できた。
一人の初老の男は入れ槌を握って灼熱に染まった金属を打っていた。そして隣では初老の男に教えを請う男の姿があった。
若い男の方が源三郎とお花の存在に気がつき、こちら側へ向かってくる。少し見ている限りチンピラ風に見えなくもない。
源三郎が若い男へ尋ねる。
「お主が寬太か?」
源三郎から話を振られた瞬間、若い男は源三郎の顔を見つつも、足のつま先の方角が玄関、つまり外へ向かう様子を見せた。ノンバーバルコミュニケーションにおいて1番正確に出るのは足だと言われている。つまり大脳新皮質では源三郎の話を聞くような行動を取り源三郎の顔を見ているが、本能の大脳皮質では早く外に出たい、または早くこの話から逃げたいとする逃避行動として足が玄関という外に向いているとお花は結論づけた。
また寬太は8分の1秒の世界で目を細め唇を強く噛みしめ、唇が口内に飲まれるように消えたこともお花は見逃さない。
恐らく寬太は源三郎の格好を見て同心だということを分かってそのような行動に出たのであろう。
源三郎は懐から似顔絵を取り出して寬太の目の前でちらつかせた。
「この男はお前でこの女、いやお空のことは知っているな?」
「いやーあっしはこの女なんて知りやしやせんぜ」
寬太はそう言うと似顔絵から距離を取るようにして必要以上のパーソナルスペースを確保する。
また一瞬で瞳孔を収縮させ唇を噛みしめた後に喉元を鳴らし唾を飲み込み、今度は唇を舐め始める。なだめ行動の連発だなとお花は感じ取った。
「しかし水茶屋の水汲み女がお前がこの女と居たと証言をしておるぞ」
「名も証言されたんですか?」
「いや……」
「それにこれは似顔絵ですよね。他人のそら似かもしれませんぜ」
そう言いながら寬太は顎にグッと力を入れて額に皺を作る。そして瞳孔もまた自然と収縮していく。これもなだめ行動の一つだ。
源三郎はお花にしか聞こえない声音で聞く。
「お花、どうだ」
「心理術で見る限り真っ黒ですね」
「そうか」
一連の話や行動を見聞きしていたお花は入れ槌を握っていた喜左衛門を見やる。彼は入れ槌を浮かせた状態で固まってしまっている。そしてお花と目が合うと目を細めて顎にグッと力を入れた。ふいごの音も今では完全に止まっている。金物の溶ける特有の香りを嗅ぎながらお花は考える。
おかしい、この喜左衛門からもなだめ行動の兆候が見える。気のせいかと考えていたお花だったが、考え込むお花に源三郎は訊いてきた。
「お花、屍の死亡推定時刻は二日前だったな」
「はい」
「それ以上に細かな時間ははじき出せるか」
「屍の様子から見ると二日前の深夜、亥の刻から子の刻(午後九時から一時)辺りかと」
お花は角膜混濁や死斑、死後硬直や後期死体現象の状態からもっと細かな時間を弾き出した。それを聞いた源三郎は寬太に問い詰めるようにして尋ねる。
「二日前の深夜、亥の刻から子の刻にお前はどこに居たのだ?」
「へえ、あっしはここで師匠と酒を飲んでました。そうですよね師匠」
寬太に話を振られた喜左衛門は何度か咳払いした後に入れ槌を床に置いてから目を細め、額に皺を寄せ、表情を歪めながら苦しそうにして答えた。
「ええ、ごほごほ間違いありやせん。寬太はあっしと酒をここで飲んでました。寬太は決して水茶屋などには行ってはおりません」
「それは本当か?」
「へい、この喜左衛門、決して嘘など吐きやしません」
そう言いながら真摯な様子で喜左衛門は源三郎の瞳を反らさないようにじっと見る。瞳をじっと見るのは真摯な証拠か、または犯罪者が嘘を吐くためにそのような行動に出ることがある。そして源三郎はお空の似顔絵を喜左衛門に見せると、また8分の1秒の世界で目が細くなり瞳孔が小さくなった。
おかしい、明らかに喜左衛門も嘘を吐いている。しかし水茶屋の茶汲み女の証言では寬太の情報しか出ておらず、喜左衛門の情報はない。
どういうことだとお花は顎に手を置いて考え、源三郎も釣られるようにして困ったようにして唸った。喜左衛門は寬太の言ったことをそのまま真似るようにして言い切った。
「他人のそら似じゃないですかね。水茶屋の女が確実に顔を覚えているとも言えないでしょう」
「……」
「……」
その喜左衛門の言葉に源三郎もお花も黙るしかない。言っていることは正論だし、こうして不在証明(アリバイ)がある以上、無理矢理に捕縛することもできない。
しかし喜左衛門の様子が明らかにおかしいのは確かなのだ。
そして寬太は、鍛冶道具や荷物をどんどん自分の前に置いていって源三郎とお花に壁を作るようにしていく。こうして自分にとって不快な人間と居ると本人も知らず知らずの内に壁を築くのもなだめ行動、つまりノンバーバル行動の一つだ。
源三郎とお花は目を合わせた後、一度店の外に出て話を纏める。
「お花、確かに黒なんだな」
不安そうにそう聞いてくる源三郎にお花もややためらいがちに言葉を返す。
「それが……私にもどういうことか分かりませんが二人とも黒なんです」
「ん? それはどういうことだ?」
源三郎はお花の口から出た言葉に不審げに聞き返してくる。
「明らかにあの喜左衛門という男の様子もおかしいんです」
「それはまことか……間違いのないことなのだな?」
源三郎は言質を取るために、お花に再度聞き返す。それにお花はしっかりとした口調で断言した。
「はい、間違いないと断言できます」
お花の強い意志のこもった瞳を見て、源三郎は渋面になりお花の方を向く。
「しかし二日前の夜は二人で酒を飲んでいたと証言をしておる。そこの牙城を崩さぬ限りこちらも動きが取れぬ」
「困りました、確かにそうでございますわね」
困ったことになったとお花は思った。このままでは重要参考人を逃してしまいかねないと。しかし不在証明(アリバイ)を崩さない限り源三郎の言うとおり牙城を崩せないのも確かだ。
今回に限っては一度帰って作戦を練り直す必要があるだろう。
「永井さま。一度帰って作戦を練り直しましょう」
「うむぅ……」
源三郎は悔しげな声音を喉から出した。しかし源三郎は唸った後にお花に同調する。
「わかった。一度帰って作戦を練り直そう。一つやりたいことがあるのでそれが終わってからでいいか?」
「はい」
源三郎は喜左衛門の店の中に入っていく。お花は暫く外で待っていると、源三郎が戻ってくる。
「とりあえず、拳に墨を塗って紙に殴らせておいた」
「証拠ですが、よく寬太が了解しましたね」
「なに少しばかり強く言ったまでだ」
そこで源三郎はニヤリとお花に向かって意地の悪い笑みを浮かべた。寬太にどんなことを言ったのやらとお花は考えたがあえて聞かなかった。源三郎は帰るように促したので、今日は帰ることにした。
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