第3話 捜査
それから二日後の早朝、源三郎が医院にやってきた。今日も相変わらずの生真面目に服を着させた顔である。源三郎の姿を見るとお花は一時診察を止め、次郎に任せて外に出る。
「おつかれさまです永井様。今日は何用で?」
何用もなにも源三郎が昼からこの医院に来るときは大概殺し関連の話なので、大方捜査の進展でもあったのだろうとお花は思った。
「例の女の名前がわかったぞ。名前はお空というらしい。住んでいる場所は御納戸町だ。そしてその付近で似顔絵で描いた男も目撃されている」
「やっぱりこう仕事が速いですね永井様は」
「う、うむ……」
やや照れくさそうにする源三郎であったが、源三郎のの仕事は正確で迅速で奉行所でも有名だった。お花の言葉に永井は頭に手をやった後に、話を続ける。
「これは近所の者に聞いたのだが、この男、日本橋に居を構える金物問屋に姿を現すらしいのだ。近所の者が料理屋をやっていて刃物などを新調するときに男が店に入っていくのを偶に見かけるそうだ」
「男の名前は?」
「まだわからん。それで忙しいところ頼みにくいのだが」
源三郎はそこで一旦言いにくそうにしているのを見て、お花は苦笑を浮かべた。そしてお花は源三郎の気苦労を拭うために自分から協力することを伝えることにした。
「わかってます。私にも協力をしてほしいということでしょう」
「うむ。であるな」
「この前も言ったじゃないですか、協力するって。ですので遠慮なされなくていいですよ」
「そ、そうだったな」
この男、精悍な顔つきの割には意外に遠慮をするという側面を持っている。お花は笑顔を浮かべると、医院の中に戻っていき、次郎に訳を話して仕事を任せることにして、日本橋方面に向かうことにした。
お花と源三郎は源三郎が用意した籠に乗ることにした。籠はお花や源三郎の気持ちを表すように迅速に進んでいく。暫く籠に揺られお花と源三郎は日本橋で籠から降りた。今日も日本橋周辺は活気に満ちていた。
所狭しと江戸の人間が歩いている。着物姿の女性、武士、町人、篭、棒手振りなど様々だ。
「危ないよー」
「あら」
慌てている様子の棒手振りが早足でお花の横をすれすれの様子で通りすぎていき、前を見れば武士と武士がすれ違う瞬間に片方の武士が道を空けて一礼した。どうやらこちらに向かって歩いて来ている武士の方が地位は高いようだ。
日本橋の上ではゴトゴトと大八車が通り過ぎていく。
日本橋の下を見ると多くの船が行き交い、泊まっている船からは江戸の経済を現さんばかりに多くの荷物を下ろしている様子が垣間見れた。
暫く歩くと呉服屋を始め様々な店が並んでいる。各店には看板があり自分の店の屋号を示している。
どっしりとした木造呉服屋の中には数多くの衣服が並んでいる。客は多く中には接客をしている店員も居たり、帳簿を見ている番頭の姿がお花の目には映った。
周りを見れば酒屋や木綿店があり、更に奥の通りには薬屋や八百屋、そして瀬戸物屋や履物屋、煮売り屋などの多くの店があった。
そのまま永井とお花は多くの干し見世(露天)が並んでいる場所を眺めるようにして通り過ぎていく。
そんな日本橋界隈を通り抜け、少し進んで右に曲がりそのまま暫く歩くと一つの金物問屋が姿を現した。
店の看板には飯田刃物店という屋号が書いてあった。お花は源三郎が屋号を見やった後に訊いた。
「この店が件の店なのですか?」
「うむ、調査の上ではそうだな」
源三郎はお花の問いに答えると、お花に促す。
「それではお花入るか」
「ええ」
源三郎が先に店の中へと入っていって、それに続くようにしてお花も店の中に入っていく。
「いらっしゃいませ」
お花と源三郎の姿を見た番人が愛想のよい挨拶をしてくる。源三郎は番人に向かって愛想のよい挨拶とは真逆とも言える態度を取った。
「今日は客としてきたわけではない。少々聞きたいことがあって来たのだ」
源三郎の言葉を聞いて、番人は顔をさっと青くさせた。源三郎の格好を見て奉行所のものが話を聞きに来たのだと誰でもわかる。それがわかっても萎縮しない者はいないだろう。
「そ、それでは、ど、どういうご用件でしょうか? 手前どもはお侍様のご厄介になるようなことは致してはおりませんが……」
「別にこの店の人間がなにかをしたとかどうとかではない。純粋に聞きたいことがあって来ただけだ」
「そ、そうですか? しかし私に答えられることがあるかどうか?」
そう答える番人に向かって源三郎は懐から紙を取り出し番人に見せる。そこにはお花が描いた男と女の生きているような似顔絵が描かれている。
「この男か若しくはこの女を知らぬか?」
「いえ存じ上げません……」
お花は番人の行動を注意深く見ていく。ノンバーバルコミュニケーションにおいて人の行動は嘘をつく大脳新皮質よりも先に真実を現す大脳皮質に現れるので、嘘をつく直前に人間が生まれ持つ本能の方が先に行動を起こす筈だ。またノンバーバルコミュニケーションは不快に思ったり、ストレスの原因になったりしたときに、なだめ行動として特定の体の部位の異変や仕草で現れる。これを見抜くのが行動心理学であるノンバーバルコミュニケーションだ。
例えるならば、子供にこのような悪いことをしたかと訊いたときに嘘をついた子供は数秒の世界で首を横に振る前に縦に頷くなどをする。大人はそこまで単純ではないが、それでも嘘を吐くときにはなんらかのなだめ行動に出る。
例えばこの番人のケースで言えば体を前に乗り出して興味深げに似顔絵を見ている行動だ。なだめ行動が出ている場合、若しくはこの男か女の関係者であって、嘘を吐いているとすれば体の上半身が後ろに引きずられるように距離を取るはずだ。重力に逆らうようにしっかりと肩を上げ両手も前に出して興味深そうに似顔絵を見ている。
「どうだお花?」
「それらしき動きは見られません」
源三郎の問いかけにお花は感じたままに答える。源三郎とお花の会話の意味が掴めないのだろう。番人はお花を見た後に首を傾げ、眉をハの字に落とした後に源三郎に向かって困った声を出した。
「私はこのお店に入ってからまだ日が浅い物でして、店主ならば答えられるかと」
「それでは店主を呼んではもらえぬか?」
「それが店主は用事で出かけておりまして」
この時点でお花は今日は無駄足を踏んだかと思い、源三郎と顔を見合わせる。困った表情を浮かべる源三郎に向かって番人は姿勢を戻しながら言った。
「主人以外にわかると言えば、お松さんでしょうか。私よりも長くこの店に居て接客も主にお松さんがしていらっしゃいますから」
「それではその者を呼んではもらえぬか」
「少し用事がありまして、いったん店を離れておりますが、大した用でもありませんので直ぐにもどるかと」
せっかくの糸口だ。ここで引き下がるわけにはいかないので、お花は源三郎の代わりに番人に向かって頼むことにした。
「それでは、その方が戻られるまでここで待ってもよろしいでしょうか」
「ええ、私は構いませんが」
お花の容姿をジッと番人は眺めた後に、それではここに腰をかけてお待ちくださいと促した。番人の促し通りにお花と源三郎は腰をかけて待つことにした。
半刻ぐらい待った辺りだろうか、そこで一人の花柄の着物を着た女性が店の中へ入ってきた。
番人は立ち上がり、源三郎とお花に向かって帰ってきた女性を指で指し示した。
「さきほどお話ししたお松さんが戻られましたよ」
さすがに半刻ほど待っていて、若干の疲れがでてきていたお花は胸をなで下ろす。女性ことお松は番人に頭を下げる。
「戻りました。お疲れ様ですー」
「いえいえ、お松さんこそお疲れ様でした。あ、お松さん」
「どうされました太助さん」
疑問口調のお松に番人はお花と源三郎を見ながらお松に言葉で促した。
「いえ、こちらのお侍様と女性の方がお松さんに尋ねたいことがあって先ほどからお待ちなんです」
「私に?」
番人こと太助の促しを受けて、お松はさっと怪訝な表情に変わった。源三郎の格好は明らかに同心のそれであったからだ。
同心からの話ということは奉行所から聞きたいことがあるということと同義語だ。不安にならない人間がいない方が希だろう。
お花の隣に座っていた源三郎が腰を浮かせ、立ち上がるとお松の元へと歩んでいって安心させる口調と言葉で話しかけた。
「お松。お主に危害を加えるような話ではないのだ。ただ二、三聞きたいことがあってな。話を聞いてもよいか?」
「は、はい」
源三郎の言葉に少し安心したのかお松の緊張がやや解けたかのようにお花には見えた。源三郎は懐から似顔絵を取り出すとお花に見せる。
「この男か若しくは女を知らぬか?」
源三郎が持っていたまるで生き写しのような似顔絵をお松は食い入るように見た後に源三郎の方に視線を戻した。
お松のノンバーバル行動にも特に不審な点はなく、逆に太助のように興味深そうに体を前方に傾けて見ていたことが確認できた。特に気になるなだめ行動もない。
お松は似顔絵を見た後に手と手をポンと合わせて叩くと源三郎に言った。
「この男の人は寬太さんですね。このお店で出来た刃物を届けに来てくれる方です。なんでも喜左衛門さんのところで修行をされているそうなので」
「修行?」
「あ、はい喜左衛門さんが作った刃物を寬太さんが届けに来るんです。寬太さんは喜左衛門さんのところで修行をしている方です」
「その喜左衛門、若しくは寬太がどこに居を構えているかはしらぬか?」
源三郎の問いにお松は顎を一度触った後に考えるようにして言った。
「山伏町に居を構えておいでです」
それから源三郎は二、三質問して喜左衛門の店が分かったようだった。源三郎はそこで笑顔を浮かべ武士らしくないお礼をお松にする。
「忙しいのに時間を取らせてすまなかったな」
源三郎のその礼にお松は目を丸くした後に逆に頭を下げた。
「とんでもございません。私に分かるのはこの程度のことなので申し訳ありません」
「いや助かった」
お花はその源三郎とお松を見て考える。このお侍はこういうところが女性に好かれ、そして奉行所でも可愛がられる要因なのだなと。
源三郎とお花は太助とお松に礼をした後に店を出る。そろそろ昼になる頃合いだったが、それでも二人は休むことはせずに山伏町に向かった。
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