第18話 魔法なんてきっと簡単

 無事に宿を出発してからしばらく歩いていると、道の分岐点が現れた。

 木で出来た標識が立っていて、二方向への矢印が打ち付けられている。一つはこの前行った城下町、一つはおそらく東の村だろう。文字はやっぱり読めなかった。


「こっちですね」


「ここから上手く行けたらいいんだけど」


「? どういう意味ですか、プレイピアさん」


 突然の言葉に、デザルトが聞くと、プレイピアは鞄から大きな地図を取り出した。それはこの辺りの地図のようで、プレイピアは端を蛍に持たせて、ネイルもしっかり施された指で二か所をトントンと指さした。


「ここが今いるところ。で、今からここにワタシたちが行くのね」


「はい」


「この地図もだいぶ昔に買ったやつだから、今とはちょっと地形が異なるの。西の村に行く道は、これに書いてあるものとは変わったし、この小さい山もない。ここに宿のマークがあるけど、今はないしね。地図の見方は分かる?」


「は、はい!」

 

 蛍に言い聞かせるように言ってきたプレイピアに、蛍は必死に首を縦に振る。地図を見るのは苦手だ。山らしき周りに線がグルグル書かれていて、必死に地理の授業を思い出してそれが等高線だと思い出した。『中央にある綺麗な街』の近くには大きな山が二つと大きな川が一つあって、城に行くにはあの街を通らなければ行けなくなっているようだった。


「ワタシが最後に行ったのが二百年前。で、この前大きな地震がこの近くであってね。あ、この前って言っても、百五十年くらいの前なんだけど。それで、道がぐちゃぐちゃになっちゃったところがいくつかあるのよ」


 さすが長命種。時間の感覚が蛍とは異なるようだ。

 プレイピアの頭上から地図を覗き込んでいたデザルトも、うんうんと頷いている。


「ここから行った先が崖の間にできた道でね。確かそこも崩れたんじゃなかったかしら」


「なるほど。確かに、道が迂回している可能性はありますね」


「でしょう? どこで何が崩れているか分からないから、慎重に行きましょう。魔物が飛び出してくるかもしれないし」


「ま、魔物?!」


 驚いてプレイピアを見ると、プレイピアは長いまつ毛に縁取られた目でぱっちりウィンクしてきた。


「大丈夫よ。ワタシがいるから!」


「うぅ、お願いします……」


 魔物。

 単語からして、可愛いものでは絶対ない。プレイピアがいるからと言って、安心できる要素はない。腰に下げた杖を不安げに撫でた。


「さて、行きましょうか。今日中にせめて山は一つ越えたいわね」


「えぇ。そうしましょう」


 地図をしまって、プレイピアが顔の青い蛍の肩を抱いて歩き出す。引っ張られるまま、蛍は歩いた。


 たまに地図を見返しながら歩いていくと、彼らの言っていた崖は想像通り道を塞ぐようにして崩れていた。崩れた道の端で飯屋が店を広げていて、そこでいくつか買い込んでまた歩いた。

 プレイピアたちが歩いて行った先は、太陽の光があまり届いていなさそうな森で、蛍は足が一瞬竦んだ。


「こ、この森を通っていくの?」


「少し暗いですが、大丈夫ですよ、賢者候補様」


 何が大丈夫なのだろうか。分からない。


 恐る恐る森の中に入って、獣道のような細い道を歩いていった。時折動物の立てる音が恐ろしかったが、デザルトに駆け寄って歩くことで耐えた。

 森の中は、意外と明るかった。風も心地よいものの、森なんて『聖なる森にある村』の周囲にある明るく歩きやすい森くらいしか歩いたことがないものだから、蛍にとっては怖いものに変わりはない。

 ビクビクしながら歩いている蛍を見たプレイピアが、明るく声をかけてくれた。


「大丈夫よ。この辺りに出る魔物はスライムくらいだから」


「スライム……?」


 スライムと聞いて、脳内に思い浮かんだのは水色のプルプル震える可愛らしい物体だが、当たっているだろうか。

 と、そんなことを考えている時に、蛍の近くにあった草むらがガサガサと揺れた。


「ひっ!」


 驚いて飛び退くと、そこからぬるりとゲル状の液体が現れた。水色のそのゲルは、坂道になっているわけでもないのに、ぬっとりねっとりと蛍の方へ向かってきた。


「へっ……な、なに、これ、気持ち悪っ!」


「それがスライムよ」


「え?! これが?!」


 驚いてプレイピアの方を振り返ると、プレイピアが手招きしてきた。慌ててそちらに駆け寄ると、デザルトが代わりに杖を構えて前に出た。


「いい? スライムは水溶性だから、水で洗い流すのが一番いいわ。だからね、こういう時はこう言えばいいのよ。《アクア》」


「スライムって水溶性なの……?」


 突然の言葉に、違う方向でビックリする。確かに水に溶けそうだが、その溶け出た何かは身体に悪そうだ。「《アクア》」は前に教わったことがある。あの出力を変えればいいのだろうか。


「《アクア》」


「うわぁっ!」


 デザルトが呟くと、杖の先から怒涛のように水が飛び出した。鉄砲水のように吹き出した水は、地面を這っていたスライムを包み込み、力ずくで押し流す。ついでに周囲の木も押し流してしまって、咄嗟に目を閉じてしまった蛍が目を開けた時には、綺麗な広場が出来上がっているところだった。


「す、すごい……いやでもここまでする必要あった?」


「相変わらず力馬鹿ね、デザルト」


「あなたほどじゃありませんよ、プレイピアさん」


「ちゃんと直しておきなさいよ」


「はい」


 突然ギスギスしないでほしい。心臓に悪い。


「あなたも魔法の練習をしないとね」


「今度スライムが出てきたら、賢者候補様がやってみましょうか」


「は、はい」


 自信がない。

 最初にやってみた時は、制御が効かずにボロボロ水が零れるばかりであったし、空を飛ぶ魔法も上手くいかなかった。湯量が一定しか出てこない「《ハイセス》」くらいしか、蛍が自信を持ってできる魔法はない。


「できるかなぁ……不安だ……」


 腰の杖を取り出して、ジッと見つめる。それを見たプレイピアが「あら」と声を出した。


「あなたすごいわね、その杖。ベルトルド・ベドリガーの杖じゃない?」


「え、あ、はい! そうです!」


 どうやら奇才らしい人の一品を選んでもらった。時価総額いくらなのか、聞くのも恐ろしい。


「よかったわね。ベドリガーの杖は癖も少ないし、使いやすくてオススメなのよ。ちょっと他の杖と違って高いけどね」


 やっぱり。

 危うく杖を落としそうになった蛍を見て、デザルトが「揶揄うのはやめてください」と苦言を呈した。


「賢者候補様。杖は値段でも、作り手が誰なのかでもありません。その杖を得た人が、どう使うかが問題です。危ない使い方、危険な魔法に溺れないように」


「わ、わかった」


 危ない魔法があるのか、と別の緊張感が走る。

 教わらなければきっと一生知ることのない魔法だろうが、危険は知っておかなければ対処の仕様もない。いつか教わる日がくるだろう。


「(私が使わなければいいんだもんね)」


 知ったからと言って、それを悪用しなければよいのだ。恐れる必要はない。

 

 よし、と気を引き締めたところで、また別の草むらがガサガサと揺れた。

 そちらを見ると、またスライムがねっとりとこちらに向かってきていた。


「ひっ」


 とはいえ、気持ち悪いものには変わりない。

 杖を握ったまま固まっていると、プレイピアがポンと蛍の背を叩いた。


「大丈夫よ。スライムは肌に触れない限り安全だから」


「それって全然安全じゃないよ、プレイピアさん!」


「ほら、構えて」


 プレイピアに促されるまま、杖を構える。

 へっぴり腰なのに気づいたプレイピアに腰を叩かれて、慌てて背筋を伸ばした。


「いい? イメージは、水鉄砲よ。あのスライムを向こうに押し流すイメージ。水量は気にせず、ぶっ飛ばしちゃいな!」


「はい!」


 とはいえ、この世界において想像とはかなり重要なものだ。

 ちょっと空に飛ぼうとしたらオゾン層までぶっ飛んでいったし、明かりはびっくりするほど光り輝いた。だからここは慎重にやるべきだろう。


「あ、《アクア》!」


 呪文を唱えると、杖が反応して水が杖先から出て来た。


「お、おぉ……」


「うーん、もう少し強くてもいいんじゃない?」


「最初ですから、仕方ありませんよ、賢者候補様」


 デザルトの慰めが心を抉る。

 

 出て来た水は、スライムに当たることなく、杖先からそのままチョロチョロと出て来た。普段ならこれでいいのだろうが、今は違う。スライムはこちらが水を出したのにも臆さず、どんどん近づいてきた。

 

「ひ、ひぃ! キモ!」


「《エント》! さぁさぁ! もう一度よ!」


 プレイピアが唱えた呪文で水が止まる。ジワジワと近づいてくるスライムが気持ち悪くて、蛍が一歩後退してしまうと、プレイピアががっしり肩を掴んできてしまって、逃げられなかった。

 

「うぅうう~……! 《アクア》ぁ!」


 ほぼ叫ぶようにして、呪文を唱えた。

 想像なんてしている余裕もなく、もうヤケクソだった。


「うわぁあ!」


「わっ! すごい勢い!」


 ドッと、今度は先ほどのデザルトよりも多い水量が杖先から飛び出してきた。その大量の水はスライムを押し流し、木々を押し流していった。が、そこで水が止まらず、どうすればいいか分からずに杖を取り落としそうになった。


「わぁああ! ど、どうしよう! どうしたら……!」


「落ち着いて! 大丈夫! 魔法を止める時はどうするんだっけ?」


「……あ! そうだ! えっと、《エント》!」


 途端に、ピタッと水が止まった。

 シン、と辺りが静まり返ったところで、プレイピアがケタケタと笑い出した。


「アッハッハ! すごい、すごいわよ、あなた! こんな魔力を持っていたなんて!」


「わっ! プレイピアさん?!」


 ガバリと蛍に抱き着いてきたプレイピアに頭を撫でられる。

 目の前に広がったのは、先ほどデザルトが作った広場よりもより広範囲の木々が押し流されて出来上がった平地だった。岩も木も何もかもを押し流してしまったようで、綺麗さっぱり無くなっていた。


「わぁあああ……わ、私、自然破壊しちゃった……」


「アッハッハッハ! おもしろい! すごいわ、さすが賢者候補に選ばれるだけはあるわね!」


 ケタケタを通り越して、ゲラゲラ笑いに変わったプレイピアの代わりに、デザルトが前に出た。

 杖を構えて、フゥと息を吐いた後、ぽつりと呟いた。


「《リアッウォルシェレ》」


 ガラガラガラと音を立てて、その場だけ時間が巻き戻っていく。あっという間に元の森の風景に戻ったのをポカンと見ている蛍に向き直ったデザルトが、少し困ったように眉を下げた。


「賢者候補様。これからしっかり勉強していきましょうね」


「……はい」


 それは本当にそう思う。

 蛍は自分の杖を見つめて、これからの未来が明るくなるように願うしかなかった。

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