第15話 地味な作業ほど時間泥棒

 慌てた様子の二人に追い立てられるようにして、蛍は『賢者の家』に戻ってきた。

 準備しろと言われても、何も持ち物が無い蛍には、何も準備するものはない。

 デザルトは「明日の朝来ます」とだけ言って行ってしまった。


 あの辺鄙な場所の、寂れた家に帰るのだろうか。

 何百年もこの世界を平和に導いた人間と言っても過言ではなかろうに。


「はぁ、さっさとシャワー浴びて寝よ」


 まだ朝の早い時間だが、やることもないので仕方がない。

 家の中にいてもやることはない。

 リビングのソファにローブと鞄を放って、ふと思い立ってパジャマのようなものはないのか探すことにした。


「さすがに制服で寝るのはもう無理。まだあの洗濯の魔法も覚えられてないし……どうやってこれから魔法覚えよう?」


 文字は読めないし、デザルトに話が通じている感じもしないし、いったいどうしたらいいのだろう。

 

 階段を上って、寝室に向かう。その途中で、あの埃塗れの部屋の前に着いた。


「そういえば、あの本ってなんの本なんだろう?」


 あれらがもし魔法が書かれた本ならば。蛍は読めないが、デザルトに読んでもらえばいいかもしれない。その流れで魔法を教えてもらえばいいのではないか?

 良い考えだ。


「ついでにここ掃除しちゃえば、時間潰れそう! いいね、私! 天才!」


 リビングにいったん下りて、鞄の中からヘアクリップを取り出し、髪を結い上げる。マスクも見つけてしっかり着用すれば、気合いは十分だ。

 浴室にあったタオルを湯の魔法で濡らせば、ちょっと温かい濡れ雑巾の完成だった。

 やはり自分は天才なのではなかろうか。

 洗面台の下から木で出来たバケツも発見し、準備万端である。


「よし! 掃除だ! 掃除しよう!」


 勢いよく扉を開けると、部屋の中は初日に見た時より鬱々としていた。


 いったん扉を閉じて、深く深呼吸してから、もう一度開く。


 天井近くまで積み上がった本たちは、初日に見た時から何も変わっていない。

 一つしかない窓は遥か遠くだ。


 積み上がった本群の向こうにある窓まで行くのを今日の目標にしようと決めて、蛍は手前の本から廊下に出していくことにした。

 本の上に乗った埃は慎重に雑巾代わりのタオルでふき取って、本の中身も一応確認した。


 書かれている文字は、アルファベットとは大きく異なっていて読めない。

 一緒に添えられたイラストから、蛍が最初に手に取った本はレシピ本だというのは分かった。

 おそらくレシピ本だ。

 大鍋にいろいろ投げ込む指示が出されていて、出来上がったと思われるイラストはシチューのように見える。


「これも教えてもらわなきゃなぁ。さすがに買い食いばっかりだと太りそうだし」


 デザルトの好みなのか分からないが、ここ数日肉ばかり食べていたように思う。

 ベロージエでは魚、ペリザでは多少の野菜を摂取したものの、ほとんど肉料理だったように思う。

 それとも、この世界は肉料理至上主義なのだろうか。

 それだけはやめていただきたい。


「あ、これはダイエット本みたい。うーん、運動方法が独特……」


 次に見つけたのはダイエット本で、あの脈動する実を使ったジュースの紹介や、魔法を使用したエクササイズのやり方が載っていた。空中に浮かんで、杖でバランスを取りながら身体を捻るらしい。バランスボールに乗る、みたいな感覚なのだろうか。

 自分が浮かび上がった時を思い出してみるが、上昇していく身体に慌てふためいていたことしか思い出せない。

 慣れたらあれでダイエットしてみよう、と廊下に出した。


*****

 

 掃除を始めて三十分ほど経っただろうか。時計がないから分からない。

 

「はぁ、窓までの道遠すぎ……」


 とにもかくにも換気させないと始まらない、と頑張ってきたのだが、いかんせん本が多すぎる。

 まだ部屋の出入り口付近だと言うのに、廊下に出した本で既に廊下に足の踏み場がない。


 出てくる本は、絵本だったりレシピ本、漫画雑誌など多種多様だった。

 書いてある文字は読めないが、描かれた絵は分かる。

 絵を追ってケラケラ笑ってしまって、作業が進まなかったのもあるが、窓までが遠い。


「うー、でも頑張らなきゃ。いつかはやらなきゃいけないもんね、ここの掃除」


 自分が一時の宿として使わせてもらっている身とはいえ、気になるものは気になる。掃除しているのだから、きっと怒られることはないはずだ。


「あれ? これ、何?」


 本の山の三つ目、その一番上にあった本の埃を取ると、突然見たことのある文字が見えた。

 一度スルーしようとしてしまい、蛍は慌ててその本の表紙をもう一度見直した。

 

「英語……? 違う、これイタリア語だ!」


 表紙に書かれた文字は、まさかの見覚えのあるアルファベットだった。

 なんと書いてあるのかは不明だが、隣にあったこの世界の本と比べても、これはアルファベットだ。

 

「あぁ~もう! こういう時スマホが使えたらいいのに!」


 通信電波かWi-Fiが通っていれば、この本に書かれた内容を翻訳できるというのに。

 もどかしい。

 本を開いてみても、イタリア語でずらずらと何かが書かれているばかりで、他の本と大差なく読めない。

 だが、それよりも、ここにイタリア語があったことが驚きだ。


「他の賢者候補って、日本人以外でもいたんだ」


 ということは、この大量の本の中に英語や日本語があるかもしれない。

 そう思うと、下降気味だったやる気がグッと上がった。


「よし! 頑張らなきゃ!」


 この世界について書いてあるかもしれない。

 何も分からない今、藁にもすがる思いだった。


「せめて、魔法の一覧か何かがあればいいんだけど……英語か日本語で! 贅沢かなぁ」


 本をどかして、表紙の文字を見て道を作る。それの繰り返しだ。


 どうにかこうにか窓に辿り着いた時、太陽は既に沈みかけていた。

 オレンジ色の空が眩しい。


「はー! ようやく窓開いたー! ほんと大変だった」


 マスクを外して、外の新鮮な空気を吸い込む。

 振り返って、扉から窓までの曲がりくねった獣道を見て、蛍は地味な達成感を得た。


「さて、今度はここから英語か日本語の本を探さなきゃ。私以外に日本人が来てくれてたらいいんだけど……」


 デザルトが導き手になってから、と考えても、最低でも六人はいるはずなのだ。

 自分と、先ほどのイタリア語の主で、二人。残り四人。

 この四人が全員英語も日本語もできない可能性はあるが、探し出さなければそれすらも確認できない。

 本棚に収まっている中にもあるかもしれない。

 一日で終わるはずもないのだが、蛍は気合を入れ直して本を手に取った。


 埃を取って、汚れた湯を入れ替えて、とやり出してから更に半日。

 太陽が水平線の向こうに落ちるのを見ながら、蛍はようやく掃除を切り上げた。

 たくさんの獣道ができただけにも見えるが、本の上にあった分厚い埃はほとんど取り除けただろう。

 その中で見つけた、元の世界の言語で書かれた本は三冊。

 最初に見つけたイタリア語、そして次に見つけたのはロシア語、最後に見つけたのは念願の英語だった。


「やったー! 見つけたー!」


 これならなんとか読めるかもしれない。

 しかもタイトルは「magic」だ。きっと魔法の解説本に違いない。

 さっそく読もうとして、蛍はハタと自分の格好を見直した。


 頭の先からつま先まで、しっかりと埃に塗れている。

 これはいけない。

 蛍は本と、埃で汚れたバケツを持って浴室に向かった。

 バケツの中身を湯で綺麗に洗い流してから、ふぅと一息つく。これからが、この本の出番だ。


「さて、と……できれば洗濯の魔法と、なんかこう、石鹸とか出てくる魔法があればいいんだけど……」


 こんな埃塗れの状態で寝たくはないし、何よりデザルトに会いたくない。

 シャンプーやコンディショナーとは言わない。せめて石鹸が欲しい。良い匂いのするボディソープとも言わない。せめて牛乳石鹸が欲しい。

 

 浴室の床にしゃがみ込んで、本を開く。

 手書きで書かれたそれは、表紙の文字通り魔法の一覧になっていた。

 蛍が教えてもらった「《ルミネ》」や「《ハイセス》」も、簡単な説明文と共に書かれているが、書き文字が達筆すぎて読みにくい。


「うーん……説明も書いてあるけど、読みにくいな……シャンプー、シャンプー……洗濯、うーん、これかなぁ」


 たしか、ラウァなんちゃらアクアと言っていたような気がする。

 前半部分の読みは分からないが、アクアと書かれた一文を見つけた。一言説明文のところにも「洗濯」と書かれていた。これだ。


 服を全て脱いで、籠の中へ。

 籠の前でしゃがんで、杖を構えながら蛍は呪文を唱えてみた。


「《ラウァレトゥットコンアクア》」


 上手く言えただろうか。

 ドキドキしながら杖の先を見つめる。


「で、出た!」


 杖の先から、紫の水が出てきて、服たちを包み始めた。

 グルグルと服が水球の中を泳ぎ始める。

 確か、道の端にあった宿の主人は「水の波が落ち着いたら」と言っていた。

 洗濯の魔法があったページを読み直すと、「乾燥」と書かれた説明文を見つけた。

 これだ。


 水球をジッと見つめて、波が落ち着くまで待ってみた。

 違いがよく分からないが、揺れ動く波を見つめて、最初よりは多少落ち着いたところで杖を構えた。

 

「あー、えっと、アウ、えー、《アウウォルシトゥットコンウェント》!」


 本を見ながら呪文を唱えてみる。

 今度は杖の先から風が生まれて、水球と入れ替わった。

 どうやら上手くいったらしい。


「すごい! 私すごい! 魔法上手じゃん!」


 褒めてくれる人がいないので、自分で褒めるしかない。

 風の球が落ち着くと、ストンと籠の中に服が落ちた。

 デザルトや宿の主人の時と違って畳まれずに籠の中へ落ちたが、そこはご愛敬というものである。

 これから練習していけば良い。


「さぁて、次はシャンプーとボディソープとコンディショナーだ! あるかなぁ、あってほしいなぁ」


 そんなにとんとん拍子にいくはずもなく、本をめくってみたがそれらしい魔法がない。一言説明文もこれを書いた人物の主観で書かれているので、本当にその用途なのか分からないものが多かった。

 取り出し魔法というのはあったが、どこから取り出すのかが不明なので使えない。


「うぅ……頭洗いたいのに……」


 だが、無いのであれば仕方がない。

 今日は湯だけで済ませるしかなさそうだった。


 「《ハイセス》」


 この魔法は慣れたものだ。

 今日一日どれだけ使ったと思っているのか。

 適度な湯量で出すのもお手の物だ。

 湯で全てを洗い流し、しっかりと魔法で髪を乾かして、すっきりしないシャワータイムは終わった。


 制服に着替え直して、そもそもの目的を蛍は思い出した。


「そうだ、私パジャマ探してたんだった」


 浴室内の引き出しを全て開けてみたが、それらしいものはない。

 リビングの引き出しも全て開けてみるも、パジャマはなかった。元の世界の家では、リビングに繋がった和室の押し入れにパジャマ類はしまってあったのだが、当てが外れた。


「あ、あった」


 寝室の、クローゼットの、一番隅にあった箱の中。

 そこに、シルクでできたパジャマが入っていた。

 なんでこんなところに、と思わないでもない。

 だがこれで制服で寝起きする必要はなくなった。


「よかったー! これでパジャマで寝られるー!」


 今日は収穫の多い一日だった。

 さっそく着替えてみると、驚くことにサイズがぴったりだった。

 ワンピースタイプのそのパジャマは、シルクで出来ているだけにとても肌触りが良い。

 

 シャンプーとボディソープがなかったことを除けば、とても良い現実逃避の一日だった、と蛍は満足してベッドに潜り込むのだった。

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