第14話 この話が本当ならば
宿に戻ると、店主がフロントカウンターの向こうで新聞を読んでいるところに出くわした。なんと書いてあるか分からないが、数字の五十だけは読み取れた。新聞紙よりも荒いその紙で、インクも見たことのある黒ではなかった。濃い青だろうか。周囲の明かりが暗いのもあって、とても見づらい。
フロントカウンターに近づいた蛍たちに気づいた店主が、新聞から顔を上げてくれた。
「よぉ、おかえり。感謝祭は楽しめたか?」
「はい。今年のジャデリドージガも美味しかったです」
今年の、というくらいだから、毎年味が異なるのだろうか。奥深い料理だ。
酒が入って少しご機嫌な様子のデザルトの言葉に、店主はガハハと笑った。
「そうかそうか! そりゃあよかった」
カウンターに置いた新聞を見て、デザルトの顔がサッと変わったのを、蛍は見てしまった。真剣にその一面を見つめてから、店主へは優しい笑顔に変えていた。
「それは新聞ですか?」
「あぁ。久しぶりに売りにきてね。いくつか買ったんだ。あんたもいるかい?」
「はい。お願いします」
「三十ドガね」
店主の小さな手に、デザルトが懐から銅貨を渡す。代わりに受け取った新聞を持って、デザルトは「行きましょう」と声をかけてきた。
「なんて書いてあるの?」
「……」
デザルトの周りをチョロチョロ歩きながら聞くと、デザルトは蛍を一瞥して、まるで興奮した犬を抑えるように手を振った。
あんまりな態度だが、一気に酒が抜けた様子のデザルトを見ていると、蛍は何も言えなかった。
足早に部屋に戻ると、デザルトは腰を落ち着けるのも杖を置くのも忘れて新聞を読み始めた。
何が書かれているのか分からない蛍は、所在なさげに彼が読み終わるのを待つばかりだ。
一面の上側に数字が小さく書いてある。元の世界にある新聞と同様の書き方なのであれば、あれはきっと日付だ。
「(六……七……今って、六月七日ってこと? 私の世界より二ヶ月遅いのかな……)」
過ごしやすい気温ではあったが、まさか夏前だったとは。この世界に春夏秋冬の概念があるのかは分からないが。
「デザルトさん、新聞にはなにが書いてあるの?」
新聞の一面を読んだ後、中のページも確認して固まってしまったデザルトに、恐る恐る声をかける。
彼の服を遠慮がちに引っ張ると、デザルトがハッと意識を戻してこちらを見た。
「賢者候補様、明日の朝すぐに村へ戻りましょう」
「え、うん、それはいいんだけど、なんて書いてあるの?」
「東の村がひとつ、魔の長の手によって滅んだそうです」
「え……」
突然の言葉に、何も声が出てこない。
数秒の後、慌ててデザルトの手から新聞を取って中を見てみると、村の惨状がイラスト付きで描かれていた。
大量の盛り土に縋りついている人々のイラスト。
これが、デザルトの言葉をそのまま受け取るなら、襲われた人間の墓に縋りついて泣く人々、だ。
「百人にも満たない小さな村ですが、老人以外の人間を魔の長が殺したのだとか」
「そんな……」
新聞を持つ手が震える。
「(げ、現実なんだ、これ……)」
なんだか、気持ち悪くなってきた。
先ほど食べたジャデリドージガが出てきそうだ。
新聞を持ったまましゃがみ込んでしまった蛍に、デザルトが慌てて介抱してくれることになってしまった。
*****
朝が来てしまった。
結局あの後、デザルトにまた食べすぎだと勘違いされて甘ったるい薬を飲まされ、寝かされた。
寝たくないのに、気づけば朝になっていて、蛍はぼんやりと天井を見つめるしかなかった。
「行くしか、ないのかなぁ……」
ベッド下でデザルトが出発の準備をしている音と気配がある。
起き上がりたいけれど、力が入らない。
ゴロゴロと寝返りを打っていると、音に気づいたデザルトがベッドを覗いてきた。
「おはようございます、賢者候補様」
「……おはよう、デザルトさん」
ベッドの柵越しに目が合ってしまい、蛍は諦めて起き上がった。
今回はちゃんと髪を鞄に入れていた櫛で直してからベッドを降りる。
「先にシャワーを浴びてきてください。待っています」
「……うん」
またタオルを受け取って、蛍はヨロヨロとシャワースペースに向かった。
早朝のせいか、シャワースペースには誰もいない。
ピカピカに掃除されたシャワースペースを使うのは忍びなく、蛍はそそくさとシャワーを浴びた。
重たい足を動かしながら、どうにかデザルトの元に戻り、宿を出る。
朝日が上がったばかりの街中は、いたるところに咲く花々以外はシンと静かだった。
静かだ、と思ったのも束の間、小道の入り口や店前に積まれた木箱の影に、酔っ払いが腹を出して寝ているを見つけてしまった。足早にデザルトに駆け寄ると、彼も気づいてくれたようで手を引いてくれた。
「おや、旅人さんたち。もう出るのかい? 感謝祭はまだまだ続くぜ?」
「えぇ。目的は果たしましたので。感謝祭、楽しかったです」
「ジャデリドージガは食べた?」
「はい」
明るい門番兵は、デザルトが差し出した何かを見て、バインダーに書付をしてから外に出る許可を出してくれた。
彼は新聞の内容は何も知らないらしい。
それとも、ここは関係ないと思っているのだろうか。
「東の村で魔の長が出たそうですね」
デザルトがそれとなく話題に出すと、門番兵は興味がなさそうに答えた。
「あぁ、そうらしいね。まったく恐ろしいことだ。言い伝えじゃ、賢者が現れて魔の長を退治してくれるんだろ? ってことは、どこかで賢者とやらが現れているかもな。あんたも旅人なら、どこかで会うんじゃないか?」
その賢者候補が私なのですが、と思いつつ、蛍は苦笑いをするに留めた。
門番兵に見送られて、街を出る。
しばらく歩いたところで、デザルトは立ち止まって何かを考え始めた。
「デザルトさん、行かないの?」
「ここから、どうやって帰りましょうか」
「え? 歩いて帰るんじゃないの?」
バイクや車があるわけでなし。
空を飛ぶ魔法はあるものの、蛍が使いこなせるわけがない。
また三日かけて帰るしかないだろうに。
「できるだけ日にちはかけたくないのですが……」
「そうは言っても、私魔法使えないし」
胸を張って言うことではないが、仕方がない。
蛍のヤケクソな言葉を無視して、デザルトは鞄の中を漁り出した。
小さい鞄に、あと何が出てくるのだろうか。
しばらくゴソゴソ漁っていたデザルトが取り出したのは、手のひらサイズの丸いガラス板だった。ガラス板には何やら複雑そうな魔法陣が書かれていて、虹色に光を反射している。
「これは何?」
蛍が指さして問うと、デザルトは「移動用ポータルパネルです」と言った。
「僕の家に魔法陣を書いておいたので、これで戻りましょう」
「そんな便利なものあるんだ」
「賢者候補様はこれを使うのは初めてでしょうから、少し心配ですが……仕方ありません。賢者候補様、こちらに来てください」
「うん」
デザルトの傍に寄ると、腰をグッと引かれて一気に距離が近づく。
顔が近い。
良い匂いがする。
頭がくらくらしそうだ。
「ひぇ……顔がちかい……」
「賢者候補様、僕にしっかり捕まってください」
「は、はい!」
どこを掴めばいいか分からなかったが、仕方がないのでデザルトに抱き着いた。
良い匂いがする。
「《モウィメント》」
「うわっ!」
デザルトが呪文を唱えた途端、周囲を光の粒が取り囲んだ。
驚いて目を閉じた途端、内臓が潰されるような感覚に陥った。
吐きそう。
いや、ここで吐いてしまったら駄目だ。
デザルトに抱き着いて、どうにか耐えようとするも、目の奥までグラグラ揺れてきて気持ち悪い。
足元から地面の感覚が消えた。
怖くてデザルトに抱き着く力を強めてしまう。
目が回って、内臓はぎゅうぎゅうに揉まれているし、気絶しそうだ。
「着きましたよ」
「はひぇ……」
足が地面に着く感覚があって、目を開ける。
そこは、今まで見てきた家とは異なり、木で出来た掘っ立て小屋のようなところだった。床はなく、固い地面だ。
周りを見回すと寝室とキッチンが全て一緒になったワンルームで、すぐ脇にあったベッドもどこか雑なつくりだった。
足元にはガラス板と同じ魔法陣が描かれていて、ここがデザルトの家なのだと回らない頭で理解する。
「こ、ここは? ここが家?」
「すぐに長老様のところに行きましょう」
「うん」
どうしてこんなところに住んでいるのだろう。
分からない。
ともかく、今は長老に話をしに行かねばならない。
デザルトに急かされるまま、家を出た。
家のある場所も、辺鄙なところだった。
村の中心から外れたところにある林の中のようで、この家を遠巻きにするようにして民家が建っていた。
足早に林を抜けて、小道から大通りに出る。
道行く人々は、デザルトを見る度に「デザルト様、お早いお帰りですね」なんて言ってくるのが、蛍にはじんわりと恐ろしく思えた。
「長老様」
「おぉ! デザルト! おかえり!」
長老の家に行くと、モルドガードが庭先で寝ている猫と共に日向ぼっこをしているところに会った。
なんとも呑気な長老だな、と思わずにはいられない。
「長老様、東の村がひとつ、魔の長によって滅んだと新聞で見ました」
「え?! そうなのか?! それはまずいな……」
「今まで、このような暴挙に出たことはありません。いったい、どうして……」
「そんなにまずい状況なの?」
村がひとつ滅んだのだから、そりゃまずいのだろうが、どうも深刻に捉えすぎているように蛍には見える。
何が何やら分からない。
それよりも、村を滅ぼすような人物と対峙しなければいけない自分を、労わってほしいくらいだった。
急いで立ち上がって来たモルドガードは、デザルトから新聞を受け取って読み出した。
文字を読み進めるごとに、彼の眉間には皺が寄る。
「ふむ……こんなにはっきりと魔の長が犯人と書かれるのも珍しいな」
「えぇ。記者が闇の魔法に詳しいとも思えないですし……何を証拠にそう断定したのかが不明です」
魔の長は、闇の魔法とやらを使うらしい。
嫌な言葉が聞こえた。
「なら、まずは東の村に行って状況を見てきた方がいい。本当に魔の長の手によるものなのか、確認してこい」
「わかりました」
「賢者候補殿。旅で疲れただろう。準備に時間がかかるから、今日はゆっくり休んでくれ」
「は、はい!」
「明日には出発した方がいい。デザルト、すぐに準備してくれ」
「はい」
緊迫した空気の中で、足元の猫だけが呑気に「にゃあん」と鳴いていた。
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