第11話 花冠の魔法
人混みを抜けてなんとか街中を歩き抜けた先に、城はあった。
どっしりとした門構えに、白い壁、円柱の塔がいくつも建ち、美しい庭と噴水が広がっている。
その城と庭の美しさは、ドイツのノイシュバンシュタイン城やフランスのヴェルサイユ宮殿を思わせた。
城門は、祭りの最中だからなのか開放されており、たくさんの人々が庭を歩いていた。中にはピクニックをしていたりヨガのようなことをしている者もおり、心の広い王様がいるのだなと蛍は判断した。
可愛らしい子犬が向こうから飼い主と共に歩いてきたかと思えば、突然成犬を通り越して熊のような大きさになってノシノシ歩き始めるものだから、蛍はビックリしてデザルトの後ろに隠れてしまった。
「わぁああ! ビックリした……今の何?」
「今のは犬です。最近流行りの犬種ですね。賢者候補様の世界にもいるはずですが」
「私の知ってる犬じゃないよ、あれ!」
ぱやぱやな毛が可愛らしいと思っていたのに。なんだか裏切られた気分だ。
「人が多いね」
「今日は感謝祭ですから。うーん、ですが、三百年前に来た時も感謝祭の日だったはずですが、こんなに盛況じゃなかったような……?」
「王様が変わって、やり方が変わったとか?」
「まぁ、王様に会えば分かることです。行きましょう」
綺麗に整えられた木々に、控えめに咲く花を置いた花壇、大理石でできた動く彫像に、プールかのように大きな噴水。白い鳩が歩き、それを追いかける子供と親。彫像が動いている以外は、元の世界に帰ってきたかのような錯覚が起きる。
三十分かけて庭を通り抜けて、ようやく城に到着すると、今度は長い長い階段が現れた。王に会うための道のりは気が遠くなるほど長い。
「な、長い……」
「頑張りましょう、賢者候補様。もう少しです」
城の中だって広いだろうに、デザルトは気のない励まししかしてこない。
どこがもう少しなのか、と不貞腐れながら階段を登る。緩やかな傾斜の階段だが、もうこの段数では「登る」がピッタリだった。
「何用か」
ようやく階段を登り終えたところで、今度は門番からの詰問であった。
デザルトよりもはるかに大きな身体をした門番たちは、丸太のように太い槍を持ち、鉄製ヘルメットの下からじっとりとこちらを睨んできた。
これは、たとえデザルトの背に隠れても見えてしまう。怖いが、蛍は懸命にデザルトの横に立った。
「賢者候補様をお連れしたため、王にお会いしたい」
「賢者候補? なんだ、それは」
「デザルトが来たとお伝えいただければ、分かると思います」
驚いた。
どうやらこの門番に賢者候補という存在は知られていないらしい。ここに至るまでに何人も「賢者候補」というものについて、程度はあれど認識しているようだったから、かなりポピュラーな職業だと思っていた。
もう一人の門番もこちらを胡乱げに睨んできていて、やはりピンときていない様子だった。
「デザルト? そのような名前の人間の来訪は聞いていない」
「そのように側近殿にお伝えいただければ分かります。お願いします」
「側近とは?」
「ギルベルト・ドン・マグダレーナ殿です」
デザルトの告げた名前に、門番たちはようやく反応を示した。背後の巨大な扉に向かって立つと、槍の柄頭で床を叩いた。
「マグダレーナ殿へお目通りである!」
ギイイと低い音を立てて、扉が開いていった。開き切る前に、デザルトが歩み始め、蛍も慌ててそれに着いて行った。
ようやくか、と肩を落とすと、デザルトはクスクス笑った。
「ああいう反応になるのも無理はありませんよ」
「そうかもしれないけど……でもまさか王様の部下が知らないだなんて」
今の身分をひけらかしながら歩きたくはないが、せめて聞いた覚えくらいはあってほしかった。
黒は特別な色だそうだし、まさかの知名度に困惑する。
突然の持ち上げられ方に自惚れていたわけではないが、蛍は肩を小さくして歩く他なかった。
城の中は、絵本や写真集で見たままの豪華絢爛さだった。
真っ赤でふかふかな絨毯を挟むようにして堅牢な甲冑の数々が並ぶ。
高い天井まで届く窓と天鵞絨のカーテン、よく分からない意匠の施された壺の間を縫うようにして細長い扉が立っている。
今は掃除の時間のようで、可愛らしい水色のドレスと白エプロンを着たメイドたちがあちこちを掃除していた。数ある掃除道具を魔法で複数動かしていて、大変そうだ。
メイドたちは、廊下の真ん中を歩くデザルトたちを見てはチョンとドレスを摘んで挨拶をしてくれた。
確かあれは、カーテシーと言うんだったな、と蛍がぼんやり思い出していると、デザルトが不意に立ち止まった。
危うくその背中にぶつかりそうになりつつ前を見ると、デザルトと対峙する一人の若い男性がいた。
デザルトと同じくらいの身長で、歳は二十代だろうか。短いオレンジ色の髪に、可愛らしい花で作られた花冠が乗せられている。派手な装飾が施された赤の甲冑とマントを着ていて、まさに強戦士という言葉がピッタリだった。険しい表情もあいまって花冠とまったくマッチしていない。
手には大剣が握られていて、本当に花冠が似合わない。
「マグダレーナ卿」
「久しいな、異郷人デザルト」
そっと頭を下げたデザルトに倣って、蛍もペコリと頭を下げた。デザルトの頭を視線で追ったギルベルト・ドン・マグダレーナ卿は、だが蛍には目もくれず口を開く。
「私に用があると聞いたが? 異郷人が何用だ」
マグダレーナ卿の強い言葉に、デザルトから小さな舌打ちが聞こえた気がした。蛍が驚いてデザルトを見上げると、彼の眉間に皺が寄っている。
「本日は、王へのお目通りをお願いしたく、マグダレーナ卿のお名前を出しました。申し訳ございません」
それでも、出てくる言葉はスラスラと滑らかだった。マグダレーナ卿はその言葉の何かが引っ掛かったようで、デザルトよりも濃い皺を眉間に寄せた。
「貴様は本当に言葉が下手くそだな、異郷人デザルトよ。まぁいい。用はその娘だな。来い」
「はい。ありがとうございます」
マグダレーナ卿は踵を返すと、さっさと歩いて行ってしまった。デザルトも黙って着いていってしまう。
蛍もその後ろを置いていかれないように歩いていく。
気まずい。
「(デザルトさん、突然態度変わったけど、この人のこと嫌いなのかな……?)」
蛍に向かって信じるなといったガジャ相手にだって笑顔で接していたのに、マグダレーナ卿には最初から敵意剥き出しだ。
誰にでも優しいのかと思っていただけに、意外だ。
「(まぁ確かに、ちょっと怖いし融通効かなそうだもんね、あの人)」
しばらく歩いていった先の廊下の途中に、これまでの扉とは一線を画す豪華絢爛な観音扉が現れた。
扉の周囲には兵士が何人も警備にあたっている。
見ただけで分かる。これは王の間だ。
「き、緊張する……」
「賢者候補様。緊張しておられるのですか?」
「う、うん! そりゃ、もちろん!」
デザルトは慣れているのだろうか、よくそんな飄々とした風に立っていられるなと思う。デザルトの横に立つマグダレーナ卿の表情は見えない。
「ぺちゃくちゃ喋るな。王の前だぞ」
「はい。申し訳ございません」
マグダレーナ卿から叱責が飛んだ。
謝罪せねばと口を開いた蛍を片手で制して、デザルトが感情の籠もっていない声音で返した。
「まったく。異郷人だからと調子に乗るなよ、小僧。毎回毎回、いつもそうだ。貴様にはもう何度伝えれば分かってもらえるんだかな」
「……」
その時、デザルトがボソリと「鮟吶l縺上◎縺倥§縺�」と言ったが、蛍の耳には日本語として届かなかった。
蛍がジッとデザルトを見上げていることに気づくと、デザルトは小さく咳払いをしてそっぽを向いてしまった。その態度を見て、蛍はようやく「彼はよくない言葉を使ったのだ」と、分かった。この世界にもスラングはあるらしい。
「扉を開けよ」
「ハッ」
マグダレーナ卿の言葉に、兵士が呼応して扉を両側から開けた。
王の間、謁見の間、単語はいろいろあれど、適切な言葉が思いつかない。
ともかく、そこは運動場が入りそうなほど広い場所で、何本も太い大理石の柱が立っている。床も大理石で、扉から王のいる玉座までは細長い絨毯が敷かれていた。
そこを、マグダレーナ卿が先頭に立って歩く。
自分の足音が完全に消えていて、毛足の長い絨毯の上はなんだか雲の上を歩いているような心地だ。
「そこで待て」
マグダレーナ卿に言われて、玉座へ至る階段下で立ち止まった。玉座の奥へと引っ込んだマグダレーナ卿の背中を見てから、蛍は視線を戻す。数段ある階段の上には厳かな雰囲気のある大きな椅子があり、あれが玉座かとしげしげと見てしまった。
数分ののち、マグダレーナ卿が何かを抱えて戻ってきた。なんだろう、と思っていると、それは小さな金髪碧眼の天使のように可愛らしい女の子で、真っ白でレースがふんだんに使われたドレスを身に纏っていた。刺繍も大変可愛らしく、ここが玉座でなければ蛍は感嘆の雄叫びを上げていたことだろう。
少女の頭の上には小さな小さなティアラが乗っていて、彼女がプリンセスなのだと理解した。
少女はこちらを見て、マグダレーナ卿を見て、それから
こちらに視線を戻し小さく蛍たちに手を振ってくれた。そらに振り返そうとして、蛍はデザルトに制される。
「異郷人。頭が高い。王の面前であるぞ」
「はっ」
「え?!」
驚いて声を上げてしまったが、マグダレーナ卿が無視してくれたので蛍は慌ててデザルトと同じように膝をついて頭を下げた。
まさか、こんなにも小さな女の子が王様だなんて。
それと、いつまで頭を下げていればわからずチラチラとデザルトを見てしまい、マグダレーナ卿から重い溜め息が聞こえた。
この人溜め息つくんだ、と思ったのは内緒だ。
「礼儀のなっていない娘だな」
「はっ。申し訳ございません」
「まぁいい。貴様が連れてくる人間はどいつもこいつも無能ばかりだった。今に始まったことではない。それで、異郷人デザルト。王に何用だ。申せ」
「はい。今年も賢者候補となる方がいらっしゃいましたので、賢者の泉へ至る入山許可を頂きたく参りました」
スラスラと言葉が出てくるデザルトは本当にすごい。
敬語もままならない蛍にはできない芸当だ。
デザルトの言葉に、ジッとマグダレーナ卿が黙った。
「許す」
「ありがとうございます」
茶番か。
そう思うほどに淡々と、決められたレールのごとく話が進む。
「ギルベルト」
それまで黙っていた王が突然口を開いた。
拙い発音で呼ぶ声に、マグダレーナ卿は堅苦しい声音で返す。
「はっ、如何されましたか、王よ」
「おやつたべたい」
ガクッと、危うく力が抜けるところだった。
致し方ない。
彼女はまだ幼稚園児にも満たない年齢だった。ここまで静かにしていられたことの方が奇跡だ。
笑いそうになるのを必死に堪えていると、マグダレーナ卿はまた堅苦しい声で返事をするものだから、端が転げても笑ってしまう年頃の蛍には非常に厳しい戦いが始まった。
「すぐに準備させます。……異郷人、そこで待っていろ」
「はい」
マグダレーナ卿の気配が消えた。
そっと顔を上げてみると、王の間にはデザルトと蛍しかいない。
うんざりした様子のデザルトの横顔を見て、先ほどの花冠男を思い出し、そこでもう、蛍の腹は抑えられなかった。
「ぶっ、アッハハハハ! なにあれ、やば! フハハハハ! めちゃくちゃパパしてんじゃん! しかもあの花冠はなに?! え?! 偉い人ってあんなことまでしなきゃいけないの? ふふ、うっ、アハハハハ!」
「賢者候補様、笑いすぎです」
「いやでもだってさ! あれは笑うって! しかもなに? 許すって! 堅すぎ!」
ここまで笑わずにいられたことを誰か褒めてほしい。
突然始まった茶番に、幼女と堅苦しい男のやりとり、やたらと圧をかけてくるくせに頭の上には花冠。今の蛍には、マグダレーナ卿の存在そのものが笑いの対象でしかなった。
ひとしきり笑ったところで、ハッと蛍は我に帰った。
「今の笑い声、王様に聞こえてないよね?」
「突然我に帰るのやめてください。怖いですよ」
「いやでも、もしこの笑い声が聞こえてたらどうしよう?! 私どうなる? 不敬だって言われないかな?」
もはや今更の問いかけだが、血相を変えて縋り付いてきた蛍にデザルトは少し引いた顔をしたものの、どうどうと宥めてきた。
「落ち着いてください。何に怖がっているのかは分かりませんが、変なことにはなりませんよ」
「そうかなぁ、そうだといいなぁ……」
「待たせたな、異郷人ども」
「ひゃあい!」
突然帰ってきたマグダレーナ卿に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
慌てて口を両手で押さえた蛍にはやっぱり目もくれず、マグダレーナ卿は階段を下りると立ち上がったデザルトの前に立ちはだかった。
「……」
「……」
何も喋らないのに、二人の間には何かバチバチと走るものが見える心地だった。
こんなところで喧嘩なんぞ止めてほしい。だが蛍にはどうしたらいいか分からず、オロオロするしかできない。
「異郷人デザルト」
「なんでしょうか」
「貴様、なんのつもりだか知らないが、いつまでこんなことを続けるつもりだ?」
「仰っている意味が分かりません」
バチっと電気が走ったような気がした。
「魔の長との対話など無駄だ。奴らに、我々と会話をする意思はない」
「マグダレーナ卿は、人間が襲われている事実から目を逸らされるということでしょうか」
「そうは言っていない」
「魔の長と言えど、人を無作為に襲うなどあってはならないことです。それを抑えられる術があるのですから、私がその導きをするのです」
サラサラと、慣れた様子でデザルトは説明する。それがどうも気に食わないようで、マグダレーナ卿は鼻で笑った。
「百年に一度、何度もそれを繰り返す魔の長。どこが抑えられているかご説明願いたいものだな」
「失礼します」
話をする必要はないと判断したのだろう。オロオロしている蛍の手を取ってデザルトは歩き出した。その背中に、マグダレーナ卿の声が響いた。
「異郷人デザルト」
「……なんでしょうか」
ゆっくりと振り返ったデザルトの顔の、なんと怖いことか。
感情が一切籠もっていない、無の表情。それだというのに、滲み出るオーラは不機嫌そのもので、蛍は「ひっ」と息を呑んだ。
だが、マグダレーナ卿は違った。
また鼻で笑い飛ばしたかと思えば、トントンと彼の首あたりを指差した。
「いつまでそれに操立てしているのかは知らんが、そろそろそんなもの卒業したらどうだ」
「……あなたには関係のない話です」
「貴様が我々と同種ヅラしているのが不愉快だと言っているのが分からんのか」
意味が分かっていない蛍は徹頭徹尾置いてけぼりだ。頭の上にはてなマークが大量に浮かんでいる蛍を置いて、二人の間には深い溝が見え始めた。
「失礼します」
デザルトが、蛍の手を握り直して歩き出す。
引きずられるようにして歩く中蛍が振り返ると、マグダレーナ卿は苦虫を噛み潰したような顔をしてこちらを睨んでいた。
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