第10話 落ち着けとは言わないが落ち着け
宿の女主人の明るさや、デザルトへちょっかいをかけながら歩けたからだろうか。
『中央にある綺麗な街』に着いた時、蛍の機嫌は好調だった。
門の守衛と何やら話し込むデザルトを置いて門をくぐると、そこはとてもとても大きな街が広がっていた。
「わぁ……!」
白壁の家や店が広がる姿は『聖なる森にある村』と同じだが、家同士を繋ぐようにして渡された紐に大量の花が飾られていた。玄関口には花輪が飾られ、家のベランダに置かれたプランターにもたくさんの花々が咲き乱れていて、華やかだ。
道行く人々は手に花束を持ち、花冠を頭に乗せて、走り回る子供たちは花が飾られた風船を持っている。
ハラハラと落ちる花びらは地面に着く前に消え、延々と空から花びらが落ちてくる姿はとても神秘的だった。
「すごーい! 綺麗!」
「賢者候補様、あまり離れると危ないですよ」
守衛との会話が終わったデザルトが呆れたようにこちらに来たので、蛍は彼に駆け寄った。
「お花がいっぱい! 綺麗な街だね、ここ!」
「今、ちょうど感謝祭をしている最中だそうです」
「感謝祭?」
どこかのスポーツチームが優勝でもしたのだろうか、と首を傾げていると、デザルトが付け加えて「今年の収穫を神に感謝する日です」と言った。カッと頬が熱くなった。
「街中に花を飾り、家族や友人たちと一緒にごちそうを作って感謝を捧げる日です。いい時に来ましたね。この日に出るジャデリドージガは絶品ですよ」
また知らない単語だ。
何がどれを指すのか、やっぱり法則性が分からない。
とりあえず、美味しいものがあるらしいということだけは分かった。
デザルトの導きで、祭りを堪能するよりも先に杖を買いにいくことになった。
街の大通りを進んでいくが、『聖なる森にある村』よりも人通りが多く、更に大道芸人たちがあちこちで芸を披露していて、そんな街中を見回しながら歩く蛍は徐々にデザルトから離れてしまっていた。
「デ、デザルトさん! 待ってー!」
「ん? あれ? 賢者候補様?」
そうやって、何度かデザルトに腕を引かれながら、ようやく目的の店に着いた。
看板に書かれた文字はまったく読めないが、文字の横に描かれた杖を見て、ここが杖屋であることを理解する。
ショウウィンドウにはここの商品である杖がいくつもディスプレイされていて、今は感謝祭だからなのか、そこも花にまみれていた。
デザルトがガラス戸を押すと、カランカランとドアベルが鳴る。
その音が店の中に鳴ったが、店の中は誰一人おらずシンと静まり返っていた。
「こんにちは」
店の中にはカウンターが一つと、その奥に三面鏡と踏み台が一つ。そして、壁一面に棚が置かれ、その中には薄い箱が詰め込まれていた。
小学生の頃に読んだ児童文学の一つにこんな風な杖屋が出てきたな、と蛍が店の中を見回していると、デザルトがカウンターの上に置かれたベルを鳴らした。
「すみません」
デザルトが声を張る。
ワンと彼の声が静まり返った店の中に響き渡った、その時だった。
「い~~~~~らっしゃ~~~~い!!!!!!!」
「きゃっ!」
突然、店の奥から色とりどりの布が溢れ出て来た。
そして、驚く間もなく、その布にどんぶらこと運ばれて来た若い男が一人、大げさに、踊るようにしてフロントカウンターの上に立った。
溢れ出て来た布は男を取り巻き、デザルトと蛍を取り巻き、そして何やらリズムを刻みながらまた店の奥へと消えて行った。
カウンターに立った男の深緑色の髪はウェーブがかっていて、左目を軽く隠している。派手な装飾のついた白シャツに、やたらとベルトが巻き付いていた黒のズボン、膝丈まである黒のロングブーツ。まるでカウボーイの拳銃のようなホルスターを腰に提げ、そこに六十センチほどの杖を差していた。
首から聴診器のように布製のメジャーを提げていて、何に使うのかまるでピンとこない。
「やぁ! よく来たね、デザルト! あぁ! あぁ! しかもこの感謝祭の日に、キミに会えるだなんて思わなかった! なんて奇跡だ! 素晴らしい! このジャック・ジャン・グリルダッド! 今日ほど神に感謝したことはない!」
なんと大げさな人だろう。
それから、なんと大きな声だろう。
耳にガンガンと響く感覚は、ロックバンドのライブの音響席近くに座った時に似ている。
そんなジャックのテンションに、デザルトの表情は薄く微笑んでいた。よく笑っていられるな、と蛍は素直に感心した。
「お久しぶりです、ジャックさん。今日は、」
「だ~~~いじょうぶ! 何も言わなくていいよ、デザルト。大丈夫。このボクは全てを理解している。なにせ、僕はジャック・ジャン・グリルダッドだからね! この街随一の杖屋だからね! 今予想するからね!」
「この方の杖を見繕ってほしいのですが」
「あ~~~! もう! デザルト! あぁ、そうだろう、そうだろうとも! キミがここに来る時はいつもそうさ! ボクとの逢瀬なんてちっっっっとも
ダンッと大きな音を立ててフロントカウンターから飛び降りたジャックは、がっしりとデザルトの肩を片手で抱き、更に空いた手でデザルトの手まで握りだした。距離が非常に近い。
「いいかい、デザルト。いや、デザルト・ウチェロカッチャ。この国一番の導き手よ。このボクが! この街一番の! いや、この国一番の杖屋であるこのジャック・ジャン・グリルダッドが! こうしてキミとの出会いに感謝し、慶び、神へ祈りを捧げているというのに! キミはどうしてそうなんだ!」
「できれば持ち歩きのしやすいものが良いです」
「分かる、分かるよ、デザルト。このボクの! 見立てた! 杖が! 欲しいというんだね! いいとも、いいとも! すぐに準備しよう! あぁ、お嬢さん、さぁさぁこちらへどうぞ。う~~~~~ん、とても素晴らしい魔力だ! いいね、とてもいい! あぁそうだ、このボクとしたことが! 忘れていた! お客様にはお茶を出さないとね! ミーシェルデア! ミーーーシェルデアーーーー! このお嬢さんにとびきり美味しいお茶をお持ちして!」
踊るようにしてデザルトから離れたジャックは、またカウンターに立つと、大げさなポーズを取ってから手を叩いた。
その音に反応したのか、遠くで「はぁい」という女性の声が聞こえた。
その声と共に、紫色の茶が入ったコップが宙を浮いてやってくる。
蛍がそれを受け取ろうとした瞬間に、ジャックに腕を引かれて店の奥へと進まされた。
「おやおやおや! お嬢さんのローブはとても美しいね! いい! いいとも! とてもいい!」
「あ、ありがとうございます……」
「さぁさぁ、おいで! さぁ、ここに立って! 鏡の方を向くんだ! うん! いいね、とてもいい!」
このテンションに圧倒されてしまう。
軽く引いている蛍を他所に、ジャックは蛍を、声の大きさとは裏腹に優しく踏み台へ誘った。
鏡の位置を調節し、店のライトも調節し、そしてジャック自身の杖を取り出すまで、彼の喋りは止まらなかった。鼻歌まで飛び出している。
「鏡の位置を調節しよう! アナタのその美しい姿を全身見られるようにね! ライトもきちんとしなければね! 美しさというのは内面から溢れ出る。その溢れ出た美しさをこのライトは映し出してくれるからね! ん? あぁ、ボクとしたことが! デザルトのために椅子も用意していないだなんて! さぁおいで、デザルト、こちらに座って! ミーーーシェルデアーーー!! ミーーーシェルデアーーー!!!」
「う、うるさい……」
「慣れた方が早いですよ、賢者候補様。彼はいつもこうなので」
そう言われても。こうまで耳元で叫ばれると、とてもしんどい。
ジャックの呼びかけに、店の奥から椅子が浮きながら出てきた。
その椅子に脚を組んで座ったデザルトは、完全に傍観の姿勢だった。
「さぁ始めよう! 大丈夫、何も怖くないよ、お嬢さん。だって、ボクはジャック・ジャン・グリルダッドなんだ。何も心配はいらないよ。アナタに合った最高の一品をお出ししようね!」
「は、はい!」
要所要所で低くてとても良い声を出してくるジャックのテンションに、本当についていけない。
くるりと踊るようにターンをしながら後方に下がったジャックが、腰から杖を取り出して構えた。
「さぁ、お嬢さん! ボクの後に続いて呪文を唱えるんだ! いいかい?」
「え? あ、はい!」
「うん、良い声だ! いくよ、ボクに続いて。《光の道》」
「《光の道》」
「《導かれしは柔らかな鳥》」
「《導かれしは柔らかな鳥》」
落ち着いた、静かな低い声に戸惑いつつも、蛍はジャックの言葉を紡いだ。
ジャックの杖から光の粒子が溢れ出て、蛍を包み、壁の棚も包んだ。
「《空へ飛びたつ時、神の祝福を手に》」
「《空へ飛びたつ時、神の祝福を手に》」
言い終えた瞬間、光の粒子は棚から一つの箱を選び出して蛍の目の前に現れた。
ふわり、と目の前に差し出された箱は自ら蓋を開けて、その中から杖が一本飛び出した。
五十センチほどの、明るい茶色の木で作られたその杖は、持ち手部分に可愛らしい意匠がこらされている。蛍が両手を差し出すと、その手にゆっくりと杖が下りてきた。手の中に収まったその杖は、とても軽い素材で出来ているようで、重さを感じなかった。
「そぉれ!」
「わっ!」
ジャックの明るい声が背後でしたかと思うと、杖が突然布製メジャーに包まれた。
そうかと思えば、どこからか革が一枚と針と糸が飛び出してきて、その杖に合わせたホルスターとベルトが目の前で出来上がっていく。
ベルトとホルスターが勝手に蛍の腰に巻き付いて、まるで長年そこにいたかのように杖と共に納まった。
「おぉ~」
「ふふんっ! さっすがボク! 素晴らしいね! 良い仕事っぷりだね! どうだい、デザルト! このボクの! この見立ては!」
「ありがとうございます。それでは賢者候補様、行きましょうか」
「ちょっと待ちなさい! デザルト! あぁ、デザルト! なんだい、その感謝は! ボクの仕事に文句でもあるのかい?!」
立ち上がったデザルトがフロントカウンターにお金が入っている様子の麻袋を置いたところで、カウンターを挟んでジャックが立った。バンッと大きな音を立ててジャックがカウンターに両手を置くと、デザルトはキョトンと目を瞬かせた。
浮いていた茶を受け取って蛍が飲んでいる間に、ジャックはデザルトと睨み合った。だが、即座にジャックはにったりと笑う。
「ボクの仕事っぷりはどうだった?」
「えぇ、とても良い仕事だったと思います。まさか、あのベルトルド・ベドリガーの作を選んでくださるとは、思いませんでした」
「うんうん、そうだろうそうだろう! 三百年前、彗星の如く現れた奇才ベルトルド・ベドリガーはボクと懇意でね! いくつか遺作を遺してくれたんだ! いいだろう? 素晴らしいだろう、あの曲線美! はぁ、まったく、キミが導き手になった時にこのボクがまだ産まれていなかったことが悔やまれる。キミにだって、このボクが! 素晴らしい一品を見繕ってあげたというのに!」
どうやら、なかなかにすごい一品が選ばれたらしい。
いったい幾らのものなのだろう。そんな金は持っていない。宙にコップを返してから杖を見るが、値札のようなものはなく、時価とかいうものだろうかと身体が震えた。
「僕はいいです。この杖がありますから」
そう言って、デザルトは手にした長い杖を見上げた。
蛍の杖と比べると古ぼけた様子のその杖を、ジャックは「むむむ」と難しい声を上げながら睨み上げ、そして肩を落とした。
「まったく。その杖がうちの店から出たのだったら、即座に変えさせたのに。アディオペラから授かったとあれば、話は別だ。仕方ない。だが! いつか! このボクに! キミの杖を見繕わさせてくれ! いいね!」
「はい。分かりました。お代はいつもの五ゴガで良いですか?」
「あぁ、いいよ! 仕方がない! ボクは一ゴガでも良いと言っているのに! 毎回毎回律儀なことだ!」
「そんなことを言わないでください。あなたの仕事は他には代え難いものです。長老様からも粗相のないように、と言付かっております。受け取ってください」
また、しばらくの睨み合い。
折れたのはジャックの方だった。
「はぁ、仕方ないね。あの長老にはボクも世話になっている。彼の言うことなら、従うしかない」
「えぇ、そうしてください。賢者候補様、行きましょう」
「う、うん」
「またおいで、お嬢さん! いつでも修理してあげるからね!」
ジャックの高らかな声を背に、蛍はデザルトと共に店を後にした。
ついに、蛍は魔法の杖を得てしまった。
なんだか心臓がドキドキしてしまって、杖を眺めながら歩く蛍はまたデザルトに腕を引かれる羽目になってしまった。
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