第8話 女子高生だって食べ盛り

 手を繋がれたまま歩いた先に、宿はあった。

 宿と言っても、日本の旅館やホテルとは違って、ゲストハウスのようなところだった。


 道端に突然ポンと現れるその宿は二階建てで、観音開きの玄関は大きく開かれている。

 中を見ると真正面にフロントがあり、気の良さそうな恰幅の良い女性が「いらっしゃい!」と言った。

 女性はシンプルながらも刺繍があしらわれた服を着ており、大変可愛らしかった。


 中は外見からは想像できないほど広く取られていて、フロントから奥に広がる、体育館ほどの広いスペースは全て客室エリアらしい。そこは大量の二段ベッドがそれぞれのカーテンで仕切られているのみだった。天井にカーテンレールは無く、魔法で荷物の分まで含めてきっちり仕切ってくれるようだ。


 そんな中で、大きな大きなリュックを背負った小さな小さな女性が、ヨッチヨッチとカーテン裏から出てきた時はビックリしてしまった。


「あれは小人族です」


「こ、小人? ほんとにいるんだ」


 ここは異世界なのだから小人もいるだろう、と脳内の冷静な自分が言ってくる。

 それを無視して、ジロジロ見ないようにしながらも蛍は初めて見た小人を上から下まで見てしまった。


 小さな靴は布製で、低いソールは木のようだ。

 可愛らしいワインレッドの服はやっぱり着方が分からない構造をしていたものの、刺繍は無かった。


「おやぁ、デザルトさんじゃあないか」


「こんにちは」


 その小人から声をかけられた。やたらと声が大きい。

 ニコニコと優しい微笑みを湛えたその小人の女性と視線を合わせるように、デザルトがしゃがむ。蛍もそれに合わせて慌ててしゃがんだ。


「久しぶりだねぇ。百年ぶりくらい?」


「そうですね、お久しぶりです。ガジャさん」


「あんたがこっちに出てくるってことは、もうそんな季節なのかい? あぁ、ってことは、あなたが今回の賢者候補さんだね、こんにちは」


「こ、こんにちは!」


 先ほどの蛮族とは違い、ガジャは賢者候補についてよく知っているようで、ニコニコしたままリュックからクッキーが三枚ほど入った透明袋を渡された。彼女の顔と同じくらいの大きさのクッキーにはチョコチップがたっぷり入っていて、とても美味しそうだった。


「あらあら、今回の賢者候補は綺麗な声ね。大変だと思うけど、頑張って!」


「はい! ありがとうございます!」


 こうして応援してくれるだなんて、とても良い人だ。

 ガジャが手を振って宿を出ていくのを見ながら、蛍も手を振る。冷えてた心がほっこりと温まったような気がした。


「はぁ〜、良い人だったね、デザルトさん」


「えぇ、そうですね。表向きは」


「え? あ! ちょっと! なんで取るの?!」


 袋を開けようとした蛍の横から、デザルトに取り上げられてしまった。

 ギッと睨みながら抗議するが、デザルトは取り上げたクッキーに向かって「《エント》」と言った。途端に、クッキーはボロボロと袋ごと塵になって消えていく。


「ああー! クッキーが! 酷い! なんてことするのよ!」


「賢者候補様、これだけは言っておきます。僕は人種で差別はしたくありませんが、小人族だけは信じてはいけません。彼らは信用するに値しない」


「人がせっかく……って、え? なんで?」


「彼ら小人族は、蛮族よりも厄介です。長命種ゆえに更にタチが悪い。人の懐に入ろうと企み、入り込めたと思えば金目のものを取ろうと躍起になる。あのクッキーには麻痺の魔法がかけられていました。あれを食べていたら最後、尻の毛までむしられた上で山道に捨てられるところでしたよ」


「え?! そうなの?!」


 まさかそんな恐ろしいことが起きかけていたとは。背筋に冷や汗が垂れていたところに、ガジャが出てきた方向から「財布がない!」だの、「ネックレスが消えてる!」だのという声が聞こえてきた。

 ドタバタと走ってくる音が聞こえて慌てて身構えると、デザルトが蛍の腕を掴んだ。


「行きましょう」


「え、え?」


「ここにいたら面倒です。僕たちの使えるスペースはこっちですよ」


 グイグイと腕を引かれて、カーテンが暴れている方とは反対方向にあるスペースの中の、一つの二段ベッドまで行くと、サッとカーテンが引かれた。

 カーテンが引かれたタイミングで、玄関口の方で何やらギャンギャンと騒ぎが起き始めた。

 このカーテンは多少の防音もしてくれるようで、ドタバタ音はひどく遠くに聞こえる。翻訳機の範疇からも出たようで、何を言っているのかさっぱり分からなかった。


「ふぅ、あのゴタゴタに捕まったら一生ここから出られなくなるところでした」


「それ、どういう意味?」


「ガジャさんがわざわざ賢者候補様のことを大声で言ったでしょう? あれは、ここの宿泊者たちがあなたに頼るのを狙ったんです。ガジャさんは、それで彼らが追いかけてこなくなることを分かっていたんです。皆さん、ゴタゴタは他人が解決してほしいと思ってますからね」


「そう、なの?」


「賢者候補というのは、他の人間にとってはただの便利屋なんです。誰もあなたが魔の長を抑えてくれるとは知らない。世間一般では、あなたは高度な魔法でなんでも叶えてくれる、スーパーマンなんですよ」


 そんなことを言われても。

 この世界に降り立ってまだ三日しか経っていない人間に、いったい何を期待するのだろうか。


「何も知らない側からしたら、そんなものです。しばらくここにいてください。その黒は、賢者候補としてあなたの美しさを際立たせてくれますが、今は逆効果です」


「わ、わかった……」


「僕は少し宿の主人と話をしてきます。まだ手続きも終わっていませんしね。二段ベッドはお好きな方をお使いください。空いた方を僕が使います」


 あぁ、一緒にこの狭いスペースを使うのか。

 恥ずかしいと感じる間もなく、鞄などを床に置いていったデザルトが出ていってしまい、蛍は一人ぽつんと取り残された。


 仕方がないので、できるだけ互いの目に入らないように、蛍が上の段を使うことにした。ローファーをハシゴの下に置いて、ベッドに上がる。ベッドは思いのほか広く、枕から向こうに少しスペースが取られていて、そこに荷物を置くらしい。

 ベッドマットも掛け布団もフカフカで、蛍はその上にコロンと横になった。

 昨日とは違ってベッドだ。思いきり伸びをすると、布団が身体を包み込んでくれて心地よい。


「……信じるな、か」


 あんなに、人の良さそうな女性だったのに。

 デザルトとも交流がありそうな人だったのに。

 彼はきっぱりと、信じるなと言い切った。


 人を、そんな風に言うだなんて。


 ガジャのやったことは許されないことだろう。泥棒だなんて、やってはいけないことだ。それでも、信じるな、値しないだなんて。


「デザルトさん、怖い顔してた」


 まだ三日程度の仲だが、あんな顔は初めてだ。


 怖かった。


「あの目、めちゃくちゃヤバい目だったな」


 自分も何か道を踏み外したら、あんな顔を向けられるのだろうか。


 ぶるっ、と身体が震える。


「デザルトさんに嫌われたら、どうしよう」


 それは、いやだ。


 自身の身体を抱きしめるように丸まって、蛍は世界と隔絶されたくて目を閉じた。


 それから、どのぐらいの時間が経っていたのだろう。

 気づけば寝ていたようで、ハッと目が覚めると身体にはもこもこふわふわのあの毛布が掛けられていた。


 コーヒーの良い匂いがしてのっそり起き上がりベッド下を見ると、どこから持ってきたのか、椅子に足を組んで座って本を読むデザルトの頭がベッドの柵越しに見えた。机にはコーヒーの入ったカップが一つ置いてある。


 デザルト自身は軽装で、上着を脱いでいるのを初めて見た。

 上着の下は非常に簡素な服だった。白のシャツに、黒のズボンと、元の世界でもよく見られる格好だ。革靴かと思っていたが、どうやらロングブーツだったようだ。シンプルなのに、一対の絵画のような雰囲気が出るのだから、イケメンは羨ましい。

 銀細工の髪留めだけは変わらず着けていて、余程思い出深いものなのだろう。


「デザルト、さん?」


 蛍の呼びかけに、本から顔を上げたデザルトがこちらを見上げてきた。


「よく眠れましたか?」


「うん。毛布ありがとう」


「食事にしましょう。宿の主人が美味しいベロージエを作ってくれましたよ」


 なんだかよく分からないが、ともかく何か美味しいものを作ってくれたようだ。有難い。

 

 ハシゴから降りた蛍に向かって、デザルトが手を伸ばしてきた。驚いて固まっていると、デザルトの手は蛍の髪に触れた。


「え……デザルトさん?」


 心臓がバクバク跳ねている。

 そっと頬を掠めていく彼の指は温かく、辿ったところから頬が熱くなっていくようだ。


 デザルトの顔が近付いている気がする。

 何が自分の身に起きるのか、まったく予想ができない。


「(うう〜、心臓バクバク言ってる……!)」

 

 心臓が跳ねて、跳ねて、跳ねて、五月蝿いほどに跳ねて、何が起きるのか分からない。

 デザルトの顔が至近距離まで近づいた時、ギュウッと蛍は目を閉じた。

 

「髪が乱れています。あぁ、ローブも少し曲がっていますね。後ろを向いてください」


 その言葉に、どっと身体の力が抜けそうだった。


「あ、あぁ、そういうことか。はい、お願いします」


 突然のことに固まってしまったが、デザルトは単なる厚意でしかなかったらしい。ちょっとだけときめいてしまった自分がなんだか恥ずかしい。


 このローブの背中側を見たことがなかったのだが、どうやらこのローブには背中側にリボンがついていたようだ。リボンの位置を直されて、トンと背中を叩かれる。


「はい、良いですよ、賢者候補様」


「ありがとう、デザルトさん」


「さぁ、行きましょう」


 振り返ると、デザルトも上着を着ているところで、杖はどこかにしまったようだった。見渡せる限りではどこにもない。

 完璧に上着を着たデザルトに促されるまま、蛍は宿の食堂へと向かった。


 食堂は宿の二階にあった。

 階段を上った先は一階と同程度のだだっ広い部屋が一つあり、大量のテーブルと椅子が並んでいた。宿泊者は思い思いの場所で食事を摂っており、デザルトはその中でもキッチンカウンター近くの席を取ってくれた。

 席に着くと店主が盆を二つ持ってきて、蛍とデザルトの前に置く。盆にはホワイトソースがかけられた焼き魚と、青い豆のスープが乗っていて、蛍が「わぁ!」と歓喜の声を上げている間に大量のパンの乗った盆が後から持ってこられた。


「いっぱいお食べ。そんなヒョロヒョロの身体じゃ、修行になんか耐えられないよ、賢者候補さん」


「ありがとうございます! いっただっきまーす!」


「いただきます」


 どれがベロージエなのか分からないが、ホワイトソースの濃厚な味付けにパンが進む。パンは半月パンだけではなく、クロワッサンのようでクロワッサンではないパンや、食パンのようなパンもあった。小麦粉とバターの味が絶妙で、とても美味しい。


「(あぁ〜、やっぱこれ絶対太るじゃん……! でも美味しくて止められないよー!)」


 そんなパンを頬張っていたところで、対面で静かに食事をしていたデザルトが口を開いた。


「賢者候補様。明日も朝日と共にここを出ます。予定では、明日の昼には『中央にある綺麗な街』に着く予定です」


「うん、わかった」


「向こうに着いたら、すぐに杖を買いに行きましょう。その後、王に謁見をしなければ」


「ぐっ、げほっ、げほっ……え? なに? 謁見?」


 突然放り込まれた爆弾に、蛍はパンを詰まらせ咳き込んでしまう。

 驚いたデザルトが紫色の茶を渡してくれて、慌てて蛍はそれを飲んだ。


「賢者候補様、大丈夫ですか? ゆっくり食べてください。誰も取りませんよ」


「違う違う! そうじゃないよ! 今、え、謁見って言った?」


 長老に挨拶をする規模の話ではない。


「え、謁見って、あれだよね? 王様にご挨拶するっていう、あの?」

 

 一般市民が王に謁見など、できるはずがないだろうに、デザルトはなんて事を言い出すのか。

 この世界では、王様というのは職員室の先生並みに簡単に出会える人物なのだろうか。


「賢者候補として王に謁見し、泉へ向かうための入山許可を得なければいけません」


「な、なるほど」


「大丈夫。今の時代の王はとても賢く、民に愛される王だと聞いております。理不尽な目には遭わないでしょう」


「理不尽な目に遭ったことがあるの?」


「いつの代だったか……五百年ほど前の王は、超が付くほどのビビリでしてね。我々の話をひとつも聞かず、その場で賢者候補様の首を刎ねました」


「え……」


 カチャン、とスプーンが皿に落ちる。

 何を言っているのか。

 手が震える。


「あれは向こうの手落ちです。賢者候補様の成すべき内容を何も記録しておらず、受け継いでこなかった。大丈夫です。その次の代からはキチンと話がついておりましたから」


 そんなことを言われても、まったく安心などできない。

 あれだけ進んでいた食がピタッと止まってしまい、更に吐き気さえ催してきた。


 口を押さえて俯いた蛍に気づいたデザルトがそばに来てくれて背中をさすってくれたが、収まりそうになかった。

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