第7話 想像力って偉大
夢を見た。
あの日、アディオペラの精神世界に飛ばされた時を何度も繰り返している夢だ。
「アディオペラ」
「やぁ、蛍。どうしたのだ?」
五回目でようやくアディオペラの目の前に立つと、アディオペラはあの時と変わらぬ態度で振り返ってきた。
「アディオペラ、どうして黙っていたの?」
「ん? 何をだ?」
「賢者候補として修行を何年もして、魔の長に会いに行かなきゃいけないなんて! 聞いてないんですけど!」
しかも言葉は通じないし、導き手であるデザルトにはたまに無視される。
魔法も分からないし、そもそも友人や家族に別れを言えなかった。
「あぁ、そのことか。すまない、忘れていた」
「そんな軽く?!」
ケラケラと笑って謝罪されたところで、蛍の中の怒りは鎮まらない。
「ともかく! 私のやらなきゃいけないこと多すぎだし、こんなこと言われてないよ!」
「すまんすまん。すっかり忘れていた。向こうで聞いただろう? 百年に一度の一大イベントなのだ。伝え漏れがあっても仕方なかろう?」
一大イベントだなんて言葉で片付けれるような内容ではない。人を襲撃するだなんてことが起きているのに、どこまでも軽い。
握った拳が震えた。
「そんな簡単に言わないで! 人が襲われているんですよ?!」
「そうだなぁ。まぁ、些末な事さ。人はビックリするほど多く生まれるからな。多少減ったところで変わらないさ」
「なんで、そんな……!」
これが、人間と人外の考えの差なのだろうか。
あまりにも、あまりにも、糸くずを捨てる程度のノリで言われるだなんて。
「修行、頑張るのだぞ、蛍。賢者になるのだ」
「あなたねぇ……!」
「帰りたいのだろう? なら、賢者になるしかなかろう?」
ニタニタと、アディオペラが笑う。
その笑顔が憎たらしくて、蛍は思いきり拳を振り上げた。
「わぁああ!」
「おはようございます、賢者候補様」
「わあー! わ、あ、え? あ、朝?」
良いところで突然デザルトの声が耳に入った。
勢いのまま目を開くと、洞の中は太陽の光に満たされていて、何やらしげしげとこちらを見下ろすデザルトと目が合った。
朝日を背景に背負っているデザルトは、とても爽やかイケメン度が増している。
「眠れましたか?」
「まぁ、うん、たぶん……?」
そんなに良い睡眠ではなかったが、頭はスッキリした。
地面に寝ていたはずだが背中は痛くないし、洞の中はコーヒーの香りで満ちていて、一瞬だけ家に帰ってきたのかと勘違いした程の快適さだった。
「おはよう、デザルトさん」
「コーヒー飲みますか?」
「うん!」
「あと、朝すぐそこを飯屋が通ったので、ペリザを買ってきました。あなたも食べますか?」
「ペリザ?」
なんだろう。
まずそもそも、飯屋がそこを通った、という状況がよく理解できていない。
デザルトの言葉を動きが鈍い頭を必死に動かして整理した結果、彼は蛍のためにコーヒーと食事を用意してくれたようだった。
デザルトに渡された紙の包みを開くと、半月状のパンに新鮮な生野菜や焼いた肉がたっぷり詰まったサンドイッチが入っていた。オレンジ色のソースがかけられていて、立ち上る匂いはとても美味しそうだ。
「いただきます!」
ガブリ、と噛みつけば、焼肉のタレのようなもので下味をつけたジューシーな肉と、シャキシャキな生野菜、オレンジ色のソースの酸っぱい味付けがとても美味しい。
似たようなサンドイッチを元の世界でも食べたことがあるが、確かあれの名前は「ピタパン」だったはずだ。地中海だか中東だかで主流のパンで、こうやって肉や野菜を挟んで食べていた。
食生活は元の世界の、海外の料理と似ているようだ。これならなんとか生きていける。
「美味しい!」
「美味しいですか?」
「うん!」
蛍がパクパク食べる様子を見ていたデザルトも、安心したのか彼も紙包みを解いて食べ始める。
彼の淹れてくれたコーヒーも堪能してから、二人は洞から出発した。
昨夜の雨の名残があちこちにある中を、必死に進む蛍の横でデザルトはスイスイ歩いていく。やはりローファーは変えたほうがいいのだろうか。
変えたくない気持ちと、変えたほうが快適かもという気持ちが拮抗し始めた。
山を降りて、今度は随分と開けた平原を歩くことになった。道は整備されているものの、土道であることには変わりない。
ここまで来ると人の往来が多くなっていて、皆思い思いの旅装備をしている。
ロバのようなサイズの馬を連れた人もおり、旅をしているにしては皆ピカピカに綺麗な格好をしていた。不思議に思ってデザルトを見ると、デザルト曰く「近くに宿があるんですよ」らしい。
「宿まで行ったらそこで休みましょう。無理して進んでも良いことはありません」
「わかった」
その宿まではどのぐらいなのだろう。
太陽はまだてっぺんに上りかけたところで、一日が終わるにはまだまだかかる。
その宿では風呂に入れるといいのだが。
道中、ロバに大量の荷物を乗せた男が大きなパラソルを広げて休んでいるところに通りがかると、デザルトがその男に声をかけた。
男の周りには丸い鉄板が焚火の上に置かれていたり、何やらよく分からない肝のようなものが氷の張ったタライに大量に入っていたりと、どうやらこれが店であるらしい。肝のようなものは狩りたてなのかまだ少し動いている。
広げた布の上に胡坐をかいて座る店主の横に、あの紫色の茶が大きなガラス瓶に入って置いてあった。
「こんにちは」
「やぁ、旅人さん。飯かい? それとも、飯の材料かい?」
店主は紙タバコをくゆらせながら、木の板をぺらっと見せてきた。メニュー表らしい。
脇からそれを覗き込んでみるが、蛍にはまったく読めない。数字は元の世界と同じアラビア数字だった。蛍が一生懸命背伸びしながら覗き込んでいることに気づいたデザルトが、そっと見やすいように屈んでくれた。
「では、飯をください。賢者候補様、食べたいものはありますか?」
そう言われても、何があるのかまったく分からない。
二回連続ペリザでも良いが、できることならいろいろな物が食べたい。が、デザルトの見せてきた木の板を見てもペリザがどれか分からない。
「なんでもいいよ」
よく分からないし、と首を横に振ると、デザルトは木の板を店主に返した。
「では、ゴジッドとパズラペリザを二つずつ。あと、ガジュンの実とベビワの実を五個ずつください」
「はいよ」
店主はすぐに、ロバの背からいくつか食材を出してきた。
味付けされた肉とカット済みの野菜を鉄板に放ると、なんとキッチン用具が勝手に調理を始めた。調味料すら勝手に鉄板へ入っていくものだから、蛍がポカンと口を開けている間に二種類の料理が二人分出来上がった。そんな光景の横で、店主が氷のタライから肝のようなものをデザルトに渡していた。
あの肝が、ガジュンの実だかベビワの実なのだろう。というか、肝ではなかったことにビックリだ。あんなにビクビク動いていたのに。
「全部で三ギガだ」
「はい」
聞き慣れた単語と共に、銀色の硬貨が三枚、デザルトから店主へ渡された。ギガはギガバイトの略ではなく、ここではお金の単位だった。
「賢者候補様、どうぞ」
「ありがとう」
渡されたパズラペリザは、朝食べたペリザとは少し異なっていて、生野菜ではなく肉と一緒に炒めてある。「ペリザ」がパンの形状で、「パズラ」はこの肉野菜炒めのことを指すのだろう。
ゴジッドは、野菜たっぷりのミネストローネスープのようなものだった。赤いスープに、刻んだ野菜がたっぷりと入っていて、器は大きなピーマンのような野菜に入っていた。
店主から少し離れたところに二人は腰を落ち着けると、デザルトから木匙を渡された。
ゴジッドとデザルトを交互に見ると、ペリザに口をつけようとしていたデザルトが「器も食べられますよ」と言ってくれた。
「美味しそう! いただきます!」
「ゆっくりどうぞ」
ゴジッドを太ももの上に乗せて、パズラペリザにまず齧りつく。
美味しい。
視覚から得た情報と、なんの違いもなく、とても美味しい。
こんな美味しい料理ばかりだと、太ってしまいそうだ。
ゴジッドも見た目通りのトマト味で、ピリッと辛い味付けが良い。
ちらっと、蛍は横目でデザルトを見た。
デザルトも蛍の方をたまに見ながら、黙々と食事をしている。
物を食べる所作すらイケメンとは、天は彼に二物も三物も与えたらしい。
「どうかされましたか?」
「ううん、なんでもない」
うっかり見惚れていると、ばっちりと目が合ってしまった。
カッと顔が熱くなってしまって、蛍は慌てて視線を逸らす。
心臓に悪い。
こんなイケメンと、今回は一週間とはいえ、ずっと一緒にいないといけないとは。
昨晩イケメンの横で爆睡してしまった自分は横に置いておいて、免疫のない蛍の心臓は簡単に揺さぶられる。
どこかで一人になれる時間が欲しい。
しっかりと食べ終わった蛍はぼんやりと、片付けをしているデザルトの横顔を見る。
「(距離がちょっと遠いからまだマシだけど……)」
こちらに気を遣ってくれているのか、デザルトは蛍と一定の距離を取って座る。
今も杖と荷物分遠くに彼は座っていた。
「デザルトさん、あのさぁ、」
「そこの二人」
デザルトの服を引こうと手を伸ばした時、突然背後から声をかけられた。
振り返って見ると、小柄なおじさんが長い杖を持って立っていた。
小柄なおじさんは、デザルトやモルドガードのような服は着ておらず、小汚いローブを小汚い服の上に羽織っていて、異様な空気を感じた。
「何かご用ですか?」
デザルトも異様さを感じ取ったようで、すぐに蛍の前に立ち、蛍を背に隠す。
「いやぁ、お二人はあれだろ? 賢者候補とその導き手ってやつ。だろう?」
「そうだったとして、あなたに何の関係が?」
「いやぁ、本当にいるんだなぁ、賢者候補と導き手なんて。婆さんから聞いた時は、ただの
「……」
ゲハゲハと笑うおじさんの言葉に、デザルトは杖を構えた。背中からでは彼の表情は分からなかったが、杖を握る手の、力の入りようから見て、相当怒っているようだった。
蛍も立ち上がって、デザルトの服をギュウと思わず掴んでしまう。
「なぁ、あんたら。金持ってんだろ? 賢者候補って奴ぁ、大層の金持ちだと聞いた。金くれよ」
「そんなわけないでしょう」
「でなきゃ、そんなご立派な服もご立派な杖も持ってねぇ。いいから金よこせよ。酷い目に合いたくないだろ?」
その言葉を合図に、今まで誰もいなかった周囲に、おじさんと似たような恰好をした男たちが現れた。
手には剣や弓など物騒な武器を持っていて、蛍は息を飲む。
デザルトの舌打ちが聞こえた。
「賊が」
「おいおいおい、路銀が重いだろうからそれを軽くしてやろうっていう優しさだろ。慈善活動家と言ってくれ」
なぁにが慈善活動家か。
上手いことを言ったつもりか。
「彼らは、この国では蛮族に類する者たちです。賢者候補様、目を合わせないでください」
「う、うん」
「賢者候補様、こういう時のために魔法を少し覚えましょう」
「え?」
「空に浮かぶイメージを持って、《アエーレオ》と、言ってください。さぁ!」
「あ、《アエーレオ》!」
呟いた途端、蛍の身体が宙に浮き、ものすごいスピードで上に飛び上がった。
「わ、わぁああ!! デザルトさぁあん!!」
「おい! 撃ち落とせ!」
「させませんよ。《シェルアームス》」
それって爆弾?!と蛍が叫ぶ間もなく、デザルトの周囲に光の球体が無数に現れた。
どんどん地面が遠くなっていく時、蛮族たちが一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見えた。
だが、遅かった。
「逃げたところで無駄です。《発動せよ シェルアームス》」
蛍の身体が空に消えていくと同時に、光の球が蛮族たちを追いかけ始めた。
彼らの身体に触れそうになった途端、周囲の地面を巻き込んで爆発する。
他にも呪文を唱えたのか、抉られた地面が人の手に変わって蛮族たちを次々に捕らえていた。
そんな中でもお構い無しに蛍の身体は空へと吸い込まれていった。
「ちょ、ちょっと、助けて! これ、エントって言ったらまずいよね?! わ、わあああ!!」
デザルトたちの姿が、どんどん豆粒になっていく。
頭の中でノートに書いた文字が思い浮かぶが、ここで「《エント》」と唱えたら今度は地面に真っ逆さまだ。
それだけは避けたい。
だが、コントロールも効かないこの状態では、宇宙にまで行ってしまいそうだった。
雲が視界に入り始める。
このままでは凍死してしまう。
「え?! なに、あれ?!」
遠くに、漆黒の雲に包まれた地域が見えた。
紫色の雷が落ちていて、あまりにも物々しい空気が流れている。
あれは、なんだ。
「賢者候補様!」
「で、デザルトさん!」
デザルトが下から飛んできた。こちらに手を伸ばしてきたデザルトへ手を伸ばすものの、まったく届かない。彼の空を飛ぶスピードと等速で飛ぶものだから、二人の距離が縮まらない。
「(これは、一か八か……!)」
「くそっ……!」
「《エント》!」
「あっ! 賢者候補様! それは駄目だ!」
呪文を唱えた途端、今まで感じていた上に引っ張る力が、フッと消えた。
「きゃーーーー!!!」
終わった。
これはやらかした。
猛烈なスピードで、今度は地面へ真っ逆さまだ。
予想していたというのに。
大人しくデザルトを待てばよかった。
空に上がってきたデザルトの横を、今度は落ちて行った。
デザルトの手が掠ったが、数センチのところで掴めなかった。
「やばい! どうしよう! もう一回?! もう一回言えばいい?!」
「賢者候補様! そのまま!」
「は、はい!」
また余計なことを言いかけた。慌てて口を両手で塞ぐ。
ぐんぐんと、地面が見えてきた。
「やばい! ぶつかる……!」
ぶつかった後の身体を見たくなくて、ギュウと目を閉じる。
と、ふわっと、身体に上へ向かう重力が働いたかと思えば、身体がピタッと止まった。
「はえ」
「はぁ……間に合った」
目を恐る恐る開くと、地面はまだまだ先にある。
耳元で声が聞こえたので振り仰ぐと、デザルトの顔がすぐそこにあった。
「わぁあ!」
「わっ! ちょ、暴れないでください」
驚きのままジタバタと藻掻いてしまったところで、自分の今の状況を思い出す。
もう一度下を見て、蛍はギュウと今度はデザルトの身体に抱き着いた。
「ご、ごめんなさい!」
「そのまま、大人しくしていてくださいね。はぁ、心臓が飛び出るかと思いましたよ」
「うぅ……本当にごめんなさい……」
本当に浅はかだった。
シュンと肩を落とした蛍に、デザルトは少し慌てたように「大丈夫だったからよかったです」と言った。
トン、と地面に足が着く。
申し訳なくてデザルトの顔が見れなかった蛍に、デザルトが手を差し出してくる。
「行きましょう、賢者候補様」
「うん……って! 手は繋がなくても大丈夫だよ!」
「またどこかに飛んで行かれても困ります。行きますよ」
「……はい」
そう言われてしまっては、従うしかない。
デザルトの手をしぶしぶ握って、蛍は道を歩くのだった。
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