第6話 祝!初野宿

 村の玄関口に立った蛍は、大きな溜め息をついた。

 黒のローブは、予想通り大円に広がったものの、やはり味気ない。刺繍も黒、布も黒。村の玄関口を守る守衛と何やらやりとりをしているデザルトと、いやでも比べてしまう。

 デザルトの服は、白い布に豪華な刺繍が色とりどりの糸で施されている。

 彼の銀色の髪にとても似合っていた。


 彼が持ってきた斜掛け鞄にも綺麗な刺繍がしてあって、何か意味があるのだろうか、とぼんやり考えた。

  

 自分の黒髪に合うように黒だったのだろうか、と思ったが、モルドガードは「賢者候補はこうでないと!」と言っていたし、代々黒なのだろう。残念なことに。


「デザルトさん。賢者候補って、みんな黒の服なの?」


 クルクルとその場で回って、せめてひらひらふわふわだけでも堪能しようとしている蛍に、デザルトは何やら考えるように腕を組んでから口を開いた。


「賢者候補様の服は、何ものにも染まらない黒が一番良いです。僕たちとは違うのですから。綺麗ですよ、賢者候補様」


「うう……答えになってないよ、それ」


「他の服でも良いのでしょうが、結局この黒がいいと皆さん仰いますね」


 守衛から何かを受け取ったデザルトが、「行きましょう」と告げたので、蛍は大人しくデザルトに着いて行った。


 準備時間として三十分与えられたものの、帰宅途中でここに飛ばされた蛍は何も持っていなかった。

 

 学校鞄の中には、この世界では役に立たない英和辞典と教科書、ノート、筆記用具、財布。スマートフォンと充電器もあるが、この世界ではスマートフォンは使えない。充電もできないとなると、あれだけ執着心すら感じたスマートフォンは単なる板へと成り下がり、蛍は早々に鞄の奥底へ仕舞い込んだ。


 だが、さすがに手ぶらは駄目だろうと考えて、ノートと筆記用具だけを入れて学校鞄を持ってきていた。

 友達とお揃いで買ったぬいぐるみキーホルダーがぶら下がっている、今の蛍にとってはもはやアイデンティティさえ感じる学校鞄に、デザルトはあまり興味を示してくれなかった。

 いや、興味津々にあれこれ聞かれても困るのだが。


 デザルトは、目が合えば微笑んでくれる。

 こちらの質問には答えてくれないが、蛍と会話をしようとしてくれる。

 何より顔が良い。表情筋はそんなに柔らかくないようだ。

 だが、どうだろう。

 デザルトと会話をしているような気がしない。

 互いに一方的に話しているように感じる。


 とはいえ、この世界の常識を知らない今の蛍には、打開策なんて思いつかなかった。


「(どうしたらいいんだろう……デザルトさんにはいっぱい聞きたいことがあるのに)」


 たとえば、魔法のことだとか。

 たとえば、賢者になった賢者候補はいるのかだとか。

 たとえば、道中の食事はどうするかだとか。


 デザルトの名前を背後から呼んでも、基本彼は無視だ。

 あれだけ服についてはベタ褒めだったくせに、蛍本人には興味がないのだろうか。


 村からしばらく歩いて近くの山を登る。ハイキング程度の道だが、ローファーでは少ししんどい。

 似たような革靴なのに、デザルトはひょいひょい歩いていく。何年生きているのか知らないが、長年の慣れなのだろう。


「賢者候補様、もうすぐ頂上です」


「うん」


 キュルキュルだの、ビエビエだのと、日本の山ではおおよそ聞かない野生動物の声が四方八方から聞こえてくる。

 山道はキチンと整えられていて、ところどころに案内板が立てられ手書きの地図が描かれていた。

 それを見上げると、確かにこの案内板から頂上までもう少しだった。


「賢者候補様、疲れていませんか?」


「ちょっとだけ……」


「あそこで少し休みましょう」


 デザルトが指した先にあった岩に腰掛けると、目の前に立ったデザルトが鞄から水筒を取り出して中身を分けてくれた。

 白いコップに、並々と注がれたのは、紫色の液体だった。サラサラしているが、おおよそ人間の口にしていい色はしていない。


「お茶です」


「お茶の色してないんだけど?」


「この国ではポピュラーなお茶です。味も美味しいですよ」

 

 そう言われてしまっては、仕方がない。おそるおそる口にした飲み物は、紫色をしているのに、味はジャスミン茶で、思わず蛍は二度見した。


「これ、美味しい!」


「疲労回復の魔法がかけてあります。そんなに急いで飲まなくても、まだありますよ」


 本当に美味しくてすぐに飲み干してしまうと、デザルトがお代わりをくれた。出てくる液体はやっぱり紫だった。


「向こうに着いたら、靴も買いましょうか」


「え? 別にいいよ、ローファーで」


「これから幾度となくこういう山を越えていきます。革の靴ではお辛いでしょう」


「デザルトさんも革靴じゃん。履き慣れた靴の方がいいだろうし、このままでいいよ」


 デザルトの足を指さすと、彼は自分の足元を見て「あぁ」と呟いた。


「僕の靴は普通の牛革ではなく、ゴブリンがなめしたケンタウロスの革で出来た靴なので、硬くならないんですよ。旅人の基本装備ですから、向こうに着いたら賢者候補様の分も買いましょうね」


 よく分からないが、蛍のローファーとは違うらしい。ケンタウロスの人間部分はどうなるのか、なんて考えてはいけないのだろう。


 自分のローファーと、デザルトの革靴を改めて見比べる。蛍のローファーだって、高校三年間履き続けた靴だ。とはいえ、履き慣れてはいるが、さすがに長時間の徒歩や山歩きには向かない。買った方がいいのだろう。


 ただ、元の世界から持ち込んだものを変えるのは、抵抗があった。

 元の世界との境界が消えそうで、とても嫌だった。


「(できれば、変えたくないな)」


 旅人の基本装備と言えど、そこは曲げたくない。

 問題は、デザルトがそこを理解してくれるかどうかだ。

 この真っ黒ローブと同じく、魔法でさっさと変えられてしまったらどうしようもないが、デザルトの言い方から考えるとローブと違って抵抗する余地はありそうだった。


「さぁ、行きましょう。今夜は大雨だそうですから、少しでも遠くに行かなければ」


「うん」


 岩から立ち上がって、二人でまた黙々と頂上を目指す。

 空を見上げると、確かに黒い雲が見え始めていて、これは早く行かなければと蛍は頑張って足を進めた。


「ここです」


「わぁ! 頂上だー!」


 ようやく到着した頂上は開けた場所だった。

 ちょうどこれから向かう方角がすっきりと見渡せて、蛍は頂上に到達できたことが嬉しくてデザルトよりも先に頂上の突端へ駆け寄った。


「見て、デザルトさん! 大きな街が見えるよ!」


 遠くに、四方をとても高い塀に囲まれた街が見えた。

 城下町なのか、街の奥には西洋風の大きな城が建っている。


 蛍の横に立ったデザルトが、杖で街を指した。


「あそこが、これから向かう『中央にある綺麗な街』です。あの街から今度は西に向かうと、『泉の近くにある宿』と聖なる泉の一つがあります」


 また直訳名だ。他はいい感じに翻訳しているというのに、どうも街や村、宿の名前だけは駄目らしい。

 そのうち「村村」なんて名前が出てきてもおかしくない。


「その名前のセンス、どうにかならないの……? まぁ、翻訳機のせいだからいいけどさ……」


「黒い雲が近くなってきましたね。どこか雨風を凌げて休める場所を探しましょう」


 そう言って、デザルトはさっさと踵を返して降りる道へと向かってしまった。


「あ! ちょっと待ってよ!」


 慌てて彼の横に並んで、道を進む。


 こういう時、お喋り同士だったらきっと話が盛り上がることだろう。

 残念ながら随伴しているのは無口なデザルトで、蛍は溜め息が出ないように鞄の紐をギュッと握った。


「ありました」


「え?」


「あそこがちょうどいいでしょう」


 山の中腹まで降りてきた時。

 そう言って、デザルトが向かったのは山肌にぽっかりと空いた洞だった。

 山道から逸れたところにあるそれに、デザルトはどんどん進んでいく。山歩きに不慣れな蛍は、それに着いていくのがやっとだった。


「……うん。大きさも申し分ない。賢者候補様、今日はここで休みましょう」


「ここ……って! 野宿じゃん!」


「付近にまだ宿はありませんし、これも旅に早く慣れるためです。我慢してください」


 その洞は旅人たちの一時休憩所として使われていたようだ。焚き火の跡がある。

 デザルトも気づいたようで、焚き火跡横にしゃがむと、「《ファロ》」と呟いた。途端に焚き火跡から火が立ち上る。炭化していたはずの木は新しい木に変わっていて、デザルトが杖を振ると薪が洞奥に積み上がった。


「賢者候補様、こちらへどうぞ。入り口近くだと雨に濡れますよ」


「う、うん」


 本当にここで野宿らしい。

 空を振り仰いで見ると、黒い雲は徐々に勢力を伸ばしてきていて、蛍も洞の奥へ引っ込んだ。

 

 パチパチパチと木の爆ぜる音が心地よい。が、ベッドなんてものは無いし、せめて膝掛けを持ってくればよかった、と肩を落とすとデザルトが鞄からズルリと大判の水色の毛布を出しているところを見た。


「よくそんな小さい鞄にそれ入ってたね」


「夜は冷え込みます。こちらをどうぞ」


「ありがとう」


 受け取った水色の毛布はふわふわもこもこで、肩から羽織るとあっという間に身体がポカポカに温まった。

 毛布に包まりながら、洞の一番奥に腰を下ろすと、焚き火を挟んだ対面にデザルトは胡座をかいて座る。入り口近くだから寒いだろうに、と思って手招きしてみたが、無視された。


「こっちにくればいいのに……」


「もうすぐ雨が降りますね。三、二、一……」


 デザルトがカウントすると、ゼロと言った途端バケツをひっくり返したような雨が突然降ってきた。この世界の天気予報はかなり正確らしい。


「雨すごいね」


「明日の朝まで降り続ける予定だそうです。賢者候補様、寒くありませんか? 火を少し強めましょうか」


 デザルトは火に手をかざして、また「《ファロ》」と呟いた。先ほどよりも火が大きくなって、洞の中を温めてくれる。

 

 火越しに外を見て、そしてデザルトへ視線を動かした蛍は、デザルトが小さな鞄からカップとヤカンを取り出しているところを見た。大振りな杖は取りやすいところへ置かれている。


「賢者候補様、コーヒーはお好きですか?」


 そう聞きつつ、手のひらサイズの麻袋とミルクポットを取り出したデザルトはもうコーヒーを淹れる気満々で、蛍は頷くしかできなかった。


 デザルトが麻袋の中身を手のひらに出す。バラバラと出てきたそれは、虹色の小さな豆だった。


 小さな鞄から豆を挽くミルも出してきて、デザルトは虹色の豆をミルでゴリゴリ挽き始めた。どうやらあれがこの世界のコーヒー豆らしい。

 ミルから漂う香りはコーヒーだったのに驚きつつ、きっと味はコーヒーとは程遠いのだろう、と勝手に予想する。


「それがコーヒー?」


 デザルトからは曖昧な返答が返ってきた。

 ミルを開けて、中の香りを嗅いだデザルトは満足そうに頷いた。


「良い香りですね。長老様がオススメしていただけはあります。ミルクはいりますか?」


「うん」


「残念ながら砂糖はありません。申し訳ないです」


「いやいや! 大丈夫だよ! ありがとう、デザルトさん」


 ミルのコーヒー粉を直接ヤカンに入れて、魔法で水を出す。

 水を沸かすのは元の世界同様火にかけなければいけないようで、今朝教えられたお湯の魔法は風呂のみの魔法のようだった。

 

 水を出す魔法は「《アクア》」らしい。

 昨日から教えてもらっている魔法の呪文も、聴き慣れた言語の単語だった。きっと翻訳機のおかげだろう。聴き慣れた単語は、ストンと脳に定着していく。


「《アクア》」


 ぽつり、と蛍も呟いてみる。

 すると、蛍の言葉に反応して、蛍の手のひらに水の球体が出てきた。


「できた!」


「上手ですよ、賢者候補様」


 子供を褒めるかのような言い草だが、蛍は気にせずふふんっと得意げに手の上に浮かぶ水を見せる。それにデザルトは重ねて「上手です」と言ってくれたが、水のコントロールができずに手のひらから溢し始めた蛍を見て、冷静に「《エント》」と唱えてくれた。手のひらの水は綺麗さっぱり消えてなくなった。

 この魔法も覚えておかなければ、と蛍は胸に刻んだ。


「ねぇ、デザルトさん。他にはどんな魔法を覚えればいいの?」


「賢者候補様が覚えなければいけない魔法は、これらの魔法の比ではありません。賢者の泉で修行をする際にも必要ですし、魔の長と対峙する時になって何も覚えていないでは、話にならないですから」


「そっか……そうだよね」


 蛍の修行はもう始まっている。

 忘れないうちに、と蛍は鞄からノートと筆記用具を出して、教えてもらった呪文をメモした。


「エント……アクア……あとなんだっけ、ファロ……」


「お湯を出す魔法は《ハイセス》ですよ」


「そうそう! それ! あと、ルミネでしょ……えっと……」


 こうして書き出してみても、見聞きした魔法は少ない。魔法の効果を書いてみても、ノートの一ページすら埋まらなかった。


「はーあ、まだまだだなぁ」


 ここに来てまだ二日も経っていないのだから仕方ない。

 これからこのノートがどんどん埋まっていくのかと思うと、ほんの少しだけ心がワクワクした。


「賢者候補様、どうぞ」


「わーい! ありがとう!」


 声をかけられて顔を上げると、近距離にイケメンの顔面があった。驚いて肩が跳ねてしまった。

 彼の手にはカップが二つ。白い湯気が立ち上っている。


「熱いので気をつけてください」


「はーい。これ冷ます魔法はないの?」


「フーフーしてくださいね」


「ないのか」


 そこはあってほしかった。

 

 アルミのようなカップに注がれた自称コーヒーは、虹色の豆からは想像できないほど紅茶に似た薄い茶色になっていた。ミルクポットからホットミルクが出てきて、ますますミルクティーに似てくる。

 翻訳者は匂いだけでコーヒーとしたのだろうか、と一口飲んでみると、舌に感じる味はちゃんとコーヒーだった。

 芳醇なシトラスのような香りに、少し酸味のある味は、蛍がよく行くカフェのコーヒーに似ている。


「美味しいですか?」


「うん! 美味しい!」


「お口に合ったようでよかったです」


 雨の音を聞きながら、ゆっくりとした時間を過ごす。

 今は何時なのだろう。分からない。

 分からないが、外が徐々に暗くなっていっているのだけは蛍でも分かった。

 チビチビ飲んでいるにも関わらず、カップの中のコーヒーはいつまでも熱々だった。

 

 きっと今、とても贅沢な時間を過ごしているに違いない。

 

「ほんと、不思議だよね、この世界」


 元の位置に戻って座ったデザルトが、きょとんと小首を傾げてこちらを見てきた。


「言葉は分かんないし、私の知ってるコーヒーでもお茶でもないし、まずそもそも魔法なんて初めて見た」


 猫は猫じゃないし、犬も違う。

 着ている服も、蛍の常識の外側にいる。


「でも、デザルトさんやモルドガードさん、他の歩いてる人たちも、私と同じ姿形なんだもん。なんか変な感じ」


 これで肌が青だったり手足が四本以上あったりしたら、あぁここは異世界なのだと実感できるのに。


 ふわぁ、とやってきた睡魔の手を取って欠伸をすると、デザルトがそっと側にやってきた。


「お休みください、賢者候補様。明日は日の出と共に出ますよ」


「うん……デザルトさんは?」


「安心してください。僕が火の番をしていますので」


 そう言って、カップが回収されていく。


 ふわふわもこもこの毛布に包まれたまま洞の壁に寄りかかる。

 このまま眠れるだろうか。

 不安だ。


「目を閉じて。横になるだけでも休めますよ」


「うん……おやすみなさい、デザルトさん」


「おやすみなさい、賢者候補様」


 そっと促されるまま、横になる。

 デザルトが毛布を整えてくれる間に、不思議なことに瞼が下りていき、蛍は夢の中へと旅立ったのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る