第5話 光あれって言ってほしかった

「さぁて! 話をしよう!」


 ドッカリと、長老様……もといモルドガードは執務室に置かれた一人用ソファに足を組んで座ると、対面側に蛍に座るよう指し示した。

 デザルトは、と不安になって横に立つ彼を見上げると、「どうぞ」と言われてしまって従うしかない。蛍がソファの隅に座ると、デザルトはその斜め後ろに立った。


「まず、あなたの名前は?」


「蛍です。小鳥遊蛍」


 名乗るが、モルドガードは一人で「うーむ、やはり言葉が違うな」などと呟いていた。

 そんなに発音が変だっただろうか。

 濁点も半濁点もない名前だから、モルドガードたちには発音しづらいのかもしれない。


「どこから話そうか……うーん、まずは、賢者候補の使命からか? それとも、賢者候補がなぜ生まれるか、からか?」


 蛍としては全てイチから十まで話してほしいのだが、なんだか図々しい気がして口を閉じる。


「うん! じゃあ、まずはなぜ賢者候補なる者が生まれるかだな! 実はな、あなたのような方がこの世界に来るのは百年ぶりなんだ」


「え?! 百年?!」


 デザルトが気軽に言うからてっきり去年辺りにいたのかと思ったのだが、まさかの大台越えに素っ頓狂な声を上げてしまった。

 蛍の叫びに、モルドガードはケラケラ笑う。


「そうか、そうだな! あなたたちは短命なのだった! いやはや、言葉も違う、文化も違う中、寿命すら違うとは。なんとも、生きづらいなぁ、あなたたちは!」


「い、生きづらいなんて! そんなことない! です!」


 たしかに、この世界では生きづらいかもしれない。だが蛍にそんなこと言われても、仕方ないことだ。

 途中、メイドらしき女性が冷たい茶を運んできてくれて、蛍は落ち着くためにそれを一口飲んだ。

 その茶は、色は麦茶だがピリッと辛く、だが後味が緑茶のようで頭が混乱した。


「そうだ。百年。百年に一度、あなたたちはどこからともなく現れ、必ずこの村に来る。そして、我々と違う種族でありながら魔法を嗜み、賢者として国中にある五つの聖なる泉に赴いて修行をするんだ」


「で、でも、なぜ?」


 アディオペラに言われたから蛍はここにいるが、彼らはその真の意味を知っているのだろうか。

 蛍の問いにモルドガードは何も答えてくれない。

 ニコニコと微笑むばかりだ。


「賢者候補として賢者の修行を数年した後、あなた方は決まって魔の長に立ち向かうのだ」


「ま、魔の長ぁ?!」


 なんだと。

 そんなことは一言も聞いていない。

 なぜそんな。

 

「(アディオペラめ! もしかして私のこと騙したの?!)」

 

 しかも、数年と言ったか?

 そんなに待てない。早く家に帰りたい。数年なんて、もう蛍は大学生の歳だ。そんな歳になるまで帰れないだなんて!


 ワナワナと怒りで震える蛍を無視して、モルドガードは「うーん」と悩む声を上げた。


「魔の長も長だ。百年に一度、発作のように人を襲うようになるだなんて。賢者候補殿たちはそれをどこで察知したのか分からないが、彼の発作を抑えに行ってくれるんだ」


「ほ、発作?」


 人を襲う攻撃性を、発作と簡単な言葉でまとめるだなんて。なんて人だ、モルドガードは。

 しかもそれを自分が抑えにいかなければいけないなんて。医者でも看護師でもない自分に、そんなことができる未来が見えない。


「まぁ、我々にしたら、そうして自主的に魔の長と我々の間を取り持ってくれる賢者候補殿たちは、まるで神のような存在さ! 有難い以外に何がある?」


「そ、それで、魔の長と対峙した後、その人たちはどうしたんですか?」


 抑えて、それで。

 そこから先が問題だ。

 この世界に留まってます、なんて言われたら堪ったものじゃない。

 じわり、と目に涙が溜まってきた。


「そういや、その後彼らはどうしているんだろう? 家に帰ってきたなんて話はほとんど聞かないが……なぁ、デザルト。長年導き手をしてるお前は何か知っているか?」


 そうだ、デザルトは何か知っているのかもしれない。

 縋るように涙目で後方を見上げると、デザルトはこてんと首を傾げて見せてきた。


「さぁ。僕はいつも魔の長との対面時は蚊帳の外ですから。ただ、」


「ただ?」


「た、ただ?」


「彼らの安否が気になる、という意味では大丈夫ですよ。皆さん五体満足の状態で僕の元に戻ってまいります」


 それを聞いて、蛍は大袈裟にホッと胸を撫で下ろした。

 よかった。死んだわけではなさそうだ。


「それならよかった!」


 本当によかった。

 大袈裟に喜んで見せるモルドガードとは対照的に、蛍は身体の力が抜けそうになりながらもホッとした。


「さて、賢者候補殿。修行に入るに当たって、とりあえず魔法の習得から始めないといけない。そのためには、まず杖を得なければいけない」


 杖。

 デザルトのような杖だろうか。

 持ち歩くのが大変そうだ。

 

「あと、賢者候補と一目で分かるように、今の服を変えなければいけない。ちゃんと人々に、あなたが賢者候補であると知らしめなければな。賢者候補専用の服を作らないと。……うん! この時期になるといつも思うが、やることがいっぱいだな!」


 ワーッハッハ! ではない。

 積み重なる「やるべきこと」に目が回りそうで、蛍はまた一口茶を飲んだ。

 ピリピリと舌を痺れさせる辛みが、気持ちを落ち着かせてくれる。


 服、か。

 

 たしかに、今の制服では余所者丸出しだ。デザルトが常にそばにいる訳ではないし、村人たちの態度を思い出しても、一人で出歩かなければいけない時に余所者コーディネートでは大層不便だろう。


 それに、村に来てからずっと思っていたことだが、


「(デザルトさんが着てる服、めーっちゃくちゃ可愛いんだよねー!)」


 ターンする度にふわりと大円を描くカットと布量、まるで原宿コーデかのような奇抜な色使い、可愛らしい刺繍と装飾品の数々。

 スカートとズボン、靴の種類は世界が変わっても変わらないようだったが、細やかな刺繍と装飾はそこにも施されていた。

 村人の中には、薄手の生地を何層にも重ねてふわふわひらひらを嵩増しして着ている人もいた。

 

 そのどれもが、蛍の好みにドンピシャだった。

 

 しかも、そんな可愛らしい刺繍や装飾だらけの服を、デザルトやモルドガードのような男性も着ているというのもポイント高い。

 デザルトが髪留めに細やかな銀細工を使っているのも、非常に可愛い。

 

 可愛い。

 めちゃくちゃ可愛い。

 

 あぁ、きっと賢者候補としての服も、この手の「可愛い」を盛り込んだ服なのだろう。

 そこだけは、ワクワクが止まらなかった。


「ではまず、服だな。すぐに準備に取り掛かろう。おーい、ドンゾ! 賢者候補殿の服を作るから準備しろ!」


 モルドガードの大声に反応して、扉の向こうで「はーい、只今」と返事があった。


 ドキドキワクワクしながら待っていると、茶を運んできてくれたメイドが他のメイドと共に全身が映る大きな三面鏡を持って現れた。


 それを広げて、三面鏡の前にベルベット素材で出来た踏み台が置かれる。


「さぁ、賢者候補殿。その踏み台の上に立ってくれ」


 モルドガードに促されるまま、鏡を正面にして踏み台の上に立つ。

 蛍の後ろにデザルトが立ち、そっと杖を掲げられた。


「動かないでくださいね」


「う、うん!」


 採寸でもするのだろうか。

 それなら、と採寸しやすいように、少し腕を広げて蛍は鏡越しにデザルトを見た。


 デザルトの青い目が、真剣な眼差しに変わり、蛍の背へと視線が向かう。


「《纏え、守護するものよ。我の言葉に呼応せよ》」


 朝教えてもらった魔法よりもずっとずっと長い詠唱が、執務室の中に響き渡る。

 デザルトの横で腕組みをしてこの光景を見ているモルドガードは、うんうんと頷きながら「相変わらず良い声だ」と満足そうだ。


「《光の流砂、水の母たる雫、木々の囀り》」

 

「え? わっ!」


 足元から光の粒々が広がってきたかと思った途端、ふわりと蛍の身体が浮いた。

 慌ててバランスを取ると、今度はゆっくりと光の粒と身体がその場でクルクルと回された。

 困惑した顔でデザルトを見ると、それに気づいたデザルトが安心させるようにニコリと微笑んでくれた。


「《我の言葉はすなわち理の世界、彼女の通る道に幸在らんことを》」


 光の粒々がローブのような形に集まっていく。ゆっくりと回転が止み、踏み台の上に戻ると同時に光の粒々が布へと変化していった。

 足元から徐々にその全容が見えてくる。


 どんな色になるか楽しみで、蛍は目を閉じて待った。


 そうして、肩にコートに似た重みを感じたところで目を開けた。


「って! 黒一色?!」


「うん、実にいいな! やはり賢者候補はこうでないと!」


「美しいですよ、賢者候補様」


「うぅー……黒一色なんて嫌だー!」


「そう不機嫌にならないでください、賢者候補様」


 そう言われても。

 デザルトやモルドガードのような色彩になると思っていただけに、ショックは大きい。


 蛍に着せられた服。

 それは、刺繍も黒でされていて、本当に黒一色の、装飾も何もない簡易的なローブだった。複雑な構造でもないのが、更に蛍のテンションは下がっていく。

 布はたっぷり使ってあって、胸元の切り返しから下はターンすればきっと大円に広がるだろう。


「デザルトさんみたいなのかと思った」


「黒は良いな! その人の良さを一番際立たせてくれる」


「えぇ、そうですね。綺麗ですよ、賢者候補様」


「うぅ……」


 そう言われても。

 黒の良さなんて、まだまだ子供の蛍にはよく分からない。


「さぁて、次は杖だな。だが、ここで賢者候補殿には残念なお知らせがある」


「え?」


 ここまで来て、何があるというのだろう。


 賢者候補用の服が黒であること以外に、何が残念なのだろうか。


 モルドガードを見やると、彼はニッカリと笑っていた。


「実はな、ここの村には杖屋がない」


「えっ!」


「ここから三日ほど北に行ったところにある街まで行かないと、杖は買えないんだ。つまり、賢者候補殿の初めての旅というわけだ!」


 モルドガードの言葉に、蛍は逆に言葉を失った。

 泉に修行に行くというから、いつかは旅に出なければいけないのだろうと思っていたが、早すぎる。

 心の準備がまったくできていない。


「ま、まさか、一人じゃないですよね……?」


 これで、何も知らない土地に、場所もよく分からないところまで一人で行けと言われたら。

 完全に心が折れてしまう。

 助けを求めるようにデザルトを見ると、それにいち早く気づいたモルドガードが笑った。


「安心しろ、賢者候補殿。デザルトも一緒だ。なんて言ったってこいつは、『賢者候補の導き手』だからな!」


 あぁ、それならよかった。

 いや、よくないけれども。


 行き帰りで最低六日。

 デザルトと二人きりで過ごさなければいけない。


「(ど、どうしよう……?!)」


 チラリとデザルトを見るが、デザルトは気にしていないようで表情に変化はない。

 蛍だけが変に意識してしまっているようだ。


「(泉に行く時も一緒みたいだし、早く慣れないと……)」


 それはそれとして、こんなイケメンと数日数週間一緒にいるだなんて、心臓が保つか不安だ。

 それに、蛍はアウトドアなんてものをやったことがなく、学校行事で飯盒調理した程度の知識しかない。それすらもデザルトに任せてしまうのは、とても気が引けた。


「せめて明日か明後日にしませんか……?」


「デザルト、すぐに出発したほうがいいだろう。明日この一帯は大雨だぞ」


「はい、分かりました」


「話聞いてよ!」


 蛍の主張も虚しく、あれよあれよと予定が決まっていってしまった。

 出発は三十分後だ、とモルドガードに宣言され、蛍は絶望に顔を青くするのだった。

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